第5話「薄れゆく記憶と花火」
明日までは、もたない。今日のこともーー忘れてしまうだろう。俺はこのことを残しておくのか迷った。
窓枠に区切られた小さな夜空には、本物の花火大会に比べればずっとささやかな花火が打ち上がっていた。俺はその花火を家の二階から、西洋風の椅子に腰掛けたドールこと、ドールに入ったモコと一緒に見ていた。
「雨降ってたけど、晴れてよかったですね
」
「今頃、会場はドロドロかもね」
「もしかして、それが理由で家の二階で?」
「もち。ーーただ、小さい町だから、だいたいの家からは見えるかもね。ここを選んだのは、ちゃんと理由があったり?」
「本体も見ているんですか?」
「ちょっと角度は違うけど、『同じ花火を同じ瞬間に一緒に眺めてる』よ」
同じ花火を同じ瞬間、か。……多分、今俺が感じている想いも忘れてしまうだろう。俺がここにいたのも、俺が花火を見たのも、全部忘れるだろう。誰かに忘れられるのではない。俺の中から無かったことになってしまう。知ってか知らずか、おかしなことにもドールの中から俺と一緒にいるモコは声が弾んでいた。スピーカー越しだから、やはりちょっと、ナマのモコとは違うけど。
「大した思い出作り、でしたね」
「そうだね」
ところで、とモコは口を開いたかと思うと、
「実は今回みたいな悪戯は初めてじゃないんだよ」
「ーーえ?」
大きな花火があがった。過疎な町だからか、ここまで漏れ聞こえてくる声はなかった。色とりどりの火の花が咲き誇る瞬間、俺は自分の耳を疑った。
「お前、俺に何したんですか!?」
「心に傷の残ることはしていない。安心しろ、童貞のままだ……一応」
「一応!?」
「あらためて訊きたいんだが、逆に何をしたら覚えてくれるんだ」
ちょっと冗談には聞こえない恐るべき真実の門を見てしまった気がしたが、何があったのかはこの際、忘れよう。モコも「冗談だ」と言っているので信じた。
「でもアレはないですよ。異世界だなんて」
「……」
モコは俺の質問に答えなかった。いや、あるいは『無言の返答』を語った?いやまさか。今のモコはドールなので、細かい雰囲気や表情はわからない。彼女は今、ドールなのだ。ポーカーフェイスにこれほど向いている形もないと言えるほどまったく感情を読めない。
「モコさん?」
ただそれでもモコが、「なにを言ってるんだお前」のような、見当外れを聞いてポカンとしている、そんな気がした。この場合見当外れとは、ファンタジーな異世界に行っていたという話のわけで……。
「え?」
「ーーえ?」
モコは、スピーカーが拾えるか拾えないかの小さな声で呟いた。「あれほどの経験でも忘れるのか」と。俺、いったいなにをされていたんだ?
花火が打ち上がっていた。一瞬の輝きのためだけに弾ける刹那の大輪が、深く沈む夜の中で色を染める。陶器のように白く、人間的ではないドールの肌に、人のような肌を作っていた。
なにがあったのかーーあるいはこのドールと、あったのかもしれない。だから彼女はここにいた。……ということにしておこう。
俺は、忘れすぎる。
だけどそれでも、今この瞬間もまた惜しいのだ。