表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/29

第2話 早朝の訪問者

 どこか遠くで鳴り響いているように思えたそれが、連打されているチャイムなのだと認識できるまでに、少しばかり時間がかかった。

 寝足りないのか、ぼんやりとする頭を押さえながら起き上がる。時計を見れば、時刻はまだ六時にもなっていない。

 いったいどこの誰が、こんな早朝に訪ねてきたのだろう。


 放っておいたら諦めるのではと思ったけれど、チャイムが鳴らされる間隔は短くなるばかりで、一向にやむ気配がない。どうやらこちらが応答するまで帰る気はないようだ。

 仕方なく部屋を出て、リビングのインターフォン画面を確認する。そこに映っていたのは、従兄(いとこ)凛人(りひと)だった。

 画面越しですら伝わってくるような苛々(いらいら)とした様子に、ためらいつつも通話ボタンを押す。


「……はい」

「遅い! いつまで寝てんだ、さっさと開けろ!」


 響いてきた怒声に、思わず耳を押さえる。こんなに朝早くに押しかけてきた人が言う台詞だろうか。

 エントランスドアを解錠してから通話を切り、玄関に向かおうとして、まだ寝衣のままだということに気づいた。自室に戻ってストールを羽織ったところで、今度は玄関のチャイムが連打される。


「あの。こんな時間に、騒がしくしないでもらえますか」


 文句を言いながら玄関ドアを開けると、伸びてきた手に肩を掴まれた。


風雅(ふうが)は!? あいつどこ行きやがった!」

「は?」


 兄が、なに?

 訳がわからずに立ち尽くす私を、邪魔だとばかりに押しのけて、凛人が家に上がり込んでくる。


「ちょっと」


 止める間もなく、まっすぐ兄の部屋へと向かっていくその後ろ姿を、慌てて追いかける。言われてみれば、これだけ何度もチャイムを鳴らされて、兄が応対に出てこないというのもおかしい。


 凛人が断り(ノック)もなく開け放った部屋に、兄の姿はなかった。いつも兄の出勤時間は七時半ごろ。この時間はまだ家にいるはず。なのに。


 何か予定があって、早くに家を出たのだろうか。

 それにしては外出時には持ち出されるはずの、財布や携帯電話、鞄などは、すべて定位置に置かれたまま。そもそも、兄が私になにも言わずに外出したことなど、これまで一度もない。


 室内を見回していた凛人が、クローゼットを開けて私を手招く。


「なにか、なくなってる物はあるか」


 問われて、戸惑いつつもクローゼットの中を(あらた)める。

 吊るされているものや棚に置かれているもの、引き出しや収納ケースの中、鞄や靴、装飾小物。私が把握している限りで、なくなっているものなど何ひとつない。


「なにも、なくなってないと思う」


 私がそう答えると、凛人は(あご)に手を当てて、なにかを考えるような素振りをする。いったいなんなのかと聞こうとして、彼の髪や肩に、水滴がついているのに気づいた。


「凛人、濡れてる。雨?」


 言いながら、タオルを取りに行く。雨が降っているなか、傘もささずにうちに来たのだろうか。


「いいや。雪だ。まだたいして降ってない」


 ぱらつく程度の雪なら、傘をさしてもあまり意味がないかもしれない。

 タオルを差し出すと、凛人は受け取らずに身を(かが)めてくる。私に拭けということだろうか。面倒だなと思いつつも、広げたタオルを濡れた頭や服にぽんぽんと押し当ててやる。


天音(あまね)、ゆうべ風雅は帰ってきたんだよな?」

「え、うん。帰ってきた、けど?」


 昨日は祖父の一周忌だった。朝早くから本家へと出かけていった兄は、夜、私がひとり夕飯を終えるころにようやく帰ってきた。二十時を少し過ぎたころだっただろうか。

 食事は本家ですませたというし、だいぶ疲れている様子だったので、部屋に入っていく兄を見送って、私も自室で静かにしていた。


「そのあとは? そのまま寝たのか」


 そろそろ寝なくてはと思ったころに、兄がお茶を持ってきてくれた。たしか二十三時ごろ。


「茶?」

「うん。ハーブティー」


 最近、手足が冷えてあまりよく眠れないと私がこぼしていたのを、兄は覚えていてくれたのだろう。血行と寝つきが良くなるというブレンドハーブティーを買ったから試さないかと、いれて持ってきてくれたのだ。

 私の部屋で兄もいっしょに飲みながら、少し話をしていた。


「どんな話をした」

「どんなって……」


 なにを話しただろう。

 ああ、たしか、兄に謝られたのだ。私を本家に連れていけなかったこと。祖父の葬儀や一周忌に参列させられなかったことを。


 そんなこと、気にしたこともなかった。

 日本に連れてこられてから暮らしていた本家を、兄とともに出てこのマンションに移って以降、私が本家に立ち入ることはほとんどなかった。たとえ父たちや祖父の葬儀があっても。むしろ神門(みかど)の親族が集まるときほど、近寄りたくはない。


 父たちのときは突然だったけれど、祖父のときは予兆があったから、密かに呼ばれて会いに行った。そのときに最後の挨拶はすませていたから、それでじゅうぶんだった。死んでしまって、言葉も交わせない状態で対面しても、なんの意味もないのだから。

 むしろあの口うるさい爺どもに、兄がなにか無茶を言われたりされたりしていないか、そちらのほうが気がかりだった。


「それで、聞いたの。兄さんは大丈夫ですか、って」


 兄は微笑んで、私の頭を撫でながら「大丈夫だ」と言った。「俺は、大丈夫だよ。天音はなにも気にしなくていい」と。


 私はなにも気にせず、ここにいてくれれば、それでいいのだと。

 実際、私が兄にしてあげられることなんて、なにもない。私にはなんの力も権限もなく、なにもできはしないのだから。


「そんなことを話してたら、眠くなったの。すごく」


 ハーブティーが効いたのだろう。ものすごく眠くなってしまって、兄に(うなが)されて、横になった。


「それでおまえは、眠ったのか」

「うん。……あ、でも」


 兄がなにか、言っていた気がする。私は眠くて、もう目も開けていられなくて、だからあれは、夢、だったかもしれない。


「なんて。なんて言ってた。思い出せ」

「ええと……」


 名前を、呼ばれていた気がする。それは起こすためではなく、ただ、ささやきかけてくるように。髪をゆっくりと()かれながらそうされて、ひどく気持ちがよかった。けれど。


「しずく……」

「え?」


 頬に、なにか触れた。あたたかな、しずく。

 あれは、涙だったのだろうか。兄が泣いている、そう思った。どうしたの、と聞いた気がする。声になったかはわからない。


 耳に、兄の吐息がかかった。なにか、言っていた。なにかを言われた。なにを? あのとき、兄はなんと言っていた?


「凛人」


 高い位置、兄とほとんど変わらない長身の凛人の、その顔を見上げる。


「兄さんに、なにがあったの。どうして、凛人はここに来たの」


 いつもなら家にいる時間に、なぜ兄はいないのだろう。なぜこんな時間に、凛人はここに押しかけてきたのだろう。


 私を見下ろす、蜜色の琥珀(こはく)みたいな瞳が、わずかに揺らぐ。けれど視線をそらさずに、コートのポケットから取り出した携帯電話を開いて、私に見せてくる。

 一件の着信履歴。公衆電話からだ。今どき、珍しい。


「これは、誰から?」

「風雅から」


 ベッドのサイドテーブルには、兄の携帯電話が置かれたままになっている。なぜ携帯を持たずに、わざわざ公衆電話から、凛人に電話をしたのだろう。

 兄は、なんて。なにを凛人に言ったのだろう。


 聞こうとして、けれどそれを言えずにいると、凛人が先に口を開いた。


「天音を頼む、すまない。それだけ言って切れた」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ