1st:EP10:ゾンビが教えてくれたこと
1
久しぶりの教室の中は新鮮で騒がしく、そして雑多な感じがした。
窓とドアをぜんぶ開け放ってあるほかは、なんも変わってないはずやけど、この2週間ちゅうもんは、ほとんどスマホとオンラインゲームでしかクラスメイトと繋がってなかったから、たぶんそう感じるんやろう。
あちこちで騒ぎまくる声はうるさいけど、なんや気持ちええ。
オレは学校から前日に配信された一斉メールの内容を無視して、クラス担任が来るまで仲のいいクラスメイトと至近距離での談笑を目いっぱい楽しむことにした。
いま世界で、また蔓延しはじめた変異型感染症がなんやっちゅうねん。そんなもん、もう慣れっこや。無事に高2へ進級が決まったオレには大学受験以上、いや休校中の教科課題以上に関係あらへん。せやから、みんなの話の中心は学校が終わったあと、どうするかっちゅうことばっかし。
もちろん町中で遊ぶに決まってる。
*
「終わってから、カラオケとか行く」
箱入りのチョコ菓子を勧めながら、頼子が仲間の意見を求めた。
「カラオケは、どこも満員やて3組の加山が言うとったで」と、オレ。
「そしたら、ファミレスとかにしような」と、頼子の太ももに腰かけた小柄な麻美が菓子を頬張りながら話をまとめにかかる。
「なんでファミやねん」
ジュースを飲みながら浩介がつっこむ。
「だって、生徒割りで、どっこも安いって言うてたよ」
「あれは親子連れの小坊だけやろ。まぁ、小学生で通るお前だけは別やけどな、どチビ」
「誰が、どチビじゃ。お前、ほんまにグーで殴ったろか」
「誠一」オレは浩介と麻美のいつもの楽しいやり取りを尻目に、スマホをいじってる友達に声をかけた。「お前は、ファミでええんか」
「あかん。今日は帰らな、おかんが家におる。寄り道したら、またキレよる」
「なんでや」と、麻美とじゃれ合う浩介が誠一に疑問を投げかける。「お前んとこのオバちゃん、今日は仕事とちゃうん」
「休みやけど、感染症の強毒化でピリピリしとるから最近はすぐにキレよる。キレられたら、うっとしいやろ」
「みんな一緒やなかったら面白ないやんか……」
結局、頼子の最後の言葉が仲間の行動を決定づけた。
2
クラスでの臨時登校が終わったら、グズグズせずに帰れという担任の言葉を無視して喋ってたオレらは、午後も遅くなってから、ついに教室を締め出されて、それぞれの家路についた。
*
「夏川、ちょっとええか」
自転車置き場で誠一を見送ったオレの背中に隣のクラスの村田が声をかけてきた。同じ中学の出身やけど、思い込みが強ぅて一緒に居ってしんどい奴やから、高校に入ってから遊んだことがなかっただけに正直なとこ、ちょっと驚いた。
「ええけど。なんや」
「福井由梨のことなんやけどな」
村田の緊張した様子にオレは思わず身構えた。
「由梨が、どうかしたんか」
「お前と勝負せなあかん。勝った方が由梨に告って付き合う。文句はなしや。これでええな」
おい。ちょっと待て、コラ。
一方的にまくし立てやがって、「ええな」も何も、そもそも福井由梨とは高校に入ってからは、あんまし接点はないんじゃ……ちゅうことで、村田にあれこれ突っ込んだら、由梨がオレのことを友達以上に想ってるらしいことと、村田自身が中学ん時から彼女に惚れとったっちゅう事実を知った。
「そうやったんか」
「そや。せやから勝負じゃ」
福井由梨。
同級生の中では美人の部類に入る今んとこ最高のオナフレ。今まで、こいつの裸と顔を想像して、どんだけオレの下半身が荒れ狂ったことか……そのベスト・オブ・オナフレがオレのことを想ってるっちゅうだけで、両足の付け根で待機してる暴れん棒にエネルギーが充填されてくるやないか。
しかしや……。
「勝負いうたかて、オレはお前と喧嘩はせえへんで。そんなしょうむない事しても損やからな」
「わかってる。それは、こっちも同じや。仕掛けたんは俺やから、どこで、どんな勝負をするんかは、夏川が決めてくれ」
「オレがか」
「おぉ、何でもええで」
*
勝った。
お前、ほんまに頭ん中スッカスカやのう、村田。
オレは生まれて初めて優越感ちゅうもんを味わっただけやなく、早くも勝利の興奮に酔い痴れさしてもろたわ。英語や数学はあんまし出来ひんけど、現文と社会の歪な知識だけは誰にも負けへん。大体において戦では勝つ条件を整えた方が勝利するんは当たり前。せやのに戦場の設定までさせてくれるやなんて。
「大食いで、どうや」
オレは笑いをかみ殺しながら真顔で言い放った。
「ええなぁ」村田は満足げに即答した。「言い忘れてたけどな、夏川。俺は、あの大皿アメリカンプレートで有名な『UN・カフェ』のダブルマン・カレーは大盛りまで食い切ってんねんで」
「そうかぁ。そら楽しみやな」
「そしたら、『UN・カフェ』で勝負やな、夏川」
「いや。『多力食堂』のカツ丼の大で勝負や」
ダブルマン・カレーの大盛りやて。こいつ、ほんまに笑わしよる。
中肉中背で極端な大食いには見えへんやろうが、オレはダブルマン・カレーと富士山ライスの2皿をいっぺんに制覇した男なんやで。お前は知らんかったやろうがな。
どう転んだってオレの勝ちは動かへん。
まぁ。それだけに負けられへんな、この戦いは。
せやからこそ緊張感を欠いて、村田みたいに身勝手な自慰狂に負けるようなことがあったら絶対にアカン。由梨はオレだけのオナフレ……いや、オレの処女チンを使うべき娘なんや。だから、自分を追い込むためにも勝負は『多力食堂』のカツ丼の大しかないっちゅうねん。
3
プロ野球の試合が再び中止されてる球場横の道を抜けて大通りに出ると、目指す『多力食堂』のある道路沿いの商店街が見えてくる。店は、昼時は混み混みやけど、午後の1時半にもなると空いてくるのを知ってたオレは湧き上がる高揚感にウキウキしはじめた。
カツ丼の大か……2年ぶりや。待っとれ、相手にとって不足はないで。
オレの眼中には、もう村田はおらんようになってた。
*
「あれ、由梨と違ゃうんか」
あろうことか、オレは店の前におる由梨を発見して驚きの声を上げた。ええ格好しょう思て、村田がメールで呼び出したっちゅうことは、すぐに察しがついたけど、オマケまで付いとるやないか。
「なんで2人連れなんや……」
絶句した村田の顔は引きつっとったから、これもすぐに察しがついた。連れの男は確か、北山とかいう村田と同じクラスのイケメン。ちゅうことは、目の前の2人は付きあっとって、オレに気があるっちゅうのも、きっと由梨が村田にノリで言いよったんやろう。
くそっ、なんちゅう酷い女や。
店の前で2人に合流したオレは村田に囁いた。
「どないすんねん」
「そやなぁ……」
「えっ。何なん。どないしたん」由梨が耳聡くオレらの会話を聞きつけて村田に詰め寄った。「さっき村っちゃんのメール見て、めっちゃ楽しみにしてたのに。2人で大食い競争すんやろ。まさか、しいひんの。何でなん」
「『何で』って言われてもなぁ……」
「ここ爆盛りの有名店なんやろ、村っちゃん。私めっちゃ見たかったのに。なぁ、北山君も楽しみにしてたやろ」
北山は、さして興味もなさそうに「うん」とだけ頷いただけやったけど、ええ加減、この状況に嫌気がさしてきたオレは正直な気持ちを表明することにした。
「オレは食うて帰るで、お腹も空いてるから」
「村っちゃんと競争してくれるん」
「いいや。競争はせえへん。食いたいから食う。それだけや」
「じゃぁ、村っちゃんは」
「そやな。そしたら俺も食べよか……」
「よっしゃ~っ。やっぱり大食い競争や」
はしゃぐ由梨の姿に、オレは村田が、ちょっとだけ可哀想になった。
4
「えっ、本当なん大将」
何ちゅう日や。今日は凹まされることばっかしやんけ。由梨のこと以上にショックやったオレは悲鳴に近い声をあげたに違いない。
「まぁ、しゃぁないんや」大将はやるせなさそうに溜息をついた。「注文してもスマホで写真だけ撮りよってな。カツをひと口、ふた口かじりよるだけや。あとは全部残しよる。最近は、そんな奴が増えてきてなぁ。せやから、先月から大盛りは無しにしたんや」
*
丼鉢に、これでもかとギュウギュウ詰めにしたマンガ盛りの白米。まるで戴冠されたようにしか見えへん、こぼれんばかりの卵とじのトンカツとザク切りのネギ。また、ネギ……。
白米を攻める――実際は掘り進む――のに必要不可欠なスプーンが、味噌汁と漬物が乗ったお盆とともに運ばれてくる衝撃。並みの胃袋なら完全粉砕する威力を持つ税込み600円の掩蔽壕用爆弾。それが、もう思い出の中にしか存在せえへんなんて……。
「普通のカツ丼でも食べ応えはあるけど、どないする」
肩を落とすオレが大将に「そしたら、それで」と小声で応じると、隣に座る村田もしぶしぶ追随。テーブルの向かいに座る由梨と北山は食べやすい量だとされるカレーライスを注文した。
こうしてカツ丼勝負は、勝利どころか不戦勝……いやいや。感染拡大下の高校野球のように流れていってしもた。
*
「はい。お待ちどうさん」4人の注文品を並べ終った、おばちゃんが店内のテレビに視線を転じた。「兄ちゃんら、食べたら早よ家に帰りや。また、たいへんなことが起こってるみたいやからなぁ」
店に据え付けられたテレビの画面では変異型感染症の新しい症例が出たと司会者とコメンテーターが大騒ぎしてた。なんでも味覚や臭覚が麻痺した若い奴の中から、生きたままゾンビ化して人間を襲て喰う者が出はじめたらしい。テレビの言うこっちゃから、本当か嘘かわからへんけど、本当やったら可哀想なこっちゃ。美味しい食べ物の味と匂いがわからんくなるなんて、B級グルマンのオレからしたら、人間を喰うより、考えれんくらいデカい不幸や。
いや、ちょっと待て。まさか知らん間にオレもゾンビになってたら……。
オレは半熟卵が絡まったトンカツをサクッと一口かぶると、その美味を口中に残したまま、濃いめの和風出汁のしみた白米を掻きこんだ。
よっしゃ。やっぱし旨いやんけ!
*
「うち、ゾンビって嫌い。きしょいもん」
「そんなん言わんといてぇな」テレビを見ている由梨の言葉に北山が食べかけのスプーンを置いた。「映画のシーンとか想像してまうやろ。もう食われへんわ」
ふっ……甘い奴ちゃのぅ、北山。
お前の目の前におる男はスプラッター・ホラーのDVDを楽しく観ながら、ミートスパをガッツリ堪能できるナイスガイやで。
オレのそんな蔑みを知ってか知らずか、由梨が北山に追い討ちをかけた。
「だって、きしょいもんは、きしょいやん。それよか、早よ食べてぇな。ファミレスに行かれへんやんか」
「へぇ。ファミに行くんか。ここのカレーは食わへんのか」と、絶対的国民食に手を付けようとせえへん由梨にオレは質問した。
冷えはじめたカレーのルーの表面には薄っすらと幕が張りつつある。
「だって、あんたらの大食い競争を観にきただけで、お腹空いてないんやもん」
「大将が一所懸命に作ってくれたのにか」
「そんなん、関係ないやん」
ボケが、ええ加減にせぇよ。食材は無駄にされるためにあるんやないぞ、このクソ女が。だいたいからして、オレは用意された食べ物を残す奴は大嫌いや。そんなん、インスタ映えとか言うて頼むだけ頼んで、写メ撮って食わへんカスどもと、どこが違うねん。ゾンビ映画でも、そんなカスは食べる物が無くなったら、弱い人間から食べ物を奪たり、腐った物でも口に入れよるようになるんや。まぁ、その後はギャーギャー泣きわめきながら喰われるか、罰が当たって自分がゾンビになって……待て。待てよ、待て、待て。もし、この由梨がゾンビになったとしたら……。
オレはスマホいじりに余念がない由梨の顔を穴のあくほど見つめた。
あっ……撃てる。
銃があったら、情け容赦なく一発でこいつに顔射を決めれるわ。
ちゅうことは、由梨はオレにとって、そんなに大事な人間と違ゃうっちゅうことか……。
なんや。村田の言葉に踊らされて勘違いしたままになるとこやったやんけ。
危ない、危ない。なんや、そうかぁ。
アカン奴っちゃなぁ、オレは。
5
翌年の春になっても、変異型感染症は世界を覆ったままやった。
そして翌年も。
この変異型は年寄りほど命を落とす危険が大きいけど、14.7%の確率で若くて健康な人間がゾンビ化することもわかった。その結果、さぞ終末映画みたいに世界は混乱して破滅に向かうやろうと思ったけど、一部の国と地域を除いて、そうはならへんかった。都会や人混みを避けて、過疎地帯へ移住して、第一次産業に従事する若者層が世界的に急増したからや。おかげで各国の食糧自給率も向上してきたし、反比例してゾンビ化する若者も減ってきた。もちろん観光産業が大打撃を受けて、世界は半鎖国状態になったけど、リモートワークの普及で社会は安定を取り戻した。
まぁ、人間ほど環境の変化に適応する生物もおらんから、新しい世界のあり方に適応して、それがまた変わったら変わったで、またまた、それに適応していくんやろう。
*
で、オレはというと、今年の春から地方の大学へ進学して、そこで農業しながら定住するつもりや。ネットもVR技術が格段に進んだから、毎日、友達と群れんでも今までとあんまし変わらん交友関係は続けられるしな。
そうそう。交友関係っちゅうたら、あの流れた大食い競争から暫くして由梨は受験勉強を理由に北山に振られたらしい。
まぁ、真相はわからへんけど。
そして由梨と付き合うことになった村田はオレを上から目線で見ることが多なった。たぶん、奴のこっちゃから、由梨と付き合えるようになったことでオレに勝ったとでも思たんやろ。
まぁ、勝手にしたらええわ。
さて、最後にオレ自身の交友関係……というか恋愛についての大きい変化やけど、仲間の頼子と友達以上の関係で付き合うようになってもうたことや。きっかけは、恋敵の村田に負けてオレが傷心やと思い込んだ頼子が妙に優しくしてくれたことやけど、結果オーライ。
まぁ、まだキスもしてへんけど。
*
とにかく彼女は良え娘や。由梨ほど美形やないけど、ちょっとポッチャリしてて可愛いし、何ちゅうても食べ物を残さんと美味しそうに食べ切りよる。妄想の中で、たまにオレの暴れん棒を由梨や麻美と取り合いはしよるけど、本当に大切な彼女や。
もちろん、頼子がゾンビになってしもたとしても、絶対に銃の引き金は引かれへん。これは奴らが教えてくれた大事なことや。
了