第三話
先週の投稿直後、自転車のブレーキが切れました。
屋上の中央に再び集まると、ノルが隅の方から椅子を持ってきた。屋上で食事を取ることもあるので、テーブルや椅子などがある程度揃っている。テーブルは折りたたみ式だが、椅子だけあればいいと思い、人数分をクレイヴとアシドに用意させた。
全員が円を組むようにして座る。
ノル、クレイヴ、ロイ、リシータ、アシド、カルラの順だ。
「じゃあ、自己紹介でもしようか」
リシータが切り出した。ノルもそのつもりだったのだろう。頷くと、最初に自分が立ち上がった。
「ノル・イシュビア。今年で二〇になるから、お酒が飲めるわね。Sクラスの四年生で、Dチームのリーダーをやっているわ。よろしく」
「えー! ちょっと短ーい! 新入生へのアドバイスとかあげないのー?」
リシータの抗議の声が上がり、座りかけた腰を再び浮かせ、新入生二人に微笑みかける。
「わからないことがあったら、いつでもリシータに何でも訊くといいわ。あのとおりお喋り好きだから」
静かな口調だったが、『いつでも』の部分を強調し、ノルは座った。
「ぐふっ。ちょいとノルさん? そういうのはリーダーが率先して……」
「次、クレイヴ」
リシータの抗議を華麗に無視すると、ノルは自己紹介のバトンを隣のクレイヴに渡した。クレイヴは面倒くさそうに立ち上がると、誰にも視線を合わせず、虚空を見つめて口を開く。
「二年、クレイヴ・ケーニッヒ。歳は一七」
「みーじーかーいー!」
三度沸き起こったリシータの抗議だが、クレイヴは鼻で笑って無視した。まるで相手にする必要がないと見ているようだ。
リシータはそんな態度を取られても、それほど気分を害したりはしていないらしく、ちょっと唇を尖らせてぶつぶつと文句を言い始めた。
「まったく、最初の二人が無愛想な人だから、みんな困ってるじゃない」
彼女の指摘はもっともだ。順番的に次に自己紹介をするロイは、どういうテンションで始めようかと迷っていた。二人に合わせるか、それともいつもどおり軽めでいくか。結局、彼は後者を選んだ。
「……ロイ・ステンスです。Cプラスで入学しました! 特選にはずっと興味があったので、光栄に思います。俺は結構強いんで、みんな、期待してください!」
それから、クレイヴの方を見て、
「いきなりナイフ投げつけてきた先輩がいますけど、みんないい人そうなので安心しました」
含み笑いがあちこちから聞こえたが、肝心のナイフを投げた先輩はよそを向いていて、話に関心がないようだった。彼は村の方を見て、別のことを考えているらしく、リシータに何度も呼ばれているのに気づかなかった。だが、一度ノルが肘でつつくと、はっとして彼女の方を見る。
「自己紹介のときくらい、話を聞きなさい」
仕方なく、という感じで視線を向けたクレイヴは、不機嫌な表情を隠そうともしない。
ロイの次はリシータだったが、もう彼女の自己紹介は終わってしまっていた。もっとも、リシータは新入生ではないので、二人だけに紹介できればいいのだが。
カルラに自己紹介が代わると、場の空気が変わった。あるものは好奇に、あるものは不安に……。ノルは表情すら変えなかった。アシドとロイは期待しているような視線を向け、リシータは拍手喝采で、クレイヴは睨んでいる。
注目が集まって、カルラは俯いた。そして小さな声で話し出す。
「カルラ・シンゲルです。弟が去年、ここに入りました……。私は弟ほど強くはないですが、頑張っていこうと思います」
「初々しいぃ〜! きゃわいーぞー!」
リシータがはしゃぐ。
彼女につられたのか、アシドも拍手を始めた。カルラが座ると、最後のアシドが立ち上がり、新入生二人を……主にカルラに向けて、自己紹介を始める。
「アシド・ゲンブルでーす。Dチームサブリーダーやってまーす。ランクはBですが、もうすぐプラスに上がる予定でーす。どうぞよろしく」
なるべく温和に見せようとしているのだろう。微笑みや語尾を延ばすといった口調を使いながら、話しやすさをアピールしているようだった。
リシータが口笛を吹いて拍手をし、カルラも軽く手を叩いた。
全員の自己紹介が終わり、ノルが新入生二人に切り出す。
「さて、何か質問はあるかしら? 少しでも心配事があったり、訊きたいことがあれば訊いた方がいいわよ」
ノルの言葉を受けて、ロイが恐る恐る手を上げた。カルラは何を質問すればいいのかわからないらしく、眼を白黒させて周りを見ていた。
「どうぞ」
指されたロイが立ち上がる。彼はクレイヴを見て、そしてノルを見て、口を開く。
「チームで一番強い人と、軽く手合わせしてみたいんスが、誰になりますか?」
一瞬、メンバーが沈黙する。だがすぐノルは悪戯っぽい笑みを浮かべると、いつもどおりの静かな声で語りかける。
「誰だと思う?」
「さあ。ノル先輩かアシド先輩じゃないスか?」
名前が出たせいか、アシドが口を挟む。
「ノルさんだろ、ここは」
「そうだねー。ランク一番高いし」
リシータも同意したが、ノル本人は頭を振り、それを簡単に否定した。そしてロイを真っ直ぐに見つめると、偽りのない強い口調で断言する。
「クレイヴよ」
その言葉で、またメンバーは沈黙する。彼女が本気でそういっているのが誰にでもわかった。
クレイヴを見ると、驚いた表情を浮かべることはなかったが、ため息をついていた。一番強いと指名された本人は、苦笑し、ロイの視線から逃れるようにして椅子から立ち上がると、一同から距離を取った。
「まさか。勝てる気がしないよ」
「それは当然よ。だって、あなたは私に勝つ気がないんですもの」
「…………」
クレイヴは否定しなかった。しかし、肯定もしなかった。
クレイヴが強くなろうと思い、工夫をし始めた切っ掛けはノルとの戦いに敗れてからだ。しかしその成果を試そうとしたことはなく、ノルという存在はクレイヴの中でずっと目標のままである。
ノルが指摘しているのはそこだ。彼は、目標を失うのを恐れている。彼女はそう思っていた。
「クレイヴ、あなたは私に勝つのが怖いんでしょう? 強くならなくちゃいけないのに、目標が見えなくなるのが怖いのよ。空想の中で最強の私を作って、勝手に戦って負けているだけ。そうじゃなかったら……」
「違う!」
言い返さないクレイヴの代わりに、ノルの言葉を否定したのはアシドだ。
「前は、ノルさんが勝ったじゃないか。クレイヴはあっさり気絶したけど、ノルさんはしっかり意識を持っていただろ」
「それは一年前の話じゃない。それに、傷自体は私の方が深かったのよ」
「気絶した方が負けに決まってる!」
まるでアシドの言葉は、クレイヴをナンバーワンにしたくないかのようだった。ノルは感情的になりだしているアシドを一瞥すると、ため息をついて立ち上がる。今日はみんなため息が多いな、と思いつつ、ロイを見た。
「……私が一番、ということらしいわ。やる?」
「是非」
ロイが拳と拳を打ち合わせた。二人が中央から離れ始めると、リシータがそそくさと椅子を片付け始める。カルラは状況が飲み込めていないのか、眼を白黒させて二人を見ていた。
アシドは腕を組み、結果を見守る腹のようだ。
クレイヴは相変わらず村の方を見ていたが、観念したかのようにやがて二人に向けて歩き出す。
「僕がやる。軽く本気で行くけど、後悔しないよね?」
「光栄ですよ。歴代三位の早さでAランクに昇格した先輩とやれるなんて」
「……今はAプラスだから」
ノルの前に割り込み、クレイヴは両方の腕輪を彼女に渡した。
「殺さないでよ」
それだけ言うと、ノルは腕輪を持って残りのメンバーの所へ駆けて行った。
彼女が距離を取ったことを確認すると、クレイヴは左右の剣を抜く。
「ロイ、得物は?」
「俺の得物はこの脚スよ。たまにバグナウも使いますが」
「使える得物は多く持つ。これが僕のモットー」
「立派なモットーで。しかし、得物にも時と場合の相性がありますから」
コツ、コツ、コツ。
ロイが屋上の床をロングブーツの爪先で叩くたび、硬い物同士がぶつかる音が響いた。その靴は戦闘に特化したバトルブーツのようだ。外見ではわからないが、鋼鉄が仕込まれているのだろう。
「それでナイフを弾いたんだ。ブーツ全体が武器ってわけ」
「最後の二本、先輩……当てる気で投げたでしょ?」
「だったら?」
クレイヴは左手の剣を逆手に持ち替え、小指の方から刃が出るようにする。
彼は、常に相手によって剣の持ち方を変えていた。右手は順手で、左手は逆手で。逆手になると、普通の握りに比べてより近くから斬撃を繰り出すことができる。
ロイは腰を軽く落とし、右手を握り、顔の前に近づけた。大きく息を吸い、そして……。
「俺も本気で当てますよ」
右手を振り下ろした瞬間、カルラが「あっ」と声を漏らす。
クレイヴの眼には、歪んだ空間が自分に接近してくるように見えていた。複数の歪みが正面から接近している。
彼は避けるでもなく、当たるでもなく、左右の剣を振るってその歪みを破壊した。ロイは歪みの後方から疾走してくる。なるほど、当たっても当たらなくても、本命は自慢の脚技なわけだ。クレイヴは軽く笑みを浮かべる。
歪みと刃が交差すると、刃物同士がぶつかるような感覚が腕に伝わってきた。
(かまいたち……)
どうやら、ロイはかまいたちを出現させる能力を持っているようだ。一個一個の威力は大したことはないが、それが複数同時に迫ってくるとなかなかに脅威だ。
最後のかまいたちを処理すると、クレイヴの眼前でロイが身体を捻っていた。その勢いのまま回転し、強烈な蹴りが彼の眼前に迫る。
上半身を後方に反らし、回避しようとするが、ロイは軸にしていた左足で軽く跳躍し、距離を詰めた。
当たった。
確かに、当たっているのだ。
「手応えがない……!」
ロイの表情が驚愕に歪む。
自分の蹴りは確かに当たった。しかしまったく手応えがない。ロイはそのままクレイヴの顔を貫き、床に脚をつき、今踏み越えたクレイヴを見た。まるで靄を掴んでいるように実体がない。だがすぐ側面に、本当の彼の存在に気づいた。そして左手の剣が、自分の首筋から一センチほど離されていることにも。
「……参りました。さすがス」
横目でクレイヴを見ながら、ロイは両手を上げる。
クレイヴもゆっくりと剣を降ろし、ふっと肩の力を抜いて鞘に納める。
ロイには、さっきまでクレイヴが二人に見えていた。もちろん本物は一人だろう。おそらく蹴りの寸前に入れ替わり、真横に移動していたのだ。
遠くから一部始終を見ていたカルラが、アシドに恐る恐る尋ねる。
「さっきの……魔力で構築した偽者?」
「ああ、クレイヴの力か。あいつはそういう系の能力らしい。気配も音もある自分の幻影を相手に見せる、卑怯な技さ。よくわかったね、さすが特選にくるだけはある」
アシドがカルラに向けて微笑み、褒めた。
カルラは恥ずかしそうに俯くと、戻ってきた二人を見る。ロイは悔しそうだったが、しかしどこか吹っ切れたような顔をしていた。クレイヴは、相変わらず不機嫌だった。
「勝手に人の能力をベラベラ喋るな、馬鹿」
アシドとすれ違いざまにそう呟いた。するとカチンときたアシドがクレイヴのコートを掴み、後方に引っ張る。その瞬間、コートの内側でクレイヴの右手が剣の柄に伸びていた。アシドはただ文句を言われ、彼を止めただけだったが、それだけでクレイヴにとっては剣を抜くに値することだったのかもしれない。
「チームメイトに能力説明して……」
アシドの言葉は、クレイヴに聞こえていない。いや、聞こえていても無視しているのだ。
本気で斬りつけようとしているのが、ノルにはわかった。そして刃が半分ほど抜けたところで、クレイヴの腕が止まる。
「……悪いのかよ。状況次第じゃ、誰の能力が有効か考える手段になるだろ」
ロングコートに隠れていたからだろう。アシドは、クレイヴが剣を抜きかけていることに気づかないでいた。もし抜けていれば、彼は容赦なく斬りつけられていたはずだ。しかも、今のクレイヴは腕輪による能力制限を受けていない。アシドが致命傷を受ける可能性は大だった。
クレイヴは、自分の腕を見る。そこには、自分の動きを止めた原因があった。
腕に絡まっていた細い紐状の物体を目で追うと、ノルが静かな怒りの眼差しでクレイヴを見ている。
アシドは自分が救われたことに気づかず、クレイヴに意見する。
「どうなんだよ、クレイヴ。仲間に紹介して不都合あるか?」
「仲間?」
カルラを一瞥し、鼻で笑い飛ばすと、クレイヴは剣を鞘に納め、生地を掴む腕を払いのけた。アシドを一睨みし、一瞬だけ目が合ったノルの横を足早に通り過ぎ、何事もなかったかのようにして扉に向かう。
屋上の扉が、クレイヴを飲み込んで大きな音を立てて閉まった。
「ったく、あいつさえいなければこのチームは最高なんだが」
アシドの呟きは、カルラに対して向けられたものだった。クレイヴを頼ったりするな、あいつは危険だと、暗に訴えているのだ。
カルラも、アシドの言葉を信じかけていた。自分を仲間と見ていないような発言に、少なからず傷つけられたし、理由のわからない苛立ちの眼差しを、なぜ向けられなければならないのかと、焦っていた。
こんな状況は初めてだった。カルラは、その容姿と家柄、そして気の小さい温厚な性格から、自分から何もしなくても周りが助けてくれ、やるべきことを教えてくれた。誰もが優しく接してくれたし、自分は微笑んで礼を言えば、相手は満足してくれた。力がないのだから、その分周りが助けてくれたのだ。
だが、クレイヴだけは例外だった。彼は一目見た瞬間から、自分を毛嫌いしていた。理由はわからない。何か悪いことをしたのかと考えたが、思い当たらなかった。
「あんまり、クレイヴのことは気にしなくていい。もし何か言われたり、されたりしたらすぐ俺に言ってくれ」
カルラの視線の先には、頼もしい表情をしたアシドがいた。彼女は頷き、そして微笑んで礼を言った。
対照的なのは、ロイだった。彼は負けた後、すぐに明るい表情を見せて興奮していた。
「クレイヴ先輩って、滅茶苦茶強かったんスね! いいなぁ、俺も……もっと強くなりたいな!」
それを聞き、リシータが笑いながら言う。
「いやいや、努力なんてレベルじゃないよ。クレイヴは天才だから。天才の上に、この一年間隠れて努力していた人間だから」
「へえ! 天才で努力家なんですか! カッコイイですね! どんなトレーニングか、知ってます?」
「彼の場合、実らない努力を嫌うから、本当に命懸け。絶対に効果が出るトレーニングは、その分危険も大きいからね」
だからオススメしないよ、とリシータは言った。
しかしそれでもロイは知りたがった。彼は自分が目標とする人間の登場に心躍らせていた。今まで自分はかなり強いレベルに達していると思っていたが、まるで相手になっていない。それは悔しいと同時に、感じたことのない向上心を抱かせた。
追求されるリシータは、言っていいのかという視線をノルに投げかける。それに気づいたノルは、クレイヴが忘れていった二つの腕輪を人差し指でくるくる回しながら、
「これ、あの子に届けてくれない?」
それは、本人に訊けと言っているようなものだった。
ロイもそれを察して、ノルから腕輪を受け取ると、足早に屋上を後にした。
「……いいのかなあ?」
ロイの後姿を見ながら、リシータがノルに尋ねる。
「クレイヴ、きっと村の方に行ったんですよ」
アシドもリシータの言いたいことがわかっているらしく、ロイを行かせたノルの考えを疑っているようだった。
肝心のノルは、ふっと笑みを浮かべると、ショートヘアーを後方に払った。
「さあ? 何のことかしら?」