第三話 「彼女の名前」
衛兵に鍵を開けてもらうと、外はさっきよりも人通りが少なくなっていた。
「今、何時ごろなんだ?」
「えっと、ちょうど十二時ぐらいですね」
銀の懐中時計を取り出し、彼女は時刻を示す。にしても、
「さっき逃げた時とは見違えるくらいに落ち着いてるよな」
「えっ。いや、あ、あれはその…男の人のなんていうか、そういうのが苦手で……」
彼女は急に頬を赤らめ、恥ずかしそうにうつむき始めた。何でだ、最近の女ってのは意味が分からんな。
「ん~、よく分かんないけど、あんたは変な奴ってことだな」
「あなたには絶対言われたくないんですけど…。もう、いいから行きましょっ!手伝ってくれるんですよね?」
「あぁ、精いっぱい努力するよ」
俺の返事にうなずくと、彼女はまた大通りの方へと歩き出す。俺もまた、その背を追う。
それにしても、この"ミラス"という街はどれだけ広いんだろうか。どこを通っても必ず誰かがいて、過疎化している場所はパッと見どこも見られない。食べ物を売りに出す店や雑貨店なども充実しているようだ。そんなところが目につき、気になって彼女に聞いてみると、なんとここはこの国で二番目に人口が多いという事が分かった。
「あ、ちなみにこの国っていうのは、ヒューマ内でってことですよ」
「……ヒューマ?」
「あなたは一体、何を覚えていて、何を忘れているんですか…?」
「そんな呆れなくたって良いだろ。そうだなぁ~」
多分、
「物の名称とかは覚えてるぞ。建物とか街、景色の事とかはさっぱりだけどな。あとは自分の記憶くらいか?」
「本当に中々重症なんですね」
「まぁな。でも確かに、何だか懐かしい感じもするんだよな」
「懐かしい感じですか?」
そう、俺はおそらくこの異世界に飛ばされた。そのことに関してはそういうこともあるんだなで割り切れる。漫画とかでもよく読むしな。だが、この世界に何らかの懐かしさを抱いてるのも事実だ。この景色も彼女の声も、何だかホッとする。
「あぁ、何となくな」
「ここで目を覚ましたということは、ここがあなたの元々いた場所なのかもしれませんね」
「まぁ、たとえここが俺の居場所でも、我が家がどこにあるかも分からないから、あんまり意味もないけどな」
少し自嘲気味に言うと彼女は、それなら。と微笑む。
「私がわかる範囲で教えます。この世界の事」
「本当か?」
「もちろんです。何か思い出すかもしれませんし」
そう言って彼女は、この世界の基本的なことをまずは教えてくれた。
この世界、この大地は通称ネフィアと呼ばれ、四つの国に分かれているらしい。
俺たちのような人間が多くいるヒューマ。ここが生命としての数は一番多く、他国からの来訪者も多いようだ。
次に獣人が暮らすアニズ。魚人の統治するマリン、鳥の民が住むスカイ。他にも確かな国境はないが、魔女やサキュバス、エルフやバンシーのような特殊な魔力を持つ者たちが密かに身を潜める隠れ里もちらほらあるそうだ。
どの国も表面上は友好関係を保っているようだが、裏では色々真っ黒いらしい。そのせいかヒューマは他国からの来訪者は厳密な審査の元に受け入れているが、自国民が他国へ出ることは禁止している。
出れば反逆罪とされるのが、古くからの国のしきたりのようだ。
「なるほどなぁ。戦争なんて野暮なことが起こったりしないといいけどな」
「そうですね。世界の平和、そのためにも―――」
彼女は少し声を潜める。
「ん、どうした?」
「い、いえ、なんでもありません」
苦笑いを取り繕いながら、彼女は歩幅を少し早めだした。
その行動に確かな違和感を持ったが、まだ会ったばかりの彼女に何か秘密があったとしても、俺が踏み込むべきことじゃない。俺は今、彼女の人探しを手伝う事が、やるべき事ことなんだ。
それと、正直さっきから彼女の見た目が気になりすぎて、あまり話が頭に入ってこない。
「な、なぁ。ヒューマの連中ってのは皆そんな格好なのか?」
「っへ?」
彼女のアンダーウェアなのか、むしろ素材はタイツに近いほど身体の線が見える白の服は腰あたりからはスカートのようにひらひらと伸ばされていて、所々から覗く白い脚が結構目に入る。
その巫女服を最大限までエロくしましたというような服は、赤いラインが入ってる事もあり、彼女にお似合いだ。
「あぁ、これですか?そうですね……この服は私専用みたいな物です。説明になってませんけどね」
「そうなのか、よく分からなかったけど、そういうことにしとくよ」
彼女は一周回り、可愛いですよね。と言う。
あぁ、異世界最高だぜ!
それから俺達は腹が減るのもさしおいて、細い路地から屋根に渡ってウィルアという人物を探していった。途中迷子の子供を助け、リゴン(見た目はどう見てもリンゴだ)を落とした老婆の手伝いをし、俺は黒狼という犬みたいな奴に追いかけられた。
それでもひたすらにウィルアという男を探していると、彼女は不思議そうに尋ねてくる。
「どうして、そんなに見ず知らずの人を助けようとするんですか?」
「えっ?」
途中大きな川の上に架かる橋で休憩をしていた時だ。
「いえ、誰にでも手を差し伸べようとするので…」
「何だ、自分だけを助けて欲しかったのか?」
「ち、違いますっ!」
冗談交じりに笑うと、少しムスッとされてしまった。失礼だが、どんな顔も彼女は似合ってしまう。きっと泣いた姿でさえも綺麗なんだろう。
「真面目に答えてください」
「ん〜そうだな。……俺が困ってるから、だな」
「っえ?」
彼女は困惑した目をする。嘘をついた覚えはないぞ。
「自分が困っているのに誰かを助けるん、ですか?」
「あぁ」
むしろ、困っているからではないだろうか。
広く雄大な空を、幾多もの渡り鳥が飛んでは過ぎていく。
「昔誰かに言われたんだよ。俺がもし、困ったことに出会ったなら、自分と同じように困っている人を助けなさいって」
「覚えているんですか?」
「あぁ、ぼんやりと。」
「そうなんですか。…何故なんでしょう?優しさ故にというのは分かるんですけど、難しいことですよね」
彼女は少し申し訳なさそうな顔をする。まぁ、難しいな。
「そうだな。理想には高難易度が付き物ってな。……でも、そんな風に誰かの手助けをやっていればいつか、自分の悩みの解決策も見つかるかもしれない。誰かと繋がっていくことで、いつか答えに辿り着くかもしれない。そういう願いと祈りが生んだ言葉なんだって、俺は思うんだ。だから信じて、今もあんたとここにいる」
…「へぇ〜、意外とロマンチストなんですね」
「まぁな。男はいつでも、ロマンと共にあるんだよ」
そう言ってふと空を見上げると、燦々とした太陽が身体を溶かすように照っている。
「……ロマンと共に、ですか」
「納得したか?」
「はい、もちろんです」
「そっか……」
少しの沈黙の後、彼女はくすりと笑う。
「おいおい、何がおかしいんだよ」
「いえ、何だかパンツ姿で堂々と追ってきた不審者とは、今のあなたは大違いだなって」
「いや、それは今言っちゃいけないことなんじゃないのか?完全に良いこと言ってたつもりだぞ俺」
「ふふ、本当に良いことを言う人は自分で良いこと言ったなんて言いませんよ」
「まぁ、一理ある」
「一理どころか、真理ですよ」
「手厳しいな」
彼女は笑みのまま、そろそろ行きましょう。と言い、立ち上がる。そうしてまた少し大通りを歩いていると、忽然と彼女は呟いた。
「フィーナです」
「っえ?」
「はい、フィーナです。私の名前」
遠く川の先を見つめる彼女の横顔が、とても綺麗に見える。
「フィーナか。フィーナ……良い名前だな。凄く、本当。良い名前だ」
「ありがとうございます。私も好きなんです、この名前」
「自分の名前を好きなのは良いことだな。……ん〜と、俺の名前は―――」
そこまで言うと、少し遠くから大きな声が俺達の鼓膜に響く。
「おおぉぉぉいあんたらぁっ!今すぐここから離れなっ!」
声のする方を目で探すと、大通りの奥から人が数名、死に物狂いで走ってくる。
「ん、どうしたぁっ?」
大声で返事をしてみたが、それに対する言葉を返すことなく、彼らは必死な顔でこちらまで走ってきた。何だか相当に焦っているようで、息が完全に上がっている。
「一体、どうしたんですか?」
フィーナは息遣いの荒い男へと、心配のこもった声で尋ねる。
「どうしたもこうしたも、出たんだよ。アンデッドが出やがったんだこの街にっ!!」
「っ!?」
男の必死な訴えに、彼女は血相を変え、目を大きく見開く。周りに聞こえないようなトーンで、どうして…。と呟くと、俺の方へ顔を向けた。
「救わなきゃっ」
「え、す、救うって何を?てか、アンデッドって…何?」
「そ、それはまた後で。今はこの人達をこの場から―――」
彼女が急いで来た道へ彼らを誘導しようとした時だ。
「い、いやあぁぁっ!!」
「な、なんだよ!!」
逃げて来た人々の中にいた男女二人が大声を上げる。女の叫ぶ目線の方を向くと、複数の人影がこちらへ向かってくるのが視認できた。
一、三、七、十…二十、いや三十はゆうに超える。
そんな迫り来る人影には、多くの特徴があった。右腕や左足、鼻や眼球に耳と言ったパーツが欠落している者が殆どで、中には内蔵が飛び出ている者もいる。
皮膚は腐ったように黒くなっていて、目は血走り、顔はやけに痩せこけていた。
一人が動く度に、地を踏んでいくような嫌な音が通りに響き渡る。
「これ……夢じゃないよな?」
「…はい」
腹腔から、胃の中から、身体中から何かが溢れ出そうになるのが実感できる。酸味を帯びていたり、背筋を凍らせるような汗だったり、頭の中が真っ白になっていく。
何だこれ何だこれ何だよこれ何なんだよっ!気持ち悪い…気持ち悪い気持ち悪いやばいキモイキモイキモイキモイ怖い怖い怖い辛いやばい見たくねぇよ見たくねぇんだよっ!
「ど、どうしたんですか!?」
「っ―――!!!」
口の中から溢れそうになるものを必死に抑え、頭の中に浮かび上がる得体のしれない何かを消そうとするが、それは脳を越えて全身を冷やしていく。
「…ん、だよぉ……これぇええ―――」
暴走する不快感に倒れ込みそうな身体を必死に支え、何とか正面とフィーナを見る。
視界はぼやけているが、先ほどの連中は皆逃げられたらしい。だが、奴らは意外に速い速度でこちらへと詰め寄ってきていた。
一時の安堵と不安が身体を襲い、掻き回していく。
「フィ、フィーナ。ここから……」
逃げろ。その一言が出せなかった。足はすくみ、ろくに動いてくれそうもない。一度目のショックとは思えないくらいに、意識が奴らを拒んでいく。
彼女を守るどころか、加速する呼吸は止まらずより一層勢いを増していく。彼女が俺の背中に手をあて、その場にとどまろうとしていることだけが、ひしひしと伝わってきた。
「大丈夫です」
「な…が……」
何がだよ。一体何がっ。目の前に群がるアンデッドは、どう考えたって危険だ。
「…大丈夫ですから」
彼女はそう言った。その声と共に背中が、彼女の手の平が暖かくなっていくのが分かる。熱いとか、そんなのとはまた違う。ただ、心の奥まで暖かい。
視界がはっきりとしていくと、目の前の空間には沢山の光が舞い、俺の身体を包み込んでいるのが分かる。蛍とは違う、、アンデッドはその光に怯えるように近づいてはこない。
光が肌に触れる度、吐き気、焦り、恐怖、冷や汗、頭痛、涙、震え。その全てがどこかへ抜き去られて、身体には言い難い疲労感だけが残った。
「フィーナ、君は何を…?」
「…あなたは、私が守ります」
彼女は立ち上がると、質問に答える事はなく、ただアンデッドの方へと歩みでる。
「や、やめろっ、守るって……どうやって!」
その声に彼女は振り向き、
「頑張ります」
と笑う。
「頑張りますって―――」
フィーナは正面に向き直り、自分の胸に手を当てると、そこからまた光が溢れ出した。
「あなたも、この人達も、私が救います」
光を纏いながら彼女は目を瞑り、優しい声色で口を開く。
「……女神ハーツよ。その加護を私の心へ」
その唱えと同時に、彼女の周りには、光の粒子によって透き通った球状のシールドが作り出された。