第1話 雪の日に消えるもの
はじめに。
リハビリ用の習作として書き始めました。プロット自体は最後までできていますが、書き溜めはありませんし、完結まで書き通せる保証もありません。できるかぎり努力はするつもりですが。
「エタは嫌だ!」という方にはお勧めできない作品です。ご了承ください。
「ああ、また降ってきたな」
祖父の葬儀に参列するための身支度を終え、本家からの迎えの車を待つあいだ。窓から外をうかがっていた兄が、そうつぶやくのが聞こえた。
兄の支度を手伝ったあと、することもなくベッドに腰かけてぼんやりとしていた私は、立ち上がって窓のそばへと歩み寄る。兄を真似て見上げれば、空を覆う灰色の雲から、白い花弁のような雪がはらはらと落ちてくるのが見えた。
一昨日あたりから、急激に気温が下がっていた。降ったりやんだりをくり返していた雪が、また降りはじめたようだ。
私の祖国とは違って、ここ東京ではそうそう雪が降ることはない。降ったとしてもすぐに溶けて消える程度のもの。けれどもこの雪は積もるかもしれない。そんな降り方だった。
「雪は、嫌いだ」
積もるような雪が降るときは、ろくなことがない。
ため息とともにこぼれる兄の言葉に、去年の雪の日を思い出す。
この地にはめったにない、大雪に見舞われた去年のあの日。路面の積雪が原因で起きた車の多重スリップ事故に、父とその妻が巻き込まれた。ふたりとも即死だったらしい。
父たちの一周忌を、先月末に終えたばかりだった。まるでそれを待っていたかのように、直後から臥せり始めた祖父が息を引き取ったのは、昨夜のこと。
長く患っていた持病の悪化も相まって、冬を越せないかもしれないと主治医が言っていたこともあって、心の準備はそれなりにできていた。
「花音が死んだのも、雪の日だった」
兄の双子の妹、私にとっては異母姉にあたる人の名だ。十八年前の冬に、八歳で亡くなったと聞いている。
私は彼女の死後に生まれたので、当然会ったことはないし、写真も見たことがない。けれども兄たちがときおりなつかしそうに話すので、名くらいは知っていた。
彼女の顔を知りたければ鏡を見ればいい、と親族が口を揃えて言うほどには、私と姉はよく似ているらしい。すでに亡くなった人に瓜二つだなんて、あまり気分のいい話ではないと、正直思ってしまう。
「天音」
名を呼ばれて兄のほうを向けば、引き寄せられ、抱きしめられる。長身の兄にそうされると、小柄な私はその胸もとに顔を埋めるかたちになってしまう。
兄の喪服からは、ほのかにハーブの匂いがした。防虫用のサシェから移ったものだろうか。
好みの匂いだった。香りの心地よさに顔を擦りつければ、私を抱きしめる兄の腕に、いっそうの力がこもる。そうされてようやく私は、兄がかすかに震えているのに気づいた。
「天音。おまえはどこにも行くな」
寒いのだろうか、それなら暖房をもう少し強くしたほうがいいだろうか。そう思って身じろごうとしたとき、兄の声が降ってきた。
「おまえは、雪に連れ去られないでくれ」
みんなのように。
そう言う兄の声も、震えていた。兄の胸もとに顔をうずめたまま、私はそっとちいさな笑みをこぼす。
どこに行けるというのだろう。どこにも行けないよう、ここでしか生きていけないよう、日本に連れてこられてから今日まで、ずっとそういうふうに飼われてきた私が。
姉のようにうっかり死んでしまわないよう、細心の注意だって払われている。
そんなことを思いながら、それでもうなずいてみせれば、兄は安堵したように息をつく。
「おまえだけはずっと、俺のそばにいろ」
どこへも行くな。ここにいろ。ずっと、俺のそばに。
くり返しささやかれる兄の言葉に、その都度うなずきを返す。
祖父も父も亡くなった今、ただひとり残った嫡子の兄が、この神門家の新たな当主になるのだ。だが祖父ならばまだしも、まだ二十六の兄に、分家の老獪な爺どもを御すのはたやすいことではないだろう。
私にとっては十も年上で頼りがいのある聡明な兄ではあるけれど、立て続いた不幸も重なって、心細さもあるのかもしれない。
なんの力になれなくても、私がそばにいることを兄が望むなら、そうしよう。
兄の腕に閉じ込められながら、私はそんなことを考えていた。
次の年、祖父の一周忌を終えた翌日の早朝。
初雪とともにもたらされたのは、兄が失踪したという報せだった。