第十五話
「聞いてくださいよ、クレイヴ先輩!」
屋上で相変わらずエプロンを製作中のクレイヴに、ロイが一枚の紙を持ってきて不機嫌な様子で告げる。
「これ、講義で返されたレポートなんですけどね」
ロイから受け取ると、さらさらっと見てみる。もうクレイヴはロイを邪険に扱うのは、都合が悪いときを除いて控えていた。追い払っても追い払ってもやってくるので、諦めているのだ。
「評価Bって書いてある」
A4サイズの紙の八割が埋まっている。クレイヴだったらここまで書かないだろう。彼はロイの表情を見て、言わんとしていることを察した。端的に言えば、成績が気に入らないのだ。
「そうなんですよ! で、俺のレポートを参考……ていうか、ほぼ写しで提出したカルラ・シンゲルのレポートがAだったんです!」
「よくあること。気にしないほうがいい」
「納得いきませんよ!」
「アドバンテージがあるんだよ。それに、彼女の場合は字が上手そうだしね」
皮肉ったような笑みを浮かべ、プリントを突き返すと、クレイヴは手元の作業に集中した。
ロイは黙って隣に立っていたが、やがてクレイヴに背を向けて屋上から姿を消した。少ししてからクレイヴも裁縫道具を片付け始め、屋上を後にし、自室に戻る。
もうすぐ、出発予定の時間だ。予め用意してあった道具をベッドの上から拾い上げ、背嚢を背負う前に中身を確認する。ちゃんと準備したものだ。それを背負うと、全員が集まっているであろう一階のホールに足を運んだ。
彼は、いつも時間ギリギリにやってくる。
自分が一番最後だろうと思っていたが、カルラの姿だけがない。クレイヴはアシドを見た。まったく苛立った様子がなく、自分に対する態度とは大違いだ。
ロイを見ると眼が合った。彼は苦笑し、近づいてきて、小さな声で言う。
「前回、荷物が多すぎて途中でバテたんですよ」
「で?」
「減らす作業をするよう、俺が言ったんです」
「で、こんなに時間かかってるわけ?」
「俺が帰ったとき、アシド先輩と話してましたよ。前回の失敗を忘れているのか、彼女、同じ重量で出ようとしていたんですよ。また俺に持たせるつもりだったんスかね?」
肩を竦めて、「そんなのは御免スがね」とロイは続けた。
「あの娘の他力本願にも、いい加減うんざりだな」
クレイヴはあえて挑発するように声を大きくし、アシドに向けて言った。ロイは驚き、何を言っているんだこの人は、というような視線を向けた。
当然のように、アシドとクレイヴは睨み合う。
「どこかの誰かが荷物減らせって言ったんだとよ」
アシドがロイに向けて言い放つ。一瞬、むっとしたロイだが、クレイヴが鼻で笑った。
「ハッ。当然の助言じゃないか。誰かに荷物持ってもらうような姫様気取りはいらないね」
「お前、あの娘のこと何がわかるんだ?」
「僕には他力本願なお嬢としか思えないけど、そっちは何かわかってるんだ?」
「彼女はいい娘だし、いいソルジャーになれる」
「どうだか……。そんな兆候は欠片も感じないし、努力もしていない。ナイト気取りはやめたら? 見苦しいよ、お前」
第三者から見れば、クレイヴが悪役のように映るだろう。しかしロイにはわかっていた。アシドを除く全員が、クレイヴと同じ意見であることを。ただ違うのは、クレイヴと違って彼女をメンバーに迎える努力をしているということだ。
ノルは、カルラが溶け込めるよう配慮している。しかしまったく上手くいっていないのは、彼女がアシドに頼りきり、彼が側にいないときは他の誰かに頼っているからだ。
今までずっと頼り切った生活をしていたのだろう。自分の力が最低クラスだと自覚できていない。そのため、努力もしない。
「ちょ、ちょっと二人とも! 今揉めても仕方ないでしょ!」
リシータが声を荒げた。アシドは表情を和らげ、クレイヴに背を向けようとした。だが、
「うるさい。黙ってろ」
彼女の言葉では、クレイヴは引かないようだった。再び睨みあった両者だが、今度はため息と共に、透き通る声が聞こえてくる。
「クレイヴ、その辺にしておきなさい」
リシータの声に比べて大分小さいが、クレイヴの耳には程よく響いた。
クレイヴがアシドに背を向け、アシドは舌打ちする。クレイヴはノルの言葉に、アシドは女性の言葉に対して素直に応じることができる。その両方を持っているのは、チームリーダーの彼女だけだ。
ノルが仲裁し、一応その場はおさまったかに見えた。だが、バタバタとやってきたカルラを見て、クレイヴが苛立ちの収まらない声で告げる。
「お前は本当に何もできないやつだな!」
ロイも同じことを思ったが、クレイヴと違って口には出さなかった。
彼女は荷物を減らしてきたのかもしれない。だが、外から見れば前回となんら変わりがないように思えた。それどころか、背嚢の脇に下がっている水筒が二つ増えている。前回、彼女はへばって水をガバガバ飲んでいたが、たとえ荷物を減らしていてもこれでは意味がない。
「だって、ロイが荷物減らせって……」
消え入りそうな声で、近寄ってくるクレイヴに言うが、彼はまったく聞く耳を持たない。クレイヴは背嚢を無理矢理降ろさせ、女性の衣類にもお構いなしに手を突っ込んだ。
アシドが止めようと声をかけたが、クレイヴは睨みつけただけで何も言わなかった。
「これも、これも、これもいらない。水筒もこんなにいらない」
クレイヴが外に出した大半が衣類だった。
「野外じゃないんだ。一応屋内で生活できるんだ。服は二着、多くて三着あればいい。下着は二つでいい。講義でちゃんとやらなかったか?」
「…………」
カルラは俯き、クレイヴが出した衣類を一瞥した。
ロイが見たところ、数日は服に困らない量だ。彼女は汗をかけば着替えるつもりだったのだろうが、荷物を増やすだけで戦いに行く人間の考えとは思えない。
彼女の荷物は、旅行に行く者の荷物だった。
眼を潤ませて、涙を拭う仕草を頻繁に繰り返すカルラに、呆れたような口調でクレイヴが背嚢を差し出す。
「持て。さっさと……」
鋭い一撃が、クレイヴの頬を襲った。
真横からアシドがクレイヴに殴りかかったのだ。
彼の手から背嚢が落ち、カルラが顔を上げる。
「お前! カルラさんに恨みでもあるのかよ! 泣いてるじゃないか!」
軽く唇を切ったクレイヴが、薄く笑みを浮かべて血を拭った。嘲笑的だが、しかし眼は笑っていない。肌で感じられる殺気が充満している。
「恨み? ああ、あるよ」
「なんでだよ、彼女が何かしたのか?」
「何もしないからだ」
「どうしてカルラさんがお前に何かしないといけないんだ!」
再び殴りかかったアシドだが、クレイヴは真横に身体を反らして回避する。
二人の会話が噛み合っていないことは明確だった。クレイヴが指摘したのは、戦いや生活の場においての彼女の行動だ。ソルジャースクールの一員なのに、カルラは戦闘におけるスキルを何も持っていない。ただ、魔力が見えるという眼を持っているだけだ。
対して、アシドは勘違いをしている。カルラを女性として意識するあまり、クレイヴが嫉妬でもしていると思っているのだろう。
「くすっ」
小さな含み笑いが聞こえ、ロイが視線を移す。声の主はエリンだった。
フードに隠れて眼は見えないが、口元の形から笑っていることは察することができた。ロイはわけがわからなかった。
(どうして彼女は笑えるんだ?)
そちらに気を取られていたせいで、アシドの悲鳴があるまで事態が把握できなかった。
「ちくしょう! やりやがったな!」
「どっちがだ、阿呆」
クレイヴが床に手をついたアシドを見下している。彼の手には、愛用のショートソードが握られていた。あっという間に抜いたのだろう、アシドは反応できず、右腕部を数センチ斬られていた。
「クレイヴ! やりすぎだよ!」
リシータが二人の間に割って入り、クレイヴを睨む。
彼は肩を竦めると、リシータを睨み返した。
「正当防衛だよ。先に殴ったのは向こうだ」
「剣を抜くことないでしょ!」
「いつ抜くかは僕が決める。剣を使うのは僕だから。……哀れだね、アシド」
そのとき、クレイヴがノルを見た。彼女は眼を閉じていて、ゆっくりと息を吐き出すと、
「……あんまり調子に乗らないで、クレイヴ。それにアシドも。誰が一番イライラしているのか、わかっているんでしょうね?」
怒りを放出させるような呼吸だ……爆発しそうな内に秘めた脅威を、この場で発散させないための。
リシータは猫のように縮み上がり、二人に向かって「早く謝って!」と何度も懇願する。アシドは素直に応じたが、クレイヴは一瞬唖然とし、思い出したように「ごめん」と呟いた。
カルラは、収まらない涙を流しながら、ノルを見ていた。