死にたがりな私にとてもよく効く処方箋
偉い人に限らず、九十を超えるおばあちゃんや有名なアーティストなんかはみんな『死にたいなんて思っちゃいけない』なんて言うけれども、彼らはみんな薄情だと私は思う。
なぜなら世界中にいる誰もが、少なくとも一度は『死にたい』と思った事があるはずだからだ。
例えば偉い人なら日々の忙しさを前に『死にたい』と思った事くらいあるだろうし、おばあちゃんみたいな長生きした人なら一度くらい死ぬほど恥ずかしいことや辛い事を経験して『死にたい』くらい思った事があると思う。
有名なアーティストなんかだって、ブログが炎上したり自信を込めて作った曲が不評だったら『死にたい』くらい考えたことはあると思う。
私よりも若い同性の子は、彼氏と別れたショックで私に対しラインで『もう死にたい』って送って来た事があるし、高校の頃を思いだせば、なんてことのない大した失敗でも『死にたい』なんていう子がいた。
そう、各々が浮かべる『死にたい』という感情の質や重さに違いはあれど、生きている人たちの大半は一度、いや数回くらいは『死にたい』と思った事があると思う。
「はぁ……朝だ。死にたい」
かくいう私はそんな中でも頻繁に『死にたい』と考える類の人間で、隣で鳴っている目覚まし時計に気が付き目を覚まし、布団から体を起こした今だって、これからの仕事が憂鬱で『死にたい』と思ってしまう。
「…………顔洗お」
二十二歳になって数ヶ月、私は大学を卒業して社会人になった。
それまで実家で過ごしていた私は親からの介入を嫌い一人暮らしを始め、自由で開放的な何者にも口出しされない私だけの城を手に入れた。
「あぁぁぁぁ……洗濯機を回し忘れた! 返ってから室内に干そう…………」
けれども喜べたのはほんの短い間の事で、現実は私が思っていたよりもずっと大変だった。
確かに私は自分を束縛していた親という存在からは解放されたが、一人暮らしを始めて数日後、その時になって初めて一緒に親から得ていた恩恵も手放していたことに気がついた。
それまでは朝起きて挨拶をしたら朝食が出てきたし、そもそも時間になったらお母さんがいつも私を起こしてくれていた。
それに返って来たら既に夕御飯だって用意してくれていたし、面倒な洗濯や風呂入れ、部屋掃除だってやっていてくれていた。
「もう行かなくちゃ!」
親っていうのは偉大だったんだなぁ、邪魔だなんて思ってた私は馬鹿だなぁ、『死にたい』なぁ
なんて考えている間にも家を出る時間が迫ってきており、私は最低限の化粧を終え、髪の毛を整えて、家を飛びだした。
会社に到着してからも私が『死にたい』と思う要素はそこかしこに存在する。
上司がこちらの話に耳もくれず『死にたく』なり、
自分がしでかしたイージーミスで他の人が迷惑を受ける事を考えるだけで『死にたく』なる。
他人の陰口を嬉々として話す連中の性格の悪さを目にすると吐き気がして『死にたく』なるし、その切っ先が自分に向くことを考えると、それだけでビルの三階にあるこの建物から飛び降りて『死にたい』と考えてしまう。
そんな日々を送っている私だが、自分の精神状態が他の人とは違う、異常なものではないと思っていた。
だってSNSを覗けば私以上に軽く『死にたい』と思っている人間がわんさかいるし、身近な友人も『死にたい』と軽口でいつも言っている。
それを考えればこの程度のこと、別段おかしなことではないと確信を持って言える。
「お疲れさまです…………」
何をやってもダメな私。
友人には重すぎると思われるのが嫌で、家族に対してはプライドが邪魔して、相談する相手もいない私。
そんな私でも一つだけ人よりも優れていると思う点がある。
「ただいまーっと」
それがこの『死にたい』と思う自分の心に対する対処法。自分に与える処方箋だ。
「…………」
木でできた短い廊下を革靴からスリッパに吐き替えた足で歩き、洗面台で手洗いうがいをしてからベットやテレビがまとめてある奥の部屋に入る。
「…………はぁ、死にたい」
途中朝のうちに予約するのを忘れていた洗濯機を目にして口癖が零れ落ちるが、その場でウジウジするようなことはなく部屋の隅に置いてある丈夫なロープを手にして、天井から吊り下げられている照明器具に取りつけて輪を作る。
「…………うん。やっぱり私はまだ『生きていたい』」
そのまま無言で私自身が作り上げた輪をじっと見つめ、三十秒ほどの時を置いたところで、私は決まりきった定型句を口にする。
そう、これが私が編み出した、『死にたがり』な自分に対する処方箋だ。
軽々と口にしている死にたいという言葉。
これを実際に行える状況まで持って行き、頭の中に眠っている死の恐怖を目覚めさせる。
そうして死ぬ苦しさや虚無感、不安感を自分に叩きつけると、私はまだそれは味わいたくないと思い、明日以降も頑張って『生きて行こう』と思う事ができるのだ。
「さーて、コンビニにでも行きますか!」
そうして生に対する渇望が生まれれば、後はその衝動に身を任すだけだ。
私服に着替え部屋を飛びだし、おにぎり一個だけだったひもじい昼食を取り戻すためにコンビニまで移動し、SNSで評判の商品を買う。
その後さしたる寄り道もせず家に帰宅すると、毎日やっている数年前に出た据え置き型ゲームのソフトを起動させ遊び始める。
他にも仕事に行ったままのテンションではやる気が発揮できないものに次々と手を出していき、眠りにつく一時間前までの時間を心底楽しいものとして過ごす。
「ふぅ、寝よ寝よ」
それからシャワーを浴びて明日に備えると、髪の毛をドライヤーで乾かし歯を磨いて、ネットサーフィンを少々行って眠りにつく。
これが私の一日のルーチンだ。
それからに日常はさしたる変化はなく、次の日も、その次の日も同じように過ぎていった。
会社で嫌な事があれば返ってから輪を作った紐をじっと見つめ気を取り直し、
私生活に潤いがない事に気が付き何とも言えない気持ちになればまた輪を作った紐を見つめ、
友人たちと話すこともなく、誰とも心が通っていない日々を送り絶望しては輪を作り見つめる。
そんな生活を私は延々と続けていく。
「…………あ」
だがそんな日々が続いていく中、私はふと気がついた。
目の前に絞首台となるものを置いてもそれほどまで気が紛れない。
毎日決まって行っていたその儀式を行っても、後に行うゲームがそこまで楽しくないし、外に出ようという意思が薄れつつある。
なにより、自身を殺すことができる目の前の物体に対し、以前は感じていた嫌悪感や抵抗感がなくなり、今は何とも言えない魅力さえ感じている。
「っ!」
このままではいけない
そう考えた私はそれまでしたことのないような激しい動作で縄を拒否し、その日は滅多に飲まないアルコールを大量に摂取。先の見えない闇に沈むような感覚を覚えながら眠りについた。
「…………一時、か。はは、久しぶりにお昼まで寝ちゃった」
次の日、目を覚ますと既にお昼を過ぎていた。
幸いその日は休日で会社に迷惑をかけることはなかったのだが、だからといって安心できるわけではない。
酒に溺れ、いつも行っているあらゆるルーチンを放棄した今だからこそ分かる。
今の私は異常だ。
布団から出る気力は一切湧かず、胸の中心に何と形容して言いかわからない不安感が募ってる。
それが原因なのかどうかもわからないが脳内には死にたいという気持ちが湧きあがり、それが更に自分の体から気力を奪い不安感を増幅させている。
言うなれば負のスパイラルとでも言うような状態だ、
「………………………………はぁ」
結局その日は布団から出る気力が一切湧かず、面白いと感じることもないのに日が暮れるまでネットサーフィンを行い続けた。
「とりあえず、ごはん食べなきゃ」
とはいえ人の体というのはよくできているもので、そんな状態でも限界が来れば腹が鳴る。
それを聞くことで私は今日初めて布団から体を出し、下着を変えるとその上から上下赤のジャージを着こみ、近くにあるコンビにまで足を運んだ。
「これください」
「ありがとうございます。こちら――――」
いつも行っているコンビニで、SNSで大人気だったものを買う。
それは心躍る行為のはずなのにさして私の心は揺れることなく、会計を終えると、ガラス越しに見える制服を着た女の子に視線がを注ぐ。
「友達、か」
その子はどうやら友達とスマホ越しに話している様子なのだが、それを見てふと思い返すのは自分がそのような事をしたのはいつの事だったかという疑問。
その答えははっきりと浮かばなかったのだけど、浮かばないという事実が更に私を追いつめ、行きよりも更に重い足取りで私は帰宅。
食事を終えると、その日はずっとやっていたゲームを行うこともなく再び眠りについた。
それから一週間は本当に最悪だった。
仕事でうまくいかないのはもちろんの事、やっているゲームは楽しくないし外に出る気力も湧かない。
こういう時こそ日ごろから行っている縄をじっと見つめるあの儀式を行うべきなのだろうけど、それをすると次はあの魅力に抗えないような気がして、私はどうしてもそうすることができなかった。
「…………」
金曜日の仕事が終わり、どうやって帰ったのかわからないまま家に到着する。
そうして私は考えてしまうのだ。
どうして自分がされたら嫌なはずなのに、人は人を怒鳴るのだろう?
どうして相手の気持ちも考えず、人は人に対し冗談半分でひどい事を言えるのだろう?
いやそもそも、何で大半の人たちは生きているのだろう?
夢を持って生きているわけでもなければ、家族に対しても愚痴しか言わず愛なんて感じられない。
ただ何の目標もなく、それこそ『生きる』ためだけに仕事はもちろんの事、めんどくさい人間関係を作っている。
だというのに…………人は『死』を怖がる。
まだ『生きたい』と苦痛に向け足を進めていく。
「………………死にたい」
私の口から、短い、しかしこれまでで最も感情の乗った定型句が漏れて出る。
その後のっそりとした様子で私は立ち上がり、部屋の隅に置いてあった縄を輪の形にさせ、天井から吊るすと、何を考えることもなくじっと見つめる。
「………………………………………………………………………………………………」
私の足が、腕が、私の意志とは関係なく勝手に動く。
足は前に、腕は宙に浮かんでいる縄に向けられ、少しばかり前のめりな姿勢になる。
ピリリリリリリリリ!
「!!!」
その時私の命を救ったのは、スマホから流れてくる着信音だ。
「うっるさいなぁ」
耳に響く甲高い音に設定した自分に対しこの上ない苛立ちを感じながらも、ご近所迷惑を考えた私は足早にベットに投げ捨てたスマホを取りやかましい音をすぐに消した。
「で、音の原因はー?」
それからこんなことになった原因を確認するために起動させると、社会人になってからは全く会っていなかった友人から連絡があり、懐かしさと喜びを覚えながら、長々と書かれた文章を読み、
「うっそ、マジ!?」
その途中で、思わず私は声を上げてしまった。
「やばいやばい、ガセじゃないよねこれ!」
書いてあった内容を簡潔に説明すると、私がルーチンワークでやっていたゲームの最新作が五年ぶりに発売するとの事であった。
それは私の青春時代の象徴にして今なお遊べる不朽の名作であり、その報告を聞き私はすぐさま載っていたURLに移動。
情報がガセでない事を確認すると、その友人にすぐに電話。
「もしもし! うん! うん! 見た見た! ホンット嬉しい! …………だよねだよね! いやぁ懐かしいね!」
その後の私は、アパートの迷惑も考えずに高校時代に戻ったかのようなハイテンションで話を行い、久しぶりに友人と長電話を行った。
「けどあれだね。これは遊びつくすまで死ねないね!」
その時はさして気にならなかったけど、あまりの調子の良さに笑ってしまう。
ほんの一時間前まで死のうと思い詰めていた自分が、好きなゲームが出るだけで一年以上先まで生きていようと思えたのだ。
それから先の私には色々な事があった。
仕事や周囲の環境によって死にたいと思うことはいくらでもあったし、その度に何らかの原因で幸せを感じ持ち直した。
それは新商品のスイーツだったり、友人と話す時間だったり、もっと日常的な事だってあった。
「これでよし!」
そして今私は、
「もしもし、聞こえる?」
『聞こえる聞こえるー』
「オッケー、じゃあ久々に一緒に狩りますか!」
『『オー!』』
カーペットに座り、周囲には飲料水と油菓子を置き、数人の友人と共に待ち望んだゲームで遊んでいる。
同時に思うのだ。
別に『死にたい』と思う事自体は悪い事ではないと。
恐らく偉い人やおばあちゃん、それに有名なミュージシャンだって同じように死にたいと思い、同じように他人から見たら本当に下らない事で気を取り直しているのだ。
それこそ、コンビニで売っている新作スイーツ一つで一喜一憂するくらい下らないことでだ。
それほど下らない事で、私達人間は気を取り直せるのだ。
「ぎゃー死ぬー!」
『回復回復!』
『それより尻尾! 尻尾切って!』
目の前で繰り広げられる出来事を前に、彼女達は童子のように騒ぎ立てる。
その顔には生気が満ちており、死を思い詰める様子は一切ない。
「あーいいね。こんな楽しいの久しぶり!」
部屋の隅に置いておいた縄は気付かぬ間に捨てていた。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
はじめましての方ははじめまして、いつも執筆している長編を見ていただいている方はこんにちは。
作者の宮田幸司と申します。
今回のお話はいかがだったでしょうか?
ちょっと重い内容だったかと思うのですが、そもそもこの話を書き始めたきっかけは友人に普段とは別の作品を書いてみたら(要約)と伝えられたのがきっかけで、
ならば普段はそうそう書くことがないタイプの話を書いてみようと思い執筆しました。
なろう全体のオーソドックスな作風とは違うかと思いますが、楽しんでいただければ幸いです。
感想・評価など、お待ちしております。
それと、もしよければ作者が毎日投稿している長編『ウルアーデ見聞録』
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