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三文詩人の参拝記  作者: 萩原 學
日向
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日向灘と天照大神のこと

日向市日知屋に鎮座する大御神社は、最近になって有名になったのか、何だか賑やかな境内になってしまい、心中複雑である。ここには冬の朝に行くと良い。日向灘に上る朝日を拝むことができる。

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

アマ/アメは「天」であり「海」である。アマテラスとは、天上もろともに海面を輝かせる朝日のことではなかったか。これを日々拝する神とするには東の海、それも外洋に臨む磯でなければならない。西日本に限ると、そんな地形は九州東岸以外には珍しい。日本書紀に拠ると、伊勢神宮は「磯宮」として立てたというが、本当に磯に立つ宮は少ない。

挿絵(By みてみん)

垂仁紀に曰く。(廿五年春)三月丁亥朔丙申、天照大神に於かれては豐耜入姬命を離れ、倭姬命に託さる。(ここ)に倭姬命、大神の鎭まり坐す處を求めて菟田(ささ)幡に詣り、更に還り近江國に入り、東に美濃を廻り、到るは伊勢國。時に、天照大神の倭姬命に(おし)へ曰く「是の神風伊勢國、則ち常世の浪重ね浪歸す國なり、傍國(かたへのくに)可怜國(うましくに)也。是の國に居まさむ。」故、大神が教のまにまに、其の祠を伊勢國に立つ。因みて齋宮を五十鈴川上に興す、是を磯宮と謂ふ、則ち天照大神始めて天より降りたまふの處也。


適地を求めて伊勢湾岸まで彷徨わねばならなかったのは、朝日を拝む「磯宮」である必要があったと判ってみれば仕様が無いことではあるが、付き合わされる倭姬命はそこまで理解していたかどうか。最終的には「五十鈴川上」に鎮まったのは、当時既に、日向出身の者が付き添ってはいなかったのであろう。


最近になって、海岸洞窟の境内社鵜戸神社に龍の姿が見えると知られた。肉眼ではそれと判るものを、しかし写真に撮るのは案外難しい。ミラーレス一眼を持って行って漸く、それらしい絵になった。

挿絵(By みてみん)

龍神信仰を持つ人の手が加わっているのは明らかだが、誰がいつやったか解らない。境内の反対側には、これも最近、さざれ石と龍玉が発見され、或いは縄文時代から続く自然信仰の聖地だったのかもしれない。

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)


大御神社が鎮まる磯から岬を横断して北側に来ると、そこは伊勢ヶ浜という砂浜で、神武天皇が上陸したという。

挿絵(By みてみん)

更に北上すると、五十鈴川の河口に至る。五十鈴川という川は、ここと伊勢しか現存しないようで興味深い。

挿絵(By みてみん)

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