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三文詩人の参拝記  作者: 萩原 學
1/13

口上

 例えば、神社は大凡、二拝二拍手一礼を以て拝礼とする。ところが宇佐神宮という国宝があり、その社は作法として二拝四拍手一礼を求める。出雲大社も同様である。

これを見たとある作家が「死を封印したもの」と珍説を立てたが、明らかに早とちりであって、四は古くから「よん」であった。これを「し」と読んで忌んだのは、おそらく読み書きが普及してからであろう。

二と八は実は、古来の聖数だったのである。特に大なるものをいう八に対し、両手・両足など一対のものをいう二は、基本単位のようなもの。これを重んずる思想は「ウパニシャッド」に頻出するから、元は其方から来たのであろう。二を2つ重ねる四は、天神地祇とか夫婦・兄弟とか、二柱または2組の神々を拝するものとしか思えない。

付け加えると四拍手は他に、弥彦神社、船路八幡宮がある。いずれも理由は解らない。知られないだけで、たぶん他にもあるだろう。


 また。御朱印を集め始めた頃、明治神宮に参拝し、社務所に並んだことがある。後ろで女の子が話していて、御朱印帳をお寺のものと別けるべきか、いや一緒にして構うまいと。

その時は何とも思わなかったけれど、明治の御代になって神仏判然令が出たのを踏まえると、何とも皮肉な話ではあった。明治維新が宗教改革であったことは、今ではほとんど意識されていない。


 そういった役に立たない物事を覚えておくよすがとして、ここに個人的の参拝記をしたためるものである。

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