輝きの果実
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやくんは、最近果物を食べているかい?
野菜は不足、不足が訴えられて意識する人も多いだろうが、果物に関してはどうだろうか?
聞いた話だと現在、果物は日に200グラムほど摂取するのが望まれるが、40代までの人は平均して、実に60グラムほどしか食べていないらしいよ。対する野菜は350グラム中、295グラムとのことだが。
私が考えるに、やはり自活するようになってから、バランスの崩れる食事になる気がするんだよ。家に世話になっている間は、いろいろと栄養に気を配ってもらえることが多いだろ。
それが自分だけで生きていくことになると、人間どうしても甘くなりがちだ。とがめる者がいない環境ほど、自分勝手に振る舞える場所はない。どうせ生きているなら、気ままに過ごしたい……一概に責めることはできない気持ちだな。
だが、それゆえ誰かに不可思議なことを押し付けられることなく、自分が納得のいくもののみ触れられるのも確か。
私が昔、体験した奇妙なことなんだが、聞いてみないかい?
あれは私がまだ小学生だったときのことか。
我が家の食卓は、3食欠かさず、果物が並んだ。たとえレトルトやインスタント食品、スーパーの惣菜のみという簡単なときでも、母はリンゴを切って出してくる。
それさえ無理なときでも、テーブルの中央にはみかんの入ったバスケットが置いてあり、「食べていきなさい」というお達しがあるほど。
小さいころからしつけられていると、抵抗はほとんどない。家族そろって、プスプスとカットしたリンゴを食べていき、あっという間に売り切れてしまう。
梨、柿、桃などに関しても同じで、一年を通じて果物を食べない日は圧倒的に少なかったなあ。
そして夏休みを迎えた、ある晩のこと。
久しぶりにどっぷり昼寝をしたためか、私は目が冴えて、なかなか眠れずにいた。
熱帯夜ということもあり、布団を一枚もかけずにいるにもかかわらず、うだるような暑さがくすぶっている。寝間着に手を突っ込み、お腹などあえて丸出しにしてやったが、まだ涼しさが足りない。
私は寝床から起き上がる。時刻はまだ日付をまたいでいなかった。
こんなときは、製氷機の氷を食べるに限る。我が家はアイスを買ってもらえる機会は少なく、かといって氷菓子からの魅力から離れきれない私の妥協点はそこだったんだ。
夜は大きい音を立てるものじゃない。やはり親からすでに仕込まれている私は、そろそろと足音を忍ばせて、台所へ向かったんだ。
だが、入口ではたと足を止めてしまう。明かりのついていない台所に、こちらへほぼ半身の姿勢を向けて椅子に座る、母親の姿があったからだ。その手には、リンゴが握られている。
台所の奥の窓が開いている。垂らしたすだれがかすかに風になびく中、母は手の中で用心深くリンゴを回し、
かじるのかな、と見守っていた私の前で、母親はリンゴを口元へ寄せるようなことはせず、先っぽのくぼみ。「がくあ」の部分に指をかけたんだ。
次の瞬間、ぷつっと音がすると同時に、私の目が見えなくなってしまう。
光だ。カメラのフラッシュを焚いたときのような、強烈な光のほとばしりが、私の視力を一息に奪い去ったんだ。
誰が果物から光が出るなんて思う? 不意をつかれてよろめく私は、壁に足をつっかえさせて、盛大に転んだ。もちろん、すぐに母親へ悟られて、「大丈夫?」と声をかけられながら、腕をとって立たされたよ。
視力はほどなく戻ったものの、目の奥にまだずきずきした痛みが残っている。体調を心配してくる母に、ありのままそのことを告げると、頭を抱えられてしまったよ。
母はあのリンゴのことを「輝きの果実」だと話してくれた。それは文字通り、果肉の代わりに「果光」ともいうべき、光を宿す果物のことを指すのだとか。
「光の速さは知っているかい? 一秒でおよそ30万キロを進む。こいつは一秒で地球をだいたい7周半する計算なんだよ。
果肉が栄養を蓄えるように、果光もまた栄養を蓄える。わずか1秒以内に、地球を7周ばかしして、世界中の命が発散したエネルギーを回収、ここへ戻ってくるのさ。そいつをあたしがおいしくいただくってわけ」
母ちゃんの肌、ずっとすべすべだろ? と冗談めかして聞いてくるが、確かに同年代の母親方に比べると、若作りのように思える。いわく、究極のアンチエイジングなのだとか。
しかし、今回は母親以外に私がそばにいた。結果、果光はわずかながら私の内へ飛び込み、くすぶってしまっている。そいつを追い出さないと、あんたの栄養が奪われかねないとも。
実際、私はその晩から、これまで感じたことない倦怠感に悩まされ、運動でもしようものなら、たちまちめまいや吐き気がし、目の前がセピア色に見えだす始末だった。
光を追い出すには、光。母親は私にも新しい「輝きの果実」を探すよう指示を出したんだ。
輝きの果実の探し方はシンプル。極めて軽いものを選んでいくんだ。
たいていのリンゴは、重さを求められる。中に果汁をたっぷり含み、味を楽しむにあたって大事な要素だからだ。
しかし輝きの果実がまとうのは、皮という上着だけ。その中身は重さなき光に満ちているから軽いのだという。そして、その確率は極端に低い。
母親と何軒も回ったスーパーで、私たちはリンゴを徹底的にあさった。しかし母親は、山のように積まれたリンゴのひとつひとつを手に取り、首を横に振っていく。練習と称し、私も選定に参加させられたが、選んだいずれも母親のおめがねにかなうものじゃなかったんだ。
じわじわと増してくる目の奥の痛みに我慢ならず、無理やり購入したもので試したこともある。しかし、がくあに指を突っ込んで出てきたのは、傷んで、半ば溶けかけた黒い果肉ばかりだったのさ。
母親は車の免許を持っていることもあり、近場にないと分かるや、車を数時間走らせ、小さな八百屋に至るまで見回っていく。
都会とはいいがたく、さりとて田舎でもないこの地域。いくら回ったか、私も数えきれていない。ただ懸命に何千、下手したら万以上のリンゴを検分していたかもしれない。
そしてそれらの中から、ようやくひとつを見つけた。あらゆるリンゴに難色を示していた母が、にんまりと笑って私に手渡してきて、よく覚えている。
まるでおもちゃだったよ。これで格好を代えたら、たとえ紙風船と言われても信じてしまう軽やかさ。リンゴの山の奥の奥にあって、よくつぶれずに形を保てていたと思ったさ。
――光の通り道を開けておくこと。受け取る人間が自分だけになるようにすること。
あの晩のような体制が整えられ、母親は台所から離れた別室へ待機。再びすだれが風になびく中、私はかのリンゴのがくあに指をかけ、力を込めた。
ぷつっと指が刺さったかと思うと、とたんに私の前を、電灯をはるかに上回る輝きが包み込んだ。
けれども、今度はまったくまぶたを閉じる気にならない。白とも黄色ともつかない奔流が襲ってきたのは、わずか一秒程度のことだった。
次の瞬間、体全体が心臓になったかのような「どっくり」という、巨大な鼓動がひとつだけ。ほどなく目からおのずと、はらはら涙がこぼれ落ちていく。熱い熱いそのしずくは、体の内の血潮が、そのまま垂れているんじゃないかと思うほどだった。
その涙が静まったとき、目の奥の痛みはすっかり消え去っていたんだよ。私は試しに、かのリンゴへ更に指を突っ込み、力を込めて握ってみたが、次の瞬間にはバラバラと崩れてしまったんだ。
中身は何もない。代わりにこの上なくうまく剥いたようなひとつなぎのリンゴの皮が、バネかとぐろを巻くヘビを思わせるいでたちで、テーブルの上へ転がるのみだったんだ。
それから私は、自力で輝きの果実を見つけることはできなかった。
母はいくつか見つけたといい、実際、私が家庭を持ち、父が亡くなるまでは、ずっと若々しい姿のままだった。
しかしある時から、一日一日としわやしみ、白髪が増え始め、背骨も急速に曲がり出すという老け込みようを見せる。私が察した通り、ついに輝きの果実を見つけることがかなわなくなってしまったと、母は話してくれた。
それから数年後に、静かに母はこの世を去る。その数年間の写真は、事情を知らない誰もが同一人物とは思わないほどの老いさらばえ方だったが、最期の顔がにこやかで満足気だったのは、息子としてありがたいことだったと思うね。