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花嫁クエスト  作者: 玉兎
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第十章 喰らうモノ(四)


 霊山洞穴最深部。溶岩が川となって流れる暑熱の空間に、俺は再び足を踏み入れた。

 国佐配下の兵の姿はすでにない。

 溶岩の熱気と臭気、そして魔人の重圧。吸い込む空気は汚泥のごとく淀み、両の手足は鉄の枷をはめられたようにただただ重い。

 兵たちが九郎の救出を諦め、引き返すことを決断したのもやむをえないと言わねばなるまい。



 むろん俺としては最後まで頑張ってほしかったのだが、滝のような汗を流し、手足を震わせ、土気色に変じた顔を向けてくる相手に無理を強いることはできなかった。

 それに、本音を言うと、こんな兵たちを魔人相手の戦場に連れて行ったところで物の役に立たない、という判断もあった。



 かくて、ひとり最深部にたどり着いた俺は、改めて周囲を見渡した。

 あたりの光景は以前ユーベルと遭遇したときから変わっていない。全容が見渡せないくらいに広大な地下空間。その空間の中央につくられた高大な祭壇。

 人間や魔物の姿は見当たらないが、魔人の存在感はここに来るまでよりもさらに強く、濃くなっている。ビリビリと肌をひりつかせる感覚は、白精樹でユーベルと戦ったときを想起させた。



 いる。間違いなく、魔人はここにいる。



 自然と視線が祭壇に向く。百を超える階段と、その先にしつらえられた祭壇は、この広間における唯一の人造物だ。九郎がいるのも、魔人が待ち受けているのも、間違いなくあそこだろう。

 一度だけ、大きく、深く、深呼吸してから、俺は腰の聖剣を抜き放つ。



あかつきをここに――火輪かりん



 俺の声に応じて聖剣の刃が黄金色の光に包まれていく。

 イズから教わった神性語による聖剣解放だ。

 俺は奇跡(神聖魔法)のたぐいは使えないが、聖剣の解放は奇跡ではなく剣への呼びかけに過ぎず、持ち手がキーワードを口にすれば術式の素養とは無関係に発動し、加護を与えてくれるらしい。

 事実、洞穴に足を踏み入れてからずっと感じていた魔人の圧迫感が、少しだけ遠ざかった気がした。




 準備万端ととのえた俺は、剣を片手に階段に足をかける。

 一歩、また一歩と階段を登るにつれて、自然と表情が険しいものになっていった。

 九郎が伏姫に捕らえられてから、すでに何日も経過している。

 何らかの危害が加えられている可能性はきわめて高く、正直なところ、今の九郎の状態を想像したくはない。

 だが、こういうとき、想像力というのは厄介なもので、考えたくもない悲惨な結末が次から次へと脳裏に浮かび上がってきた。



 どれだけ振り払っても尽きることなく湧き上がってくるバッドエンドの水源は俺の記憶だ。

 俺はウィンディアで何度も何度も何度も何度も目の当たりにしてきた。魔物によっておぞましい死を強制された人々を。

 それは俺が子供の頃に殺された父親であったり、大侵攻の最中に殺された友人であったり、長城勤務時代に殺された同僚であったり、山岳騎士時代に殺された先輩であったりした。

 そういった人たちの顔が九郎のそれと入れ替わって、脳内で繰り返し再生されていくのだ。どうしたって眉間にしわの一つ二つできようというものである。これを止めるには、自分の目で九郎が置かれている状況を確かめるしかないだろう。




 そうして、覚悟を決めて階段をのぼりきった俺の目に映ったのは三つの人影。

 うち一人は両手両足を縛められている九郎である。こちらの姿に気づき、目と口で三つのゼロを形作かたちづくっている。ここから見るかぎり、手足が欠けていたり、顔のパーツが損なわれていたりすることはなさそうだ。俺の姿に驚いている以上、記憶喪失や精神異常ということもないだろう。

 知らず、口から安堵の吐息がこぼれる。



 と、そんな俺の姿を見とがめた残り二つの人影が、こちらに向かって殺到してきた。

 いかめしい顔つきの初老の男性と、愛らしい容姿の少女。

 状況からして九郎の見張り、つまりは伏姫の配下に違いないが、それにしてはおかしな点が多い。なぜ武器も持たずに突っ込んでくるのか、それ以前にどうして服を着ていないのか。

 動きも直線的で凡庸の域を出ておらず、斬り捨てるのはたやすいだろう。しかし、魔人が何の考えもなしにこの二人を祭壇に配置するとは思えない。



「操られているのか?」



 真っ先に思い浮かんだ可能性はそれだった。ガラス玉のような二人の目を見れば十分にありえる可能性だ。死人のごとき肌色も、魔人の隷下に置かれたゆえと考えれば納得がいく。

 もしかしたら、男の方は右丞相である大瑠璃淑夜なのかもしれない。すこしばかり年齢が合わない気もするが、もしこの人物が蓬莱の重鎮だとすると、ここで俺が斬り捨てると面倒なことになる。



 と、そのとき。

 ためらいを覚えた俺の耳にしゃがれた声が飛び込んできた。



「……二人とも、斬ってくれ、テオ殿……ッ!」



 その声は間違いなく九郎のもので、しかも今日まで聞いたことがないほど切実なものだった。こちらを見る眼差しには懇願さえ混じっている。

 俺はその声と眼差しに突き動かされるように、ほとんど反射的に剣を振るっていた。結果、男性と少女はあっけなく倒れる。



 二人の身体が砂とも灰ともつかない物質に変じるまで、かかった時間はごくわずかだった。

 その変化を目の当たりにして、俺は眉をひそめる。

 魔物、だったのだろうか。魔人の配下にしては弱すぎる気がするが、まあ細かいところは九郎に聞けばいいだろう。

 俺は祭壇の床に倒れ伏した九郎のもとに駆け寄り、手足と膝を縛っていた革紐を断ち切った。



 束縛から解放されたとたん、九郎の口からうめくような声がもれる。

 なんとか立ち上がろうとしているようだったが、何日も同じ体勢でいたせいだろう、手足の動きは緩慢だった。



「……ぅ。できる範囲で身体は動かしていたんだが……」



 あまり意味はなかったか、と九郎は顔をしかめる。その声は先ほどと同じくしゃがれていた。

 敵に捕まっていた日数から考えても、飲まず食わずを強いられていたわけではないはずだが、与えられるものは必要最低限だったのだろう。

 見れば、九郎の近くには木製の粗末な皿が転がっている。これに水なり食べ物なりを入れていたとなると、それこそ犬猫のような扱いを受けていたのだろう。



 わずかに顔を歪めながら水袋を差し出すと、九郎は礼をいって震える手で受け取った。

 ゆっくりと時間をかけて中身の三分の一ほどを飲み干すと、人心地ついたように大きく息を吐き出す。そして、地面に腰をつけた格好のまま、俺を見上げた。



「訊ねたいことは山ほどあるが、何をおいてもまずは礼を言わねばな。もう何度目になるかわからないが……ありがとう、テオ殿。あなたには本当に助けられてばかりだ」



 深みのある黒の双眸がじっと俺の顔を見つめている。普段であれば照れの一つも感じるところだが、今はそれどころではなかった。



「なんの、困ったときはお互いさまです。それにまだ助かったと決まったわけではありません。早くここから脱出しないと」



 とおりいっぺんの返答をすると、俺は九郎が立ち上がるために手を貸した。

 相変わらず魔人の気配は濃厚だ。さっきの二人が使い魔のたぐいだとすれば――いや、たとえそうでなくても、俺の侵入はとっくの昔に悟られている。一秒でも早く、この忌々しい場所から脱出するべきだった。



 ただ、気になるのは、こうして九郎を縄目から解き放っても魔人が出てこないことだ。

 楽観的に考えれば、国佐の陽動が思いのほか上手くいっているのだろう。

 洞穴を包む空気はいわば魔人の残り香であり、俺が勝手に魔人がいると思い込んでいただけなのかもしれない。



 だとしたら、やはり早いところ洞穴から逃げ出さねばならん。

 九郎は俺の手を借りて何とか立ち上がろうとしていたが、見るからにつらそうだ。膝はぶるぶると震えており、これではしばらくの間、走ることはおろか歩くことさえできそうにない。

 九郎は嫌がるだろうが、ここは俺が背負って逃げるしかなさそうだ。

 そう考えた俺が、その旨を九郎に告げようとした、その時。




 ――ずるり、と。




 なにか、途方もなく重く、粘着質な音が洞穴の奥から響いてきた。

 俺たちの視線が吸い寄せられるようにそちらに向けられる。

 視界には何も映っていない。ただ黒々とした空間が口をあけているだけ。

 だが俺は、おそらくは九郎も、はっきりと感じ取っていた。生贄の祭壇の奥。たぎる溶岩の熱気さえ退ける暗闇の空間を、こちらに向けて移動しているモノがいることを。



 身震いするほどの禍々しさが洞穴全体を包み込み、両肩にのしかかっていた重圧が倍加する。

「……これ、は……」

 九郎が震える声で呟く。

 俺の額にも冷たい汗が浮かんでいた。

 予想もし、覚悟もしていたことだ。今さらうろたえるつもりはなかったが、それでも、まさかこれほどとは、との思いを禁じえない。



 白精樹で本気を出したユーベルも恐ろしい魔力を放出していたが、これは違う。魔力がどう、強さがどうというのではない。存在そのものの格が違う。

 逃げなければ。

 そんな思いが脳裏をよぎった次の瞬間、凄まじい叫喚が響き渡った。




『クオオオオオオオオオオォォォアアアアアアアアアアアア!!』




 壁が、祭壇が、天井が、視界にうつるすべてのものが大きく震えた。声に込められた憎悪と迫力に、身体と心が軋みをあげる。



「ぐぅぅぅぁッ!?」

「ぬぅッ!?」



 俺と九郎の口から同時にうめき声が漏れる。

 ただ叫喚を浴びせられただけだというのに、心臓が激しく脈打っている。汗が止まらない。ともすれば、剣を持つ手さえ震えてしまいそうな、圧倒的な敵意の放射。



 咆哮と同時に、それまではゆっくりと響いていた移動の音が一気に早くなる。ずるり、ずるりという振動は、今や絶え間のないずずずずずという音に変じている。

 かくて。

 俺たちがろくに体勢をととのえることができないうちに、それは姿を現した。




◆◆◆




 其は蓬莱をおおう魔の元凶。

 三つの首と三つの尾と、黄金の翼を持つ竜種の雄。

 憎悪にたぎる瞳は紅く、生きとし生けるものへの敵意を孕み。

 金鱗の体躯は城壁のごとく、見上げるほかにすべはなし。

 其の前に立つ者、汝、命を懸けるべし。

 ひとたび彼の前に立たば、決着は互いの命の終焉によってのみ訪れん。




◆◆◆




 視界にうつる魔竜の身体は大きかった。以前に乗せてもらったアスティア様の騎竜が可愛らしく見えてしまうほどにでかかった。

 俺は今、高所につくられた祭壇の上に立っている。向こうの身体は洞穴の床に接している。にもかかわらず、魔竜の三つの首は俺を見下ろす位置にある。

 体躯の差は圧倒的だった。



『グオオォアアアアアア!!』



 魔竜の三つ首が再度の咆哮をあげ、俺の身体を喰い裂かんと迫り来る。

 人間一人ならば丸呑みできそうな巨大な口。そこに生えた牙は太く鋭く、処刑人の首斬り斧を連想させる。ひとたび魔竜の顎に捕まったら防具など何の役にも立たないだろう。

 俺はとっさに九郎の身体を抱いて後方に飛んだ。

 腕の中で九郎が「わぁッ!?」と狼狽した声をあげているが、すまん、かまっちゃいられん。



 寸前で標的おれたちを見失った魔竜の口が激しく祭壇を叩き、足元を大きく揺らす。

 その揺れがおさまらないうちに抱えていた九郎の身体を地面に下ろすと、俺はふらつく九郎の耳元で短く告げた。

「祭壇をおりて、通路に逃げ込め!」

 ろくに歩けもしない相手に無茶をいっていることはわかっている。が、このまま九郎を抱えてもたもた逃走することを向こうが許すとは思えない。ここは九郎にがんばってもらうしかなかった。




 九郎の返事を待たずに魔竜と対峙する。祭壇に食らいついた首の一つ、その赤く光る目に狙いを定めた。

 六つの紅眼が、突っ込んでくる俺をぎろりと睨みすえた。

 そのとたん、全身にしびれるような悪寒が走ったのは、もしかしたら邪眼のたぐいを使われたからかもしれない。



 だが、俺は一切速度を緩めずに魔竜に肉薄し、そのまま聖剣を叩きつけた。

 巨体ゆえの動きの鈍さのせいか、あるいは邪眼が利かなかったことが意外だったのか、魔竜はこの攻撃を避けようとはしなかった。ただ瞼を閉じただけだ。

 あるいは、避けるまでもなく剣撃を弾き返せると考えたのかもしれない。



 実際、並の剣であれば黄金色の竜鱗を切り裂くことはできなかっただろう。

 だが、魔人殺しの聖剣はその異名に恥じない切れ味を発揮し、敵の金鱗を切り裂き、その下に隠された紅眼に痛撃を与えた。



『ギギュオオアアア!?』



 魔竜の口から苦悶の咆哮がほとばしる。

 俺は委細かまわず、そのまま二撃目、三撃目を続けざまに叩きつけていく。祭壇上に金色の剣光が閃く都度、魔竜の鱗は深々と切り裂かれていった。



シャアッ!!」



 とどめとばかりに刺突を放ち、敵の眼窩をえぐる。

 ひときわ高まる苦悶の叫び。

 そのとき、横合いから殺到する気配に気づいた俺は、敵の鱗を蹴りつけて身体ごと後方に飛んだ。

 直後、一瞬前まで俺の身体があった空間を竜頭が唸りをあげて通過していく。わずかでも反応が遅れていれば喰い裂かれていただろう――などと安堵している暇はなかった。



 鼻が曲がるような悪臭が一瞬で嗅覚を汚染する。

 わずかに遅れて警告の声が耳朶を打ち据えた。



「テオ、上!」



 せっぱ詰まった声は九郎のものだ。これまでは欠かさなかった敬称も外れている。

 促されるままに上を見れば、断頭台のギロチンさながら、不吉な輝きを帯びた竜の牙が至近まで迫っていた。いうまでもなく、三つ首の最後の一つである。



 俺の身体を噛み砕くべく大きく開かれた口。鼻をつまみたくなる悪臭は、この魔竜に喰われて果てた者たちの命の残滓ざんし

 これが俺の命を救ってくれた。視界外からの攻撃を回避できたのは、九郎の警告もさることながら、この悪臭がいち早く危険を伝えてくれたからである。

 俺は強引に身体をよじり、地面に身を投げ出した。無理な動きをしたせいで身体が軋みをあげたが、食い裂かれるよりはずっとマシだと考えて苦悶の声を飲み下す。



 直後に聞こえたガチンッッという重い響きは、魔竜の上下の顎が噛み合わさった音だろう。

 きっと処刑台でギロチンが落ちる音もこんな感じに違いない。

 そんなどうでもいい確信を抱きながら、俺は痛みをこらえ、すぐさまその場で立ち上がった。自分が五体満足であることを確認しつつ、魔竜と距離を置く。




 敵の眼を一つ潰し、こちらの負傷は地面に身を投げたときの擦り傷のみ。

 一連の攻防を制したのは間違いなく俺である。

 だが、この勝利に大した意味がないことは、他ならぬ俺自身がよくわきまえていた。

 相手は魔人。魔法の一つも使ってこない時点で本気を出していないことは明白なのだ。

 端的にいって、今の俺は遊ばれているのだろう。猫にいたぶられるネズミのように。



 窮鼠、猫を噛むともいうが、追いつめられたネズミがどれだけ必死に猫を噛んだところで相手を殺せるわけではない。

 そんな俺の考えを肯定するように、散々斬り付けた竜眼がみるみるうちに回復しているのが見て取れた。

 それが魔人の回復魔法なのか、竜種が備えた自然治癒能力なのかはわからないが、聖剣がつけた傷でも回復されてしまうとなると、今の俺ではもう打つ手がほとんどない。




 ちらと後ろを振り返ると、階段の手前あたりで膝をついている九郎の姿が見える。

 俺の言葉どおり逃げようとしてくれたようだが……やはり無理があったようだ。

 そんな状態で俺のピンチに気づき、警告してくれたのはありがたいというしかないが、今、魔竜が九郎に標的をかえたら防ぐすべがない――そこまで考えた俺は、ふと自分の思考に疑問をおぼえた。



 いや、まて。魔人が今になって九郎を標的にするか?

 魔人が何の理由もなく九郎を生かしておいたとは考えにくい。向こうは九郎の身になんらかの利用価値を認めているはずだ。その九郎を、あえてここで殺すだろうか。

 考えてみれば、今の攻防でも魔人は隙だらけの九郎に攻撃をくわえようとはしなかった。

 となると、俺が九郎を抱えて――ぶっちゃけ、盾にして――逃げるという選択肢は有効かもしれない。



 もちろん、九郎もろとも噛み砕かれる、あるいは踏み潰されるという結末も十分に考えられる。

 が、少なくとも、今ここで動けない九郎をかばいながら、何の策もなく魔竜になぶられ続けるよりはマシな選択であろう。



 数瞬の思考ですばやく考えをまとめた俺は、敵の動きを注視しつつ少しだけ腰を落とした。

 行動すると決めたなら迷いは禁物だ。一気に転進し、九郎を引っ担いで階段を駆け下り、洞穴の通路に逃げ込まねばならない。

 機会があるとすれば、敵が眼の治療を完了させていない今しかあるまい。

 三、二、と脳裏でひそかに数を数える。

 それがゼロに達し、俺が地面を蹴って敵前逃亡を敢行しようとした、まさにその寸前。



『……くくく』



 くつくつと笑う声があたりに響き渡った。

 いかにも愉しげで、だからこそ、この場に不釣合いな女の声。

 状況を考えれば不気味としかいいようがないはずなのに、奇妙に耳に心地よく、聞く者の心を甘くからめとる声の主が誰なのか。

 今さら考えるまでもなかった。



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