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婚約者の騎士様に放置されたので異世界で日本酒を楽しみます~本当に好きなお相手とどうぞお幸せに~  作者: 千早 朔


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一人きりの晩餐

 豊かな緑が広がり、人々が屈託のない笑顔を向けてくれる実家の領地が恋しい。

 けれども侯爵家の支援のおかげで新たな農耕具を配り、薬もかなりの数を増やせたとお父様から便りを貰っている。

 今度は冬の前に、薪と蝋燭の備蓄を増やしたいと綴られていた。


 どれもフレデリック様と婚約しているからこその恩恵で、私もまた父と同じく、領地民の暮らしが少しでも良くなること願っている。

 それに、なんと言ってもこの縁談をまとめてくれたのは大好きなお爺様だもの。

 婚約を破棄したとなれば、お爺様の顔に泥を塗ることにもなる。


(私一人が耐えればすむ話だわ)


 この場でほんの一言でも不満を漏らせば、どうなるか。

 簡単に想像できるくらいには、私も"首都の令嬢"らしくなってしまった。

 ぐっと手を握りあらゆる衝動を飲み込み、出来得る限り穏やかな笑みを浮かべてみせる。


「そうだったのですね。楽しいお時間を過ごされたようで、なによりですわ」


「……本当に、フレデリック様には感謝しておりますわ。次の機会には必ず手土産をお持ちになるよう、わたくしからもお話しておきますわね」


 では、御機嫌よう。

 つまらなそうにそう言ってプイと踵を返していくゼシカ様に、ほっと息をつく。


(私に騒ぎ立ててほしかったのかしら)


 それか、もっと悔し気な顔を見たかったのかもれない。

 どちらにせよ、今晩中にはフレデリック様とゼシカ様の"デート"に加え、私のことも社交界に広まるでしょうね。


(私ももう、帰ろう)


 いくらレッスンを重ねたとて、複数の好奇と嘲笑を聞こえないものとして立っていられるほど、"令嬢"らしくはなれていない。

 屋敷に戻り自室で温かな紅茶に口をつけると、やっとのことで緊張が解けだした。


(……フレデリック様に、話すべきかしら)


 責める意図はなく、ただ、"婚約者"としての事実確認なのだと。

 次は私にもケーキを買ってきてほしいとねだったなら、それくらい自分で買いに行ってくれと言われるのかしら。


(そんな予測も出来ないくらい、あの人が何を考えているのかさっぱりわからないわ)


 カップの水面にうつる自分の顔がずいぶんと疲れきっているのは、茶褐色の紅茶のせいかしら。

 胸中で自問自答しながらぼんやりと眺めていた、その時。


「――失礼いたします、お嬢様」


 ノックを響かせ現れたのは、ベスティ家で長年執事を務めているノイマン。

 フレデリック様が幼い頃に就任したという彼は、今年で六十八の誕生日を迎えた。

 深夜も早朝もきっちりと整えられているブラウンの髪には、経験を積みかねた証である白髪が混じっている。


 突如"夫人候補"として屋敷に現れた私にも丁重に、真心を込めて接してくれる彼が、その片眼鏡を指先で引き上げるのは気まずい報告がある時の癖。

 もしかして、と察した私は、


「……フレデリック様に関するお話でしょうか」


 ノイマンは苦々しい顔で「さようでございます」と頷き、


「本日のディナーは、フューストン男爵様と外で済まされるとのご連絡が」


「……そうでしたか」


(やっぱり、私のことなんて眼中にないのね)


 今日は私が"婚約者"としてこの屋敷に来てから、ちょうど二年となる日。

 確かに、記念日というわけではないけれど……久しぶりに夕食くらいは一緒にできるものだと思っていた。


(そもそも、彼は私が来た日なんて覚えていないのでしょうね)


 たとえ覚えていたとしても、私よりもフューストン男爵様が重要だと判断した。

 それが全て。


(ゼシカ様も同席されるのかしら)


「お嬢様」


 心配げな声に顔を上げると、ノイマンは心底申し訳なさそうに頭を下げる。


「二年前の本日、私共はお嬢様という素晴らしいお方をこのお屋敷に迎えいたしました。僭越ながら、ディナーには私共の感謝を込めて、特別なメニューとさせていただいております」


「……ありがとうございます、ノイマン。少し、庭園を散歩してきますね。素敵なディナーの前に、お腹を空かせておかなくてはいけませんから」


 頭を上げたノイマンは、僅かながらもほっとした顔をして、


「先日、お嬢様が蕾を眺めていらした薔薇が見事に咲いておりました。ぜひご覧になってください」


(ノイマンはもちろん、お屋敷の使用人たちが優しい人ばかりだったのは、本当に幸運だわ)


 世話してくれているメイドも、料理人も。

 庭師さえ、"フレデリック様に相手にされない田舎者令嬢"である私を気遣い、尽くしてくれる。


 なんて贅沢な幸運。そう思うべきなのに。

 ノイマンの言葉通り、記念日といっても差し支えないほど豪華なディナーをありがたく咀嚼しつつも、がらんとした食堂に響く自身のカトラリーの音に拭いきれない寂しさがこみあげてくる。


(私は"ご令嬢"に向いていないようね)


 令嬢らしさを求めらなかった領地では、領民と取り留めもない話をしながら木陰でパンとチーズをかじったり、摘み立ての果物をそのまま口に含んだり。

 お父様の意向で領民を屋敷に招いたディナーも珍しくはなかったし、反対に、招かれることだってあった。


 けれどもこの屋敷では、どんなに良くしてくれる使用人すら同じテーブルには招けない。

 パンにかじり付くなんてもってのほか。必要なのは美しく伸びた背と、正しいテーブルマナー。

 小さな口で少量を味わって、ワインで喉を潤し、時折にこりと微笑む"正しさ"だけ。

 

 ああ、本当に――疲れた。


(ごめんなさい、お爺様。私ではこの婚約を”好機”には出来なそうだわ)

ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます!

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