俺の婚約者は彼女だけ
「ギル卿、そのお話は本当ですか?」
厚切りの肉が乗る皿の上で、驚愕に揺れたナイフがカチリと音を立てる。
フューストン男爵家で案内された長い食卓の、当主の席に座するギル卿はそんな俺の無礼を気にも留めず、「ああ」と深く頷き、
「約束しよう。今度の部隊編成の討論会議では、キミを第一騎士隊の副隊長に推薦する」
肩書きこそ"教育係"であるものの、ギル卿の影響力は未だに強い。
余程の理由がない限り、この提案は決定事項になるだろう。
第一騎士隊の副隊長ともなれば、ゆくゆくはいずれかの隊長への昇格も夢じゃない。
(目指していた場所に、一歩近づいた)
「心より感謝します、ギル卿。これまでの恩義も含め、必ずや役目を全うしてみせます」
「ああ、確実に成果を出してくれるものだと期待している。さ、これは前祝いのようなものだ。存分に食べて、飲んでくれ」
ギル卿の合図に、控えていた使用人がそれぞれのグラスに新たなワインを注ぐ。
今夜は本当に、祝うつもりで呼んでくれたのだろう。
豪勢な食事と上等なワインに、いっそう気を引き締めて職務にあたらなければと考えていると、
「本当に素晴らしいですわ! おめでとうございます、フレデリック様。わたくしも、お祝いの品を考えなくてはなりませんわね」
そう言って祝福するように手を鳴らすのは、対面に座するゼシカ嬢。
騎士団の宿舎で会う時とも違う、そのまま夜会に出席できそうな出で立ちだ。
そもそもが彼女からの招待なのだから共に食卓につくのは当然だし、これまでの俺ならば、深く考えずにいただろうが。
「……お気遣いいただきありがとうございます、ゼシカ嬢。一介の騎士にこのような素晴らしい食事の席を設けてくださっただけで、充分すぎる"祝い"です。ですのでこれ以上は、そのお気持ちだけ受け取らせていただきます」
「ま、フレデリック様は"一介の騎士"などではありませんわ。ベスティ侯爵家の家名に驕ることなく、剣の実力も知識も身に着けた、素晴らしい殿方ですもの! わたくしにとって、唯一無二の騎士様ですわ」
同意を示すようにして頷いたギル卿が、「いやあ、実に惜しい」とワイングラスを置く。
「フレデリック、キミはまだ実戦の経験こそ足りないが、今後の騎士団を率いていく重要な存在だと言える。入団時から勤勉で、なにより剣への情熱も並外れていた。明瞭な実力者として成長するまでは、その妨げになってはならないと考えていたのだが……。まさか、婚約が決まるとは。報せを受けた時、もっと早くに申し入れるべきだったとどれだけ悔いたことか」
「……急なご報告で驚かせてしまい、申し訳ありませんでした」
「いや、キミの立場を考えれば当然のことだ。呑気にしていた俺が悪い。ただ、つい考えてしまうのだよ。もしもキミが、ゼシカと……いや、どうやら飲み過ぎたようだな」
口元を拭い、ギル卿が立ち上がる。
「風にあたって酔いを醒ましてくる。食事を進めておいてくれ」
そう言い置いてギル卿が食堂から出ていくと、ほどなくしてゼシカ嬢が「わたくしも」と呟いた。
「わたくしも、フレデリック様がご婚約されたと聞いて、あまりの悲しさにしばらく何も喉を通りませんでしたのよ。こんなにも素晴らしいお方が、家門のためにとはいえ、よく知らない相手と愛のない結婚をしなければならないなんて……」
シャンデリアの灯りを反射する紫の瞳が、切なげに潤む。
「なんてお可哀想なフレデリック様。今からでも、わたくしがそのご令嬢と代わって差し上げられたらよかったのに……」
ゼシカ嬢が立ち上がる。「お紅茶がなくなりそうですわね」と置かれていたポットを手に取ると、俺の側まで歩を進めてきた。
ティーカップに注がれた紅茶から、白い湯気が立ち上がる。
ゼシカ嬢はポットを置くと、その手を机上に置いていた俺の手の甲に重ねた。
「フレデリック様」
囁くような色めいた声色と、紅潮した頬で微笑む。
「今夜はお泊りになっていってくださいませ。お父様も、喜びますわ」
(……セドの忠告が身に染みるな)
愚鈍だった自身への苛立ちを必死に押し込めて、出来得る限り丁重にゼシカ嬢の手を外す。
「いえ、ギル卿が戻られましたら、そろそろ失礼させていただきます」
「っ、そんな、デザートだって特別なものを用意しておりますのよ? お酒だってたくさん――」
「婚約者が、屋敷で待っておりますので」
「!」
ゼシカ嬢、と。俺はまっすぐに彼女を見上げ、はっきりと言い切る。
不愉快な"噂"を、真実にするつもりはない。
「俺は、たったの一度もこの婚約に、不満を抱いたことはありません」
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