第九話
スクールを出発する当日、クレイヴも門の前までは一緒だった。彼はこれから、ナサリーの家を手伝うために、一行とは違う村に行く。
クレイヴ以外は、全員が装備の詰まれた背嚢を背負って、体の大きさがいつもの倍に見えた。
「ゴブリンに襲われている村、名前、なんだっけ」
「『カエッカム』」
ノルが答え、了承したというようにクレイヴが頷く。
「何かあったら知らせて。すぐに行くから」
「わかったわ。そっちも、ナサリーのこと任せたわよ」
「言われなくても」
クレイヴが微笑み、軽く手を振って一行と……いや、ノルとの別れを惜しんだ。
彼女はクレイヴを一度振り返ったが、すぐに歩き出す。ロイが続き、アシド、カルラ、リシータの順で歩き始めると、クレイヴも反対側へ歩を進める。
少しして、馬車を借りられる所まで来たが、ノルは素通りした。まさか歩いていくつもりなのかと、アシドは不安になった。カルラが耐えられないと思ったのだ。
彼はロイを追い抜くと、ノルの肩を掴んで引き止める。
「馬車は借りないつもり?」
「ええ」
当然でしょ、とノルは続ける。
「特選が下のレベルの任務を受けるんですもの。しかも五人で。行きくらいハードにしないと、割に合わないじゃない」
「半日はかかる距離だ。ゴブリン退治の前に疲れるよ」
「疲れてもゴブリンなら相手にならないわ。……ああ、そう」
ふっと、ノルはアシドの後方に視線をやり、カルラを見た。カルラは、たった数百メートルを歩いただけで、もう木陰に座り込んでいた。確かにメンバーと同じ重さの荷物を背負っているが、予想以上に体力がない。ノルは諦めたようにため息し、
「わかったわ。借りましょう」
そういって、アシドに馬車を借りるよう指示した。
「ロイ」
「はいっ」
ロイが駆け寄ろうとすると、ノルは静かにカルラを指差した。
それだけで、彼は何をすればいいのかを察し、無言で頷くと、カルラの側に膝をついた。
「荷物、手伝うよ」
カルラはゆっくり顔を挙げ、笑顔で礼を言うと、自分の背嚢から半分の量をロイの背嚢に詰めなおした。
軽々と立ち上がり、手を差し伸べてカルラを起こす。丁度、アシドが馬車を借りて戻ってきたので、一行はそれに乗り込んだ。
馬を操るのはロイだった。彼は元傭兵で、時には自分ひとりで遠くまで行かなければならないときもあったため、馬の扱いには慣れていたらしい。
中では、リシータとアシド、そしてカルラが楽しそうに談笑していた。ノルだけは馬車の外を見て、ぼーっとしている。
「そういえば、前から聞こうと思っていたんですが」
カルラが突然、一人会話に参加していないノルに尋ねる。
「クレイヴとはどういう関係なんですか?」
「あー、それね!」
リシータが楽しそうに含み笑いをし、
「クレイヴはねぇ、ノルをキズモノにしたんだよ」
「えっ!」
カルラが驚きの表情でノルを見る。まさか、と思ったのだ。ノルの雰囲気からして、異性とのそういった交わりはないと考えていた。
ノルは否定せず、微笑する。
「そうね。間違いではないわ」
「そう、だったんですか。あの人のどこに惹かれたんです?」
そうカルラが尋ねたとき、リシータが堪えきれずに大爆笑した。
「ぎゃははははは! あー、ごめんごめん。言い方がアレだったね。そういう意味じゃないよ」
絶対わざとだ、とその場にいた全員が思った。
しかしカルラは事態が認識できず、呆けていた。そこでノルが自分の上着に手をかけ、肩を露出させて、斬られた傷跡を見せた。
「クレイヴと初めて会った日、私たちは殺しあったの。二人とも助かったけど、この傷は残っちゃったわ」
「クレイヴはそのことに関して、結構悩んでるんだよねえ。傷が治るまでは自分の罪は消えないとか思ってるのかも。だったら初めから戦うなって言いたいけど、彼は命のやり取りの中でしか、人と信頼関係を結べないのかもね」
リシータの言葉を聞いて、カルラはクレイヴ・ケーニッヒという人物について考えてみた。彼が自分を敵視しているように思えるのは、まだそういう状況を共に体験していないからだ。そう結論付け、次の任務でクレイヴと一緒になれば、チームメイトの一人として認めてもらえるだろうと思った。
やる気が出てきたのだが、アシドはこの話が面白くなかったようだ。
「カッコつけてるだけだよ、あいつは。自信過剰で、協調性がなく、優しさもない」
「彼は自分の中で優先順位をつけているのよ」
アシドの言葉を受け、ノルがやや厳しい眼を向ける。
「自分という人物を中心に、誰が頼れて、誰が大切なのかを考えて行動している。確かに、彼には協調性も個々に対する優しさもないわ。それは欠点ね。でも自信は実力からきているものよ」
ノルはクレイヴを信頼している。そう言っているように聞こえた。アシドは黙り、カルラは頷いた。リシータは笑顔のまま、馬車の窓から顔を出す。
「うーん、空気が美味しいねえ」
大きく息を吸い込むと、窓から身を出し、会話に参加できないロイの隣に腰掛ける。
「で、だ。チミは彼女のことをどう思っているの?」
「彼女って、カルラ・シンゲルですか?」
ロイは視線を真っ直ぐに保ちつつ、問い返す。
リシータは頷き、ちらりと振り返った。馬車の中では、カルラがアシドと笑いあっている。
「あたしは、個人的にあの娘は好きだよ。可愛いし、抱き心地良いし、抵抗しないし、素直だし。ただ、ソルジャーとして頼れるかって訊かれると……」
「考えるまでもなく、ノーですよ」
「……あの娘は、興味本位だけでこの世界にやってきた。実力が伴っていないのに、それでいて追いつこうとしていない。それじゃ駄目だから、まず自信をつけさせて、強くなろうと考えるようにしたいんだ」
「だから下級の仕事を請けたんですか?」
「そういうこと。ただ、アシドは今、彼女に陶酔している感があるね。クレイヴがいたら、馬車の中は険悪な雰囲気だっただろうねぇ」
アシドにしてみれば、自分の力でカルラを守らなくてはいけないことに、運命的な使命を感じているのかもしれない。チームの女性たちは、彼がわざわざ助けなくてもいい力の持ち主だ。
そして、非力なお姫様がやってくる。王子は姫を守るために剣を振るい、やがて二人は結ばれる。そんな展開を望んでいるのかもしれない。
しばらく馬車に揺られていると、林道に入った瞬間、リシータが背負った弓に手を伸ばした。
「どうしました?」
ロイが尋ねる。すると中からノルが叫んだ。
「突っ切りなさい! 早く!」
日頃大きな声を出さない彼女なので、その迫力は充分だ。リシータは右手に矢を持ち、左手で弓を構え、林道の奥に狙いを定めていた。
ロイもそのときには察していた。左右の木々の裏に、何人か潜んでいる気配に。
「チョロイね」
リシータが呟いたと思えば、不安定なこの場で矢を放った。ロイは自然とその矢を目で追う。矢が放たれる瞬間、リシータが狙った人間は木の裏に隠れた。
だが、彼女はそれを予測していたらしい。矢が弧を描くようにして曲がると、その木の裏側に消えた。そして、首を射られた人間が、横様に倒れる。
敵は弓を持っていた。恐らく、リシータに狙われなければ、逆に襲われていただろう。
「リシータ先輩は、矢のコントロールが能力ですか?」
すぐ隣にいるリシータに尋ねる。彼女は微笑み、二発目を装填し、また獲物を探す。
「そうだよ! 便利っしょ?」
彼女は、自らが放った矢を操ることができる。その能力によって、本来死角であるはずの障害物を回避し、目標のみに当てることが可能だ。ただし直角に曲がったり勢いを増したりすることはできないため、一度避けられれば二射目が必要だし、射程は限られている。
リシータが再び矢を放つ。今度は前方だ。獲物は林道の中央に立ち、進行を阻もうとしている。さらに、彼の背後には数本の木々が横に並べられているため、強行突破は危険だ。
どうやら、盗賊のテリトリーのようだ。
男は、リシータの放った矢をカトラスで叩き落した。そして馬車が接近してくるのを待つ。
「やるじゃん」
リシータが三本の矢を右手の指の間に挟み、構える。
「くふふ。必殺、トリプルバースト」
技名を呟いたはいいが、射るタイミングを計っているようだ。馬車の上では身体が安定しないだろうし、両手を攻撃に使う彼女は手でバランスを取ることができない。さすがのリシータも、三本を標的に向かわせるには難しいようだ。
ロイは男とやや距離を離し、馬車をゆっくり停めた。その瞬間、リシータの矢が三本同時に放たれる。
二本は弾道が不安定で、矢ではありえないような動きだ。蛇のようにジグザグ動いているかと思えば、アップダウンを繰り返す矢もある。一本だけは真っ直ぐ飛んでいるが、それが最初に届きそうだ。
男は一本目が届く前に横に飛ぶ。するとジグザグ動いていた矢が急に動きを変え、男に向かって真っ直ぐ飛んだ。
真っ直ぐ飛ばしていた矢が先に届くのは当然だ。後に二本も迫っている以上、わざわざ一本目を叩き落すより、避ける方が簡単なのは眼に見えている。リシータはわざと時間をかけて後方の矢を飛ばし、左右どちらかに避けることを予測していた。
男は、額に矢が突き刺さり、倒れた。
「ロイ、あなたの腕を見せてもらうわ」
ノルがゆっくりと馬車から降りると、左右の林から盗賊の面々が姿を現す。全員で五人だ。
「光栄ス」
ロイも手綱を放し、ブーツで軽く地面を叩く。
馬車を挟む形でノルとロイが別々に立ち、アシドがノル側に降りた。リシータはそのまま馬車の上にいて、矢を構えている。
後方からも盗賊がやってきた。馬車に振り切られた連中が追いついてきたらしい。
「じゃあ、こっちはアシド、お願いね」
ノルは一番人数の多い後方を担当する。前方は必然的にリシータになったが、元々木が倒してあるため、足止めの必要はないと考えているらしく、前方を担当していた盗賊は、リシータがしとめた男一人のようだ。
アシドはグラディウスを抜き、三人に向けて突貫する。
ロイはバグナウを手に装着し、自慢の脚で疾走する。
ノルはただ、四人の相手を黙ってみていた。
三方向からの襲撃に、三人が応戦する。