第九章 海東青(四)
「……きたか」
霊山洞穴の片隅で泥に埋もれながら、いつ来るともしれない討手を待ち続けていた俺の視界には、今、十人を超える白衣緋袴の女性たちが映っている。
外見だけを見れば巫女の集団であるが、彼女らの細腕に握られているのは神事に使う祓串ではなく、重量級の大型武器。薙刀と呼ぶには少しばかり大きくてごつい『それ』は、さながら青竜偃月刀のごとく、幅広の刃に凶悪な光を宿らせている。
俺への討手、それも開陽の警吏ではなく伏姫の私兵であることは明白であった。
その姿を見た俺は内心で胸をなでおろした。
最悪、待ちぼうけの可能性もあっただけに、こうして敵が動いたところをはっきりと確認できたのは大きな前進である。
同時に、これまで以上に警戒心を高めもした。
向こうの動きは、百発百中をうたわれる伏姫の占いが噂倒れではないことを示している。これから先は一瞬たりとも気を抜けない。
俺がそんなことを考えている間にも、討手は二人を見張りに残して洞穴内に侵入してきた。
と、先頭に立っていた一人がいきなり立ち止まり、足元の地面を睨みつける。一瞬の空白の後、その兵士は偃月刀を一閃させた。
振り下ろされた剛刃は地面を叩き割る寸前でぴたりと制止する。唐突すぎる行動だったが、見ていた俺には兵士の行動の意味がよくわかった。なにしろ、あの場所に罠を仕掛けたのは俺であるからして。
偃月刀の刃は、薄暗い地面の底すれすれに張り巡らせていたロープだけを正確に断ち切っていた。
直後、岩陰に隠した弩(に似せてつくった簡易弓)から矢が放たれる。
「――疾ッ!」
討手は何事か鋭く叫びながら、人間離れした身のこなしで飛んでくる矢を回避してのけた。
もともと急ごしらえの代物だったから、精度なんてあってないようなものだったが、仮に正規軍で運用する最高級の弩を用いたとしても矢が命中することはなかっただろう。それくらいに敵の反応は素早かった。
のみならず。
「滅ッ!!」
別の討手が怪鳥のような声をあげて地を蹴りつけ、矢が放たれた暗がりに向けて飛びかかる。
うなりをあげて偃月刀が振り下ろされるや、弩を隠していた大岩がななめに両断され、轟音をたてて崩れ落ちた。
俺があそこに潜んでいたら、間違いなく岩もろとも両断されていたことだろう。
大岩を叩き割った討手は偃月刀を地面に突き立てると、砕けた岩塊の下から弩を拾い上げた。見事に二等分された弩を両手でわしづかみにすると、そのまま無造作に握りつぶしてしまう。
地面に叩きつけたとか、力任せにへし折ったとか、そういうことではない。文字通りの意味で握りつぶしたのだ。
女傑、などという表現ではとうてい追いつかない俊敏と剛力だった。
そこまでしておきながら、当人や周囲の仲間たちが眉ひとつ動かしていないところも、袴姿の女性たちの異様さを際立たせている。
一言でいって、おっかない。
この時点で俺はユーベルの言葉が事実であることを確信した。これでここに来た目的の半分は果たしたことになる。
――後は連中がもう一つの目的である矢文に気づいてくれるかどうか。
そんなことを考えていると、頬のあたりに何かが這う感触があった。おそらく、この洞穴に棲息する指爪ほどの大きさの黒い虫だろう。黒光りする甲殻は、とある害虫を思い起こさせる。
俺はそれを払うこともせず、頬から首にかけて伝わる不快な感触も無視して、あくまで兵士たちに注意を向け続けた。
最奥部に溶岩が流れているだけあって、この洞穴内部の気温、湿度はかなり高く、そういった環境を好む生き物にとっては格好の棲家となっている。
俺は罠を仕掛けた後、臭い消し(竜種の鼻、もしくは警吏が連れてくる犬対策)のために泥土に身をひたして討手が来るのを待ち続けていたのだが、その間もこれらの虫や小動物に悩まされた。今も俺の身体には、上半身、下半身を問わずいろんなものが這い回っている。ヒルのように血を吸ってくるタイプの生き物もいるらしく、ときおり鋭い痛みが身体にはしることもあった。
人によっては耐え難い状態だろうし、俺にとっても決して心地よいものではない。
ただまあ、慣れた感覚ではあった。
ガルカムウで狩りをするとき。あるいは魔物を急襲するべく密かに這い寄るとき。
俺は今と同じような格好で地べたを這いずり、虫やらヒルやらに耐えて行動していた。むしろ匍匐前進をしないで済む分、今の方が体力的に楽だったりする。
だからこのときも、潜伏を敵に悟られるようなヘマをすることはなかった。
「集!」
視線の先で討手の一人が矢をもって同胞たちに声をかけている。その侍女の視線は矢に結び付けられた紙に注がれていた。
俺は内心で再度胸をなでおろす。誰であれ、ここに来る以上は海東青事件のことを知っているだろうから、矢文に気づいてくれるとは思っていた。それでも、実際に気づいてくれたところを見ると安堵する。
これで海東青を射たことに始まる俺の計画の最後の一つ――魔人同士をかみ合わせる準備はととのった。
あの矢文には、戦神の麾下にいる人間に「伏姫は魔人なり」と伝えたユーベルの行状が記されている。
それを知った伏姫がどのように動くかは推測するまでもあるまい。
ようするに、俺は伏姫の手でユーベルを消させるつもりであった。
ユーベルは伏姫が魔人であるという情報を「流してやった」と考え、人間に恩を着せたつもりでいるのかもしれないが、どう考えたところで今回の事は魔人同士の内輪もめ。こちらが魔人の片割れに感謝しなければならない理由はかけらもない。
敵の敵はやっぱり敵であり、こうした場合、敵同士を噛み合わせるのが定石というもの。
海東青を射た矢文で魔人の存在を匂わせれば、それを知った伏姫が私兵を遣わしてくることは予測できた。その私兵にユーベルの行動を伝えれば、配下の背反を最短経路で伏姫に伝えることができる。
この程度の小細工で魔人の一角を落とすことができれば儲けもの。
仮に向こうが俺の思惑通りに動かなかったとしても、こちらに実害はない。伏姫が素早く私兵を動かした時点で、俺が知りたかったことはおおよそ知ることができたから、一連の行動が無駄に終わることもないわけだ。
その後、討手の一人が洞穴の外へ去ったのは伏姫への報告のためであろう。
残りは再度洞穴の探索にとりかかり、俺は息をひそめてそれを観察し続けた。入り口に残った見張りは二人。先ほどの怪力や俊敏さを見るに、一対二ではまず勝ち目がない。向こうが入り口から動かない以上、こっそり逃げ出すというのも難しい。
ただ、幸いなことに伏姫の占いはそこまで高精度ではないらしく、討手の大半は奥へと消えており、俺が潜んでいる場所が発見されることはなかった。
であれば、あとは連中が諦めるまで隠れ続ければよい。
ここからは我慢比べだ。
ついでに、ちょうどいい機会なので今後についてもあらためて考えてみる。
今回の一件によって、俺の頭の中では伏姫が魔人であることが確定した。このことにより、蓬莱軍の侵攻先がセラではなくカーナ連合王国である可能性が高くなった。
カーナ連合王国を経由してエンテルキア聖教国へ。この侵攻ルートが現実味を帯びてきたことは、早急にベルリーズにいるスーシャたちに伝えねばならない。
ことに急を要するのは、蓬莱に接するカーナ軍への警告である。カーナ軍はすでに蓬莱の動員令を知っているはずだから、まったく無警戒ということはないと思うが、さすがに八万以上の軍勢が向かってくるとは想定していないだろう。
そのあたりを詳しく説明するためにも、やはり一度蓬莱を離れる必要がありそうだ。生暖かい泥土に身をひたしながら、俺は真剣にそれについて考えた。
バルビウス大司教から命じられた任務は、この国のシルル教徒の安否の確認と国情調査。その点、すでに知るべきことは知ったといえるので、蓬莱を離れることに任務上の問題はない。
問題があるとすれば、やはり伏姫が魔人であるという確証をつかめていないことであろう。
俺自身の確信は客観的な証拠とはならず、いくつかある傍証も、伏姫を崇める蓬莱の民に魔人のことを信じさせるには弱いと言わざるをえない。
現状のまま事態が推移すれば、蓬莱は伏姫に操られるままに他国への侵略を開始してしまう。
蓬莱軍とカーナ軍が衝突すれば、双方の死傷者は確実に万を超える。魔人である伏姫にしてみれば、蓬莱の兵士が何人死のうと痛くもかゆくもなく、むしろその犠牲を強調して蓬莱人の戦意をあおり、より大規模な戦いを繰り広げようとするに違いない。
これだけでも厄介なのだが、もう一つ厄介なのがランゴバルド王国の動向である。
現在、かの王国は旧コーラル領を統治下に組み込むために活動しているが、蓬莱にせよ、カーナ連合にせよ、当面は使い物にならない旧コーラル領よりもはるかに旨味がある土地だ。
両国が本格的に戦火を交えれば、ランゴバルドが漁夫の利を狙って動き出すのは火を見るより明らか。以前推測したように、ランゴバルドの国王が魔人と通じているようならば、この危険性はさらに増す。
そして、ランゴバルド王国が動けば、後はもう泥沼、血みどろの消耗戦が待っている。事実上の世界大戦。この戦いがはじまれば、ウィンディア王国も無関係ではいられまい。さすがにメルキト河を越えて攻め込んでくる勢力はないと思うが、逆にウィンディアの国内から「この機に乗じて」という人間があらわれる可能性は否定できなかった。
アレス王の武威とアスティア神の加護による人界統一という野心を持つ者は、ウィンディア国内にも少なくないのである。
まあ、少なくないといっても、さすがに「ランゴバルドも蓬莱もカーナ連合もエンテルキアもすべて滅ぼして人界を統一するのだ!」みたいな強硬派はごくごく少数に過ぎず――いないわけではない――大半は「人界統一とまではいかずとも、大陸南部に一定の領土を得たい」と望む者たちだ。
いつかもいったように、ウィンディアでは魔物の脅威から遠い大陸南部に魅力を覚え、移住する国民が後を絶たない。戦乱に乗じて大陸南部に領土を得ることができれば、ウィンディア王国にとっても益は大きい、と強硬派は主張する。
この強硬派の考えにも理がないわけではないのだが、陛下やアスティア様が彼らにくみすることはまずないだろう。むろん俺も、である。
今は人間同士で争っている場合ではない、というのが一番大きな理由だが、それ以外にも理由はある。
仮に戦乱に乗じて南部に領土を得たとしたら、今度はそちらの防衛のためにも兵を割かねばならなくなり、必然的に北の魔軍と対峙する戦力に不足をきたす。
せっかく得た領土が、かえってウィンディアという国を苦しめる足かせになってしまうわけだ。
そう考えれば南部進出の危険性は誰でも理解できるはずなのだが、なかなかに強硬派の意見は消えてくれない。
というのも「自分自身はともかく、家族は安全なところに置いておきたい」という考えは、多くの将兵が共通して抱いている考えだからである。俺自身、いちがいに強硬派を否定する気になれない理由はここにある。
……少し話がそれた。
とにかく、蓬莱が本格的に他国への侵攻を開始すれば、大陸規模の戦乱が勃発するのは避けられない。そんな事態は何としても防がねばならぬ。
そのためにはどうするべきかと考えれば、答えは一つしかない。
「やっぱり、今の段階で伏姫を止めなければならないか」
魔人を討つまではいかずとも、その正体を暴くことができれば。
『伏姫』と『蓬莱』を切り離すことができれば、最悪の事態は避けられる。
俺は視界にうつる討手たちを半ば忘却して、更なる考えにふける。
討手の動きが急に慌しくなったのは、そんな時であった。
◆◆
――なんだ?
声には出さず、頭の中で疑問を発する。
入り口に新しい兵士の姿が見えたので増援が来たのかと思ったが、どうもそういう雰囲気ではない。
見ているうちに、何人かが洞穴の奥へと姿を消し、ほどなくして先行した兵士たちを引き連れて戻ってきた。そして、そのまま全員が洞穴の外へと出ていってしまう。
一瞬、俺をおびき出すための罠かと思ったが、魔人の眷属が人間相手に小細工をするとは考えにくい。
となると、退却したと見なすのが妥当だが、探索の見切りをつけるには早すぎる。討手がこの洞穴に姿を見せてから、まだ半刻(一時間)も経っていないのである。
他に考えられることといえば――
「思った以上に矢文がきいたかな」
伏姫がユーベルを討つために親衛隊を召集した、と考えれば時間的な辻褄も合う。
そう考えた俺は、念のために罠の可能性も考慮して、それからしばらく身を潜め続けたが、やはりというべきか、状況に変化が起こることはなかった。
その後、洞穴を出た俺は、あらかじめ道具一式を隠しておいた茂みに身をひそめ、泥だらけの衣服を脱ぎ捨てた。
できれば水浴びの一つでもしたいところだったが、あいにく近くには川も泉もない。仮にあったとしても、魔人のお膝元で素っ裸になる度胸は持ち合わせていなかったが。
いつまでもぐずぐずしていては、兵士たちが戻ってこないともかぎらないので、俺は手早く身体の汚れをぬぐうと、足早に霊山を離れて街道に出た。
おそらく、九郎はもう国佐の村へ向かっているはずだ。
不測の事態が起こって開陽を出られなかった可能性もあるが、そのあたりは外からでは確かめようがない。
そのあたりを確かめるために一度開陽に寄る、という選択肢もあるにはあるのだが、今の俺は都を騒がせた事件の張本人。海東青を射た現場を誰かに見られていないという保証はなく、ちょっと寄り道、という風に気軽に開陽へ向かえる身分ではない。
俺自身が「不測の事態」の引き金になったりしたら笑い話にもならないしな!
そもそも九郎はれっきとした蓬莱貴族であり、かつ教会騎士だ。開陽にも土地勘がある。仮に何か問題が起こったとしても、そのほとんどを自分ひとりの力で片付けてしまうだろう。異国人の俺が気にかけるまでもないと、そう思う。
ただ、どれだけ自分に言い聞かせても、俺の胸中にわだかまる気がかりはなかなか去ってくれなかった。
九郎を信用していないわけでは決してない。
ただ、あの少年もとい少女と出会ってからこちら、俺はすでに三度も彼女が倒れる場面に居合わせている。
一度目はベルリーズの中央教会で、二度目は青岳越えの山中で、三度目は霊山洞穴の祭壇で。
疲労、毒、魔人と、その一つ一つにやむをえない事情があったのは承知しているが、俺から見ると、斑鳩九郎という人物はどうしても華奢という印象がぬぐえないのだ。
女性であることを隠し、男性として振る舞っているというある種の危うさも、この印象に影響を与えているかもしれない。
自然、大丈夫だろうかという心配が先に立った。
たとえば、イズも九郎と同じ女性の教会騎士であるが、イズに対してこういう感覚を覚えたことはない。
庇護欲をかきたてられる、などと言えば相手を子供扱いしているようで失礼な気がするが、正直、これが一番しっくりくる説明だった。
命の危険を覚悟で国を出て、散々苦労した末にようやく戻ってこられたかと思えば、生まれ育った家は更地同然にされており、父親と友人は魔人の手にかかって酷い殺され方をしていた。
寄る辺のなくなった十六歳の少女が悲嘆に押しつぶされたとしても何の不思議もなかったろう。
だが、九郎は悲哀を面に出すことなく健気に耐えている。礼がわりの弁当までつくってくれた他、今回の作戦でも俺の身を案じて「自分も行く」と申し出てくれた。
提案自体は理由をつけて退けたものの、この相手に好意を抱くなというのは無理な話である。
余計なお世話と承知しつつも、俺は九郎を気にかけずにはいられなかった。
とりあえず、次の町に着いたら門衛に九郎らしき人物が通過しなかったか確認してみよう。
開陽へ通じる街道は多数の人々が往来しているので、都合よく九郎のことを覚えている人がいるとは考えにくいが、ダメで元々だ。俺はそんなことを考えながら街道を歩き続けた。
――なお、結論からいってしまえば、こちらから捜すまでもなく、当の九郎が町の門前で俺のことを待っていてくれたのだが、さすがにそこまで予測することは不可能であった。




