ごうとなれるは 雷の竜-Ⅲ
夕焼け。逆光。帰り途。
路の両端、連なる電柱。頂点を繋ぐ多くの線が、空気に押されてふわりと揺れる。
風に波打つ終着は、半ば折れたる鉄櫓。
〈隕石衝突〉前後の残滓。誤射に其の身を崩されど、未だ休むを許されぬ。電力、通信、生活の要。
鉄骨が引いた直線に、曲線の影が座している。にょろりと細くて長いから、受ける西陽に焼き切れそうだ。
影が動いて大きくなるのは、腕に張りたる皮膜の証。あんな恐竜も存在しない。竜は竜でも西洋竜か、或いは翼を生やした蛇だ。
其れはするりと空を滑って、燃える彼方へ姿を消した。
◇ ◇ ◇
「では、増援は出して頂けないと言うことですか」
〈先から、そう言っているだろう〉
〈〈四ツ足〉が出たくらいで泣き言とは、日ごろの準備が足りていないのでは?〉
〈全くだ。佐藤課長、きちんと務めを果たし給えよ〉
「……承知しました。失礼します」
「矢張り、駄目でしたか」
「ああ。やっぱりだ」
「如何なさいます」
「やれることを、やるしかない」
◇ ◇ ◇
立肘、頬杖、三限目。ススム自身の話をすれば、昨日は割かし平和に終わった。
伊香は忙しそうだった。追跡弾が不調のようで、出鱈目な位置を示すとか。何にも無いよりマシではあるが、郵防公社の備品らしい。手伝おうかと声を掛けたが、偶には休めと言われてしまった。佐藤は知らない。
三宅 惹子はニャンコで元気だが、いつもの風とは少し違った。〈四ツ足〉のことを引き摺っている。人の勝手が創りし生命。マニアとして、想うところがあるのだろう。気の利く言葉を掛けたかったが、結局、何にも言えなかった。
今日こそは何か話をしよう。恐竜のことを訊いてみようか。
そんな思案を、エンジン音が斬り裂いた。低排気量で速度を出すには、回転数を上げるほか無い。
馴染みの音に校庭を見ると、馴染みの赤い軽四が駆け込んできた。
こりゃあヤバいと頬杖を解く。間も無く校内放送が、小山内ススムを呼び出した。
◇ ◇ ◇
三分後、着替えたススムは校庭へ駆ける。ちらほら向けられる視線が痒い。
運転席には伊香が居て、指示された通り荷室へ乗り込む。居座る先客はススムの愛車。
「ごめんね、ススムくん」
振り返らぬまま、伊香が謝る。
機動車のサイズはギリギリだから、隙間に何とか身体を捻じ込む。
「大丈夫っす。出して下さい」
ミラーを介して視線が交ざる。運転手が細い顎を引く。慣性が掛かる。
がたんとバイクが一つ揺れ、両手で以て車体を支える。
「来たんすか」
「ええ。さっき警戒線を越えたわ」
しかし。相手はあれだ。自分に出来ることなど、あるのだろうか。
そんなススムの内心を、
「やれることを、やるしかない。ね」
見透かしたような伊香の声だ。
無言で頷き、郵Ⅱ型防護帽の顎紐を留める。
「ニャンちゃんも、ね」
伊香が薄く微笑んで、助手席を見遣る。
其処には借りてきた猫が、もといニャンコが座っていた。
「……ニャンコさん、大丈夫なの」
「テスト前の自習期間だから! 早出で仕事は終わらせたんだあ」
ニャンコは、努めて明るく声を出す。
うむ。色々と、そう言うことでは無いのだけれど。
「荷物の積み込み、手伝ってくれたんだけど、ね」
謂わんとすることを察してか、伊香が静かに口を挟んだ。
「連れてけって、強引に乗るんだから」
ね、と苦笑。眼鏡の隙間から、目だけで見遣る。
「ブロントサウルス、見に行くだけだもん」
「あらあら。手伝ってくれないの?」
伊香が言うから、ニャンコが黙る。いつもなら、こんな意地悪は猫じゃらし。
ススムが空気に堪え兼ねて、
「大丈夫だって」
何とかかんとか口を開いた。
「伊香さんの仕事は凄いから、〈四ツ足〉なんか速攻で片付けちゃうって」
「……えっと」「うん……」
乗り切らない声の返事があって、何だか滑ったみたいになった。
やっぱりススムに、気の利いたことは言えないのだった。
◇ ◇ ◇
伊香の運転に不満は無い。だが、床の鉄板は尻に厳しい。
上下と左右に揺さぶられ、三半規管が悲鳴を上げる。車内で食べた栄養糧食を、喉の辺りに知覚する。
砂利を蹴飛ばしクルマが停まって、待ってましたと車外へ飛び出す。
伊香の計算と解析によれば、〈四ツ足〉が来るのは上潮路町。〈三本指〉による破壊の痕すら生々しいが、迎撃するには好都合。
現場は既に、別の軽四が停まっていた。運転席には佐藤が座る。車内の空気を想像するに、抑えた酸味が再び上がる。
金管天幕に長机。机上と下とに拘らず、機材がごちゃごちゃ積んである。
「ススムくんは機動車を降ろして。ニャンちゃんは、こっち」
きちっと纏った枯草の色が、中身を明るく引き立てる。地味な制服は身体を隠すが、ゆえに色香が詰まっている
「了解っす」「うん」
ススムと同時に応えるニャンコ。いつも通りの着崩したシャツ。いつも通りの短いスカート、いつもとは違うスパッツが生える。本気で手伝う気持ちの証左。ぴったり締まって貼り付いて、腿の輪郭を強調している。此れは、此れで、とても良いもの。
声に出さねど感謝して、降りたクルマに回り込む。後扉を開け斜路板を掛ける。
荷室の高さは機動車ギリギリ。不自然な姿勢で引き摺り降ろす。なかなか楽なことでは無いが、落とすつもりで車輪を転がす。
空っぽになった荷室に、華奢な二人が銃を積む。此れは「M型軽機関銃」、御多分に漏れぬ御下がりだ。自衛隊では「5.56mm機関銃」の名で通る。
小銃と同じ弾薬ながら、射程と投射の継続性で勝つ。潮路局最大の火力を誇る。
機関銃にしては如何にも軽い。自動小銃に比すれば重い。曲線の多い89式自動小銃なら尚更で、実の重量も倍ほど違う。
天井窓を開け、防盾とともに設置する。
室内は更に機材も並べて、簡素ながらも立派な指揮所だ。
「三宅を連れて来たのは正解だ。今は猫の手も借りたい」
クルマから降りて佐藤が呟く。上手いこと言ったつもりか鬱陶しいし、ポロシャツと迷彩との合わせがダサい。ススムは風下に立たないように、自然を装って機動車を押す。
そんなススムに頓着せずに、佐藤は胸ポケットから煙草を取り出す。咥えたところで、安いライターが先っぽを焼く。
「伊香が銃手、三宅は俺の合図で対応するスイッチを入れろ」
弛んだ右手で二人を指差す。短い二指と三指には、紙巻き煙草が挟まっている。
「了解です」「はい」
伊香とニャンコが順に応える。
「スイッチを入れるだけだ。あとは伊香を手伝え」
「分かりました」
柄に無く、佐藤がニャンコを気遣った。ススムには小言しかしないくせに。
「小山内、」
悪態を読み取るように、佐藤が睨む。
此処数日の多忙さゆえか、脂と面皰が増えている。いつも以上に汚い顔だ。
胸ポケットから取り出した、趣味の悪いサングラス。黄色いレンズは脂で白い。
「手前は斥候だ。〈四ツ足〉に貼り付いて位置を報せろ」
「うっす」
最低限の返事。
視線は向けても焦点をズラす。此の職で、ススムが身付けた処世術。
「銃は?」
「車内で貰いました」
狭い隙間で拳銃嚢を巻くのは難儀した。其れも此れも佐藤の所為だ。
「印鑑、忘れんじゃねえぞ」
こんなときでも御小言だ。
そんなに印鑑が好きなら、もう印鑑と結婚すれば良いのに。
「……うっす」
いや、もう振られたのだ。
そう思い直して、口角が少し上がってしまった。視界の端で、緩い頬肉が怪訝に歪む。ますます醜い其の顔が、手もとの煙を吸って、吐く。
「こりゃ一雨あるな」
薄く広がる灰色の雲。其れを見上げる肉団子。全く以て絵面が悪い。
「流石はブロントサウルスです、ね」
伊香が機知に富んだ相槌を打つのに、
「何の。此方こそデカいのをくれてやる」|
下品なことしか言えない男。煙草を携帯灰皿に捻じ込んで、首に掛けていたインカムを着ける。
遠く空気を揺らすのは、雷の雲か、其れとも竜か。湿った空気が少し張る。
「火器に火を入れろ」
佐藤の指示で、伊香が機銃に手を掛ける。
本体の下の弾薬箱から、帯留弾薬をじゃらりと引き出す。左に通し、薬室へ噛ませ、蓋を下ろして槓桿を引く。細長い指が、暴力装置を見事に操る。
其れに昂らぬススムで無い。雨合羽に袖を通して、銃に初弾を装填する。スターターバーに足を掛け、二度の踏み込みで火が入る。相棒が起きて、心臓が唸る。
「〈非常措置:対恐竜〉開始」
指揮車に乗りつつ佐藤が宣した。
開くアクセルが其れに応えて、仮設電柵の隙間を抜けた。
◇ ◇ ◇
繁る木に似た羊歯の奥、一日振りの対面を果たす。
巨にして大なる灰青の山。此れが岩ならどうとも無いが、生きて動けばおそるに足りる。
しかし、難しい作戦では無い。
事前に配した仮設の網に〈四ツ足〉を掛けて、引き揚げる。
ススムは掛かるを報せる係、ニャンコは応じて引き揚げる、伊香は網の解れを結ぶ。佐藤は座っている。
「対応指揮局、対応指揮局、此方小山内。〈四ツ足〉を視認、竜の道を南進中――」
そうと言う間も雷は歩く。
地面が打たれて、臓腑が揺らる。あそこへ自ら飛び込んだのかと、改めて一ツ、身を震う。
「間も無く第一次線に掛かります――どうぞ」
警戒線を越えた時点で、侵攻ルートは一択だった。
踏み固められただけの竜の道。樹木の密度が低いから、大型竜なら尚更だった。
何を求めて里へ降りるか、或いは何から逃げて来るのか。詳らかなるはさて措いて、竜の道を通るは理に適う。
〈此方対応指揮局、一〇秒からカウント、オープンで寄越せ――〉
指揮官気取りが偉そうに言う。
〈死にたくなければ離れていろ――交信終了〉
言われなくもそうするし、言われたところで死ぬときは死ぬ。
〈四ツ足〉の前肢が〈網〉に掛かる。じわりと汗が滲むのは、羽織った合羽が暑いから。
「カウント一○秒、八、七、」
今の今まで気にしなかった、森の空気が矢鱈と気になる。其れを無視して、六、五、と数える。
天地に挟まれ湿気が籠もる。少ない酸素と相俟って、息の苦しさを自覚する。四。三。
「二、一、」
〈第一次線――〉
ススムに佐藤が被さってきて実に不愉快。
振り払うべく、最後の一声。
「○!」
四ツの足が〈網〉に掛かって、
〈放電、始め!〉
人の造りし雷を、地這う雷が突き上げた。
◇ ◇ ◇
森林の拡大に伴って、〈境界線〉は幾度と無く後退してきた。人類の、敗北の歴史。
打って棄てられた残骸と、朽ちるに任せた遺構を練って、再び人らは其の身を護る。仮設電線を網と成し、罠とばかりに地を這わす。
「小山内、効果を報告しろ」
指揮車の運転席で、佐藤がマイクに向かって喋る。
回線はオープンのままだ。少ない情報は共有させたい。
〈対象は速度を上げて進行中、大きな効果は認められない――〉
借り物の、其れっぽい言葉を並べた報告。糞餓鬼なので仕方が無い。
〈一次線は崩壊〉
当たり前のことだ。所詮、廃品利用の急造品。
電流の負荷に耐えられない。
〈佐藤さん〉
三宅からインカム越しに声が掛かる。
何だかんだで気丈なやつだ。
「何だ」
〈ブロントサウルスは、尻尾を引き摺っていました〉
「……なるほど」
右眉が、もぞりと上がる。なるほど、尾から電流を逃がしたか。
人の造りし歪な身体が、人の魔手より其の身を護る。
〈二次線ならば、尾まで含めて掛かるはずです〉
人差し指はトリガーガードに載せたまま、伊香が補足する。
「小山内、聞いてたな」
〈了解っす〉
小山内の、苦虫を噛んだような声がする。
仕事さえ熟してくれれば、嫌われることを厭いはしない。
〈対象、第二次線に入ります。カウント省略〉
「第二次線、用意」
〈第二次線、用意、大丈夫です〉
〈二、一、〇!〉
「放電、始め!」
号令に、再びミャケが雷を撃つ。ヒトが人たる力の一ツ。神の鳴りたる姿を真似て、神と成りしを自尊する。
総勢五ツの万雷が、地から天へと駆け昇る。乾いた皮膚を喰い破り、漲る血肉を灼いて往く。逃げ場を失くした雷が、雷の中で跳ね回る。
ぶもう、と一声、竜が泣く。ぐらり、と一度、地が揺れる。
巨体が四ツの膝を折る。様が脳裏に、はっきり浮かぶ。
佐藤から、安堵の口臭が零れ出る。急拵えの防衛線だ。
二〇トンもの肉塊に、正直、効果は疑わしかった。
やったか。とは音にしないでマイクを寄せる。
「効果をほうこ――」
〈受者不問! 応答せよ!〉
オープン回線で受者不問も無いが、小山内の声は切迫している。
零した安堵を啜り上げる。
〈対象から飛翔体が出現! 約一〇! 其方に向かう!〉
飛翔体。
疑うように反芻してみるが、小山内は同じことを繰り返す。
「伊香」
〈確認しました、不味いです〉
眼鏡を外して双眼鏡で、新たな敵を捉えて見せた。
伊香は極めて優秀だから、彼女が不味いと言ったら不味い。
〈――〈蝙蝠擬き〉です〉
竜は竜でも翼の竜だ。空の護りは全く無いから不味いも不味い、非常に不味い。
次から次へと厄介ごとだ。
あの餓鬼は、実に好い仕事をしてくれる。
恐竜の 歯磨き係と 配達員
ごうとなれるは 雷の竜
―了―