第十六話
ノルが受けた任務は、森の中に縄張りを持つ獣人の排除だった。
一行は、村人に提供されたコテージで戦闘準備を始める。ここに来るまでの間、森は静かだった。獣人は複数で行動し、顔は狼のそれで、身体は人というよりサルかチンパンジーのようと言われているが、見かけなかった。
「猩猩というのも考えたけど、人を積極的に襲うことから違うわね。いい? 全員聞いて」
ノルがランプに火をともし、テーブルの上に地図を広げる。
「私たちはここ、つまり縄張りギリギリ外にいるの。正面は森に続くけど、背面は舗装路だから、彼らは正面からやってくるはずよ」
きこりが小休止のために作ったコテージなので、食料は各々持ち込まなければならない。正面にそびえる森は、ほぼこの獣人の縄張りとなってしまったらしく、村人も仕事がはかどらないようだ。
小さな村にとって、それは死活問題である。
「一人で行動しないで。いい? 絶対に二人以上で動くの」
コテージの外にいるのは、ロイとリシータの二人だ。縄張りの外だといっても、久しぶりにやってきた侵入者に変わりはない。いつ攻撃されてもおかしくないだろう。
残りは中にいて、作戦会議である。
「集団で動く獣は、ボスを仕留めれば統制が崩れ、散り散りになることが多いわ。オフェンスとディフェンスを決めて……」
そういいかけたとき、リシータの声が響き渡った。瞬間、窓から一匹の蝙蝠に似た生物が突入してきた。
「きゃあああああっ!」
カルラが悲鳴を上げる。その声に苛立ったクレイヴだが、素手で彼女を襲ってきた蝙蝠を叩き落す。再び上昇しようとしたそれは、しかしエリンによって背中を足で押さえつけられた。
「可愛い悲鳴上げちゃって……」
くすくす、と小さく笑い、カルラを見るエリン。
足元でじたばた動く蝙蝠もどきは、頭部の部分が狼に似て、さらに手足もチンパンジーに近かった。羽があることを除けば、目撃証言と一致する。
「キャットフライの一種かしらね」
本来は翼の生えた猫に近い種族だが、これは狼だ。
「ウルフフライ、って感じ?」
破壊された窓からリシータが顔を出し、外を指差す。そこには、何十匹ものウルフフライが空を飛んでいた。
その真下で、ロイが懸命に戦っている姿が見える。バグナウと脚を上手く使い、数で圧倒する敵に対して、一歩も引いていない。
「クレイヴ、カルラの面倒を見なさい」
「……嫌だ。アシドに任せればいいじゃないか」
そんな二人の会話を聞いてか、アシドがカルラの手をとって外に出ようとした。しかし、ノルが呼び止め、逆にクレイヴに向けてカルラを突き飛ばす。
「何も変わらない状況に、うんざりしているの」
一番の敵対関係にある二人を、少しでも親しくさせたい。ノルはそう考えた。戦場では、友情が急速に加速する。何年も一緒にいた人間よりも、ほんの数日の間、命をかけてともに戦った人間同士のほうが、打ち解けるのが早いのだ。
ノルは期待していた。その効果に……。アシドのことは後回しでいい。彼には実力がある。しかし、カルラにそれはない。
「外に出て!」
ノルの指示によって、アシドが先頭でコテージを飛び出す。クレイヴも渋々といった感じでカルラの手を引く。
「死にたくなかったら、黙って僕の言うことを聞くんだ」
「え……?」
カルラは驚いた。クレイヴのことだから突き放されると考えていたのだ。自分の身は自分で守れ、という言葉を想像していた彼女は、クレイヴが守ってくれることを知って喜んだ。
だが、その表情を見て、クレイヴは視線をそらす。
背負ったトゥハンドソードを抜き、長い鞘を投げ捨て、ほとんど片手首だけを動かして自分に向けて急降下してきたウルフフライを真っ二つにする。あまりの衝撃に血が大きく飛び散り、後方にいたカルラにかかる。
「ああっ!」
彼女の悲鳴を無視し、クレイヴは左手でカルラの手を引き、右手でトゥハンドソードを操り、ロイと先行したアシドに合流しようとする。
「ふふふふふ……」
不気味な声が右から聞こえた。
カルラがそちらに眼をやると、エリンが自分の身長を超える大鎌を振り回し、三六〇度の敵に一人で対応していた。回避行動はなく、尋常ではない引き戻しの速さのおかげで、大振りの武器にも関わらず隙がない。
「あはははははは……」
表情は、どことなく呆けていそうなものだったが、エリンの行動は不気味であると同時に、とても頼もしく感じられた。ウルフフライがどんどん切り刻まれていく。彼女は独りで戦列の外にいた。群れから離れた獲物は狙われやすいが、エリンはハズレのようだ。
エリンの特殊能力は、リターンと呼ばれるものだった。自分の身体の状態をある程度まで戻すことができる。彼女はそれを応用し、一瞬前の振り被った状態に身体を戻し、再び攻撃しているだけなのだが、それだけでも脅威だった。
さらに、身体の疲労でさえもリターンするため、連続的な能力使用は、無限の体力を供給する。代わりに魔力を消費するが、最高で数分前まで状態を戻すことができるエリンにとって、一秒や二秒のリターンは大したことではない。
だが、外部から与えられたダメージはリターンすることができない。攻撃を受ければ怪我もするし、水がかかれば濡れたままだ。内部の状態に関してのみリターンできるのだ。
ノルとリシータは、コテージ付近で戦闘をしていた。リシータの遠距離からの援護を助ける形でノルがいる。近距離戦に弱いアーチャーのリシータを守らなければ、彼女の活躍は難しい。
アシドは、上手く足を使って有利な位置を探し、常に相手を正面から見るようにして戦っていた。メンバー中、腕力が一番あるアシドの攻撃は、遠心力を利用したクレイヴのトゥハンドソードに匹敵する威力を持っている。
グラディウスによる攻守と、アシドの力は相性がよく、彼もこの戦いには問題ない。
「きゃあああっ!」
問題があるのは、彼女だけだ。クレイヴは舌打ちし、脅威を察したため左手でカルラを突き飛ばす。
だが、彼女はなぜか素直に倒れ込まず、脚を突っ張って踏ん張ってしまった。クレイヴの力加減が上手くいかなかったのか、それともカルラがこのときに限って絶妙なバランス感覚を発揮したのかは定かではない。しかし彼女の右前方から、巨大なウルフフライが襲い掛かる。
クレイヴからは、カルラが邪魔で攻撃できない。倒れてくれていれば……。
「どけ!」
トゥハンドソードを振り被り、カルラを飛び越えようとクレイヴが走る。指示がカルラに聞こえていないことは明白だった。彼女は自分の危機を伝えるための悲鳴で精一杯なのだ。間に合うかどうかという場面だったが、彼は間に合わないと判断し、コートの内側に手を入れる。
ナイフを二本、指と指に挟んで投げる。
本来、クレイヴの利き腕は右だ。それを走りながら、しかもカルラを超え、雨が降っている中での投剣である。いくら練習をつんだクレイヴとはいえ、悪条件が揃いすぎている。
二本のうち一本がカルラの肩に刺さった。もう一本はウルフフライの胸に刺さったが、小さなナイフ一本で致命傷を負ってくれるほど軟弱ではない。怯みこそしたが、ウルフフライはカルラの腕を噛み、そのまま持ち上げた。
絶叫が響き渡る。
「カルラさん!」
アシドが駆け寄ってくるのが見えた。クレイヴは腕輪を外し、彼に向けて疾走する。そして交差する手前で飛び上がり、アシドの肩に足を乗せて一段階高く飛んだ。
届く……。
「シィッ!」
気合とともにトゥハンドソードを振り下ろそうとする。だがウルフフライは身の危険を察し、咥えていたカルラをクレイヴのいる下方に向けて離した。この距離なら絶対に殺れる――。
だが、クレイヴは剣を止めた。このまま振り下ろせば、彼女も死ぬ。
不安定な体勢での落下だ。カルラは自分で身体を立て直すことができない。クレイヴは彼女を抱き抱え、一緒に着地しようとした。
だが、ここで大きな誤算が生じる。
「やああああっ!」
助かったことに気づいていないらしいカルラが、クレイヴの腕の中で暴れる。さすがのクレイヴもトゥハンドソードを片手に持ち、カルラを抱えている状態ではバランスが取れない。
「くそっ!」
頭から落下することだけは避けたい――。
背中を丸め、トゥハンドソードを離し、右手で頭を抱える。その瞬間、背中に衝撃が走った。
「かはっ……!」
肺の中にある空気がすべて口から吐き出され、呼吸困難を起こす。全身に力が入らない。胸の上では、カルラが荒い息を落ち着かせようとしている。
クレイヴはカルラをどけようとした。しかし眼が霞み、腕には少女一人突き飛ばす力も入らない。触れて押すが、彼女はクレイヴを見ただけで、どこうともしない。彼がそんな状態だと知らないのだろう。
「ギィィィィ!」
ウルフフライがまた襲ってくる。やや離れた所で大きなウルフフライが上空を旋回しているが、彼が群れのボスだろう。まだ獲物を諦めていないようだ。
「カルラさん、大丈夫か!?」
アシドが駆け寄ってくる。クレイヴにとって、珍しくアシドがありがたく思えた。早くこの役立たずをどけてくれ! 叫びたかったが、息を吸うことすらままならないため、掠れたような声しか出ない。
アシドがカルラを立たせ、その後、上空を見上げてすぐに彼女と真横にとんだ。そしてウルフフライがやってくる。目標を逸れたウルフフライは、倒れたままのクレイヴの上に降り立ち、喉元に噛み付こうとした。
力の入らない腕を首に持っていき、それを噛ませる。そして、ようやく大きな一呼吸を終えた。身体の機能が正常に戻ってきた証だ。
苛立ちをウルフフライにぶつけるように、噛まれた腕をそのまま地面に叩きつける。小さな肉片が飛び散り、ウルフフライは絶命した。
そんな彼の背後から、トーンの低い少女の声が聞こえる。
「ふふ。珍しく無様な格好ですね」
「うるさい」
声の主に目もくれず、クレイヴは左右の腰から剣を抜いた。
ノルの周りに一番死骸が多い。リシータの仕留めたものもいるだろうが、それにしてもさすがだ。クレイヴは無表情でウルフフライを切り刻む彼女を見て、誇らしく思えた。手元から伸びた鞭のような刃は、変幻自在の攻撃力を発揮し、遠距離はリシータに任せている。
彼女に負けず、左右の剣を振り回し、迫り来るウルフフライを台本があるかのように斬っていく。クレイヴが正常な力を取り戻し、遅れを挽回するために戦い始めた。
ときどき、彼はショートソードを口に咥え、投げナイフを取りだして後方に向けて放った。ナイフの刃先は、まったく脅威に気づかないカルラを狙う獲物に突き刺さり、その数は五体を超え、まだまだ増えていく。
カルラは、アシドの側で縮み上がっていた。悲鳴をあげ、彼の背中に隠れている。アシドはそれで満足そうで、自分が彼女を守っていることに快感を覚えているようだった。
「先輩! ご無事で!」
背後に飛んできたロイが声をかける。
「先輩のことだから、カルラさんごとヤツを斬るのかと思っていました」
「……まさか」
「やっぱり、最初はやる気でした?」
一瞬言いよどんだクレイヴの心中を察し、苦笑する気配が背後から感じられた。
やがてロイも再び彼の側から離れる。激戦の中でバグナウが折れかかっていたが、脚は充分に凶器となっている。
クレイヴは真横に向けてショートソードを放った。もうナイフを全部投げてしまったため、投げられる武器が残っていなかった。
この戦いの中、クレイヴがいなければ、カルラ・シンゲルは何度も死んでいる。
だが、彼女はそれを察することはできないでいた。
クレイヴの武器が少なくなったことを察したのか、今まで様子見の状態だったボスが急降下してくる。狙いはやはりカルラだ。アシドは自分とカルラを守るだけで精一杯だが、完全にはカルラを守りきれていない。死角を補っているのはクレイヴなのだから。
それに気づいたのは、クレイヴとノルだけのようだった。
しかし、クレイヴはこの剣を投げてしまえば丸腰となる。カルラのためだけに自分の身を危険に晒すのは御免だと、彼は思った。アシドが何とかしなければ、彼女はやられる。それはそれで仕方ない。ノルの評価を下げることになるが、このまま一緒にいるほうが危険だ。クレイヴはあえてその方向を見なかった。気づかない振りをするつもりだ。
ノルの声が響く。
「リシータ! あれを!」
「うぇっ!? 了解!」
リシータが弓を構える。しかし彼女の放った矢は、目前で別のウルフフライに命中する。もう一発を構えなおした瞬間、カルラの断末魔に近い悲鳴が響いた。
「……またですか。悲劇のお姫様」
エリンが口の端を引きつらせ、フードの下から笑みを溢す。どうやら彼女も気づいていたようだ。
カルラは上空へ抱え上げられ、アシドの真上を飛び越えた。
「クレイヴ! 追いなさい!」
リシータの矢では力不足だと判断したノルは、自分のチームで一番の腕を持つクレイヴに命じた。彼の武器はショートソード一本だったが、トゥハンドソードを拾い上げているのが見えた。
命じられた本人はといえば、一瞬嫌そうな顔をした。しかし、ノルの指示ならば仕方がないといった感じで追いかけようとすると、彼のすぐ側をアシドが駆け抜けた。
ウルフフライのボスは森の中へと姿を消し、周りの雑兵は追撃を防ぐかのように行く手を塞ぐ。ノルとリシータの周りを重点的に襲い、自らがあまり仕掛けないエリン側は数が少ない。
アシドは自分の身よりもカルラを心配しているのだろう。最低限の攻撃だけで、傷だらけになりながらも森に向けて突き進んだ。グラディウスで何匹かは殺せているが、移動に重点を置いているため迎撃が間に合っていない。
「勇者気取りが……!」
アシドが行くなら自分は残ろうか……そう思ったが、ここで二人を見捨てるのは得策ではないと彼は思った。カルラはともかく、アシドは戦力になる。それに、ノルの前でのこのこ戦っていては、彼女の中で自分の地位が下がる。
エリンが動いてくれれば一番いい。しかし気まぐれな彼女は、自分の周りだけにしか攻撃をしない。あくまで、自分の身のみ守れればいいと思っている証拠だ。彼女の力を持ってすれば、クレイヴの代わりは充分務まる。しかし性格上、それは期待できない。
ノルが現場を離れるのは論外だ。指揮官がいなくなった部隊は崩壊する。リシータは接近戦に弱く、ロイは充分な働きを見せているが、飛んだり跳ねたりの動作が多く、一番体力を消耗している。
結局、自分しかいない――。
覚悟を決め、クレイヴは走り出す。左右の長さの異なる剣を振り回し、ウルフフライを切り払いながら、アシドの後を追った。