美しき箱庭
「あたし、あんたと結婚させられたら最悪なんだけど」
「はあ、俺だって願い下げだね」
僕は、幼馴染二人がいつもの話題『結婚』で言い争いをしているのを聞き流しながら、ご先祖様が自らを閉じ込めるために建てた壁を眺めていた。
「ガリオもフェイルもまたその話? 昨日もしなかった?」
「だって俺たちもうすぐ15だぜ。そろそろ結婚させられるんだぞ」
「ロウだって、誰と結婚しないといけないか気になるでしょ」
ここはヴァンパイア領。
人が、生物界の頂点に君臨していない地域。
その座を、魔物であるヴァンパイアに明け渡し、家畜へと成り下がった場所だ。
僕らは、その家畜だ。
自由は許されていない。
ましてや恋愛なんてもってのほかだ。
結婚は領主であるヴァンパイアの指示通りに行わなくてはならない。
「ロウだって、フェイルと結婚なんてしたくないだろ」
「んー僕はどっちでもいいかな」
僕はガリオの質問にやる気なく答えた。
「ちょっとロウ、それはそれでひどくない?」
「だって、僕らに決定権はないからさ。結婚してから好きになるよ。だってそっちの方が効率的だろ」
「効率的か……みんなお前みたいに心をコントロールできればいいんだけど」
「コントロールか……」
多分僕がこの中で一番コントロールできていないと自覚している。
僕は恋心より冒険心が強いのだ。
空を渡り鳥が飛んでいく。
鳥達のように飛んでいけたら、世界へ飛び出していきたいと思う。
それが普通ではないだろうか。
「なんで先祖は、家畜になることを受け入れたんだろう?」
「家畜っていっても、別に鎖でつながれているわけでもないだろう。たまに血を抜かれるぐらいだし」
「まあ、そうなんだけどね」
リスクを犯して、今の生活をすべて捨てて行うほど、多分魅力はないのだろう。
不思議と大人たちから領主様への不満は聞かない。
たまに血を抜くぐらいは、逆に健康にいいかもしれない。
そんな風に割り切れない想いを抱えているのは僕ぐらいだろう。
ガリオとフェイルからも壁の向こう側に行ってみたいなんて聞いたことはない。
ガリオとフェイルから聞く不満といえば……。
「問題なのは、結婚ぐらいだろ」
「そうよ。私も好きな人と結婚したかったなぁ」
「お前の好きな人ってだれだよ?」
フェイルの言葉にガリオが探りを入れる。
「誰だっていいでしょ」
「お前と結婚したやつ可哀想だな」
「あんたと結婚するより、幸せよ」
無限に口喧嘩を始める幼なじみ二人を見ながら、僕は言葉の意味を考える。
「幸せね……」
幸せとはなんだろうか?
ガリオとフェイルにとっては、好きな人と結婚することなのだろう。
ヴァンパイア様に運よく好きな人と結婚させてもらえれば、人生すべて幸せなのかもしれない。
「馬鹿、馬鹿、ガリオのバーカ」
「馬鹿って言う方が馬鹿なんだぞ」
「なんですって!」
毎日、悪口を言い合っていて、ものすごく仲が悪い。
ように見えて、ものすごく仲が良いのだろう。
毎日安心して、悪口が言える。
それは逆にそれだけしても、関係が壊れない信頼の証のように思える。
(お前ら夫婦になれば幸せそうだな)
僕は口に出さず、そう思った。
「あ、行商人だぜ! 見ていこうぜ」
「本当だわ。ロウも行こう」
びっくりするぐらい切り替えの早い二人に呆れながら、僕はついていく。
髭を生やした行商人の二人組が、品を広げている。
見たことない異国の品ばかり、実用性はないかもしれないがロマンがあふれている。
僕は流線形にねじれた不思議なものを指差した。
「これはなんですか?」
「巻貝だよ。海に住んでる動物の亡骸だ」
「へぇ」
海か。
噂で聞いたことがある。
湖よりもはるかに水があるところだと。
見たことないので、うまく想像はできていない。
「欲しいのか?」
商人が手に取り聞いてくる。
「えっと……」
僕らは子供、お金のようなものを持ってはいなかった。
商人は、こっそり僕に近づくと、巻貝を握らせた。
「やるよ」
「本当ですか?」
「ああ、取引は十二分にさせてもらったからな」
商人は、馬車にものすごい量を詰め込まれた農作物を指さして見せた。
「産地とかは大丈夫なんですか?」
ヴァンパイア領と取引しているなんて、普通の人間領では公言できないだろう。
商人は、笑って答えた。
「そのあたりはどうとでもなるよ」
自由だ。
百戦錬磨といった感じ。
どこでだってやっていけるのだろう。
『連れていってほしい』という言葉が、喉のそばまで出てきた。
「はあ」
僕は、かわりにため息をついた。
ただ迷惑はかけられない。
過干渉を行った商人は、領主様に処刑されるという話だから。
僕の様子を見ていた商人が、僕に耳打ちをしてきた。
「お前、もしかして外に興味があるのか?」
顔にでてしまっていたらしい。
「ええと……」
僕が言い訳する言葉を探していると商人は言葉を重ねてきた。
「連れて行ってやろうか?」
「そ、それは……」
「ここだけの話、これだけの量さばくのに人が足らなくてな。弟子でも雇おうかと思ってたんだよ。誰にも言わなかったら連れて行ってやる」
確かにこれだけの物量だ。
関所も細かく検問したりはしないだろう。
「どうする?」
人生でこれが最初で最後のチャンスかもしれない。
「行きたい……です」
僕が絞りだすように言うと、商人は小声で言った。
「明日の夕方、この場所で待ってるからよ。必ず来いよ」
僕は期待を胸に、商人にうなずいた。
◇ ◇ ◇
「さっき商人となに話してたんだよ」
「あ、ああ、これもらってさ」
僕は、さっきもらった巻貝を見せた。
「なんだよ。いいなぁ。お前ばっかり」
ガリオは羨ましそうに巻貝を見つめる。
商人は、もしかすると、誤魔化す道具としてこの巻貝を持たせてくれたのかもしれない。
僕は、見納めになるかもしれないと、周りを見渡した。
風が吹き抜けていく学校の帰り道。
黄金色に光り輝く穀物が、さざ波のように揺れている。
「僕は海も見たことないけれど」
本でそう読んだだけだ。
もらった巻貝を耳に当ててみる。
聞いたことのない音色が聞こえてきた。
これが海の音なのだろうか?
自分の目で確かめてみたいという欲求があふれてくる。
太陽が沈んでいく僕の自由を阻む壁を見つめる。
ようやく僕はあの壁の向こう側を見ることができるんだと思うと、胸のうちが喜びで満たされていくのを感じていた。
「きっと見るんだ」
自由という名の情景を。