第十章 喰らうモノ(二)
「イズ!? なんでここに!?」
草むらから出てきた相手の顔を見て、俺は思わず声を高くした。
予想外といってこれほど予想外なことはない。どうしてベルリーズにいるはずのイズが青岳の草むらに潜んでいるのか――俺はそこに疑問を覚えたのだが、どうやらこちらの声はイズの耳に届かなかったらしい。
かわりに、イズの桜色の唇から疑問が雨あられとなって降り注いできた。
「わ、ほんとにテオだ! 怪我してない? お腹空いてない? 国境の兵士に追われて行方知れずになったって聞いたけど、今日までどこで過ごしてたの? 一緒にいた九郎さんは無事? ええと、それからそれから――」
「ちょ、ちょっと待った、ひとまず互いに落ち着こう!」
声だけでなく身体全体で「心配してました!」と訴えながら、ぐいぐいと迫ってくるイズを慌てておしとどめる。
思わぬところで思わぬ相手と鉢合わせしたことで、俺の頭の中では疑問符が乱舞していた。おそらくイズも似たような状態だろう。こんな状態で蓬莱兵と遭遇すれば、致命的な不覚をとってしまいかねない。
そんな俺の危惧が伝わったのか、イズは片手で自分の口を押さえて、こくこくとうなずいた。
うん、この微笑を誘われる反応、間違いなくイズ本人だ。偽物、幻覚のたぐいではない。
しかし、このイズが本物なら本物で、どうしてベルリーズにいるはずのイズが、という先ほどの疑問が再燃する。
いやまあ、さっきのイズの言葉を聞けば、大体の事情を察することはできるのだけど。
俺と九郎が行方知れずになった事実をベルリーズに報告できるのは二人だけ。俺たちと同行して蓬莱までやってきた教会騎士たちだ。彼らのうち、少なくとも一人は無事であり、青岳で起きた出来事を報告したのだろう。
ベルリーズを発つ前にバルビウス大司教に聞いた話では、教皇は勇者が働き過ぎであると心配しており、今回の蓬莱事変では待機を命じたということだった。
しかし、俺たちが失敗した(かもしれない)ことでイズを動かさざるをえなくなった――というのが、イズが青岳にやってきた顛末に違いない。
これについて確認をとると、イズは感心したようにぱちぱちと手を叩いた。
「わ、すごいね、テオ。大正解」
「やっぱりか――いや、だとしても、ちょっと到着が早くないか?」
教会騎士たちが俺と九郎のことを知らせるために即日ベルリーズへ引き返し、それを聞いたイズが即日こちらに馳せ向かってくれたのだと仮定しても、今ここにイズがいるのは驚きだった。
俺たちがベルリーズ=青岳間の街道を走破するのに要した時間はざっと五日。それも夜を日に継いで、替え馬まで使ってのことだ。単純に計算しても、イズが青岳に来るまでには少なくとも十日が必要ということになる。
ひるがえって、俺と九郎が青岳に踏み込んでから今日まで、まだ十日は経っていない。
計算が合わん、と首をひねっていると、イズが少し自慢げに胸を張った。
「アグリが頑張ってくれたおかげだよ。本人、あれ、この場合は本馬かな? ともかくアグリとしても久しぶりに思いっきり走れて大満足だったみたい」
今はふもとの村の厩舎でのんびりと秣を食べていると思う、とイズは笑った。
イズが口にしたアグリというのは彼女の愛馬の名前である。以前、セラの樹海に向かったときには俺も何度か手綱をにぎらせてもらった。
なんでもイズが勇者に任じられた際、聖騎士団長であるエロイスから贈られた馬であるらしい。
良い馬であることはわかっているつもりだったが、まさかベルリーズから青岳までの道のりをたった一頭で完走し、なおかつ俺たちよりもタイムを縮めるほどパワフルだとは知らんかった。
千里の馬、という言葉が脳裏をよぎる。
「犬は飼い主に似るというが、馬も飼い主に似るんだな」
しみじみ言うと、イズはわずかに首をかしげた。
「んん? 褒め言葉と受け取っていいのかな?」
「激賞ととってもらってかまわないぞ。おかげでめちゃくちゃ助かった。今回の件が片付いたらアグリには好物のリンゴを山ほど差し入れ――はさすがに太るか。かわりにハチミツがけリンゴを進呈しよう」
「ああ、それはきっと跳ね上がるくらい喜ぶね。そのまま天馬みたいに飛んでいっちゃわないか心配だよ」
イズがくすくすと微笑む。
つかの間、あたりには和やかな空気が流れたが、状況は俺たちにくつろぐことを許さない。
イズはすぐに笑みをおさめ、表情を真剣なものに切り替えた。
「それで、テオの方はどうしていたの?」
問われた俺は蓬莱での出来事を語るべく口を開いた。
この国で魔人が暗躍していること、その魔人の使嗾で蓬莱軍がカーナ連合王国に攻め込もうとしていること。俺と九郎のこと、蓬莱王と右丞相のこと、国佐と老婆のこと。
語るべきことはいくらでもあったが、すべてを説明しようとすると時間がいくらあっても足りない。俺はなるべく手短に蓬莱で起きたことを述べ立てていった。
この危急のときにイズへの説明に時間を割く理由は何なのか。
それはもちろん、イズに報告の役目を代わってもらうためだった。
こうしてイズと鉢合わせたことは、俺にとって僥倖以外の何物でもない。イズならば俺以上にスーシャと親しく、教団内外における発言力もあわせ持っている。要するに、俺よりもはるかに報告者として適しているわけで、そのイズに役目を託すことができれば、俺は何の憂いもなしに霊山洞穴へ向かうことができるのだ。
今も魔人に捕らわれている九郎のことを思い、俺は奥歯を噛みしめる。
九郎が伏姫によって霊山洞穴に連れて行かれたことは、村を出る前に国佐たちから聞かされている。
もし、伏姫がすぐにでも九郎に牙を剥いていたら……考えたくはないが、あの少女はもうこの世の人ではないだろう。その可能性を考えると歯ぎしりを禁じえない。
だが、この点に関していえば、俺はまだ楽観を保っていた。向こうの狙いが九郎の命だけならば、わざわざ霊山洞穴に連れ去る必要はない。それこそ王宮で喰ってしまえばいい。
しかし、伏姫はそうせずに九郎を霊山に連れ去った。
おそらく老婆の推測どおり、伏姫の狙いは霊山洞穴に九郎の仲間を誘い込むことにあるのだろう。
したがって、現時点で九郎はまだ生きている可能性が高い。
俺は自分にそう言い聞かせているのだが、胸を苛む焦燥が消えることはなかった。むしろ、焦りは募る一方といっていい。
世の中には死んだ方がマシという状況がいくらでも存在する。命さえあればそれでいいわけではないのだ。
ましてや相手は魔人。先に捕まった斑鳩司祭たちがたどった末路を思えば、敵の手中にある九郎を案じずにはいられない。
このことを国佐の口から聞いたとき、本音を言えば、報告なんぞ後回しにしてすぐにでも霊山に向かいたかった。
しかし、俺ひとりが独行したところで九郎を救出できる可能性はゼロに等しい。そうして俺が無駄死にした挙句、巫女の皮をかぶった魔人がエンテルキアにある女神の霊廟にたどり着いてしまえば、シルリス大陸は壊滅し、テオ・レーベの名は愚者の代名詞に成り果てる。
そう考えたからこそ、俺は焦る心をねじ伏せ、九郎の救出を国佐たちにゆだねてここまでやって来たのである。
そんな俺にとって、目の前にいるイズがどれだけ光り輝いて見えることか!
これでイズが、危険がどうこう、スーシャがどうこうといってこちらの行動を制止しようとすれば、勝手ながら俺は苛立ちを禁じえなかっただろう。道理が向こうにあるとわかっていても、である。
だが、さすがというかなんというか、イズは俺を引きとめようとはしなかった。
それだけではない。余計な質問を差し挟むことなく最後まで話を聞いたイズは、こちらが求める前に求めていた言葉を口にしてくれた。
「そういうことなら、ボクがテオの代わりに聖下に事の次第を報告するよ。それでいいんでしょ?」
俺の望みも焦りも見抜いた上で、一番欲しい言葉を言ってくれる。
このとき、俺の視界に映るイズは確かに後光が射していた。誰かを素で拝みたくなったのはアスティア様以来である。
「話が早くて助かる。事が事だから、そこらの人に代理を頼むわけにもいかなくてな」
それを聞いたイズは、確かにね、と苦笑いを浮かべた。
「噂に名高い姫巫女は魔人であり、その周囲にいるのは魔人の眷族である竜種たち。蓬莱王は魔人に手懐けられて傀儡同然。そして蓬莱軍の標的はセラの樹海ではなく、カーナ連合王国とエンテルキア聖教国。魔人は聖都の奥にある女神の霊廟を開いて、魔王を大陸に引き入れるつもりである――こんな内容を別人経由で伝えられても、聖下も困っちゃうだろうね」
まったくだ、と俺は満腔の同意を込めてうなずいた。
こうして改めて俺以外の人間の口から聞かされると、なんと胡散臭い話だと思ってしまう。
厄介事を丸投げすることを申し訳なく思いながら、俺はイズに頭を下げた。
「たぶん、大司教あたりが色々言ってくると思う。申し訳ないが、よろしく頼む」
すると、イズは慌てたように両手を左右に振った。
「あ、いや、テオが頭を下げることはないよ! 今回の任務は、もともとボクがやるべきことだったんだから、ボクこそテオに謝らないと。あと、ボクのことを気遣ってくれたことのお礼も言っておかないといけないし」
いやいや、と今度は俺の方が両手を左右に振る。
「任務を受けると決めたのは俺なんだから、礼を言われることじゃあ――って、こんなことを言い合っている場合じゃなかった!?」
ここから霊山までは一日二日の距離ではない。こうして運よくイズに任務を託すことができたからには、一刻も早く国佐の村に戻って九郎救出の面子に加えてもらわねばならない。
そう考えた俺は慌しくイズに別れを告げる。
それに対してイズは、腰に差している剣を鞘ごと抜く、という行動で応じた。
「はい、これ」
「……いや、はいこれと言われましても」
イズが差し出した剣は、言うまでもなく魔人殺しの聖剣 火輪である。大陸全土を見渡しても数本しか遺されていないであろう神代の宝剣、シルル教団の至宝。
「相手が魔人なら、これがあった方がいいでしょ?」
そう言って、イズはにこっと微笑んだ。こちらの戸惑いに気づいていないはずはないだろうに、実にさっぱりとした笑顔である。
俺は乱暴に頭をかいた。
「そらまあ、いいか悪いかで言ったらいいに決まってるが――大丈夫なのか? 教皇から授かった神剣を勝手に他人に渡したりして」
スーシャはともかく、バルビウス大司教は間違いなく激怒するだろう。イズに対しては好意的な聖騎士団長も黙ってはいまい。へたをすると、勇者の称号を剥奪されてしまうのではないか。
眉間にしわを寄せて問い返すと、イズはしれっとした顔で応じた。
「それはまあ、いいか悪いかでいったら悪いに決まってるね。だから――」
「だから?」
「後でちゃんと返してね。もちろん、テオ自身の手で、だよ」
そういってぱちりと片目をつぶる勇者様。
俺は深々と頭を下げることしかできなかった。
◆◆
その後、イズと別れた俺は蓬莱兵に注意しながら国佐の村に駆け戻り、事の次第を国佐に伝えて救出作戦への参加を求めた――のだが。
はじめ、国佐は疑わしげな表情を隠さなかった。これは無理もないと俺も思う。俺が国佐の立場でも、やはり同じような表情を浮かべただろう。
しかし、幸いにも俺はイズと出会ったれっきとした証拠を持っている。イズから借り受けた聖剣を見せるや、国佐は目を瞠って驚きをあらわにした。
先刻まで俺が腰に差していた剣とは形状が違う。切れ味が違う。秘めた力にいたってはケタ違い。聖剣火輪は人の手でつくれる代物では決してない。
この剣の存在が、俺の話が真実であるという何よりの証拠となった。
「勇者イズ・シーディアと、魔人殺しの聖剣の話は聞いたことがある。まさかこのような時に目にするとは思っていなかったが……ババ、どうだ?」
鞘に刻まれた神性語を指でなぞりながら、国佐が老婆に問いかける。
それまで目を皿のようにして聖剣を凝視していた老婆は、国佐に対して深々とうなずいてみせた。
「ババも聖剣を我が目で見たことはござらんゆえ、確実に、とは申し上げられませぬ。したが、この剣が大いなる力を秘めているのは確か。なるほど、これならば魔人を討つことも不可能ではありますまい」
それを聞いた国佐は、そうかとうなずき、剣を俺に返した。
「偶然の一語ではとうてい説明できん。戦士殿は恐るべき強運の持ち主だな。大事をなす者にとって、運とは何物にも代えがたい大切な資質。さても羨ましいことだ」
「恐縮です」
俺は短く応じて聖剣を受け取る。
正直なところ、全部が全部運のおかげ、と言わんばかりの国佐の言葉はあまり心に響かなかった。
たしかに山中でイズと出会えたことは運が良かったと思うが、そもそもイズが危険をかえりみずに青岳まで出向いてくれなければ、どんな強運も活かしようがなかった。真に頼みにすべきは運ではなく人だろうと、そう思う。
ただ、そんなイズと知り合いになれたことも俺の強運の一部だと考えれば、国佐の言い分も的を射ている。
だとすれば――
「では、俺の強運が尽きないうちに九郎殿を助けに行きましょう。霊山へは私が。王宮の方はそちらにお任せします」
俺が言うと、国佐は力強くうなずいた。
「心得た。先に説明したとおり、こちらも霊山へは別働隊を向かわせる予定だった。戦士殿はそちらに加わっていただこう。本隊が王宮で動いた後、別働隊はそれに乗じて洞穴内部へ突入し、敵の手から九郎殿を救い出す。場合によっては、魔人なり、竜種なりと戦うことになるが……」
「むろん、覚悟の上です。その際は私が聖剣をもって先頭に立ちましょう」
「頼もしいことだ。よろしく頼む」
そういって国佐が差し出してきた左の手を、俺はしっかと握り返した。




