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巻の六 復讐者と未来の女帝とうつろのあやかし

 いったん休憩でーす。

 こちらはキャストが揃った。八岐大蛇とその手下とその主。すっかり悪の一味だが、斎院さまにも言いたいことがある。面白い女歴13年。面白い男の妻は、しんどかった。

 月明かりが剣呑に煌めいた。光るのは抜き放った匕首(あいくち)。もうすっかり灯りも消え、あれほどいた女房たちは皆、それぞれの局に下がっている。

 靖晶は単衣(ひとえ)一枚引っかけただけで畳にうつ伏して眠り込んでいた。横を向いた顔に涙の痕があったのが見て取れたが、由西は容赦なく匕首をその首筋に押し当て――


「おい、折角おれが隅々まで丁寧に骨を抜いたのに殺してしまうなよ。勿体ない。復讐は何も生み出さないぞ」


 ――賢木中将は(うちぎ)を二、三枚引っかけて脇息にもたれて眠り込んでいるように見えたが、思ったよりずっとしゃんとした声で言い放った。


「おれのものだ。殺すな、許さん」


 そうまで言われると、匕首を鞘に納めるしかない。得物を懐にしまうと、由西は座り直し、賢木中将に頭を下げる。


「――お見事でした。あのようなまじないがあるとは、陰陽道ではああはいきますまい」

「まじないか。三位中将と陰陽師で酒を飲んで語らい、弦楽に遊ぶのはそんな大変なことだったか」


 中将はつまらなそうにあくびをして。


「そいつがそんなに憎いのか?」

「――それほどでも」

「ないのか。ならなぜ」


 由西も自分で、ため息が洩れる。


「こやつを殺せば良彰めが地団駄を踏むかと思ったら。――中将さまのお耳を汚すほどでもない私怨です」

「お前は我が家のお抱え法師陰陽師(ほっしおんみょうじ)になり、それは陰陽寮でお飾りの(かみ)をやる。世の中、うまく回るならそれでよかろうが。安倍家の全員を討ち滅ぼさねば気が済まないと申すか」

「わかりませぬ。良彰めを仕留めれば気が済むような気もしますし、その後どうするかまるでわからないような」

「さてはお前、そいつを殺してしまったらこの後、することがなくなるのではないか」


 秀麗な顔が少し面白そうに笑った。


「おれがお前に人生の目標を示してやると思ったら大間違いだ。お前、いくつだ。四十過ぎか。年寄りの自分探しにつき合う義理などおれにはない」


 ――安倍靖晶のためにはくだらない世の中全てを滅茶苦茶にしてやるくせに?

 ああ、でもわかる。由西は多分、この世の全てが滅茶苦茶になっても大して楽しくはない。


「安倍のせがれは自分の大事なものが何かちゃんと知っているぞ。お前はどうだ」


 彼の居場所などない世界だが、ここすらもなくなったら。


「似た者同士だから見るに堪えんのだろう。お前はお前の大事なものを知っていると言うのか、為正」


 そのとき、玲瓏(れいろう)たる声が響いた。衣擦れの音ともに。


「気に病むな、法師。こやつも生きる目標などなく他人に相乗りしているくせに人のことをよく言えたものよ」


 中将がぴんと背筋を伸ばし、屏風を振り返った。その陰から長い髪と女の衣の裾が覗いていた。


「何という。このような場に出て卑賤にお声をかけるなどはしたない――」

「何だ、わらわに説教するのか。偉くなったな」


 険しくなった賢木中将の声が、女に一喝された途端に甘く柔らかくなる。


「――いえ、お考えがおありなのですね」

「なに、お前が人を誑かすところが見たくてな。女を誑かすところは見られぬゆえ」

「これは恥ずかしい。お見苦しいところを。まことお目汚しであったでしょう」


 近衛中将(このえのちゅうじょう)ともあろう者が、まるで少年のようにはにかんでみせた。


「その法師陰陽師も誑かすところだったのだろう、続けよ」

「いえいえ。大したものではありませんよ。この男、どうやら志があるわけでもなさそうですから。心ある者をへし折るのが楽しいのであってはなから骨のないくらげを嬲っても甲斐がない」

「心ある者を嬲るのがあれか」

下品(げぼん)に身のほどを思い知らせてやっただけです。下衆には下衆の扱いをしてやるのが一番。あなたさまのご覧になるものではございませんでした。さぞがっかりなさったでしょう」

「下品のふるまい、楽しそうだったぞ」


 話しながらくすくす笑っていたが、ふと真顔で由西を振り返った。


「おい、退がれ。お前のような下臈(げろう)がかかわっていい方ではない」

「目くじらを立てずとも。嫉妬しておるのか?」

「愚かな男が何を考えるかわかりません」

「はて、この世にお前以上に愚かな男がいるとも思えぬが。まあよい、退出を許すぞ法師。馬鹿者に嬲られるのも憐れだ」


 ――許しを得たので素直に退くことにした。退くことにしたが。

 賢木中将は美しい女を数多知っていようが、敬意を示すのはこの京で最も尊貴の皇女、茜さす斎院しかおるまい――斎宮女御麗景殿は親王の娘、帝室だが直系ではない。今斎院は第六皇女、皇后の子ではなくまだ十一歳で(いとけな)いとも。

 二十六歳で大蟒蛇(おおうわばみ)と呼ばれる男が巣穴にどんな美姫を隠しているのか、気にならないと言えば嘘になる。



「して、わらわにいかなる言いわけをするのか、愚かな男」


 斎院はこの男が十三歳のときから知っている。童殿上(わらわてんじょう)で最も美しく、先帝に目をかけられて女三の宮を降されるであろうと。生きた男とも見えず、まるで雛人形(ひなにんぎょう)のようだった。

 随分背が伸びて顔つきも精悍になったが、大きくなっただけでまだ雛人形のようだ。

 魂が宿っている気がしない。

 ひざまずかれ、手を取られ額に押しいただかれても、心は動かない。


「為正の大事なもの。前斎院さまより大事なものなどございません」

「ほざけ。よくも心にもないことを」


 京の女、誰もが魂を奪われ腰砕けになるその笑顔も、見慣れてしまえば。

 ――これは鏡だ。

 自分の醜悪さを何倍にも増して見せる。


「人が皆、馬鹿に見えるとは初めて聞いた。わらわもそのように見えているのか」

「あの男には世の中がそのように見えているだろうな、と思っただけにございます。先ほどの法師があの男の性根をいろいろと語ったのでそれらしく言ってみただけ。為正の本心ではございません」

「あの法師はお前の力を借りて仇を陥れるつもりだったのに、己の手で殺そうとしたのか?」

「妙なやつですよ。先のことなどまるで考えていない。向上心がないのです。復讐したいならそれで甘美なやりようがいくらでもあるのに」


 くすくすと笑う。彼の考える甘美な復讐など、聞きたくもない。


「して、お前の本心とは?」

「寧子内親王さまを女帝に担ぎ上げても面白くはないだろうな、と。雛人形(着せ替え人形)がほしいわけではございませんので」

「わらわは面白い女だからお前に愛されているのか」

「いけませんか」


 手をほおに擦りつけながらうっとりと笑む。


「たった一度の人生、面白いのが一番でございますよ」


 ――だが斎院がそれほど陶然としていないのを見て取ったのか、顔から手を離し、背筋を伸ばした。


「――いっそ、何もかもふり捨てて田舎にでも隠棲しますか? 二人きりで多少不便でも誰にも邪魔されず。皆に忘れられて。この世にわたしとあなたしかいないかのように」

「それが今、わらわが望んでいることだと? 嘘をつけ。わらわを試すのは許さん」


 斎院が言い放つと、少し下がって床に叩頭(ぬかず)いた。空気を読むのだけは完璧だ。


「試したつもりはありませんが臣の身で出すぎたことを、申しわけございません」

「わらわが田舎に隠棲するのを望むような女になったら、お前は見捨てて今度は女三の宮を担ぎ出すのだろう」

「とんでもない、なぜそのような」

「十六の頃のわらわほど面白くはないだろうが野心のない女よりはましだし、純情な女三の宮を言葉で煽ってその身のうちから武則天(ぶそくてん)呂后(りょこう)妲己(だっき)が現れたらさぞ面白かろうな。お前の言葉にはそれほどの毒がある。たった今、その毒で普通の男を見るに耐えぬ下衆に変えたばかりだ」


 身体を起こしたその顔には、冷淡な笑みが張りついている。


「御妹姫をあのような下臈と引き比べるとは」

「共寝してしまえばよいのだから女三の宮を変える方がたやすいであろう。――女三の宮が天下の悪女となったら〝当たり〟だと手を打って喜ぶのだろう、お前は。わらわはどうやら武則天ではなかったらしいからな」

「何ということをおっしゃるのか。武則天は皇后となるために我が子を手にかけたのです。愛しい我が子にそのような残虐非道の行い、できるはずがないのは当たり前でしょう」

「本当にやったらお前はさぞ面白がったのだろう」


 斎院は扇の先を夫の喉許に突きつけた。

 これがあの験者の持っていたような匕首だったらどれほどよかったか。


「わらわが無理をして武則天になるのを望んでいるのではないか。如何(いかん)

「為正を血も涙もない鬼とでもお思いか。いかに至らぬ夫でも比翼連理の妻にそのように(なじ)られようとは」

「顔が笑っておるぞ。――田舎で子育てにかまける女になど興味がないくせに、よくも」


 扇でそのほおを打ち据えた。二発、三発。いい音が鳴った。


「お前より邪悪な者などいくら探してもこの世にはいない! 人の邪念を喰らう悪鬼、物の怪め!」


 声を限りに叫んだつもりだったが。

 所詮女の力か。夫はさほど痛くもなさそうに、姿勢を正して座している。流石に顔から笑みは消えているが、薄く目を開けているだけで。


「わらわが望んだ夫とはこのようなものであったか、情けない」


 悔し涙がこみ上げた。くずおれ、涙をこぼす斎院を夫は抱き寄せた。昔よりずっとたくましい身体。隅々に至るまで完璧なのは知っている。


「前斎院さまは為正が足りない足りないとばかりおっしゃいます。非才ながら身命を賭しておりますのに」

「そんなものいらない……」

「そんなもの、ですか」


 自分こそこの男のために死んでしまいたかった。いっそ踏みにじられて死んでしまう方でありたかった。

 産の最中に死んでしまえればいいと思ったのに未だに生きている。四度も機会があったのに。

 子だけ遺して死んでいたらこの男はどんな顔をしたのだろう。

 特に何も考えず、女三の宮に鞍替えしたのだろうか。


「わらわがいなければお前はどうなっていたのだ」

「きっとふしだらでろくでもない男だったでしょう」

「いや、わらわがいなければきっともっと真面目で立派で人を騙すようなこともなく……わらわが愚かな夢など見せなければ……」

「今が不真面目で立派でないようですね。斎院さまと巡り会っていないなど考えたくもない」

「女三の宮寧子が嫁していればお前はもっとまともな人間になっていたのではないか」

「恐ろしいことをおっしゃる」


 髪を軽く引っ張られ、上を向かされた。すぐそばで美しい男の顔が笑んでいる。

 角や牙がないのが不思議なほど。


「わたしをあやかし、物の怪と呼ばわるならば斎院さまには責任を取っていただきましょうか。為正を斯様(かよう)なものにした責任を」


 指先が涙の痕をなぞり、酒に濡れた唇が彼女を求めて開いた。

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