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花嫁クエスト  作者: 玉兎
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第十一章 北へ(一)


 解放暦二三八年九月初旬。

 いまだ夏の暑さが残る市街とは対照的に、ベルリーズの中央教会は冷たい空気に包まれていた。

 別段、ベルリーズが局地的な異常気象に見舞われたわけでもなければ、中央教会が魔人による大規模な魔法攻撃を受けたわけでもない。

 そういった話ではなく、もっと単純に、いま俺がいる部屋の空気が極寒と称して差し支えないレベルで冷え込んでいるだけである。



 原因は他ならぬ俺にあった。なにせ、室内を覆う冷気の源は、俺を見据える教団関係者の敵意と警戒によって醸成されたものであったから。

 その中でも、特に冷え冷えとした眼差しの人物が俺を見据えて口を開いた。



「では、認めるわけだな。教団の府庫から秘密裏に宝剣を盗み出したことを」



 罪人を鞭打つような鋭い声は大司教バルビウスのものであった。その言葉には、俺を犯罪者という枠に押し込めようとする断固とした意思が感じられる。

 これに対し、俺は小さくかぶりを振って応じた。



「盗んだのではなく、召喚したと申し上げたのです」

「教団の宝物に許可なく手をつける。これが盗みでなくて何であろうか。そうではありませんかな、諸卿?」



 バルビウスが同意を求めるように周囲を見渡すと、その場にいる人間の大半が一斉にうなずいてみせた。

 ひとり佇立する俺を、半円状にとりかこんで座っているのはシルル教団の重鎮たちだ。

 俺が顔を知っているのは教皇スーシャ、大司教バルビウス、聖騎士団長エロイス、枢機卿テトロドトスくらいだが、おそらく他の五名も主教だの大神官だのといった錚々たる面子なのだろう。



 今、俺を取り巻く状況を一言で言い表すならば「法廷」であった。

 罪人と、罪人を取り調べる裁判官たち。むろんというべきか、俺のかたわらに弁護人は存在しない。針のむしろとはこのことだ。

 おまけに、俺と彼らの間には十名あまりの教会騎士がずらりと居並んでおり、命令一下、いつなりと俺に斬りかかれる態勢をとっている。

 見たところ、騎士たちはいずれも恐ろしいほどの手練であり、特にバルビウスの傍に控えている白髪の騎士からは、片腕を失う前の聖騎士団長に匹敵する迫力が感じられた。



 イズの姿はどこにも見えない。この状況で勇者ブレイブハートの姿が見えないのは気になるが……まあだいたい察しはつく。

 ここで行われているのは、最初から有罪という結果の見えた茶番劇。そこに俺とつながりのあるイズを置いておくのは好ましくない、と誰かが判断したのだろう。イズを外す理由としては、蓬莱において独断で俺に聖剣をあずけたことを咎めて、といったあたりか。

 なんというか、もういっそ公開処刑とか魔女裁判とか呼んだ方がいいんじゃないかしら、これ。



 以上のように散々な状況に置かれている俺だったが、月喰を召喚した時点で、ベルリーズに戻ればこうなることはわかっていた。

 そもそも俺が蓬莱に行くことになった理由からして、すでに半ば以上厄介払いだったのだ。その俺が魔剣を片手に戻れば、新たな面倒事に巻き込まれるのはもはや必然だった。



 当然ながら自衛策は講じている。

 蓬莱で発行してもらった公文書がそれである。

 今の俺は蓬莱国公認の魔人殺しであり、朱鷺国佐、斑鳩九郎と並ぶ救国の英雄の一人。その旨は正式な文書でシルル教団や周辺諸国に通達されている。

 この公文書を発行してもらうために、俺は国佐との間にいくつかの約定を取り交わさなければならなかったが、それはさておき、そんな俺を処断すれば教団と蓬莱との間に深い溝が生じてしまう。



 いわば、今の俺は大国蓬莱の後ろ盾を得ているに等しい。もちろんウィンディアやランゴバルドとのつながりも健在である。

 バルビウスら一部の教団上層部(たぶん聖賢会議に連なる者たち)が、問答無用で俺を処断しようとせず、まがりなりにも「罪を裁く」という形式を用意したのは、このあたりが影響してのことであろう。



 おそらく連中の狙いはこうだ。

 『魔人殺し』については一言も触れず、事態を『魔剣盗難』に矮小化わいしょうかして俺を罪人に仕立て上げ、身柄を拘束する。

 盗難の罪だけでは俺を斬る罪状として弱いが、取調べと称してこちらに体力的、精神的消耗を強いることはできるし、そうやって俺の焦りと怒りを誘って激発させたところを斬り捨てることは不可能ではない。

 あるいは、もっと悪辣あくらつなことを考えている可能性もあった。

 つまり、俺を問答無用で斬り捨てた上で、取調べの最中に俺が暴れただとか、聖職者を人質にとろうとしただとか、適当な理由をでっちあげるのである。



 仮にも女神を崇める教団が、そこまでなりふり構わない手段に訴えてくるものか、とは思う。

 だが、その教団の母体となっているのは、人間同士を交配して魔人を生み出そうなどと考える組織なのだ。こちらの常識をあてはめるのはやめておいた方が賢明であろう。

 実際、俺の推測を肯定するように、バルビウスは奇妙に白々とした顔で次のようにのたまった。



「いかなる理由があれ、またいかなる立場の者であれ、理由なく府庫の宝物に手を出すことは許されぬ。まして、それが魔人を打倒し得る力を秘めた宝剣であるならば尚のこと、私有した罪は重いといわざるをえない。重罰の適用は不可避であると心得よ。大人しく罪に服するならばよし。認めぬとあらば、その身命をもって罪をつぐなうことになる」



 いちおうもっともらしく理由付けはしてあるが、大司教の心底は明白だった。生々しいまでの排除の意志が、言葉と顔の双方に宿っている。

 俺はあらためて確信した。

 ここは無理を道理にかえる魔女の庭だ。

 月喰を通した限定的なものだったとはいえ、俺は可能石の力をあやつって魔人を撃退した。聖賢会議はその俺を脅威と認識し、全力でこの世から抹殺しようとしているに違いない。



 ――ちろり、と唇をなめた。



 ここはまっとうな話し合いの場ではない。普通なら不可能なことでも、今ならばできるだろう。

 幸い、役者はそろっている。

 俺は意識的に恐縮した表情をつくり、大司教に頭を下げた。



「私が教団の府庫にある剣を許可なく持ち出したことは否定しようのない事実です。これに罪ありとの仰せはまことにもっともであると存じます」

「殊勝なことである」



 バルビウスはそう言ってうなずいたが、その顔には若干の戸惑いがあった。

 俺がここまで素直に頭を下げるとは思っていなかったのだろうか。

 ゆったりとした法衣をまとった大司教の両眼が、何かを探るようにすっと細められた。



「今の言葉、人類の至宝ともいうべき宝剣を私利私欲で振るおうとした――それを認めたと理解したぞ」



 いつの間にか『教団の宝物』が『人類の至宝』に進化し、ついでに私利私欲という文言まで追加されている。この言葉選びに他意がないとは誰にも言えまい。このまま放っておくと、そのうち俺は大陸壊滅を目論む悪の怪人に仕立て上げられてしまうかもしれん。

 こっそりそんなことを考えている間にもバルビウスの話は続いていた。



「魔人を討ったといっても、それはあくまで結果に過ぎない。魔人に宝剣を奪われていた可能性の方がはるかに高かったのだ。そうなっていれば、剣の力を得た魔人によって恐るべき惨禍が大陸にもたらされていたであろう。蓬莱の国が、かつてのコーラルのように闇に閉ざされていた可能性さえあったのだ。剣を無断で持ち出した罪は言わずもがな、無策に魔人に挑んだ軽挙もまた咎められてしかるべきである」



 強い口調で言い切る大司教。教団の重鎮たちはそれぞれうなずいたり、同意を口にしたりしながら、間接的に俺の罪を糾弾してくる。

 そんな中、ひとり異なる反応を見せたのは、俺の正面に座っている少女だった。

 静かにこちらを見つめる緑の双眸。教皇スーシャである。



 一見したところ、スーシャは冷静に事態を見守っているように見えたが、俺へ向けた眼差しの奥には隠しきれない懊悩が揺らめいている。

 聡いスーシャのこと、これが茶番であることは始まる前から理解していたに違いない。今すぐやめさせたいというのが本音であろうが、聖賢会議の一員であるスーシャはある程度バルビウスの企みを傍観せざるをえない。



 もし、今ここでスーシャが聖賢会議の意向にそむけば、連中は本格的にスーシャに疑いの目を向けるだろう。

 俺は聖賢会議にとって邪魔者であり、その俺をかばう教皇は聖賢会議にとって有害無益。

 おそらく彼らはスーシャを廃して新しい教皇を立てる動きに出る。それでスーシャが自由の身になれるならいいが、おそらく――いや、絶対にそうはなるまい。廃都の地下で語っていたように、今後スーシャは可能石を宿した人間を生み出す母体として、聖賢会議の管理下に置かれてしまう。



 それを避けようとすれば、今度は教皇と聖賢会議の本格的な対立が発生する。

 いずれもスーシャの望まざるところであり、だからこそ幼い教皇は懊悩を抱えて動けずにいるのだ。

 十一歳の女の子にこんな苦悩を強いる組織は、どう考えても間違っている。

 これから俺がとる行動は、スーシャを聖賢会議の頚木くびきから解き放つ最初の一歩になるはず。絶対に成功させねばならない。

 俺は内心で気合を入れなおし、ゆっくりと口を開いた。



「なるほど、確かに魔剣を奪われる危険を冒して魔人に挑んだことは軽挙だったやもしれませぬ。これに罪ありとの言葉、まことにごもっとも。皆様のおっしゃるとおり、この身は咎められてしかるべきでありましょう。ただ、願わくば一つだけ、この場で意見を申し述べさせていただきたい」

「魔人を討った功績をもって罪を免じろ、という訴えであれば聞く耳をもたぬぞ。そも、魔人を討ったのは蓬莱の朱鷺国佐殿であって、そなたはそれを手助けしたに過ぎないと聞いている。特別扱いをする必要は認めぬ」



 バルビウスの冷厳な声が響く。

 それを聞いた俺は苦笑して相手の敵意をいなした。



「そのようなことは申しません、バルビウス大司教。私が申し上げたいのは、あの剣が秘めた力の強大さです。私はこれまで幾度も魔人と遭遇し、実際に刃を交えてもきましたが、最も強大だったのは蓬莱で戦った魔人でした。その魔人の身体をやすやすと貫く神威の刃は、私たち人間の切り札となりえます。あの剣にはそれだけの価値がある。そのことを皆様にお伝えしたいのです」

 それを聞いたバルビウスは軽侮もあらわに鼻で笑った。

「わざわざそなたに説明してもらうまでもない。そのようなこと、シルル教団はとうに把握している。だからこそ、その貴重きわまりない宝剣を私有せんとしたそなたの振る舞いを咎めだてしているのだよ。まさか、その程度のことも理解していなかったのか?」



 責められた俺は恐縮したていで頭を垂れる。

「これは失礼しました。では、早急に次の使い手を見つけるべきという進言も無用のものですね。いや、わざわざ探し出す必要もありませんか。この場にいらっしゃるのは、シルル教団の文武の精髄というべき方々であり、私などよりはるかに優れた使い手となられるでありましょう」



 ここで俺はいったん言葉を切り――はじめて攻撃的な意図をもって言葉を編んだ。



「もっとも、これだけの方々がベルリーズにいながら、廃都解放より今日までの間、誰ひとりとして剣を手にしていないのは訝しいことではありますが。人の身で魔人を断ち切ることのできる刃を府庫で腐らせておいた理由、訊かせていただければ幸いです」



 それを聞いた瞬間、大司教の両眼に雷火が走った。

 すっくと椅子から立ち上がったバルビウスの口から痛烈な叱声がほとばしる。



「奇功をたてて増長したか! 若輩者が利いた風な口をきくでないわ!!」

 怒声がビリビリと部屋の空気を震わせる。

 さすがはシルル教団の大司教というべきか、バルビウスの声はただ鋭いだけでなく戦斧のごとく強靭で、他者の心を打ち据える重厚な迫力に満ちていた。もし俺が心にやましいものを抱えていたら、ひとたまりもなくその場にひれ伏していただろう。



 もっとも、今の俺にやましいところはあんまりない。迫力に押されることなく見返すと、こちらが平静を保っていることに気づいたバルビウスは、針のような眼光で俺を睨みつけてきた。

 次に大司教の口から出た言葉は直前のものより静かだったが、その分、陰にこもって聞く者の耳に不快に響いた。



「――あの剣は手にした者の心に回復不能の傷を与える。この場にいる者は、私を含めて皆が教団に、そして大陸の民に責任を負っている身。不用意に剣を手にすることなど出来ようはずもない。誰もがそなたのように軽々に振る舞えるわけではないと心得よ。そもそも、そなたは教団に対していかなる権利も有さぬ身である。次の宝剣の担い手が誰になろうと、そなたには何の関わりもなきこと。出すぎたことは言わぬがよいぞ」



 相手の冷え冷えとした宣告に対し、俺は困ったようにこてんと首を傾ける。

「たしかに私はシルル教団に対して権利を主張できる立場ではありません。しかし、次の使い手が誰になるかについては、多少関わりがあるのですよ。何故といって、その人物が見つからないかぎり、私の身に宿った権能はいつまで経っても消えないからです」

「なに?」

 それを聞いたバルビウス他の重鎮たちが怪訝そうに眉をひそめる。

「今の言葉、どういう意味か?」

「こういう意味ですよ――月喰イクリプス



 俺が魔剣の銘を口にするや、蓬莱のときと同様、月喰は瞬時に俺の手元に現れた。

 とたん、室内に大きなざわめきが起こる。さすがに慌てて腰を浮かせるような人間はいなかったが、真紅の魔剣を目の当たりにした彼らの顔には、多かれ少なかれ驚愕の感情が張り付いていた。

 特にバルビウスは、こめかみをぴくぴくと震わせて感情の制御に苦心している様子がうかがえる。おそらく、大司教は二度と外部からの召喚を許さないように、月喰に対して何らかの封印を施していたに違いない。だが、その封印が功を奏さなかったことは、俺の手の中で憩っている月喰を見れば明らかである。



 俺を取り巻く教会騎士たちの手が一斉に腰の剣に伸びる。

 俺はその様子を軽く一瞥してから先を続けた。



「このように、この剣は今なお私を主と認めて、銘を口にするだけで手元に現れる。だから私は今まで銘を口にしないように注意してきました。しかし、私も人間です。これから先、ふとした弾みで銘を口走ってしまう時が来ないとは言い切れない。むろん、できるかぎりそのようなことがないように努めますが、それはあくまで平時にかぎってのこと。魔人に遭遇するなどの命の危機に瀕した場合、私は躊躇なく召喚を行います。その都度、教団の府庫からは剣が消失することになる。そして、その都度、私は盗人としてあなた方に裁かれる羽目になる。私が次の使い手を気にせざるをえない理由は、これでおわかりいただけると思います」



 ここで俺は、剣の柄に手をかけた教会騎士、特に最初に目をつけた白髪の騎士に視線を向けた。

「この場にいらっしゃる教会騎士の方々は皆が相当の使い手とお見受けする。ついでです、ここで召喚とは異なるもう一つの権能もお見せしておきましょう。おそらく次の使い手は教会騎士から選ばれるはず。それがここにいる方であればよし。もし違うのであれば、その方には皆様の口から伝えてあげてください」



 そう言いおくと、俺は制止の声が届く前に覚醒をうながす文言を唱える。

 直後、魔剣の刀身が黒い炎に包まれ、不可視の魔力が室内に吹き荒れた。





◆◆◆





 シルル教団大司教バルビウスは、己の中で警戒心の水位が急激に上昇していることを自覚した。

 実のところ、バルビウスはテオのことを危険視してはいたものの、やがて自分の前に立ちはだかる巨大な障害になるとまでは考えておらず、それは蓬莱の一件を聞いた後もかわらなかった。

 なるほど、テオはバルビウスが用意した罠をくぐりぬけ、魔剣を掌握し、のみならず蓬莱国さえ後ろ盾にしてしまったらしい。この点、相手の力を測り損ねていたことは認めざるをえまい。

 しかし、シルル教団、なかんずく聖賢会議に席を得ているバルビウスにとって、それは些細な問題に過ぎなかった。



 言葉をかえて言えば、シルル教団の影響力を行使すればテオを制御することはたやすい、とバルビウスは判断していたのである。

 実際、先に蓬莱行きを命じたときもそうだった。

 テオはバルビウスの命令に危険があることを承知しながらも、シルル教団の公式な要請にあらがうことができずに従っている。

 おそらく当人は利害を考慮した末に決断したつもりだろうが、バルビウスの目から見れば、テオははじめから教団の命令に屈していた。その他の理由は後付に過ぎない。



 だから、今回の一件もさして難事であるとは考えていなかった。

 魔人殺しという大功も、蓬莱という後ろ盾も関係ない。教団組織の力でテオを縛りあげ、絞り潰す。そのための準備はととのえていたし、テオ自身、自分に罪ありと従容しょうようと認めている。成功は疑いないと確信していた。



 ――テオが魔剣の力を解放してみせたのは、そんな時である。



 バルビウスは地位に安住する型の権力者ではなく、廃都の地下を単独で探索できるだけの実力を有している。

 そんなバルビウスだからこそ、室内に吹き荒れた魔力の奔流と、それを生み出した魔剣の力に驚愕せざるをえなかった。たしかに、これならば魔人を討つことも不可能ではあるまいと思えた。

 他の教団関係者たちも、解放された月喰の力を前に声も出ない。教会騎士たちは剣の圧力に抗するだけで精一杯であり、テオを取り押さえるどころではなかった。



 粛然と静まり返った室内に、テオの静かな声が響き渡る。

「これが蓬莱の魔人を斬った月喰の真価、私が引き出すことのできる最大の力です。繰り返しますが、私は今後、可能なかぎり召喚をつつしみます。けれど、命の危機に瀕したときはその限りではありません。私は今回の罪を償った後、ウィンディア王国に戻るつもりですが、再びガルカムウで戦うようになれば、命の危機など掃いて捨てるほど訪れるでしょう。もしその時、あなた方がまだ次の使い手を見出していなければ、この剣は再び私の手元に戻ってくる。そのことはご承知おきいただきたい」



 テオがすっと剣の刀身を撫でるような動作をすると、黒炎は消え、室内に吹き荒れていた魔力嵐も消失した。

 思わず、という感じでバルビウスたちの口からため息がこぼれおちる。

 それを見計らったかのように、テオはにやりと笑って付け加えた。



「くしくも、さきほど大司教はおっしゃられた。この剣は人類の至宝であると。私もまた人類の一人であり、ガルカムウは人類を守る最前線。ならば、私が彼の地で剣を振るうことも許されてしかるべきでしょう。むろん、私が北に戻るまでに次の使い手が見つからなかった場合に限りますがね」



 力強く、野太く、聞く者の耳に響く声。

 バルビウスはその響きを振り払うように鋭く言い放つ。



「そのような勝手な理屈がまかりとおると思うのか? それこそまさに宝剣を私有するということではないか!」

 雷鳴のごとき怒声を浴びせられても、やはりテオは悠然とした姿勢を崩さなかった。

「魔人という人類の天敵を前にしたとき、彼奴らを討ち滅ぼす武具が我が手にあるのなら、どうしてこれを使わずにいられましょうや。彼奴らを討つ武具を手にしながら、彼奴らを討たずにいること。これもまた大いなる罪であると私は考えます。それを認めがたいとおっしゃるのであれば――」



 テオは鋭くバルビウスを見据えた。

「大司教よ、何度でも申し上げる。一刻も早く次の使い手を見出していただきたい。魔剣の所有権が、廃都遠征を成し遂げたシルル教団にあることは私も承知しております。私とて好んで盗賊の真似事をしたいわけではない。私はただ、この剣の力を無為に放置しておくことはできないと考えているだけなのです」



 再び、音吐朗朗おんとろうろうたる声が室内の空気を震わせる。

 そこに攻撃的な色合いは薄かったが、それでもバルビウスは気圧されてしまう。それほど力感に満ちた声だったのだ。

 眼前の相手に蓬莱行きを命じたのはほんの数週間前のこと。あのときのテオにこんな迫力はなかった。

 あの時と今と、何が違うのか。

 バルビウスは考え、ほどなくして答えにたどり着いた。



 ――自信、か。



 眼前の相手の心身をしっかと支えているのは魔人殺しとしての自信であろう。大司教はそう見て取った。

 自らが魔人を討ち退けたという確固たる自信がテオの言動に力を与えている。おそらくは当人が認識している以上に、はっきりと。



 奇功におごっていると言われればそのとおりだろう。

 魔剣の威を借りていると言われても否定はできまい。



 だが、英雄王アレス・フォーセインでさえ戦神の力を借りて魔人を討った。戦神は良くて、魔剣が駄目などという理屈は存在しない。

 誰に頼ろうと、何にすがろうと、魔人殺しは魔人殺し。それはテオにとって、これまでの自分自身のすべてを肯定する偉業であり、その自覚が刮目かつもくに値する変化を生んだ。

 その変化にバルビウスはついていけない。



「先ほどから大司教は私有という言葉をさかんに用いられる。しかし、考えてみていただきたい。今、お見せしたように、私は剣から魔人を倒す力を引き出せる。その私から剣を取り上げるということは、すなわち人類から魔人に対抗する力を取り上げるということです」

 それはあまりにももったいないことだ、とテオは言う。



 何も自分に独占させろなどとは言わない。教団の人間が魔剣を所有するなら、それはそれでかまわないのだ。

 そう考えたからこそ、一刻も早く次の使い手となるものを見出すべしと進言した。今、この場にいるシルル教団の英雄たちこそ、それに相応しいのでないかとも発言した。



「ところが大司教は、各々が地位も身分もある者たちゆえ、それはできぬとおっしゃられる。それでいて、私が剣を振るうことは私有だと非難される。シルル教団は魔人を打倒しえる力を無為に放置なさるおつもりか?」

 このテオの詰問にバルビウスは吐き捨てるように応じた。

「何度も言わせないでもらおう。我らが宝剣をどのように扱おうと、それはそなたが口出しすべきことではない。宝剣の所有権は廃都遠征を成し遂げたシルル教団にある。これはそなた自身が申したことだぞ!」



 それを聞いた瞬間、テオの両眼が恒星のごとくきらめいた。これまで努めて穏やかに振る舞ってきたテオが、ここにきてその穏やかさをかなぐり捨てる。



「いかにも私はそう申し上げた。そして、あなたはこうおっしゃった――剣は人類の至宝なり、と! そのとおり、この剣はシルリス大陸に生きる全ての人々の希望となるものです。いかに教団が所有権を有しているとはいえ、教団外の人間に使用を認めず、しかし己で使うこともせぬでは宝の持ち腐れ。金銀珠玉、絵画骨董ならいざ知らず、魔人に対抗できる武器を秘蔵するなど百害あって一利なし! よもやとは思いますが、研究と称して剣をエンテルキアに――魔人どもから最も遠い南の端に持ち込むつもりではありますまいな!? もしそうであれば、それは秘蔵ではなく死蔵と申すべきもの。私が私有するよりもなお悪い。教団による剣の私物化であり、ひいては魔人どもに利する行為です! シルル教団は大陸を滅ぼすおつもりかッ!?」




 テオの激語はこれまでとは異なる意味で場の空気を揺り動かした。

 一瞬の沈黙に続いて、教団の重鎮たちが口々に怒声を張り上げ、席を蹴立てて立ち上がる。ここまで審問をバルビウスに任せていた彼らも、今の台詞は聞き捨てならなかったのだろう。

 室内はたちまち騒然とした空気に包まれていく。

 このとき、バルビウスは他者に勘付かれないように注意しながらも、口許をかすかにほころばせていた。



 シルル教団に汚物をなすりつけたに等しいテオの言葉。教団に対してこれ以上の非礼はない。

 テオは明らかに言い過ぎたのだ。

 今ここでバルビウスがテオを無礼討ちにしたところで、とがめる者は誰もいない。聖賢会議に名を連ねているか否かに関わりなく、この場にいる全員が大司教の決断を支持するに違いなかった。

 テオの変化に戸惑って相手に主導権を渡しかけてしまったが、結果としてそれが良い方向に働いた。

 みずからの手で墓穴を掘った相手を内心で嘲りつつ、バルビウスは断罪の言葉を叩きつけるべく口を開こうとする。



 ――その寸前だった。



「黙りなさい!!」



 凛然とした少女の叱声が、バルビウスを、テオを、その場にいたすべての者たちを震え上がらせたのは。



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