俺だけが望んでいた婚約
(期待をしては駄目だ)
押し込んだはずの懐かしい熱が再び湧き上がり、俺は何度も自分を戒めた。
最後に会ってから十年以上もの空白がある。
彼女だって"令嬢"なのだ。記憶の中の、自然を愛した少女のままでいるはずがない。
それでも拭いきれない期待を自覚しながら彼女に会いに行った俺は、衝撃を受けた。
恵みを与える陽の光を集めた髪はすっきりと纏められ、内緒だと言いながらベリーを摘み取っていた小さな手は細く長く伸びている。
レースに飾られていたドレスは装飾の少ないシンプルなデザインで、姿勢良く佇む姿は、もはや草原を駆けることもないであろう大人の女性のもの。
彼女が好んでいた緑豊かな自然に似たエメラルドグリーンの瞳は、覚悟と、不安と、一種の諦観をもって俺を映していた。
(この婚約を受けると決めたのは彼女だと聞いていたが、本意ではなかったのか)
少し考えれば、当然のことだ。
俺は侯爵家で、彼女は伯爵家。いくらお爺様同士の縁があるとはいえ、力関係は明らかだ。
それに、婚約の条件としてクレコ家への支援も約束している。
"家門のために"、彼女はこの婚約を受けたのだろう。
(……想像以上に、浮かれすぎていたようだな)
胸が詰まるような苦々しさを振り切り、俺は彼女の眼前で跪く。
「この縁談を受けていただきありがとうございます、リアナ嬢。あなたにとって、誠実な婚約者となることを約束します」
「……本当に、よろしいのですか」
「え?」
虚を突かれて顔を上げると、彼女は真剣な眼差しで俺を見て、
「今ならまだ、なかったことに出来ます」
「!」
告げる彼女の瞳には媚びも、駆け引きも存在しない。
(ああ、やはり彼女だ)
凛とした姿が記憶にある少女と重なって、俺の心を動かすのは、この人しかいないのだと。
「なかったことになど、しません」
彼女に向かって右手を差し出すと、戸惑ったようにおずおずと手を預けられる。
「俺は、あなたと婚約したい」
掠めるようにして口づけた指先は、香水のかおりなどしない。
どうか拒絶しないでくれ。
願うようにして見上げると、彼女は驚いたような、観念したような苦笑を浮かべ、「よろしくお願いいたします」と瞳を伏せた。
そうして俺は長年の恋慕が叶い、焦がれ続けていた彼女を"婚約者"として迎えいれた。
俺にも、首都の生活にも、"侯爵家の婚約者"にも。
ゆっくり慣れていってくれればなどとのんびり考えていた俺を他所に、彼女は目まぐるしい速さで"貴族としての教養"を身に着けていった。
彼女につけた教師たちは彼女の素質と努力を認め、「良いお相手をお迎えになられましたね」「侯爵家の将来も安泰ですわね」と、口々に彼女を賞賛した。
そう、"良いお相手"なのだ。
俺ばかりが、これ以上にないほど間違いなく。
(せめて、リアナ嬢がこの結婚を誇らしく思えるようにしたい)
リアナ嬢が俺の容姿にも、自らに侯爵の肩書が加わる事実にもさして魅力を感じていないことは知っている。
ならばやはり、確実な権力を得ることが一番だろう。
「結婚までに、出来るだけ早く部隊長までのし上がらなければ。ベスティ侯爵家当主であり王立騎士団部隊長の夫人ともなれば、社交会でのリアナ嬢の立場も変わるだろうからな。簡単に害することは出来なくなる」
こんなにも妙案だというのに、ノイマンは微妙な顔をした。
「しかし……いえ、これ以上は差し出がましいですな。坊ちゃまのお考えは、よく理解いたしました。お嬢様に関しましては、引き続き私共で出来得る限りのサポートを続けて参ります」
「ああ、頼んだ。彼女は頑張りすぎる節があるから、無理をしないようよく気にかけてくれ。先日の公開訓練も途中で帰宅したようだし、特に体調面はしっかりと頼む」
「……ご存じでいらっしゃいましたか」
「当然だろう? 訓練中の私語は禁じられていて話しかけらなかったが。以前、リアナ嬢が騎士団の内部に興味を持っているようだったから、終了後に軽く案内をと思ったんだ。……まあ、また機会があるだろう」
「坊ちゃまは、本当に……」
今度こそ重々しい息を吐きだしたノイマンに、「なんだ?」と疑問の目を向ける。
彼は「いいえ」と首を振り、祈るような目で俺を見た。
「必ずや、お嬢様をご案内して差しあげてくださいませ」
***
ドキドキとワクワクに高鳴る心臓を自覚しながら、ゆっくりと光輝く扉を開く。すると、
「いらっしゃい、リアナさん」
「おやおや、嬉しいお顔ですね。さ、こちらのお席にどうぞ」
「お久しぶりにございます、三樹様、亀さん」
二人のにこやかな笑みにほっと心が緩むのを感じながら歩を進め、先日と同じカウンター席に腰かける。
(……本当に、お金も変換されるのね)
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