名ばかりの婚約者
げっそりとした落胆を淑女の微笑みで覆い隠して、声の主を振り返る。
「ごきげんよう、ゼシカ様。私をお探しでしたか?」
手入れの行き届いた真っ赤な髪をなびかせ、アメジスト色の瞳を小馬鹿にしたように細めた彼女は、ゼシカ・フューストン。
私の三つ下の二十一歳だと聞いている。
パチンと扇子を閉じる姿はまるで歌劇でも鑑賞に行くかのようなドレスをまとっているけれど、はっきりとした顔立ちと相まってとてもよく似合っている。
(今日は見つからずに帰れるかもと思ったけれど、そう簡単にはいかないわね)
彼女の父親は、この国がまだ大戦続きだった頃に騎士団長を務めていた英雄とも言うべきギル・フューストン男爵で、左足の膝を悪くして一線を退いてからは騎士団の教育を担っている。
そんな彼の愛娘であるゼシカ様がこの場にいるのは、至極当然のことなのだけれど。
彼女の目的は父親ではないと、私も、周囲で聞き耳を立てているどのご令嬢も知っている。
(顔を合わせれば厄介な事態になると分かっていたから、出来るだけ目立たないよう隅で見学していたのに)
残念ながら、効果はなかったみたいね。
私の重苦しさを知ってか知らずか、ゼシカ様はどこか優越を滲ませた笑みで私を見下し、
「フレデリック様からの贈り物は、受け取りましたかしら?」
「……いったい、なんのお話でしょう?」
声量を抑えて訊ねる私とは対照的に、ゼシカ様は「まあ!」と盛大に驚いてみせ、
「昨日、フレデリック様と"パルセラ"にご一緒したのだけれど、ご存じなかったかしら? フレデリック様ったら、わたくし達二人だけで美味しいケーキを楽しむのも申し訳ないから、屋敷でお待ちのあなた様にお土産を持ちかえるべきだって言いましたのに……結局、買ってはいかれませんでしたのね」
"パルセラ"というのは、首都で連日列をなしている人気のカフェのこと。
さらに言えば、デートに人気の場所でもある。
ゼシカ様はご機嫌そうに扇子を広げると、双眸を弓なりに細め、
「わたくしのためにとお屋敷に戻られる前に時間を作っていただいたから、リアナ嬢にもお礼をと思っておりましたの。ですが……ごめんなさい。わたくしがフレデリック様に勧められるまま店の側で迎えの馬車に乗ってしまったから、見送るのに気を取られてしまったのね」
(……ゼシカ様とカフェに行っていたなんて、聞いてないわ)
そもそも、ゼシカ様はいったいどの刻の話をしているのだろう。
カフェでケーキを、というくらいだから、日の出ているうちだと思うけれど、昨日の日中にフレデリック様が帰宅した事実はない。
屋敷に戻ってきたのは夕食の時刻をとっくに過ぎてからだったから、彼はゼシカ様を見送ってから再び仕事に戻ったのだろう。
つまり、ゼシカ様に"屋敷に戻るところだ"と嘘をついたのね。
職務中に自分を連れ出してしまったと、彼女が気を病まないように。
(ああ、嫌だ)
胸に黒々とした靄がたまっていく感覚に眩暈がしそうで、瞼を閉じる。
ひそひそ飛び交う周囲のさえずりからは、今自分がどんな目で見られているのか、直接確認せずともよくわかる。
(フレデリック様と最後にカフェに行ったのは、いつだったかしら)
怒りよりも諦めに近い心地で目を開く。
自身が話題の渦中だなど知らず汗を散らしながら剣を振るう彼は、そもそも私が来ていると気付いているかどうかも怪しい。
名ばかりの婚約者。
それが私達の関係を的確に表した言葉だから。
私が侯爵家に越してきたからもう二年も経つというのに、フレデリック様は仕事だ訓練だと屋敷に戻らないこともしょっちゅうで、私達の距離はほとんど変わっていない。
街に出てデートなんて、いつが最後だったかしら。
確実なのは、思い出せないくらい前だということ。
私の誕生日だって、ディナーを共にした際に花を渡され、「欲しい物があったら好きに買ってください」と言われてお終い。
そもそも花を選んでいるのは彼なのか。
どころか、そもそもその日が"私の誕生日"だということも、有能な執事によって保たれているだけなのかもしれない。
フレデリック様が多くのご令嬢に慕われているのは、覚悟の上。
それでも彼は騎士として自身の職務に誇りを持ち、食事を忘れるほど熱心に打ち込んでいるのだと理解していたから、私が慣れるべきだと耐えていたのに。
(ゼシカ様とは、人気のカフェでケーキを楽しむ時間を工面できるのね)
契約では、準備期間と称した私達の婚約期間は三年。
二年が経過した今、一年後には結婚となる。
けれども未だ他人行儀な私とは違って、フレデリック様とゼシカ様の"交流"は深まるばかり。
(今回の件で、ますます"噂"の真実味が増すわね)
ゼシカ様がフレデリック様にご執心だという"噂"は、私が首都に来た頃にはすでに有名な社交界の常識だった。
それでもフレデリック様が婚約したのは、ゼシカ様ではなく私。
話題に事欠かない社交界では"噂"もいずれ風化してくかと思いきや、ゼシカ様とフレデリック様の"交流"は続き、次第に二人の"相思相愛論"が有力となってしまった。
さすがに肩身が狭くなり、フレデリック様にゼシカ様との交流を控えられないか訊ねたことがあるのだけれど。
「あんな失礼な噂を真に受けているのですか? ギル男爵は俺の尊敬する騎士ですし、まだ入団したばかりの頃から目にかけてもらった恩があります。ですので娘であるゼシカ嬢にも、礼儀を持って接する必要があります。俺が婚約したのはリアナ嬢なのですから、"噂"など気にせず堂々としていてください」
そう、嗜めるように言われてしまったから、それからもフレデリック様がゼシカ様と何をしようと黙って耐えていたけれど。
(いい加減、疲れたわ)
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