三話
その日の夜も、ジュリアは夢の中にいた。
昨日の彼とは違って、今日はとても機嫌が良さそうだ。
一方のジュリアは、アルン王子との結婚の日が近づくにつれ、罪悪感でいっぱいになっているというのに……。
「今日は、何かいいことがあったんですか?」
ジュリアは、今の気持ちを彼に悟られまいと精一杯笑みを浮かべて尋ねた。
「分かるのか?」
彼は図星だったのか、目を軽く見開いた。
「ええ、だって貴方の口元がいつもと比べて少しだけ緩んでおりますもの、ほら……」
ジュリアは、彼の緩んだ口元をツンツンと軽く指で突っついた。
「なるほど…どうやら私はジュリアに隠し事ができないようだ」
彼はジュリアのその手をとり、愛おしそうに口付けを落とした。
彼の形のよい唇が触れたところが熱をもったように熱くなる。
「く、くすぐったいです……」
あまりにも彼が妖艶で、恥ずかしくなったジュリアはつい手を引こうとした。しかし彼はそれを許さず、さらにジュリアの手の甲に自分の唇を押し当ててきた。
「ジュリアの全ては私だけのものだ……誰にも渡したくない」
彼がそう言った瞬間、先程まで熱に浮かされていたジュリアの脳内が急激に冷えていくのを感じた。
(私は一体何をしているんだろう……。こんな状態で一国の王妃になどなれるはずがない。私はライゼント公爵令嬢としてアルン王子と結婚しなければならない。だから、この人と結ばれることなどできないのに……)
「もう……出てこないで、下さい……」
ジュリアは、喉の奥から絞り出すような声で言った。
「ん? 何か言ったか?」
しかし、上手く彼に伝わらなかったようだ。だから、ジュリアは声を張り上げるようにして彼に言う。
「もうっ、私の夢の中に出てこないで下さいっ!! 私をもう苦しませないでっ!」
ジュリアはそう言うと、彼の前から必死に走り去った。
去り際に見た彼の顔が辛そうに歪んでいて、ジュリアの胸は張り裂けそうなぐらい痛む。
そして、ジュリアは公爵令嬢として生まれた自分の身を酷く呪った。好きな人とも結ばれることができない我が身が憎くて憎くて仕方なかった。
(もう、諦めないと……。大丈夫、私には彼との六年分の思い出があるんだから……これ以上は何も望んではダメ……)
ジュリアは、そう自分に言い聞かした。それと同時に、彼を想う自分の心にそっと蓋をしたのであった。
その日から一週間、ジュリアは夢の中で彼に会うことが怖くて、一睡もできずにいた。寝ようとするたびに、彼のあの顔がジュリアの頭の中をよぎる。
しかし、とうとうジュリアは体力の限界を感じ、倒れて寝込んでしまった。
夢の中で目を覚ましたジュリアは、例の東屋の中に横たわっていた。
しかし、そこに彼の存在はない。ジュリアただ一人がポツンとそこにいたのだ。
「これでよかったの……これで……」
ジュリアは、これが夢の中だということを忘れ、幼い子供のように泣いた。
名前も知らない、ただ夢の中で出会っただけの人。
それでも、これはジュリアにとっての淡い初恋でもあった。