愛などあるはずもない婚約
そもそもこの婚約に、互いの愛などない。
私の生家であるクレコ家は自然豊かな田舎に居を構える伯爵家で、当主である父は貴族らしさよりも人情を尊重する人だった。
ゆえに娘である私もまた、幼少期から領民と共に牛や馬の世話をしたり、冗談を言い合ったり、作物を摘み取ったり。
伸ばした金色の髪は手入れをするよりも結い上げ、"貴族令嬢"らしかぬ伸び伸びとした生活が日常だった。
それでもやはり、貴族は貴族。
いずれ家のためになる相手と結婚し、子を成す義務からは逃れられないだろうとは思っていたけれど。
漠然としていた未来は、私が二十二歳の時に想像よりもあっけなく現実になった。
「この縁談を受けていただきありがとうございます、リアナ嬢。あなたにとって、誠実な婚約者となることを約束します」
フレデリック・ベスティ。
私の婚約者となったのは、侯爵家の一人息子で王立騎士団でも有望株である、三つ年上の彼だった。
華々しい肩書もさることながら、なんといってもその容姿も評判だというのも納得の精悍さ。
瞬く星々のような美しい銀の髪に、誠実そうな澄んだ空色の瞳。
加えて騎士団の制服に包まれた体躯はなんとも頼りがいがあり、顔良し、肩書よし、身体良しの彼をご令嬢方が放っておくはずもない。
だというのに。侯爵家はなんと、クレコ家への援助まで加えて婚約を申し出てくれたという。
というのも、どうやら彼は二十五の歳を迎えても恋人の一人も作らず、稽古だ仕事だととにかく剣に情熱を注いでいたらしい。
名のある侯爵家の跡取りとしての将来を憂いた侯爵様――フレデリック様のお父様が、私のお爺様に泣きつくようにして文を送ってきたのだと聞いている。
(ベスティ家との縁が、まだ続いていたとはね)
実のところ、フレデリック様とは幼少期に何度か顔を合わせたことがある。
互いのお爺様同士の仲が良く、彼のお爺様が幼いフレデリック様を連れて何度か我が家を訪ねてきていたから、歳の近い私がフレデリック様の"おもてなし役"だったのだ。
とはいえ十にも満たない頃の話だし、ずいぶんと前に彼のお爺様が鬼籍に入られてからは訪問もぱたりと止んだから、交流もなくなったものだと思っていた。
(ううん、交流の薄れていた相手を選ばざるを得ないほど、切迫した状況だったのね)
本来ならば、ベスティ家だって首都に住まう名家のご令嬢を選びたかったに違いない。
けれどもお爺様の話では、どうにもフレデリック様は華やかな"首都のご令嬢"に苦手意識を抱いているという。
人気があると言うのも、大変なのね。
そのために、一応とはいえ顔見知りで"素朴な"私がちょうど良かった。
(それに、侯爵様が"魔道具"に興味がおありだとは知らなかったわ)
私の祖父が長年"魔道具"と呼ばれる物を収集しているのは、社交界でも有名な話。
どうやら侯爵様は密かに"魔道具"への憧れを抱いたようで、この婚約には、祖父の死後には"魔道具"を侯爵家へ譲渡するという条件も付けくわえられているのだとか。
お爺様がこの条件を良しとしたのには驚いたけれども、お爺様の息子である私の父は"魔道具"に一切興味がないから、少しでも価値の分かる相手に譲り渡したかったのかもしれない。
とにかく、清々しいほどの貴族らしい契約結婚である私達に、愛情など当然あるはずもない。
縁談を進めていたのも侯爵様だったから、きっとフレデリック様はこの婚約に不満を抱いているのだろうと思っていた。
けれども。夫人教育の名目で侯爵家に移り住むことになった私を迎え入れてくれたフレデリック様は、驚くほどに紳士的で、優しかった。
「両親も長らく不在にしておりますし、俺をはじめとする当家の者はご令嬢の扱いに不慣れです。不都合があれば、遠慮なく言ってください。結婚の契りを交わすその日までに、この屋敷が少しでもリアナ嬢にとって心地いい"家"となるよう願っています」
そう身を屈めて私の指先へ口づけるフレデリック様は、あの頃の朧気な記憶など一瞬で吹き飛んでしまうほど、大人な男性になっていて。
愛はなくとも、彼となら温かな"家族"になれるのではないかと。そう、期待してしまった。
だからそれから二年間、少しでも彼に見合う"婚約者"にならなければと。
実家に帰省する間も惜しんで、マナーにダンスといった社交に必要な教養を身に着けるためのレッスンはもちろん、夫人として担う家の管理も少しずつ請け負い、慣れないお茶会などの社交の場にも出来る限り出席するようにしていた。なのに。
(騎士団の公開訓練は何度来ても、全然慣れないわ)
砂埃舞う演練場の観覧席に集まるのは、ほとんどが着飾ったご令嬢たち。
その中には、フレデリック様目当てのご令嬢も少なくはない。
彼との婚約が公になってから、初めて見学に訪れた時が一番に酷かった。
憧れの騎士をぽっと出のよくわからない田舎娘に取られたのだから、彼に憧れていたご令嬢方の心情はよく理解できる。
だからこそ何を言われても黙っていたし、恨みのこもった視線も当然と受け止めていた。
(あの時に比べれば、随分とマシになったほうだわ)
息を乱すことなく他の騎士と剣を交えるフレデリック様を見つめながら、小さく息をついた刹那。
「ごきげんようリアナ・クレコ嬢。こちらにいらっしゃいましたのね」
(この声は……)
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