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花嫁クエスト  作者: 玉兎
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第十章 喰らうモノ(五)


わらわの威にあらがい、力をはねのけ、挙句に七星以外の神鋼ミスリルを持ち出すとはのう。なかなか愉しませてくれるではないかえ、人間』



 魔との戦場と化した地下洞穴に響く蜜のような声。甘美であるがゆえに場違いな声の主が眼前の魔竜であることは明白だった。

 魔人フッキ。

 俺は聖剣を握る手に力を込める。向こうの言葉に取り合わないという選択肢もあったが、魔人が会話の意思を――たとえ嘲弄のためであっても――見せたのは俺にとって好都合だった。ここで時間を稼ぐことができれば、九郎の身体もある程度は回復するだろう。



「お褒めにあずかり光栄でございます――とでも言えば満足か?」



 皮肉が通じるようにできるだけ口をひん曲げて言い返すと、魔竜は愉しげに応じた。



『くふ、竜形のわらわを前にしてその言葉を吐けるだけで大したものぞ、人間。じゃが、うかつ、うかつよな。下級の魔人ばかりを相手にして慢心したか。この身は第五層、人界で最も深き闇の一つ。人間ごときが妾に打ち勝つことなぞできはせん』



 言うや、魔竜の三つの口、それぞれに巨大な炎の塊がうまれた。おそらく竜息ブレスの前兆だろう。

 どれほどの威力なのかはわからないが、ガルカムウで戦ったことのある竜種のそれは、俺の見ている前で複数の兵士をまとめて消し炭に変えてみせた。フッキの攻撃がそれ以下ということはありえない。たぶん、まともに喰らえば骨も残らず焼き尽くされるに違いない。

 逃げようにも祭壇の上に遮蔽物は存在しないし、たとえあっても遮蔽物ごと燃やされそうだ。それに、三方向から放たれる炎に死角があるとは思えない。



 正直なところ、早くも手詰まりの感があった。

 当然といえば当然である。

 相手は竜種の魔人。対するこちらはただの人間。聖剣の力を考慮に入れても、彼我の戦力差は隔絶している。

 そもそもの初めから勝負になるわけがないのだ。手詰まりになって当然なのである。



 フッキはこちらを殺そうと思えばいつでも殺すことができる。今だってごちゃごちゃ話をしたりせず、火を吐くなり魔法を使うなりすれば、俺を瞬殺することができるだろう。

 しかし、俺はこうして生きている。

 こちらに付け込む隙があるとすれば、ここしかなかった。

 暇つぶし、警戒、興味、なんでもいい。向こうがこちらを生かしておく理由を見つけることができれば、そこから相手の裏をかくことも、隙をつくこともできるはずだ。



 そんな俺の内心をよそに、フッキはなおも言葉を続ける。

『魔人が待ち受けていると知り、それでもなお挑まんとするは無謀。神鋼ミスリルを持ち出せば魔人を退けられると考えるは傲慢。無謀と傲慢をあわせもつは愚者に他ならぬが、ときに賢者の従順よりも愚者の反抗に興をおぼえることもある。妾の初撃をしりぞけた武、ユーベルの叛意を報せた功、その身にやどせし種、この三つをもって一度だけ機会をくれてやろうぞ。シルルの眷属を捨て、妾の軍門にくだるがよい。そちがうべなえば、そこな娘と丞相の地位をくれてやろ――』

「お断りだ、ボケ」



 思考時間、ゼロ。

 時間を稼ぐと言った舌の根も乾かないうちに、俺は魔人に対して問答無用の拒絶を突きつけていた。



「シルルの眷属というのはアスティア様のことだろう? どうして俺がアスティア様を捨てて魔人の下につかなきゃいけないんだ」

 死んでもごめんだ、と吐き捨てる。それは挑発ではなく、純粋な俺の本心だった。

 せっかく魔人が対話の意思を見せたというのに、思いきりそれを蹴飛ばした格好だが、これはもう仕方ない。たとえ芝居であっても、できないものはできないのだ。




 俺の返答を聞いた魔竜の動きがぴたりと止まる。

 向こうが人の姿をとっていれば、世にも珍しい目を丸くする魔人の姿が見られたかもしれない。

 ともあれ、向こうの提案をはねつけた以上、次に来るのは本気の攻撃だろう。

 俺はじりじりと後ずさりながら、いつなりと転進できるように準備をととのえた。魔竜が少しでも動けば即座に行動に移るつもりだったが、わずかな沈黙の後にフッキが選んだのは、意外なことにまたしても会話であった。



『……娘と共に生きる道を与えてやったというに、一顧だにせぬとは愚かしや。それは忠誠ゆえか、それとも誇りゆえか? いずれにせよ、天秤の片方に己と娘の命を乗せても釣り合うだけの価値があるものなのであろうなぁ?』



 フッキの声が耳朶を揺さぶる。先ほどまでとは異なり、笑いの成分が含まれていない魔人の声音は、不気味なほどに平坦だった。

 申し出に応じれば九郎を助けるということは、応じなければ俺と一緒に九郎も殺すということ。それでもいいのかという問いかけに、俺は「ふん」と鼻息を吐いた。



「もちろん釣りあうさ。だが、それを理解しろという気はない。どれだけ人がましくしゃべったところでトカゲはトカゲ。弱肉強食しか知らない魔物に、人間の機微きびがわかるはずもないからな。そろそろ眼も回復するころだろう? 耳障りな嬌声をわめき散らしていないで、さっさとかかってこい」



 わずかなりと敵の心を乱せれば。そう考えて、城壁のような巨体に嘲弄を叩きつける。

 どうやらその狙いは奏功したようで、俺が言い終えた途端、剣呑な気配がひときわ大きく膨れ上がり、魔竜の六つの紅眼が激しく輝いた。



『……く、くふふふ、ふ、ふ、ふあっははハハハハ!! アッハハハハハハッ!! 面白い、面白いぞ、そち! 虚勢にしてもよう言うた! 竜形をとった妾を前にしてよう言うた!!』



 下方から激しい破壊音が立て続けに響き、祭壇が大きく揺れた。俺の視界の外で、魔竜が三本の尾をつかって激しく地面を叩いているのだ。

 それが苛立ちをまぎらわせるための行動なのか、喜悦をおさえるための行動なのかはわからない。



『シルルの眷属めが出張ってきたとき、彼奴を退かせる材料にしてやろうと思うておったが……やめじゃ、やめじゃ! 決めたぞえ。そちは両の手足をもぎとってダルマにしてやろうぞ。案ずるな、死なせはせぬ。どれだけの血を流そうと、妾の力をもって癒してつかわそう。そうして、手も足も出ぬそちの眼前で、思うさま仲間を喰ろうてやろうではないか。もうやめてくれと懇願するまで存分に。早く殺してくれと錯乱するまでとっくりと! 司祭殿は二十ともたなかったが、種を宿すそちはどれだけもつのか、さても楽しみなこと!」



 おぞましい計画を語りながらも、伏姫の狂笑は途切れることなく続く。

 その声が高まるにつれ、不可思議な燐光が魔竜の身体を覆いはじめた。とっさに警戒する俺を尻目に、燐光は寄り集まって魔竜の身体を包み込み、光はさらに眩さを増していく。

 と、次の瞬間、竜の身体を覆っていた光がいきなり消失した。同時に、今の今まで視界を占拠していた三頭竜の巨躯がかき消える。



 すわ、空間転移かと周囲を見渡してもフッキの姿は見当たらない。呼吸一つか二つの間に、あたりは魔人出現以前の光景に戻っていた。

 静寂が耳に痛い。俺は眉間にしわを寄せながら視線を左右に配り、警戒を続ける。



 不意に、しゃらん、という澄んだ音が耳に飛び込んできた。

 同時に、前方の空間に変化が生じる。いつの間に現れたのだろう、今の今まで何もなかったはずの場所に一人の女性が立っていた。

 濡れたように艶やかな黒髪、黒曜石を思わせる大きな瞳、人形のように整った顔立ち、赤い唇。

 非の打ち所のない外見だった。

 美しいとよべる容姿だった。

 ただし、それは血の色を美しいと呼ぶ意味においてである。



「竜形ではうっかり潰してしまいかねぬ。ゆえに人の姿で相手をしてつかわそう。大言にふさわしい戦いを期待するぞえ、人間」

 血の色をした唇の両端がつりあがる。

 次の瞬間、あでやかに笑う魔人フッキの身体を黒い炎が包み込んだ。



◆◆



「――ぐッ!?」



 フッキが黒炎をまとった途端、俺の口から低いうめき声がもれた。

 魔力と殺意が渾然となって空気が粘性を帯び、呼吸をするたびに咽喉がつまる。

 竜身であった時とかわらない――いや、かわらないどころか、それ以上の重圧プレッシャーに自然と顔が強張る。



 この黒炎は白精樹でユーベルが見せた力の一つ、触れるだけで相手の武器を融解させる超高温の攻性結界だ。

 もし俺の武器が聖剣でなければ、この時点で絶体絶命だったろう。

 しかし、火輪であれば黒炎の守りを切り裂くことができる。そのことはすでにイズが白精樹で証明していた。



 今のフッキは武器も防具も身につけていない。

 ここを先途と斬りかかろうとした俺だったが、フッキはこちらの動きに先んじて左手を宙に突き出した。

 すると、空間からにじみ出るように一本の武器が現れる。



 長大な柄に幅広の刃がついたその武器は偃月刀。フッキの部下が持っていたものと同種の武器である。

 部下のものと違う点を挙げるとすれば、それは大きさと鮮麗さ。

 フッキの偃月刀は部下のそれより一回り大きく、柄には竜を象った彫刻がほどこされている。磨きぬかれた刃は鏡のような光沢を放ち、武器というより工芸品と呼ぶに相応しい逸品だった。

 その偃月刀を軽やかに回転させたフッキは、低い声で耳慣れない言葉を口にする。



『五臓六腑を引き裂かん――冷艶鋸れいえんきょ



 魔人が発した言葉が古代語なのか、神性語なのか、あるいはそれ以外の言語なのかを判別することはできなかった。

 わかったのは、魔人がその言葉を発した途端、偃月刀が赤黒い光に覆われたことだけである。戦場において、死者の腹からはみでた臓物のごとき不気味な色。

 磨きぬかれた聖刀が、瞬く間に醜悪な凶器に変じた。



 脈動するように明滅する魔人の武器を前に、俺は半歩だけ後ずさる。

 冷艶鋸なるこの偃月刀、明らかに普通の武器とは一線を画している。

 気になるのは、今の一連のフッキの行動が、俺がイズから教わった聖剣解放の手順に酷似していることだ。

 あの偃月刀が聖剣火輪と同種の武器だとすれば、それは何を意味するのか――




 そんな俺の疑念に気づいたのか、フッキがにんまりと口角をあげた。

「まさか神鋼ミスリルを有するのが自分たちだけと思うていたのかえ? そんなわけはあるまいて。人間でさえ魔人を切り裂くことができる神代の武具。それを魔人が用いれば、さて、どうなるか――」



 言葉が途切れるや、偃月刀を構えた魔人の姿が視界から消失する。

 空間転移。

 反射的にその場から飛びのくことができたのは、過去の魔人との戦いの賜物だった。



 背後で膨れ上がる殺気。

 耳元を薙いでいく偃月刀の刃音に背筋が凍る。あとわずかでも反応が遅れていれば、間違いなく頭部を撃砕されていただろう。

 俺はそう思って内心で胸をなでおろしたが、安堵するのは早計だった。



『其は水、其は火、其は力。見えざる姿をあらわして、秘めたる力を解き放たん』



 耳に響くのはフッキのなめらかな詠唱。俺に斬撃をかわされた魔人は、即座に攻撃手段を魔法に切り替えたらしい。

 まずい、と思ったときにはもう遅かった。

 はじめに聞こえたのは、ヒィィィン……という奇妙に耳に残る音。強いて例えるなら、銀製の食器の端っこを軽くスプーンで叩いたような、そんな音だった。

 その直後。



 ズガンッッ!!

 という爆発音が至近で轟き、凄まじい衝撃が俺を吹き飛ばした。

 俺の身体は嘘のように軽々と宙を舞い、そのまま激しく祭壇に叩きつけられる。



「があああッ!!?」

 骨という骨が砕けたかのような激痛が全身を襲い、俺はたまらず苦痛の叫びをあげた。

 両耳が錐でえぐられたように激しく痛むのは、至近で聞いた轟音のせいだろう。



 気が付けば、俺は祭壇の端まで吹き飛ばされていた。九郎がいる階段側とは正反対の場所。こちらには階段はなく、崖のように垂直に切り立った地形の先に地面へと続く無明の闇が広がっている。

 もし、爆発の威力がもう少し大きければ、俺はそのまま祭壇から弾き出されていただろう。言うまでもなく、落ちたら助からない高さである。



 助かった。

 知らず、そんな言葉が脳裏をよぎったとき、魔人の嘲弄が聞こえた。



「寝ている暇があるのかえ?」



 直後、凄まじい衝撃が腹部を襲った。

 転移で真横にあらわれたフッキが、這いつくばっている俺の横腹を思い切り蹴り飛ばしたのだ。

 容赦などかけらもない強烈な打撃を腹に受け、俺は身体を「く」の字に曲げて再度祭壇の上を転がり――



「………………あ」

 そのまま俺の身体は祭壇を離れた。ぞっとするような浮遊感が全身をわしづかみにする。



「くそッ!」

 とっさに左手を伸ばした俺は、かろうじて祭壇の端に手をかけることに成功した。

 だが、それを魔人が黙って見ているはずがない。

 祭壇にかけた左手に激痛が走った。



「宙に浮かぶこともできぬとは、人間とは不便な生き物じゃのう」

 そううそぶく魔人の足は、俺の左手を力任せに踏みにじっている。

「こ、の……ッ!」

 奥歯をかみ締めて苦悶の声をおし殺し、この状況でとるべき手段を模索する。

 なんとか反撃したいところだったが、今の俺は万歳状態で祭壇のへりにぶらさがっている。この体勢から頭上にいるフッキに斬りつけることは不可能だ。



 打つ手のない俺に対し、フッキは完全にこちらの生殺与奪の権を握っている。

 偃月刀を逆手に持ち替えるや、無言で俺の右肩に突きたててきた。

 鋭い刀身が深々と肩肉をえぐり、脳天に杭を打たれたような激痛がはしる。さらにフッキは傷口をえぐるように刃を小刻みに動かしはじめた。

 たちまち、俺の視界が真っ赤に染まっていく。



「が……あ……あ、がッ!?」

 あまりの痛みに全身ががくがくと震えた。

 フッキはそんな俺を文字通り見下しながらわらった。



「くふ、はよう神鋼ミスリルを手離しや。さもなくば腕ごと切り落とすぞえ?」



 その声が終わらないうちに、俺は聖剣から手を離していた。フッキの言うことに従ったというより、あまりの激痛に意識が朦朧としていたのである。

 しまったと思ったときには、イズから預かった聖剣は俺の手を離れていた。



 魔人が唇を歪める。

「くく、聞き分けがよくて結構なことよ。もっとも、つい先ほど大言壮語をした者としては、いささか情けないとも思うが――の!」

 最後の一声と共に、偃月刀の刃がさらに深く肩口に刺し込まれる。

 たまらず、俺の口から絶叫がほとばしった。




 魔人はそんな俺を眉一つ動かさずに見据えながら、淡々と述べた。

神鋼ミスリルを持っていれば、わらわとまともに戦えると思うたか? 竜形でなければ、己にも勝ち目があると思うたか? 身のほどをわきまえよ、人間。言ったはずじゃぞ。人間ごときが妾に打ち勝つことなぞできはせん、とな」



 言い終えるや、フッキは俺の左手を踏みつけていた足を持ち上げ――そのまま無造作に蹴りつけた。

 それだけで十分だった。

 唯一の支えを失った俺の身体は宙に投げ出され、重力に引かれるまま、地面に向かって真っ逆さまに落下していった。



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