第二話 「何で風呂に女がいない」
結局今日は屋敷を軽く見回ったりするだけで夜になってしまった。
基本的に屋敷の表には入ってきた時に確認した緑や水の青が満ちる広い庭があり、中に入るとまず広い空間が視界に溢れる。一階は屋敷の住人が寝泊まりし、二階は大浴場(混浴ではないらしい。何故だ?)、三階には食堂と書庫があって四階が客室らしい。五階は立入禁止となっていた。
わざわざ上るのが面倒そうだとつい口に出すと、誰かに攻められたりした際に一番安全なのが四階なのだそうだ。理由は特に聞かなかったが、それが本当なら納得がいく。
直接中には入ったりしていないものの、それぞれの部屋の周りはうろついたし、迷わないようにと道も覚えた。これで明日からたっぷり居候できるだろう。ありがたいことこの上ない。
後はその大浴場とやらで今日の身体を清めてベッドにダイブするだけだ。泥だらけの自分が屋敷を歩いていることを何も言ってこなかっただけでもここの住人はまことに寛大だ。まぁ、誰にも会えなかっただけなんだけど。
そんなこんなで、衛兵に貰った服以外、特に着替えもないので手ぶらで寝室の外に出てみると、ドアの横に風呂用のバスタオルと着替え一式が布袋に包まれて置いてあった。礼儀といい気の効き方といい、エティは素晴らしい使用人だよ全く何回でも言うからな羨ましいぞウィルア。
布袋を肩に引っさげて二階まで降りると、風呂場の入口に暖簾が見える。屋敷が洋風なだけあって最高に似合っていない。
さっき探索したとはいえ迷うかもと思ったが、こんなに浮いていれば流石に目に入るため杞憂だったようだ。
脱衣所で服を脱ぎ、それらを洗濯用の籠にいれ、タオルを手に持てば準備完了だ。さぁ、レディス&ジェントルマン。サービスシーンの始まりだぜ。
浴室のでかい扉を開け、中に入るとそこには巨大な浴槽が湯けむりを上げて存在していた。どうやら内装は石造りらしい。暖簾をかけてあっただけあって中の見た目は和風をイメージしているようだ。
「ひょえ〜、こいつはすげぇや」
何だか子供心が湧き上がり、俺はすぐさま身体をくまなく洗って湯の中へと飛び込んだ。良い子は絶対真似するなよ。
「うおぉ…染みるねぇ……」
湯の熱が体の疲弊した部分を穴なく包み込み、骨の髄まで温かさを染み込ませてくる。思わず深く、長い嘆息を出すほどだ。その心地良さは脳まで届き、この感覚以外の全てを忘れさせてくれる。
お湯の滑らかな流れとたたずまいが、揺らり揺らりと皮膚の上で踊り、全身が一気に火照っていった。
これで混浴なら最高に最高。
しばらく老いぼれた爺のように、染みるねぇ。や、良かねぇ。なんて呟いていると、突然声が浴場内に響く。
「なぁなぁ、お前ってさ、今日団長が連れてきた奴?」
「っえ?」
辺りを見渡すと、視界を埋める湯けむりの奥に一人の男がいるのが分かる。クリーム色、いや、金色?その間を取ったような髪色で、まさに主人公みたいな顔をしたイケメンだ。てか主人公だろこれ。
この世界はイケメンが多すぎて俺のイケメンスマイルがただのスマイルに成り果ててしまっている。これはギルティだろう。
俺のビックリ仰天な眼差しに気づいたのか、男はこちらへと寄ってくる。やっぱ格好良いよこの人っ、顔も肉体もイケメンだよっ!
「そっかそっか、いきなり話しかけちまってもビックリだよな」
「え、あぁ」
「名前は何ていうんだ?」
「アマセ……だな」
「おぉ、いい名前じゃねぇかっ!ふふふ、俺様の名前はジャック。ウィルアが団長をやってる閃光の騎士団って部隊の副団長だ。知ってるか?閃光の騎士団」
「いや、全く」
思わず即答をしてしまった。何だよ閃光の騎士団って。言いたくないけどネーミングセンスに問題がないか?あぁ、いや、様になるくらいに強い部隊なら問題ないのか。
「あら、知らねぇのか。ん〜結構有名だと思ってたんだけどなぁ。んじゃあさ、このジャック様の名前くらいは聞いたことあるだろ」
「いや毛ほども」
「っ!?」
即答の連続にウィルアの眼から表情から光が消える。
「嘘……だろ」
いや、嘘って言われても第一その部隊の名前を知らないのにお前の名前なんて知るわけないだろ。なんでそんな絶望した顔してるんだよ。どんだけ自分に自信が―――ってお〜い、温泉の中に顔面突っ込まないで~。
「ごぼ…ごぼぼっ!」
ジャックは潜水してから中々上ってくる気配がない。三分ほどたった後にようやく、
「だはぁっ!」
息が苦しくなったのかジャックは湯船から顔を上げる。何かをやりきったのような顔をしているがもう訳が分からない。まぁ確かに三分は凄いかもしれないけど意味が分からない。
「まぁそうだよなぁ。……知られてないなら仕方ねぇ。よっしゃ、アマセ。それじゃあ手始めに俺様と一緒に英雄になろうぜっ!」
「いやすまないんだが、やばいくらい支離滅裂だぞ。英雄を目指す前に言葉の使い方を学ぶことを俺は提案しよう」
「尻が滅裂?はは、お前意味分からない事言うんだなあ。ちゃんと言葉を覚えようぜっ!」
「あぁごめん。脳内変換機能がぶっ壊れてるやつに何言っても無駄だよな。たとえイケメンでもすごく無駄な行為だよな」
俺が悲しみと憐れみと蔑みを込めてそう言うと、ジャックはノーナイヘンカンキー?イケメン?と目を丸くし首を捻っていた。
あぁ、こいつは特殊なんだ。世の中には何人かいるよな。天然で人の話は聞けないけど雰囲気とか根が良い奴で気に入られる人間ってのが。これ以上話さなくても分かる。お前はそういうやつだ。
……そうだな。どうしよう。風呂も気持ちよかったし変な奴にも出会っちゃったし、今日はもう上がって寝るか。
薄情ってわけでもないが、疲れ果てていて彼の惚け具合に突っ込む気にもなれない。何度もノーナイヘンカンキー?と呟くジャックを背後に俺は、こっそりと浴室を出ていった。