序走
ファンタジーな世界のスポーツモノを書きたいと思った時期が私にもあったんです……
(主にバトルアスリーテス大運動会の影響ですね)
観衆の熱気渦巻くスタジアム。
目の前に造られた魔法空間の中では、四名のプレイヤーによって熱き闘いが繰り広げられている。
風吹き荒れるエリアを飛び、燃え盛る炎の中を駆け抜け、豪流に飲まれぬよう水の中を疾走る。――――その先にあるゴールを目指して。
一人が魔法を放つなら、別の一人はそれを避ける。
また一人が魔法を撃つなら、別の一人はそれを撃ち返す。
それぞれの勝利の為に、攻防を繰り返しながら彼等は走り続ける。
そして――――やがて訪れるその瞬間。
エメラルドグリーンのスーツを身に纏った深紅のポニーテールの女性が光り輝くエリアに足を踏み入れた時、新しい伝説が生まれた。
『――――第二十二回E.S.B.R世界大会、優勝は…………シルフィーナ・ゲイル! E.S.B.R大会史上初の女性優勝者となりましたぁぁぁぁっ!!』
男性実況者の声と共に観衆からどっと歓声が上がり、スタジアム内の者は皆立ち上がり拍手喝采を優勝者に送る。
女性競技者初の優勝を手にしたシルフィーナは声援を送る観客に堂々とした微笑みを返した。
過去二十一回全て、男性が頂点に立っている。体力面に於いて男性の方が女性よりも強く、世界大会に駒を進める女性競技者は少ない為だ。そのせいかE.S.B.Rは男性向けの競技だという認識が世界に広まっていた。
シルフィーナは女性でも上位に立てるという事を我が身で実現する為に努力と鍛錬を重ね、男性優位の中を血を吐く思いで戦い続けた。
ここまで来るのは容易ではなかった。何度挫けそうになっても彼女は諦めず、その結果ここに立つ事が出来た。
万感の思いが胸に押し寄せたのか、シルフィーナの瞳から一筋の涙が零れ落ちた。
『熱き戦いを勝ち抜いた、戦士シルフィーナ!! 彼女に、……皆さん、彼女に……!! 盛大な拍手をッ!!!!』
嬉し涙を流し、優勝台に立つシルフィーナ。
努力は報われるということを証明した彼女のその姿は、世の女性に勇気を与える事になった。
諦めかけていた女性競技者達に希望を、まだ幼い少女達に夢を。
――――あれから二十年。
二人目の女性優勝者は未だいない。
『……続いてのニュースです。先日首都グランテラで行われました第三十二回E.S.B.R世界大会、第三十一回に続きシンバ・ストロンジ選手が優勝! 大会二連覇を果たしました!』
ニュースキャスターや出演者が並んで座るスタジオの映像が切り替わり、雄々しい男性が優勝台の上に立ちトロフィーを高々と掲げている姿が写る。更に映像の右下には小さな窓が現れ、華やかなで美しい女性キャスターの顔がそこにあった。
『初代チャンピオン、ファルコ・フリーゲン選手に続く記録を達成したシンバ選手。早くもファンから三連覇に期待する声が上がっているようです』
キャスターがにこやかに手元の原稿を読み上げる。それに続き共演者達が口々に感想を述べるのを、僕はコーヒーの入ったマグカップを手に目線は新聞に落としながらそれを聞いていた。
「おっと……」
愛用の安物眼鏡がズレたのを一旦マグカップを置いて直す。
僕の関心はスポーツには無い。僕の興味は芸術分野に関する記事が載った頁へと向いていた。
偉大な画家達の絵を集めた展示会の知らせや、コンクールなどの結果発表、最近名を馳せ始めた新人デザイナーの新作発表会の様子など。賑やかな朝のニュースの声はBGM代わりでしかない。
『期待といえば、今大会唯一の女性競技者となったアリアナ選手。準決勝でシンバ選手と闘い敗北してしまったアリアナ選手ですが、見事ベスト4入り!』
『ええ、とても素晴らしい試合でした。来年も是非頑張って欲しいですね!』
『今大会ではアリアナ選手の他に、フィリア選手がベスト8にランクインしましたねぇ』
『ええ。女性の活躍が近年目覚ましいですが、シルフィーナ選手以来なかなか女性優勝者が生まれませんねぇ。男性が優位である国際競技E.S.B.Rですが、どうやら大会運営委員の方で部門分けをする話が出ているようです』
『今更なような気もしますがね~、ですがそれが実現すれば女性やハンデを背負う人々の希望になります。現行ルールでは障害を持つ人の競技参加は認められてませんからね〜』
僕はちらりと横に目を向けた。ニュースに関心を持ったとかそういうワケじゃない。
画面の左上にある時刻表示。番組をイメージして描かれたキャラクターから吹き出しが出ていて、その中には時刻が記されていた。
現在七時四五分――――そろそろだ。
『昨年は将来有望とされていた若手選手が事故で……』
ぶつんっ、と音を立ててテレビの画面は暗闇を写した。
それから僕は新聞を畳んでテーブルの端に置くとマグカップを手にキッチンへと向かう。シンクの中にカップを起き、蛇口を捻り洗剤をつけて洗った。洗ったカップは軽く振って水滴を落とし、逆さまにして立てた。
さっきまで座っていた椅子には薄く青みがかった藍白色のジャケットが掛かっている。
今僕は白シャツにネクタイ、さらに葡萄色のカーディガンを着ている。そのジャケットを手に取りカーディガンの上から羽織った。春を迎えたばかりとはいえ、僕の住む北方都市アウロラはまだ雪が残っていて寒い。
ジャケットのシワを整えつつ鏡の前に移動する。胸元にしっかりと僕の名前が────ピンゼル・グラフィカと刻印されたネームプレートが光っているのを確認。そしてポケットからヘアゴムを取り出し長くなってきた赤みのある茶髪をまとめて後頭部で結ぶ。
この間、体感時間でおよそ五分。何かヘマしてもたついたりしなければちょうどいい時間だ。
玄関に向かい、予め置いておいリュックを背負って靴を履く。まだ買って一ヶ月も経っていないピカピカの革靴だけど、よく見たらほんの少しのキズがついていたことに軽くショックを受ける。
(まあ、靴だし仕方ない)
しかし、僕はすぐに開き直る。靴は履くものだから汚れたり傷ついたりするのは当たり前だ。
玄関のドアノブに手をかける前に、僕は靴棚の上に飾られた写真立てに目を向ける。
そこには写真ではなくて、絵葉書が入れられている。鮮やかなグリーンの服を身に纏い空を駆ける深紅の髪の女性の絵。僕はそれに向かって一言。
「行ってきます」
────七時五二分頃、僕はいつもこの時間に家を出る。
春になって一ヶ月。町のあちこちでようや桜の木が開花し始めていた。雪は陰になっているところにちょっとあるくらいで、完全な雪解けはもうすぐだろう。
そんな北方都市アウロラが誇る学舎────ポーラ・ステラ学園に入学して早一ヶ月。アウロラ一の名門校だ。
芸術分野に秀でていて、今までたくさんの著名人を輩出しているんだ。普通科と芸術科があり、僕は絵を学びたくて後者への進学を決めた。でも最初の一年は皆共通のコースになるから、本格的に学べるのは二年目からになる。
そんなポーラ・ステラ学園だけど、僕が生まれるずっと前スポーツ方面で一躍有名となった。
スポーツに興味の無い僕でも知っている有名な国際競技Elemental Space Battle Run ────通称E.S.B.R。
今から五十年くらい昔に出来た比較的新しい競技で、世界中の誰もが注目しているスポーツのひとつ。特別な魔法空間の中で飛んだり走ったり戦ったり、詳しいルールは知らないけれど大体そんな感じの競技。
初めて大きな大会が開催されたのは三二年前。そこで優勝したのはこの学園の出身者らしい。そのおかげあって当時は王者に憧れてスポーツ科への入学は殺到。でも残念なことに初代王者以上の快挙は数十年経っても未だ無し。そのせいでクラブへの入部希望者は減る一方だとかなんとかって噂。それでもE.S.B.Rは世界的に人気な競技だから、活動中のクラブ一覧にその名はあるみたいだけど。
人気競技だろうと世界が熱中しているスポーツだろうと、僕は当然美術クラブに入るつもりだ。放課後の芸術活動のために、画材や場所を借り放題だからね(一番重要)! 僕の狭い家ではテーブルの上にスケッチを広げるくらいしか出来ないし、独り暮らしだから画材を買い込む余裕も無い。
そもそもスポーツなんかして怪我でもしたら大変だ。絵が描けなくなるのは大問題。
だから本当は――――体育の授業だってやりたくない。
「よしっ、そのまま走れー!!」
「そうはさせねぇぞっ!!」
カキーンと軽快な金属音が響きざわざわとクラスメイトの男子生徒達が騒ぎ出したので、僕はガリガリと足先でグラウンドに落書きしていたのを止めた。
前を見ると、二塁から三塁ベースに辿り着いた走者がそのままホーム目掛けて走っていた。更に視線を巡らせてみると、一塁にボールを持った男子がいて、ホームに向けて投球の姿勢を取っていた。
一塁手からびゅんと球が離れた。それは真っ直ぐにホームへ飛んでいく。そこへ走者がスラインディングで駆け込んできて、それとほぼ同時に捕手のミットにぱしんっと球が収まった。
静まり返るグラウンド、捕手の後ろに立つ審判代わりの体育教師(こんがり日焼けしたいかにもそれっぽい男性だ)が叫んだ。
「セェェェェーーーッフ!!」
瞬間、攻撃側の生徒達から歓喜、守備側の生徒達から落胆の声が上がった。
「よっしゃ! この調子でいこうぜ!」
「くっそー! 次こそは打たせないぞ!」
僕はその光景をグラウンドの後方(立ち位置としては右翼手だ)で見ていた。僕以外の皆は悔しそうに地団駄を踏んでいる。
「ふあ〜あ……つまんないなぁ……」
あくびをしながら独り言を漏らす。だって本当につまらない。こんなことをしているより、机に向かって絵を描いていたい。僕はまたガリガリと地面を削り始める。丸描いて、ちょいちょい、すっ……と描けばホラ、野球ボールの出来上がり。
一ヶ月経てば、クラスメイトの個性が徐々に分かり始める。運動が得意な人、そうでもない人、勉強が得意不得意。地味、派手とかね。僕は有難くも運動が不得意で地味な奴に分類された。そのおかげで暇なポジションだからと右翼手を任されたんだ。反対側の左翼手も僕と似たような人が立っているけど、僕よりは楽しそうにやっている。攻守で前方のメンバーがざわつく度に彼も興奮気味にその様子を見守っていた。
「よっし! これでツーアウトだ!」
「ぜってー、守り抜くぞー!!」
さっきの攻防で相手からアウトを取ったみたいだ。その瞬間を僕は見てなかったけど。僕の口からまた大きなあくびが漏れ出た。
どうせ僕が動くような事にはならない。僕の視線はまた地面に注がれた。
「ストライィィィィクッ!」
「いいぞー! その調子だっ!」
ガリガリガリ……僕は思いついたまま足を動かす。
「ツーストライッ!!」
ぐるぐる描いたり変なところで曲がったり、僕は迷路を描き続ける。
先生の声を聞く限り、次で交代になるだろう。この辺で区切りをつけて、迷路の出口を描いて完成にしようか。
そう思ったところで、カキーンと見事な金属音が僕の耳に届いた。
「くそっ、マジかよ!」
「ピンゼル! そっちいったぞー!」
「……え?」
怒声に近い焦った様子のクラスメイト達の声に見上げると、ボールが高く舞い上がり一直線に僕のいるエリアに向かっている。
「え? え? ええ?」
ボールは僕の上を通り過ぎようとしている。僕はよたよたとそれを追い掛けた。
まさかの展開に大焦りだ。暇だって言ってたじゃないか! 胸中で毒づき、僕は大慌てで走る。
後ろからクラスメイト達の叫ぶ声が聞こえる。僕は目先の事で精一杯で何て言っているかは聞き取れなかった。
球は降下を始めていて頑張れば手の届きそうではあるけど僕の体力じゃ追いつけそうにない。
(なんで僕がこんなこと……!)
僕は間違いなくあの球を取れない。そうしたらクラスメイト達は絶対僕批難する。人に得手不得手があるのは当たり前なのに、なんて勝手なんだろう。
――――スポーツとか運動とか得意な人だけがやればいいのに。僕みたいな人間には必要無い。
僕の足は自然と速度を落とし始める。
一応懸命に追いかけた、それでもだめなら仕方ないじゃないか。落ちた球を拾って、とりあえず向こうに投げ返せばいい。無理に取らなくてもいいだろう。
僕は追いかける事を完全に諦めようとしていた。
◆
ほんのりと冷たい風が私の横を通り過ぎる。完全な春はまだまだ遠いわね……。少し身震いしながら私は屋上のドアをゆっくりと閉めた。
今は四限目の授業中。だけれど、私は気分が乗らずサボってしまった。
屋上はいいサボりスポットだから、つい足が向いちゃうのよね。風は冷たいけど気持ちいいし、澄み渡った青空を見ていると心が洗われたような気になるもの。
私はドアの前から壁沿いに後ろへ回り、そこにある梯子に手と足を掛ける。上へ登ろうと体重を乗せ――――
「きゃっ!」
ガクン、と足を踏み外しかけて危うく転倒しそうになった。
冷や汗が滲み、心臓がばくばくと強く脈打っている。私は自分を宥めるようにふぅ……と吐息した。
(こんな不器用な身体……やっぱりまだ慣れないわね……)
ふとそう思ってしまい、心が沈みかける。
(無理もないか。まだあれから一年も経っていないのだし……)
もう仕方ないと開き直る事は出来ても、もう大丈夫だと立ち直るまではまだ時間が掛かりそう。
私はぐっと手に力を込めて、身体を持ち上げるように梯子を登り直す。途中風が吹いてスカートの裾を捲り上げたけれど、人もいないし見られる心配はない。気にすることなくゆっくりと時間をかけてどうにか天辺まで登ることが出来た。
階下に広がるグラウンドと、アウロラの街並み。ちらちらと桃色に染まった木々が見える。
グラウンドでは白地に黄色のラインが入った運動着に身を包んだ男子達が野球をやっている。
黄色のラインということは私の一個下ね。ウチの学園では学年毎に色分けがされていていて、シューズの縁、名札のライン、運動着の襟や袖のラインにそれぞれの色が使われその人が何年生なのか一目瞭然となっている。黄色・青・緑とあって、色は卒業するまで変わらない。
現在の色分けは、一年生が黄色、二年生が青、三年生が緑。今の三年生が卒業したら、次の新入生は緑になるわ。
目を凝らしてスコアボードを見ると、現在はツーアウトツーストライク。ここで打者が打てなかったら攻守交代ね。得点さは……二対一。今攻撃している側がリードしているみたい。私は地べたに腰を下ろし彼等の攻防を眺めることにした。
投手が腕を振りかぶり、勢いよく球が投げられた。渾身のストレート球ってとこかしら。球は真っ直ぐその先で構えて待つ捕手のミット目掛けて飛んでいく。
対する打者はぐっと肘を引きバッドを振った。カキーンと気持ちがいい程に軽快な音を立て、見事に球を打ち返した。
守備側の方からどっと動揺の声が上がる。高く打ち上げられた球はひゅーっと右翼手の方へ向かっていく。
(……あら?)
グラウンドの後方に立つ赤茶髪の男の子に目が向く。
右翼手のポジションを任されている男の子は興味なさげに足で地面に絵を描いていた。今そっちに球が飛んできている事など気づきもせずに。
(あの子……やる気無さすぎじゃない?)
全く、スポーツを何だと思っているのかしら。呆れ混じりに見ていると男の子はクラスメイトに名前を叫ばれ、ようやく事態に気がついた。そして頭上を通り越した球をよたよたと追いかけ始める。その姿はまるでペンギンみたい……。
(あー……運動が苦手なのね……)
だからやる気なさげに地面を見ていたのかと納得した。残念だけどあの球は彼に取れない。彼のチームはホームランでまた一歩先を行かれる事になるわ。
案の定、彼もそれを分かっているのか減速していた。
これはもう完全ダメね――――そう思った時、彼は予想外の行動に出た。
男の子の足が力強く地面を踏んで、跳躍する。
顔を上げその先にある球を視線に捉え、高く高く彼は跳んだ。
見事なフォーム……男の子の跳躍する姿に私の憧れの人と姿が重なって、胸がドキドキと高鳴る。
運命に出会えた瞬間……私が見ているその光景はそんな風に感じた。
グローブを着けた左手を前に伸ばしその先が球に触れ――――彼は見事に空中キャッチを成功し、そのままどてっと地面に落ちた。
「スリーアウトッ! 攻守交代っ!!」
審判を務めていた教師がホイッスルを鳴らし大声で告げる。
(…………すごい……! 取っちゃった!!)
思わず身を乗り出してまで男の子の行動を見守っていた。興奮で心臓がばくばくしている。
(……これは……もしかしたら……)
私の心に一筋の光が入り込む、そんな錯覚がする。
錯覚でもいい、これは絶対に運命だ。今はそう思えて仕方ない。
全てを、夢を、諦めかけていた私の希望。
(彼ならきっと……私と一緒に……!)
私はポケットから携帯電話を取り出しピピピと操作する。それから携帯電話を耳に当て、プルルと呼び出し音を耳に入れる。
「グラフィカ! ナイスプレーだったな!!」
そこへガハハと豪快に笑っている教師が彼を褒める言葉を叫んだ。
男の子は同じチームのクラスメイト達に囲まれ照れくさそうにしていた。
(グラフィカ……それがあの子のファミリーネームかしら?)
名前が分かればどこのクラスなのか、彼の情報を調べることができる。
だけれど私は『グラフィカ』という彼の姓になんとなく聞き覚えがあった。変ね、知り合いにそんな姓の人はいないのだけれど。
呼び出し音を聞きながら考えていると、数回目のコールが途中で途切れて相手が電話口に出た。
「私よ。少し調べて貰いたいことがあるの……グラフィカというファミリーネームの生徒はどれくらいいるのかしら?」




