表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
熱帯魚の冬  作者: RAMネコ
2/5

第2話「黄色い雨合羽の女」

目覚まし時計に起こされたわけでもなく、自然と目が覚めた。寝惚けた頭は気がついた時にはすでになく、寝ていたというよりは、さっきまでの時間が切り取られて今になったような感覚だ。……枕元にメモが挟まれていた。あぁ、そうだった。俺は人形を見つけていたらしい。父のラブドールだ。父の、というにはまだ物証がないがまさか、泥棒が置いていったわけではないはずだ。


俺はそのドールに再会しにいった。畳の上に西洋風の椅子。ドールは裸体で、その身に何一つ纏わず腰掛けている。……裸だとは、知らなかった。目のやり場に困るな。ただ、美しい人で、目を逸らすことにこそ躊躇いがあった。


ーー家のインターホンが鳴る。


俺は目を奪われたドールから逃げるように、玄関へと足を運んだ。玄関ドアの曇りガラス先に人影が見えた。誰かは……思い出せなかった。外では雨が降っているようだ。ざー、ざー、と強い雨音に包まれるその人は、黄色い雨合羽を着ていた。俺が玄関ドアに手をかける前に、その雨合羽は鍵を開けてしまった。家の鍵を持っている人らしい。


「おーはーよー!幼馴染のモコちゃん参上だよ!」


モコちゃん、と言うからには俺と深い関係にある女なのだろうか?モコとやらは、肩よりも上で揃えられた短い、外向きにゆるくカールした黒髪、茶色の散る黒い瞳、人懐こそうな丸い目には光を多く蓄えていて、キラキラとした印象の強い小さな女の子だ。年下に見えるが、気安さからは同年代くらいの知り合いだろうか。


「おはようございます」


俺はまずは挨拶した。挨拶は基本だ。どんな相手でも挨拶をしない、というのは悪意をぶつけるときだろう。そして俺は「ご用件はなんでしょうか?」と訊いた。雨が降っていた。外を歩くには、憂鬱になりがちな天気だ。何か、大切な用事があるのではないかと予感した。


するとモコは、


「ちょっと顔をだしただけで特に用事はないんだけどね。元気かなーって!でもわざわざ、今日、こんなに雨の日にやることだったかな?てちょっと後悔してるよ」


そう言ってモコは小さく、くしゃみした。髪の毛が濡れていた。雨合羽だって完全に雨から守ってくれるわけではない。モコは、少し体を冷やしているようだ。このまま、追い返すのか?俺にはできなかった。


「モコ、さん?タオルがありますから拭いていきませんか。お風呂もありますが、流石に他人の家ではセクハラーー」

「わはー!お風呂にお呼ばれされちゃいますね。もうびしょ濡れで……」

「ーー……じゃ、お風呂を沸かしましょうか。ちょっと待っていてください。とりあえず体を拭けるタオルを用意しましょうか。お風呂はすぐに準備できますよ」


言って、モコの替えの服が気になった。


「着替えはどうしますか?」

「洗濯機を貸していただければタオル一枚で充分!」


モコは家の洗濯機を前提に話した。たしかに乾燥をこみで、一時間もあれば終わるだろう。長風呂ならば、裸ですごす時間も長くはない。その間に選択と乾燥が終わるからだ。下駄箱の上に貼られたメモの壁を見た。俺は、けっこうなお節介な男らしい。お風呂に他人を招くのは初めてではないようだ。その中には、モコらしい人のメモもあった。やはり、初対面ではないのだろう。


モコがお風呂に入り、脱ぎ捨てた服や下着を風呂場のすぐ隣の洗濯機に入れた。洗濯物の重量で水や洗剤を自動的に計量してくれる、賢い奴だ。……彼女は女の子なのだが、男の俺に下着まで洗われることに抵抗はないのか?


脱衣場を経由して、洗濯機、洗面台、風呂場が並んでいる。俺のすぐ隣では、モコが鼻歌まじりに体を洗う音が風呂場で反響した。もしかしたら頭のゆるい娘なのかもしれない。後で、キツく注意しておこうと決めた。その為にもメモした。


〈湯あがり。女、黒髪外向き緩いウェーブ、キラキラした可愛い娘。男は怖いという自覚をもつよう注意〉


モコは雨合羽の下までずぶ濡れだった。……邪な思いが脳裏をよぎった。俺と話していたときも、服はすっかり雨で濡れていて、それは下着まで達していて体に張りついていたのではないだろうか?透ける服に、彼女の綺麗な体の線が…………やめよう、この考えは危険だ。


ーー服と言えば。


あのドールの服はどうするかな。無難なのはネット通販だろう。あるいは服屋に買いに行っても良いのだが……それには勇気がまだ足りない。ドールは服を着ていない。いったい『誰が買って置いた』のかわからなくなる。この家には、他には『もう』誰もいないのだから。


「あっ……もしかして、そこに?」


風呂場から湯の降り落ちる音が聞こえた。モコは思いの外、早くに風呂をあがるようだ。考えるのに時間を使いすぎたのか?俺は洗濯機のタイマーを見ると、一時間は経ってはいないが、いつにまにか、時間を跳んでいた。


「すまない」


俺は慌てて脱衣場を出た。少し、デリカシーに欠ける、というやつだったろう。風呂に入る女がいるのに、脱衣場で長居するものではない。俺は脱衣場を出てドア越しに、


「服はその洗濯機の中にある。乾燥が終わればすぐに着れるだろう。テレビは、洗面台上に小さいのがある。時間はかからないだろうが、洗濯が終わるまでの時間、暇潰しに使ってくれ。それと、ケーテルなどの貴重品も洗面台だ。何もとってはいないが、確認してくれ」


俺は洗濯機に貼ったメモを読みあげた。洗面台の透ける曇りガラスに、『見知らぬ女』が映っていた。記憶にないが、中にいるということは何かしら理由があるはずだ。どこかにメモを書いていないかと探したが、それらしいものはどこにもなかった。……大した問題ではない。


それでも何か、夢を見ていたような感覚が残っていた。何か、きっと見ていたんだ。だがそれは、初めからなかったように消えてしまった。何かがあった、そしておぼろげな記憶の片隅に、黄色い雨合羽の姿がある。だがそれも意識が今に向いているせいか、少しづつーー忘れていった。俺は記憶のどこかに引っかかる女の子をあとに廊下にでた。廊下から先には、扉が開きっぱなしでーー西洋風の椅子に座る女がいた。いや、女は人形だ。


「ーー!?」


俺はそのドアを慌てて閉めた。人形を隠したのだ。なんだアレは!混乱する思考の中で、閉じたドアにメモが貼られていて、


〈出所不明の人形。服を買う〉


とだけ、書かれていた。メモは俺の書いた字だ。あの人形は俺が買ったのか?だったら思いの外の衝動買いだ。あとで口座の残高を確認しておかないと……いや、それよりも今は脱衣場に女の子がいるんだ。女が嫌う趣味には、『男の人形趣味』があることは知っている。


「慌てているようだが、何かあったのか?」

「いえ、なんでもありません。大きなゴキブリが……」

「ゴキブリか。それは怖いな。実は私も苦手なのだ。だがもし、お互いに協力できればこの災厄に対処できよう!」


ーーガラッ!と脱衣場が勢いよく内側から開けられた。表れたのは、息を止めてしまうほどの美だった。胸にタオルを巻いて最低限の裸を隠してはいても、その引き締まった肉の美はいっさい曇らせることなく曝けていた。長い黒髪なのだが、インナーカラーに赤を差していた。鋭い眼光は、心を射抜いているようだ。気が強そうで、それはプライドの高さで、自分にも他人にも厳しそうな雰囲気だ。


もしーー裸のドールを彼女が見たら?


「……えっと、私の名前はわかるのかな?」


女性は俺を見て、どこか申し訳なさそうに訊いてきた。とはいえ、その声色はエリートなキャリアウーマンというか……少し低めのハスキーで、強そうなお姉さんと言った感覚だ。頼りにされてそうな雰囲気だ。


「ーーすみません」

「謝る必要はない。『知っている』からな」


女性は裸にタオルを巻いているだけだが、ニヒルに笑い、俺にはそれがかっこよく見えた。


「私はモコだ。モコ、ちょっと外国の女みたいな雰囲気の響きだろ?」

「少し」


モコは今の自分に気がつき「おっと」とわざとらしく脱衣場に隠れた。隙間から顔だけをのぞけ、


「……はしたない女だとは、思ってくれるなよ」

「思いませんよ、モコさん。それにどうせ俺はーー」

「ーー私の豊満な胸を見てしまっては、今夜は悶々として寝れないな?」

「……」


俺は、モコをかっこいい女だとは感じていた。だがその胸は……一般的には残念だ。タオルを巻いて胸だけ見れば、男とあまり変わらない。いわゆる『貧乳』だ。申し訳ないが、モコの残念な胸だけで悶々とは……。だが俺はその一切を顔の下に隠しきった。先ほど見た、椅子に座るドールのほうがグラマラスだ……こっちも貧乳に変わりはないのだが……。


「服、早く着てくださいね」


モコはちょっと残念美人なのかもしれない。俺はそそくさと、その場を後にした。彼女の目の前で「あなたは誰ですか?」とはなりたくなかった。俺は、あのドールのいる部屋に入った。ドールは裸のまま、まったく微動だにせずにそこで待っていた。


廊下の先ではまだ、モコが脱衣室で着替えている最中だ。いや、洗濯機の音からまだ……裸か?ともあれモコは他人で、女で、そして今俺の目の前には女を模した明らかなラブドールが裸で鎮座している。見られるのは、不味いのではないだろうか?このラブドールがどこから現れたのか調べるのは後回しだ。俺は「せめて服は着せよう」と考えて、ドールの座る部屋の衣装ケースを探した。普段着は一着もない。礼服とか、スーツだ。


……ドールは、オイルが浮くんだっけ?少しの疑惑が湧いたが、これを振り切ってダウンコートかトレンチコートを着せた。ごつい生地で、およそ夏場に着せるものではないが。……裸にコートというのは変態感が増した気がするが、裸よりはいくらかマシだ。服を探している間に、余計な時間を使った。俺は慌てて『今』をメモした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ