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緋色の海の悪役令嬢



 王国刑法第118条

 ──秩序を乱し国家を危機に陥らせた者を重罪人とし、堕海の刑に処する。


 これは、私が書いたシナリオにある一節だ。

 シナリオの舞台は、海外のとある島をモデルにした、海に囲まれたラメール王国。

 ラメールの北方には、“緋色の海”と呼ばれる場所がある。青い海という表現を真っ向から否定するような、名前通りのところだ。

 ラメールでこの海に近づく者はいない。血のように真っ赤な海を見れば、誰だって気味が悪いと思う。そこに入ろうだなんて誰も思わない。断崖絶壁に囲われた緋色の海には、凶暴な鮫が棲息しているのだ。海に落ちればすぐに無数の鮫が群がる。落ちた者の骨一つも残さず食われてしまう。

 緋色の海がいつから赤いのか、それとも最初からずっと赤いのか。それは誰も知らない。だが、その海の色は、そこに落とされた者たちが流した血だと言われている。


 堕海の刑とは、この緋色の海に落とされること。ラメール王国で最も重たい刑罰だ。


 そんな惨い処刑方法が登場するのが『夜明けのスカーレット』だった。

 私が書いた『夜明け〜』のシナリオは、全年齢対象の乙女ゲームとして発売予定だったのだが、体調不良を押してまで書き上げたのが祟ったらしい。素晴らしい声優陣を迎えた豪華フルボイスで、美麗なスチルと背景のCGイラストをとても楽しみにしていたのだけど、私は発売を待たずにぽっくりと逝ってしまい、惜しくもそれが遺作となってしまった。

 享年、三十五歳である。どうか無事に発売していることを祈る。


 せっかくだから、シナリオの内容についてもっと触れようか。


 『夜明け〜』の物語はラメール王国の首都にある、国一番の学び舎──聖ポセンディア学園で紡がれる。

 聖ポセンディアは、庶民から王族までと幅広く生徒を受け入れしている学校で、そこでは生まれや階級など一切関係なく、平等に扱われる。主人公はそこに通うごくごく普通の一般家庭出身の三年生だ。

 純粋で真面目で困っている人を放っておけない──そんな主人公に一目惚れした王子が、全校生徒の見ている前で求婚するところから物語は始まる。

 学園内において立場は関係ないとはいえ、相手は国の王子。一般庶民の自分が王子の婚約者だなんて畏れ多い。そう言って最初は断ろうとするが、諦めずに自分を知ってほしいと物腰の柔らかい王子と接するうちに心を惹かれ──主人公は王子の求婚を受け入れる決意をするのだが、ある日突然騎士団に逮捕されてしまう。


 罪状は、レジスタンスのリーダーとして、クーデターを目論んだ罪。


 実は昨今のラメール王国の情勢は悪化していた。というのも、数年前に王妃が亡くなってから王様が圧政を敷き始めたのだ。

 それまでは、国民を想い誰よりも国を愛する人だったというのに。まるで人が変わったように、重税を課し、反抗する者を全て罪人にして見せしめのように刑に処すようになってしまった。地方の村は寂れ、貧富の差は広がるばかり。王様の変貌ぶりにつられるように、領民を酷く扱う貴族も現れた。

 王都の治安も悪化し続ける一方だった。


 そんな情勢に主人公も嘆いていたが、レジスタンスに所属もしていなければ国家転覆など目論んだこともない。むしろ王子と結婚することによって、国を内側から変えられるかもしれないと夢を抱いていたくらいだ。

 王子の後ろ盾もあってなんとか釈放された主人公だったが、疑いが晴れた訳ではない。このまま疑われ続ければ、遠くない未来に自分も刑に処されるかもしれない。

 そうならないために、主人公は王子を始めとする攻略対象──歳下の幼馴染、商会の息子や騎士団長などの協力を経て、自分に冤罪を着せた犯人を見つけるべく動き出す。


 エンディングはもちろんマルチ方式だ。主人公はルート次第では合計三種類のエンディングを迎えることになる。


 まず一つ目は、ハッピーエンド。

 主人公に罪を着せたのが、王子との結婚を狙っていたとある伯爵家の令嬢だったことを突き止め、彼女の罪を暴き、断罪する。令嬢は罪を認め、国家反逆の重罪人として堕海の刑に処され、主人公は絆を深めていた攻略対象と結ばれ、国を良くするために手を取り合うことを夜明けの海に誓うところで終わる。

 このエンドでは、王様の変貌の謎など様々な伏線が回収されないまま終わってしまう。

 だが、全ての攻略対象のルートを解放することで、トゥルーハッピーエンドに到達することが出来る仕様になっている。

 それが二つ目のエンド。そこで、王様の変貌が緋色の海から上がってくる悪魔の仕業であることを突き止め、悪魔を祓い、国を恨んでいた令嬢も救われる。王は改心し、王座を王子に明け渡し隠居する。国は元の豊かな国の姿を取り戻し、主人公も攻略対象と幸せな家庭を築き大団円って感じだ。


 残るもう一つのエンドは、バッドエンド。

 バッドエンドの展開は複数あるが、どれも主人公が冤罪を晴らせなかったことに起因するものだ。一番最悪なのは、令嬢に罪を着せられたまま、攻略対象も奪われ、断罪されて刑に処される展開だ。これはある程度令嬢の罪の証拠を集められていたのに、終盤でのイベントで令嬢の断罪を失敗してしまうと到達するエンドだ。

 主人公は悔しさを胸に抱えたまま緋色の海に落とされてしまう。


 ────ところで、今私の前には赤い海が広がっている。

 プランクトンの異常増殖で発生する赤潮とかなんかではなく、見せてもらった背景イラストと同じ風景が目の前にあるのだ。

 断崖絶壁に囲まれた緋色の海。それを一望できる、細い木製の足場の上に私は立っていた。

 足元には、両開きの戸。そこが開かれたらもちろん海へと真っ逆さまだ。


 ────そう、死んだはずの私は、自分が書いた『夜明けのスカーレット』の世界に転生していた。

 しかも前世を思い出したのが、ついさっき。刑に処される寸前という最悪なタイミングでだ。


 そして私は主人公の立場ではなく、令嬢の立場。

 とっくの昔に断罪は終わり、刑の宣告を受けたばかり。あとは執行を待つだけ。


 つまり、今はハッピーエンドルートの終盤なのだ。


「チェルベニー・ルヴァイン、最後に言い遺すことはあるか」


 背後から、威厳に満ちた声が聞こえる。ラメール国王陛下の声だった。

 チェルベニー・ルヴァインというのが令嬢の名前であり、今の私の名前だ。


(言い遺すこと……? そんなのたくさんある)


 書きたいシナリオはまだまだあった。書くだけ書いたプロットもたくさんある。『夜明けの〜』だって、好きな声優が声を当ててくれることになったと聞いてとても嬉しかったのに。

 いつか商業では出せないような、私の性癖をたっぷり詰め込んだ私による私のための自作乙女ゲームを作ってみたかった。

 十八禁の乙女ゲームのシナリオだって、書いてみたかった。


 でも、それはもう言っても仕方がない。

 だって前世のことだから。今更何を言っても、手元にプロットのデータが入ったパソコンもない。ここは私のいた世界ではないから、ゲームも作りようがない。


 言うべきことは、現世でのこと。

 私がチェルベニーとして生きてきたこれまでのこと。


 ────私のチェルベニーとして生きてきた記憶が正しければ、私は無実である。



「わたくしは──」


 ここでチェルベニーは、懺悔の言葉を言い遺し自ら飛び降りる──それが私の書いたシナリオだ。全てその通りに事が進行しているならば。


「わたくしは、何もしておりません。全ては彼女──ヴァイシュ・ブランシェ様が企んだことです」


 私の言葉は、シナリオにはない。断罪された時に罪を認めているはずのチェルベニーは、ずっとそれを否定し続けている。

 刑の執行を見届けようと王族に混じって参列している、プラチナブロンドの彼女の方を振り返る。

 シナリオ通りなら、私から冤罪を掛けられる立場の人。この『夜明けのスカーレット』の主人公だ。


 だけど彼女は、私に罪を押し付けた。

 ──立場が、逆転しているのだ。


「国王陛下、彼女の言うことは真っ赤な嘘です! あの日、私が突きつけた事実が証明しています!」

 

 誰も彼もがヴァイシュの言葉を信じ、私の言う話を誰も聞いてくれない。彼女が私に突きつけたものは全て偽物なのに。そのことに誰も気づいていない。

 これが本当に『夜明けのスカーレット』の世界なら、どうして私のシナリオ通りに事が進んでいないのだろう。

 彼女の瞳に、赤い色が走る。

 ──前世を思い出した今なら分かる。彼女に悪魔が取り憑いているのだ。


 しかし気付いたところで、私に悪魔を祓う手立てはない。

 今頃気付いたって、もう遅いのだ。ハッピーエンドルートでは、全ての伏線は回収されない。つまり、この場にいる誰もが悪魔の存在をまだ知らないのだ。


「重罪人を、海に堕とせ!」


 せっかく生まれ変わったのに、もう終わってしまう。

 足元が開かれて、浮いたような感覚がしたのも束の間。私は落ちていた。


 赤い海面の下に多数の魚影が映っていた。その影の正体を知る私は素直に恐ろしく感じる。

 餌が落ちてくる気配を既に察していたのか、もう鮫が集まってきていた。


 私は何故この世界に転生したのだろう。

 神の導きだったとしたら、神は一体何がしたかったのだろう。

 前世の記憶を思い出させても、最悪なタイミングではもう取り返しがつかない。


 前世ではぽっくり逝って、今世では冤罪を着せられて惨たらしく死ぬ。前世の未練も消化できず、今世で抱いた悔しさも晴らせずに。

 なんて、最悪なのか。


 足先が水面に触れて、次の瞬間には私の身体は全て赤い海に沈んだ。どぶん、と激しく飛沫を舞い上がらせて。


 ごぼごぼと水泡が目の前を浮かんでいく。

 数多の鮫が、私のすぐそばを泳いでいた。


 ──なんて恐怖だ。

 これがパニック映画ならハラハラするくらいで済むが、これは現実に起きていること。

 すぐそばにまで迫る死に、私は震えていた。イタチザメだが、ホホジロザメだか、種類は分からないが、私を囲う鮫が大口を開けて一斉に突進してくる。


 私が書いたシナリオでの令嬢は死を受け入れていたが、果たしてこの恐怖まで耐えられたのだろうか。

 私はこんな恐怖、知りたくなんてなかった。

 鮫たちが目前に迫る。


 ──だが、私の知らないシナリオはまだ続いていた。


 大きな鮫が私に群がる鮫たちを遮るように目の前を通り過ぎる。


 ────いやいやいやいや。ちょっと待って。


 予想外の事に、混乱がまた混乱を招く。

 こんな巨大な鮫がいるなんて、知らない。本当に知らない。

 私が考えた緋色の海の設定は、確かに凶暴な鮫がいるとしてるけども、こんな鯨ほどの巨体を持つ鮫がいるなんて考えてない。架空の世界だからこそ、こんな巨体がいるのかもしれないが、私はこんなの考えていない。

 私が考えたシナリオでは、無数の鮫が令嬢に食らいついている。──よく考えれば惨すぎるな。


 ああ、でも。

 無数の鮫に身体を貪られて死ぬより、こんな巨大な鮫に一飲みにされる方が良いのかもしれない。

 緋色の海に落とされた以上、どのみち鮫に食べられて死ぬという事実は変わらないのだから。


 巨大鮫が、巨体をしならせて水中を曲がる。

 頭が向いているのは、私。巨大鮫は明らかに私を狙っていた。


 痛い思いをするよりはいいやと、私は諦めた。

 もしかしたら、また別の人生が始まるかもしれない。一度転生出来たなら、二度目もあっていいだろう。それに期待しよう。

 どうぞ、ひと思いにやってくれと私は身体を開いた。


 ──いや、ちょっと待った。

 私はあることに気付いた。


 平たい形の頭。その身体に描かれた斑点。

 待って。あれの主食ってプランクトンじゃないの?

 イワシとかの小魚とかだよね。人は食べないはずじゃないの?


 ねぇ、ジンベエザメってそうじゃなかったの────?


 本当に、一瞬で飲み込まれた。

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