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三文詩人の参拝記  作者: 萩原 學
出雲
7/13

出雲大社周辺 北島国造館の天神社

挿絵(By みてみん)

出雲大社横に北島国造館というのがあって、その邸内に天神社を祀る。この天神とは、少名毘古那神すくなひこなのかみ

挿絵(By みてみん)

大己貴命おほなむちのみことと共に国造りした神で、酒造りの神として松尾神社に祀り、あわしま様として淡島神社に祀り、温泉の神として道後湯神社に祀るなど、なかなか多才な神様でもある。

挿絵(By みてみん)

薬祖神でもあり『醫祖天神』と崇められたから、特に天神様と称した。熊本市に鎮座する『味噌天神』も、おそらく医祖天神の転訛であったろう。

挿絵(By みてみん)

今では菅原道真公を天神様と呼ぶのは、元々(出雲出身とされる)菅公が天神様を拝したからであって、些か本末転倒ではある。


古事記に神產巢日之神(かみむすひのかみ)の登場が少ないことを書いた。ところが読み返すと、もう1箇所あった。「神產巢日神」と微妙に違う書き方だが、同じ神であろう。


大國主神、出雲の御大みほ御前みさきに坐す時。波穗より天の羅摩船に乘りて、內剥うちはぎ()(ガチョウ)の皮剥ぎ衣服と爲し、歸り來る神有り。ここに問へども、其の名(いら)へず。且、從へる諸神に問へ雖、皆知らずとまおす。爾に多邇具久たにぐく白しいはく(自多下四字以音)

「此は、久延毘古くえびこ必ずや知らむ。」

卽ち久延毘古カカシを召し問ひたまへる時、答へ白すに

「此は神產巢日神の御子、少名毘古那神。」(自毘下三字以音。)

故、爾に、神產巢日かみむすひ御祖命(みおやのみこと)まおし上ぐれば、答へのたまはく

「此は、まことに我が子也。子の中に、我が手の俣より久岐斯くきし子なり。(自久下三字以音。)故、汝、葦原色許男命と、兄弟と爲りて、堅め作れ其の國。」


と、少名毘古那神の親神を名乗る。御大之御前みほのみさきとは、美保神社が鎮座する松江市美保関であろう。

ほぼ同じ話が日本書紀の異伝にもあって、そちらは高皇産靈尊たかみむすびのみことが親。


初め大己貴神の國平げたまふに、出雲國を行くや五十狹々(いそきぎ)の小汀おばまに到りまして、また、飲食に當ります。是の時、海上(にはか)に人聲有り。乃ち驚き之をぐに、と見えしに無し。頃時、一箇の小男有り、白蘞皮以て舟と爲し、鷦鷯さざき羽以て衣と爲し、潮水のまにまに以て浮び到る。大己貴神、卽ち取り掌中に置て之をもてあそぶや、則ち跳び其の頰を囓む。

乃ち其の物色かたち怪しみ、使を遣り天神にまおす。その時、高皇産靈尊の之を聞きたまひて曰く

「吾が産みし兒、凡そ一千五百座有り。其の中一兒、最も惡く、教養おしへ(したが)はず。指間より漏れ墮ちれば、必ずや彼ならむ。宜しく愛しみて之に養へ。」

此卽ち少彥名命、是也。


古事記の神產巢日神が、日本書紀では高皇産靈尊に入れ替わったのは、政治的配慮があったか。これに、限らず、日本書紀では神產巢日神の事跡を記さない。

対して少彥名命は、古事記に


故、これより、大穴牟遲おほあなむち少名毘古那すくなひこな、二柱神相並び、此國作り堅めましき。


といい、日本書紀の異伝に


それ大己貴命と少彥名命、力をあはせ心を一に、天の下經おさいとなみましき。

また顯見蒼生うつしきあをひとくさけものうぶ及ばし爲さむと、則ち定むは其の病のいやし方。又、鳥獸昆蟲の災異(はら)ひ爲さむと、則ち定むは其の禁厭まじなひの法。

是以て、百姓今に至るも、みな恩頼みたまのふゆ蒙る。


と、大己貴命とのセットで称えられるのに、出雲大社に祀らない。なお顯見蒼生とは、保食神(うけもちのかみ)を月夜見尊が殺した話に出てくる、衆生を指す言葉。天照大神が月夜見尊を怒って後に、保食神の亡骸が種子各種に化したのを天熊人が献上すると、天照大神が喜んで「是物は、則ち顯見蒼生のす可きにして之を活かす也。」と曰い、(顯見蒼生、此云宇都志枳阿鳥比等久佐)と注している。

出雲国風土記では1箇所だけ


多禰郷 属郡家。天の下造らしし大神大穴持命、須久奈比古命すくなひこのみことと、天の下巡り行きたまふ時、稲種いなたね此處におとしませり。故、種と云ふ。〔神亀三年、改字多禰。〕


という。今の雲南市掛合町多根に多根神社が鎮座するから、その周辺であろう。しかし、美保神社からは 78km 離れた山奥にあって、意味が解らない。この神も余所者ゆえに定着しなかったのだろうか?

記紀の伝承からして他所から渡ってきた神様であるから、「天神様」というのも判らなくはないが。同じく渡ってきた筈の大己貴命がご存知なかったのなら、その勢力圏から離れた土地の人であった事になる。そのため渡来人説もあるけれど、証拠はない。

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