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花嫁クエスト  作者: 玉兎
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第九章 海東青(七)


 先王の陵墓で国王の手勢に捕まったとき、九郎は抵抗しなかった。もっと正確にいえば、抵抗できなかった。

 待ち構えていた国王の手勢は、陵墓外に伏せていた隊も含めると百名を軽く超えており、戦うことはもちろん逃げることさえ不可能だったのである。

 九郎と大瑠璃淑夜はそのまま王宮へと連行され、国王じきじきの審問を受けることになった。

 大勢の廷臣の前でさらし者にされながら――ではなく、国王の私室で。



 近衛兵によって引き据えられた二人。テーブルには陵墓から運び出された七星剣と正理の鏡が置かれている。どうやら、これも国王の指示であるらしい。

 ほどなくして志士果が姿を現し、両手両足をいましめられた九郎たちの前に立つ。

 あらわれた志士果がまず最初にやったことは、近衛兵に退出を命じることだった。兵士たちは驚いた様子だったが、王の命令に抗うことはできず、命じられるままに部屋の外に出て行く。



 それを見た九郎は、国王の行動の意図がつかめずに困惑した。

 今の九郎たちは両手両足に枷をはめられ、おまけに両膝を革の紐で縛られているため、立ち上がることさえできない。当然、国王に危害を加えることもできないわけで、護衛である近衛兵を下げても問題はないといえばない。

 ただ、世の中には手足を動かさずに魔法を唱えられる人間も存在する。

 罪人相手に国王がひとりで向かい合うのは無用心というしかなかった。



 そんな九郎の疑問が解消したのは、志士果が七星剣の柄を掴みとったときである。

 蓬莱王家の血に反応する神授の剣。九郎が最後にその輝きを目にしたのは、先代国王が健在だった三年以上前のことになるが、謁見の間の端にまで届く眩い光ははっきりと脳裏に焼きついている。

 今代の国王である志士果の手に握られた七星剣は、あのときに勝るとも劣らない輝きを発するはずだった。



 ――しかし。

 志士果に握られた七星剣の光は、九郎の記憶にあるそれに遠く及ばなかった。

 九郎の顔に浮かぶ疑念に気づいたか、志士果は荒く鼻息を吐き出す。



「その反応を見るに、貴様自身は知らぬのか、斑鳩九郎。あるいは、知っていてとぼけているのか」

「……何を仰っているのか、わかりかねます」



 九郎は警戒しつつ、志士果に言葉を返す。

 返答は嘲るような声音で行われた。



「わからぬとあらば、教えてやろう」



 そういうと、志士果は無造作に九郎のそばまで歩み寄り、束縛された九郎の手を乱暴につかんだ。そして、無理やり七星剣の柄に触れさせる。

 とたん、眩い輝きを放ち始めた宝刀の刃を見て九郎は絶句してしまう。

 確かに斑鳩家は王家の血が流れる名門だから、七星剣が反応すること自体はおかしくない。九郎自身、この反応を期待して陵墓に赴いた。



 だが、それを考慮しても、この輝きは強すぎる。先王が剣を手にしていたときに匹敵する眩さ。

 言葉を失った九郎の耳に、志士果の舌打ちが音高く響いた。



「ふん! なるほど、死んだあの男に勝るとも劣らない鮮烈な輝きだ。まさしく太陽のごとし、といったところか。斑鳩九郎、貴様の身体には建国王から続く蓬莱王家の竜血が脈々と息づいている。そのことが、たった今、証明されたのだ。さてもうらやましいことよ」



 そう言うや、志士果は呆然とする九郎から七星剣の柄を離した。

 すると、剣を包んでいた光は大きくしぼみ、それに呼応するように志士果の表情も暗く重苦しいものに変化していく。



「見ろ、余ではこのざまだ。貴様に比すれば、月と称することさえおこがましい、かそけき光しか生み出せぬ。この身にも王家の血はわずかながら流れているが、せいぜい一滴か二滴といったところ。血の濃さにおいて、余はとうてい貴様に及ばぬ。ここまで説明すれば、馬鹿でも理解できるであろう。余は王家の正統の血を引いておらぬ。引いているのは貴様だ、斑鳩九郎」

「何を、仰って……」



 あまりにも予想外のことを聞かされた九郎は、声を詰まらせながらも否定の言葉を発しようとする。

 しかし、志士果は九郎の驚愕など一顧だにしなかった。

 この場にいるもう一人の人物、大瑠璃淑夜に目を向けて、さらに続ける。



「どこの馬の骨とも知れぬ余を王と崇めるよりは、純血を保つ貴様を王位に据えたいと願う者がいるのは当然のこと。ゆえに、余は秘密が暴かれないように二種の神器をあの男の墓に埋葬した。ただ、これははじめから秘密を知っている者に対しては何の効果もない。淑夜よ、貴様がそうであるようにな」



 九郎と同じく、淑夜も両手両足両膝を縛られて身動きできない状態に置かれている。

 主君に名を呼ばれた淑夜は、かすかに身体を震わせながら志士果を見上げた。その右半面が大きく腫れ上がっているのは、陵墓で待ち構えていた国王の手勢に剣の柄で殴打されたためである。

 そんな淑夜を、志士果は傲然と見下ろす。



「貴様は十七年前の一件を知る、今となっては数少ない生き残り。余はあの男と母上――大瑠璃妃の間に産まれた子ではなく、したがって、余と貴様の間に血のつながりは存在せぬ。国中が大戦を前に騒然としている今こそ、下賎の王を玉座から追放する好機だと考えたのか?」

 問われた淑夜が顔の痛みをこらえながら口を開くと、兵士に殴打されて欠けた前歯があらわになった。



「へ、陛下……どうか、それがしの話を、お聞きいただきたく……」

 右眉をはねあげた志士果は、唇を曲げて言う。

「ほう? 余に背いておきながら、なお余を陛下と呼ぶのか。何なら僭王と罵ってくれてかまわぬぞ?」

「陛下……それがし、が、神器を求めたは、君側の奸を、討たんがため……」

「君側の奸。それは正にきさまのことではないか、淑夜。裏切り者の右丞相よ」



 淑夜が言葉を発する都度、志士果は冷笑を浮かべて相手の言葉をさえぎっていく。

 その声は憤懣と敵意がみなぎっており、とてものこと、相手の話に耳をかたむける余裕はなさそうだった。

 このままでは埒があかぬと考えた淑夜は、思い切って真相に踏み込むことを決断する。



「陛下、伏姫殿は、魔人にございます……ッ!」



 かもしれぬ、という言い方では説得力に欠ける。確たる証拠などないが、あえて淑夜は言い切った。

 その声はくぐもっていたが、意味が聞き取れないほど濁っていたわけではない。伏姫は魔人なり、という淑夜の弾劾は確かに志士果に届いていた。

 だが、それは音として届いていたにとどまり、志士果の心に達することはなかった。



「そうか。で、それがどうした?」

 冷ややかな反問。淑夜の訴えが、志士果に対して砂粒ほどの動揺を与えることもできなかったのは明白である。

 淑夜は思わず口ごもった。



「……ど、どうした、といって……」



 淑夜としても、主君が何の疑いもなく自分の話をうのみにするとは考えていなかった。当然、疑いはするだろう。笑い飛ばすこともあるかもしれない。あるいは、亜母と慕う相手を魔人呼ばわりされて激怒するか。

 そのいずれにせよ、激情家の国王が何らかの反応を示すのは間違いない、と淑夜は考えていた。

 眉一つ動かさずに反問されるとはまったく予想しておらず、そんな淑夜に対して志士果は軽侮もあらわに吐き捨てる。



「君側の奸。ふん、古来より謀反人どもが好んで使う言葉だな。我は主君に背くにあらず、君側の奸を討って政道を正すのみ――そういって己を正当化するわけだ。斑鳩九郎を余のかわりに立てるだけでは、ただの謀反に過ぎない。七星剣をもって血の正統性を証し立てたとしても、亜母を慕う国民を納得させることは難しかろう。だから、貴様はこう考えたわけだ。巫女として人間離れした実績と呪力を持つ亜母を魔人に貶めてしまえ、と。この策が成れば、亜母を成敗し、余を追放する行いは謀反ではなく、魔人と僭王を討ち果たす義挙となる」



 志士果は感心したように両手を叩いてみせた。

「さすがは余が抜擢した右丞相、よく考えたものではないか! 野心のために他者を魔人扱いし、あまつさえその醜行を押し隠すべく神器と姪までも利用しようとは、いや、まったく恐れ入った奸智であることよ! 小心翼翼と余に仕えた三年は、滾る野心を隠すための擬態に過ぎなかったわけだな」

 そこで言葉を区切った蓬莱王は、相手の知恵を称える表情から一転、憎々しげな相貌をあらわにした。



「――見下げ果てた裏切り者めが」



 低く押し殺した声。目に宿る酷薄な光。

 この国王の変化に淑夜は気づかず、気づいた九郎の警告は間に合わなかった。



「右丞相閣下ッ!」

「な……ぎィッ!?」



 丸太のごとき志士果の右足がひるがえり、床に座らされた淑夜の左側頭部に炸裂する。

 手加減など微塵もない一撃を喰らい、淑夜の小柄な身体は鞠のように吹っ飛んだ。

 右丞相はそのまま壁に叩きつけられ、重い音をたてて床に転げ落ちる。室内の調度が地震のように大きく揺れた。



◆◆



「……あ、が……う、がぉぉ……ッ」



 あまりの苦痛に顔をあげることもできず、床でのたうちまわる淑夜。

 その口から切れ切れに発される苦悶の声を聞いても、志士果は眉一つ動かない。その視線がゆっくり九郎へと向けられた。

 九郎の身体が緊張でわずかにかたくなる。縛られた状態では相手の暴力に対抗できない。



 だが、志士果は九郎に対して粗暴な振る舞いはせず、どっかと椅子に腰を下ろした。

「案ずるな、貴様に危害を加えるつもりはない。少なくとも今はな」

 そう口にした志士果の左手が、一瞬、酒杯をさがすように卓の上をさまよったが、そんな場合ではないと自制したのだろう、すぐに手の動きを止めた。

 かわりに、今も呻いている淑夜へ向けた嘲笑を発する。



「それにしても、言うに事欠いて亜母が魔人とは笑わせてくれる。亜母は余が即位してより三年、いや、それ以前からこの上なく忠実に余に仕えてくれているのだぞ。魔人がそのようなことをするはずがあるまい」

 それだけではない、と志士果は続けた。

「蓬莱の国も、民も、あの男の時代よりもはるかに豊かになったではないか。それは疑いなく亜母の功績。貴様の言葉が正しいとすれば、魔人が人間に忠誠を尽くし、人間の国を豊かにしたことになるのだぞ? いやはや、魔人とは何と親切で心利いた存在なのだろうなあ、淑夜」



 つい先刻まで信頼する股肱の臣であったはずの相手に、志士果は皮肉と嘲弄を浴びせていく。

 嗜虐に染まる若き蓬莱王の口元には、三日月に似た笑みが浮かんでいた。



「ひるがえって、亜母を魔人とそしる貴様は、三年の間、余のために何をした? 蓬莱のために何をした? 貴様がしたことといえば、亜母と余の言うがままに政務をこなしただけではないか。ああ、善人面をして余を見限り、斑鳩九郎にすり寄ったことも付け加えるべきだな。つまるところ、忠節においても、功績においても、貴様は亜母に遠く及ばぬ。その貴様が亜母を魔人とそしれば、その言葉はそのまま己に返ってくるのだぞ。忠節においても、功績においても魔人に及ばぬ役立たずだと。仮に、亜母が本当に魔人だったとして、忠実で有能な魔人と、不実で無能な人間、余がどちらを信じると思う?」



 ここで志士果はぎょろりと巨眼を動かし、じっと九郎を睨み据えた。

「斑鳩九郎。貴様は淑夜の言うがままに動いただけか? それとも、貴様自身も亜母が魔人であると主張するか?」

「主張するつもりはございません」

 九郎が静かに応じると、志士果は、ほう、と言いたげに眉をあげる。

「では、貴様は淑夜の傀儡であったわけだ」

「それも否と申し上げます。主張とは、己の考えを相手に認めさせるためのもの。それがしは御身を説き伏せるつもりはございませぬ。伏姫は魔人であり、彼の者を排するために全力を尽くすことこそ、それがしのやるべきことと、そう考えております」



 真正面から国王を見据えて己の考えを述べる九郎に対し、志士果はどこか面白そうな顔で唇をなめた。



「ふん、ぴいちくぱあちくと、よくさえずることよ。芋虫のごとく縛められた己の無様を自覚してなお、それだけ喋れるのなら大したものと言わねばなるまい」

 そう言うや、志士果は相手を脅すように声を低めた。

「危害を加えぬとは言った。だが、その言葉が無制限に貴様を守るものとは思わぬことだ。余の慈悲は貴様ではなく、貴様の母親に向けた気遣いと知るがいい。貴様の無礼が母親の恩恵を超えたとき、余を押さえるものは何もなくなると知れ」



 それを聞いた九郎の顔にいぶかしげな表情が浮かぶ。

 実際、今の今まで自分自身の素性を知らなかった九郎にとって、志士果の言葉の半分近くは理解の届かないものだった。

 ここで志士果は遅まきながら九郎に十七年前に起きた一件を語ってきかせた。

 王妃の座をめぐる後宮の暗闘。大瑠璃妃が産んだ子供。国王と大瑠璃と斑鳩の間で取り交わされた誓約。

 すべてを、志士果は見てきたように語る。聞いていた淑夜が訂正の必要をおぼえないくらいに、その内容は精確だった。



 眉間に深いしわを刻む九郎に対し、志士果は愛憎半ばする眼差しを向ける。

「余は貴様の中に流れる血の半分を敬愛し、半分を憎悪している。繰り返すが、貴様に危害を加えないのは、貴様が母上の娘であるからだ。だが、正直なところな、あの男に似た目元を持つ貴様の顔、先ほどから頬骨が粉々になるまで殴りつけてやりたくて仕方ないのだ。しかる後、血反吐を吐くまで、その細い身体を踏みにじってやれば、くく、さぞかし気が晴れるであろうなあ!」



 あの男、と口にするとき、志士果の顔には他にたとえようもないくらいに明確な憎悪の感情が浮かびあがる。

 志士果のいう「あの男」が先代の蓬莱王であることは明らかだったが、かりにも父親に対して、どうしてここまでの憎しみを抱けるのか。



 鬼気の一端を向けられた九郎の背に悪寒がはしる。

 五体満足であればともかく、今の九郎では子供に襲われても手向かいできない。まして、志士果のごとき巨漢に襲いかかられれば、それが暴力であれ、陵辱であれ、対抗のしようがなかった。



 そんな九郎の警戒心を知ってか否か、志士果はなおも語り続ける。

「『伏姫は魔人であり、彼の者を排するために全力を尽くすことこそ、それがしのやるべきこと』か。斑鳩九郎よ、試みに問うが、貴様は魔人が何であるのかを知っているのか?」

「……シルリス大陸に生きる者で、それを知らぬ者がおりましょうか、陛下」

「ふむ。では、言葉をかえて問おう。魔人の存在は一から十まで悪なのか?」

「……何を、仰っているのですか?」

「なに、暇つぶしの戯言だと思って、答えてみせよ」

 眉をひそめる九郎に対し、志士果はぺろりと唇をなめた。



「仮に亜母が魔人だとしても、その亜母が廷臣の誰よりも余に忠実に尽くしてくれたのは事実だ」

「それは陛下の信を得て、利用せんがためでございましょう」

「そうかもしれぬ。だが、それの何が悪い?」



 それは開き直りではなく、純粋な疑問の発露だった。

 自分に向けられた問いかけに悪意がないことが、余計に九郎に悪寒を強いる。



「亜母が今日までどれだけ蓬莱のために尽力してきたと思う? これも先に申したが、蓬莱の国も、民も、あの男の時代よりもはるかに豊かになったではないか。それこそ、余が狩りと漁色に明け暮れても、国が微動だにしないくらいに安定した治世を実現せしめたではないか。これが亜母の功績ではなくて、何だという? 亜母が余を利用したというのなら、余も亜母を利用した。そして、蓬莱の臣民はなべてその恩恵に浴してきたのだ」



 この言葉は、伏姫に迫害を受けてきた斑鳩家やシルル教徒、さらには朱鷺家をはじめとした旧特権階級の者たちを無視していたが、志士果はそれに気づかず、あるいは気づいていても気にかけず、言葉を続けた。



「蓬莱は亜母という魔人の下、戦乱に苦しむことなく、貧困にあえぐことなく、平和を享受してきた。それだけではないぞ。亜母が余のかたわらにあるかぎり、蓬莱が魔人に襲われることは決してない。北の王国のごとく、一年を通して魔物に苦しめられるような事態は起こり得ぬのだ。これ一つとっても、亜母が魔人であることを否定する必要はないと思えるがな。利用という言葉が悪ければ、信用と置きかえてみよ」



 たちまち、人と魔を結びつける美談の出来上がりだ。

 そういって志士果は低い笑声を発した。

 そんな志士果を見て、九郎は強い憤りを覚える。

 実際に魔人と対峙した九郎からすれば、今の志士果の言葉はあまりに危機感に欠けていると思わざるを得なかった。



「そのような心持ちでは、いざ魔人が牙を剥いてきたとき、為す術なく滅ぼされることになりましょう」

「なるほど、信用させてから裏切る。効果的な策だな」



 志士果はわざとらしく、感心したようにうなずく。

 そして、次のように続けた。



「だが、それは別に魔人にかぎった話ではあるまい。魔人を信じようと、人間を信じようと、裏切られる可能性は常につきまとう。ゆえに、余は人間か否かで信じる相手を決めようとは思わない。それがけしからぬという者もいよう。蓬莱の王にふさわしからぬという者もいよう。だが、見よ。今、貴様らがこうしてこの場に引き据えられていることこそ、余の見る目が確かだった証ではないか。裏切り者は亜母ではなく貴様らだ。余に背いたのは魔人ではなく人間だ! くはは、その裏切り者どもが、亜母は魔人だからいずれ裏切ると主張することの、なんと滑稽なことよ! 貴様ら、よもや剣では余を殺せぬからと、笑い死にさせるつもりなのではあるまいな!?」



 言うや、志士果は言葉どおり高らかに哄笑した。

 唱和する者のいない孤独な笑いは、しかし、すぐに途切れて志士果の低い声が九郎に向けられる。



「それともう一つ。斑鳩九郎、貴様は先にこう言ったな。亜母が余に近づくのは余を利用せんがためだ、と。この言葉、亜母の部分を人間ないし廷臣と改めてみよ。ほれ、何の違和感もないであろう? 蓬莱王たる余にとっては魔人も人間も大差ないのだ」

 志士果は何かを、あるいは誰かをあざける表情を浮かべた。

「だが、それをもって余を責めるのはお門違いというもの。なにしろ、余は望んで王位に就いたわけではないのだから。あの男が――貴様の父親が、くだらぬ目的でくだらぬ小細工をしなければ、余にも、蓬莱にも、もっと違った『今』があったはずなのだ!」



 怒声が室内の調度をビリビリと震わせる。

 炉のごとく煮えたぎる志士果の両眼を目の当たりにした九郎の背に、氷塊が滑り落ちた。

 今代の蓬莱王が、感情の起伏が激しい人物であることは淑夜から聞いていた。だが、それにしても感情の浮き沈みが激しすぎる。志士果は心のうちに飼っている悍馬かんばの手綱を握ることができていない。



 志士果の胸に巣食う精神の荒廃。九郎はここにきてそれに気がついた。

 その九郎の眼前で、志士果は堰を切ったように怒声を迸らせている。



「知っているか、斑鳩九郎。貴様の父親が生まれて間もない我が子を取りかえるような真似をしたのはな、母上を――大瑠璃の姫を愛し、正妃にしたかったからではない。あの男は大貴族どもの娘を娶るのが嫌だった。だから、実家の勢力が弱く、性格も気弱だった母上に白羽の矢をたてたに過ぎん。誰でもよかったのだ。己に唯々諾々と従う娘なら、誰でもな!」



 わずかでも物を考える頭があれば誰でも理解できる、と志士果は吠える。



「あの男が本当に母上を愛していたのなら、我が子を取り上げて他家にあずけるような真似をするものか! どこの馬の骨とも知れぬ赤子を渡して、汝の子として育てよなどと告げるものかよ! 大貴族どもの干渉が疎ましいなら、王たる己が毅然と対処すべきであろうが! あの男はその程度のこともできず――否、しようともせず、詐術を弄して母上を正妃に据えた! そうして貴族どもの不満の対象を己から余と母上にすりかえたのだ! なんたる愚ッ! なんたる卑ッ! あのような男を、何も知らずに父と慕っていた己に吐気がするわ!!」



 叫び終えた志士果は、ふぅ、ふぅ、と荒い息をついた。

 そんな国王を目の当たりにしながら、九郎は意外というしかない成り行きに動揺を隠せずにいる。

 ややあって、おもむろに志士果が口を開いた。



「それが余にとってはかりそめの、斑鳩九郎、貴様にとってはまことの父親の正体だ。ある意味、貴様は幸運だったのだろうよ。あんな男の近くで育たずに済んだのだからな。母上はあの男の無情と酷薄に耐えかね、蝋燭の火が掻き消えるような儚さで亡くなられた」



 大瑠璃妃の最期を口にしたとき、はじめて志士果の顔に怒りとは異なる感情が浮かび上がった。

 決して怒りが消えたわけではない。ただ、怒りを上回る一つの感情が蓬莱王の胸中をかき乱し、自然に怒声を押さえつけたようである。



「……母上は、この王宮でただ一人、余のことを気にかけてくれた御方だった。血のつながらない余を、わが子として精一杯に慈しんでくれた御方だった。亡き母上に感謝するがいい、斑鳩九郎。先にも言ったように、今、貴様が五体満足でいられるのは、貴様が母上の娘であるからだ。この程度では、何の報恩にもならぬことはわかっているが……」



 そう口にする志士果の声も、表情も暗い。

 大瑠璃妃が亡くなった後、志士果にとって王宮は牢獄に変じた。

 それまでとても決して過ごしやすかったわけではないのだが、王妃が亡くなるや、父王はこれまで以上に露骨に志士果を疎むようになり、廷臣たちも王の意を察して志士果に近づこうとはせず、蓬莱の王子という立場にありながら、志士果は孤独に苛まれるようになる。

 当時のことを思い起こし、志士果は自嘲で顔を歪めた。



「余はこのとおり大柄でな、父にも母にも似ておらぬ。血が繋がっていないのだから当然のことだが、そんなことを知る由もない余はおおいに悩んだものだ。親に似ぬ子は不肖といわれる。己は不肖の子なのだと、だからこそ父上に疎まれ、母上を悲しませるのだと、枕を濡らした夜もあった」



 過去の苦悩を語った志士果は、次の瞬間、またしても表情を一変させ、忌々しげに吐き捨てた。



「すべてがわかってみれば、まるで道化――いや、まるで、ではないな。道化そのものだ。もし後宮の女どもが男児を産めば、余は即座に廃嫡されていただろう。あの男は間違いなくその気だったはずだが、これも天罰というべきかな、産まれたのは娘ばかりだった。結果として余の王位継承権が奪われることはなかったが、それでもあの男が余を疎んでいることは皆が知っていた。ゆえに、余のもとに伺候してくる廷臣はいなかったのだが――ふふ、そんなときだ、ひとりの巫女が余の前に現れたのは」



 それが伏姫であることは確認するまでもなかった。

 九郎が声もなく聞き入る中、志士果は何かに急かされるように話を続ける。



「以来、亜母は余に尽くしてくれている。貴様らが何をほざこうと、亜母に対する余の信頼が揺らぐことはない。万に一つ、亜母が本当に魔人だったとしても余の考えはかわらぬだろう。当然ではないか。あの男の下で、わけもわからず道化を演じ続ける日々を終わらせてくれたのは他ならぬ亜母なのだから! それにひきかえ、そこに転がっている男は事情を知っていながら、余のためにも、母上のためにも、何ひとつしようとしなかった。これが事実であり、真実だ!」



 志士果の声が段々と高くなっていく。倒れている淑夜に向ける視線は侮蔑で染め抜かれていた。



「聞こえているか、淑夜? 余はあの男に迎合した貴様のことを信じておらず、認めてもおらぬ。それでも、母上の実家、母上の兄だと思えばこそ丞相に取り立ててやったのに、何を勘違いしたのか謀反に走るとは。魔人であろうと人間であろうと、貴様程度が亜母を相手にできると本気で考えたのか? だとすれば、増長ここに極まれり! そんな貴様が、亜母は魔人なりと余に告げることこそ笑止千万!」



 もはや他者の視線などまったく意に介さず、志士果はただ己の感情の赴くままに叫び続ける。



「亜母が魔人であるから、どうしたと? 魔人が余を利用するつもりだから、どうしたと? はっはハハハハッ! 誰よりも余を利用したのは、貴様であり、あの男ではないか! 亜母が余を利用するのは許されず、貴様らが余を利用するのは許されるのか!? 否、断じて否! この世に生まれ落ちた瞬間から、余をさんざん利用してきた貴様らが、今さらしたり顔で正義を説くな! 善人面をするな! 魔人が悪なら、貴様らは悪以下の下衆に過ぎん! 下衆どもの下で再び道化に甘んじるくらいなら、余は魔人と手を組む方を選び取るッ!!」



◆◆



 それは暴風のごとき感情の発露だった。

 たけり狂うような敵意と怒気。もはや誰に向けられた感情なのか、志士果当人でさえ把握できていないのではないだろうか。

 貴様という語が指す相手も、淑夜なのか、先王なのか、九郎なのかも判然としない。



 それでも、濁流のごとき言葉の中に、志士果自身の意思を感じさせる部分は確かにあった。

 志士果は言っていた。望んで王位に就いたわけではない、と。先王が小細工をしなければ、もっと違った今があったはずなのだ、と。

 今の自分にまったく疑問を抱いていないのなら、こんな言葉は出てくるまい。

 中でも、特に九郎が気になったのは、志士果の最後の叫びである。もしかしたら、志士果は伏姫の正体にうすうす感づいていたのではないか、という気がした。



 そこに勘付いた上で、志士果が今の自分に疑問を抱いているのなら――まだ、道はあるかもしれない。

 九郎にはそう思えた。

 思うだけではなく、九郎は実際にそれを口にしようとした。

 だが、九郎が口を開くより早く『その声』が室内に響き渡る。

 華やかで、それでいて震えるほどの威を秘めた声が。



「――時に、心の赴くままに叫ぶもよい。したが、外への注意を怠るのは賢明とはいえぬなあ、志士果よ」



 その声を聞いた瞬間、九郎は驚いて後ろを振り返った。今の今までまったく気配が感じられなかった場所から、唐突に声が聞こえてきたのだ。驚かずにはいられない。扉が開いた音さえしなかった。

 そもそも、誰がやってきたにせよ、外の近衛兵が国王にうかがいをたてることなく中に通すなどありえない。

 だが、その人物――伏姫は確かに九郎の視界の中に立っていた。

 そして、志士果はそのことをまったく不思議に思わず、むしろ歓迎するように両手を広げてみせた。



「亜母、わざわざお越しくださったのか。謀反人の一人や二人、亜母の御手を煩わせるまでもありませぬのに」



 これまでとはうってかわって朗らかな声で、志士果は伏姫に話しかける。

 伏姫は手に持った扇で口許を覆いつつ微笑んだ。



「ふふ、言伝はたしかに聞いたぞえ。そちのことは信じておるが、上手の手から水が漏れるのたとえもあること、わらわの助けが必要となることもあろうかと考え、念のために出向いたまで。不要となるなら、それに越したことはあるまいて」



 そう言うと、伏姫は床に引き据えられた九郎と淑夜を視線で軽くひとなでした。

「どうやら、うまくいったようじゃの」

「は。あの男の墓に侵入をはかる不届き者がいると、亜母が警告を与えてくださったおかげです」

「妾は卦を読み解き、それを伝えたまで。それを生かすも殺すも聞いた者次第、つまりはすべてそちの才覚よ。それは今日までの施政も同じこと。妾はたしかにいくらかの助言はしたが、それを生かすことができたのは志士果、そちなればこそじゃ。おおいに誇るがよいぞ」



 伏姫がそういって愉しげにコロコロと笑う。

「もし、蓬莱の王座に座るのがそちでなければ、妾は魔人として成敗されておったかもしれぬからのう」

 その言葉で、先の言葉が伏姫の耳に届いたことを悟ったのだろう、志士果は面貌に悔恨を満たして頭を垂れる。

「申し訳ありません、亜母。仮の話とはいえ、魔人だなどと申してしまって……」

「ふふ、気にするでない。妾は幼少の頃より強い力を持っていた。化生けしょうの扱いを受けるのは、今に始まったことではないわえ。それよりも、この身が魔人なりとも信を変えぬというそなたの言、嬉しく思うたぞえ、いとし子よ」



 伏姫は両手を広げ、大柄な志士果の身体を包むように抱き寄せる。

 志士果の顔に、母に抱きしめられる幼子さながらの安堵が浮かび上がる。先王への憎悪で荒れ狂っていた少年王の姿は、すでにどこにもなかった。



 そんな志士果に、伏姫は優しく語りかける。

「志士果よ、少し耳を貸してたもれ」

 身長だけでいえば、志士果は伏姫よりも頭二つ分高い。伏姫の求めに応じて上体をかたむけた。

 その耳朶に唇をつけるように、伏姫は小声でささやいた。



「良い子じゃ。少々眠っていてくりゃれ」



「……は」

 とたん、志士果は急激な眠気を覚えたように、とろんとした眼差しで椅子に座ると、間をおかずに眠りに落ちてしまう。

 伏姫がささやいてから、志士果が眠りに落ちるまで、わずか数秒といったところだ。



 この異変を目の当たりにした九郎の目に強い警戒が浮かんだ。

 その九郎に向き直った伏姫の口から愉しげな声が漏れる。



「さて、命知らずにも妾に挑まんとした者は何者なりやと思えば、ほほ、斑鳩司祭の子であったか。たしか、九郎というたかえ」

「……陛下に、何をした?」

 鋭い詰問に伏姫は口許をほころばせる。

「ほう、ほう。さすがはあの司祭の子。妾の正体を察しているというのに大した気迫じゃ。志士果に何をしたか? 見てのとおり、眠ってもろうたのよ。いかに何でも、妾の口から魔人なりと教えるわけにはいかぬゆえ、な」



 くく、という含み笑いが九郎の耳朶で不快に反響する。

「志士果は妾が魔人であっても心を変えぬつもりでいるようじゃが、実際にそうなれば恐れおののき、使い物にならなくなるであろうからなあ。今しばらくは、妾に母を重ね見てもらわねばならぬ」

「貴様は、やはり陛下を利用するために近づいたのか?」

「人が狩りのために猛禽を飼うように、妾もまた狩りのために人間を飼う。手なずけるためには餌を与え、可愛がりもしよう」



 伏姫は椅子で眠っている志士果の頬を優しい手つきで撫ぜた。

「志士果は妾にとっての海東青。母のいなくなった王宮で、孤独に潰れる寸前であったところを救うて今日まで育ててきたのじゃ。これから先、おおいに働いてもらわずばならぬ。そのためには、斑鳩九郎、今そちの存在を表に出すわけにはいかぬのよ」



 まして、そちは知ってはならぬことを知ってしまったゆえ。

 そう語る伏姫に対し、九郎は冷たく吐き捨てた。



「殺すなら速やかに殺せ。多言は威をしぼませるだけだぞ、魔人」

「くふ、命を捨てる覚悟はできているようじゃの。だが、早合点するでない。妾にはそちを殺す気はないゆえな。殺すどころか、その覚悟と聡明さに免じて、一つ、面白いものを見せてやろうではないか」



 そういって伏姫が懐から取り出したのは、親指ほどの大きさの白い物体だった。

 それが二つ、伏姫の手のひらに乗せられている。ゴツゴツとした造形はそこらの石ころを思わせたが、伏姫が爪の先で軽く弾くと、低く乾いた音が響く。どうやら石ほどの質量はないらしい。

 いぶかしげに目を細める九郎に対し、伏姫はくつくつと笑ってみせた。



竜屍兵ドラゴンゾンビを知っておるかえ? 竜の骨のかけらより創られる使い魔のことよ。竜骨より竜屍兵をつくる術式、それを人骨に向かってかけたら、さて、どうなるかのう?」



 愉悦の感情に満ちた魔人の声。

 それを聞いた瞬間、九郎の全身に言いようのない悪寒が走る。眼前の相手が、何か途方もなく冒涜的なことをやろうとしていることを、九郎は直感的に悟った。



「待――」



 待て、という言葉は伏姫に届かない。

 次の瞬間、九郎には理解できない言葉の連なりが室内を満たす。だが、それも一瞬。瞬く間に施術を終えた伏姫は、持っていた二つの白い欠片を床に放る。

 放られた欠片は、魔人の魔力を受けてみるみる形を変じていく。はじめは単純に大きさが増していき、ほどなくして形も変容していく。長く、太く伸びる影は、いつしか人間の形に近づいていった。




「…………あ」



 やがてその変化が止まったとき、室内には新たに二つの人影がうまれていた。

 一人は初老の男性。一人は九郎よりも年下とおぼしき少女。



「……あ、あ……ッ」



 二人の目はガラス玉のように何も映していない。

 土気色の顔。服は着ておらず、局部をあらわにしたまま佇立する姿に人間らしい感情はまったく感じ取れない。



「あ、ああああッ!」



 正視に耐えないその姿から、しかし、九郎は視線をそらすことができない。

 あまりにも。あまりにも見慣れたその顔から目を離すことができない。




「父上ッ! 芹佳せりかッ!」

 血を吐くような叫び声。それは九郎にとって父親であり、妹である者たちだった。

 すでにユーベルの口から二人の死は伝えられている。九郎も当然覚悟はしていたが、胸のうちに、もしかしたら、という一縷の希望が残っていたことは否定できない。

 その望みが、今、ここで完全に断ち切られた。



 九郎には魔人が使った術式の正体はわからないが、それでも魔人が放った人骨が家族のものであることは理解できた。

 魔人が九郎をたばかるために偽りを口にしたとは思わない。

 何故といって、今、この場面では、事実を口にすることこそが、もっとも強く九郎を嘲り笑うことのできる手段だからである。



 お前の父親と妹を喰らったのは自分である。

 伏姫は九郎にそう言明したのだ。骨を砕き、戯れに屍兵とすることで。



「きさまァッ!!」



 激怒した九郎が伏姫へ飛びかかろうとして、はたせず床に倒れこむ。手足の枷は無情に九郎を縛め続けている。

 それでも、せめて一矢なりと魔人に報いんとあがき続ける九郎を見下ろす伏姫の顔は、期待どおりと言いたげに愉しげにほころんでいた。



「ほほ、血がつながっておらぬとはいえ、さすがは親子。父同様、実に活きがよい。これより邪魔の入らぬ霊山の最奥で、その強き心が折れくだけ、精魂が枯れ果てるまで、たっぷりとなぶりつくしてやろうではないか。しかる後、その血肉をもって妾の飢えを満たすがよい」



 そう言うと、伏姫はおもむろに天井の一角を見上げて、口の端を吊り上げた。

 ……まるで、そこから覗き見ている誰かがいるかのように。



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