幕間 ウルクファルク・ラ・セラサス③
今回のウィンディア行きが決まった際、ウルクはテオから家族あての手紙をあずかっていた。
もう少し具体的にいえば「故郷を案じるウルクに私事で面倒をかけるわけにはいかぬ」と考えていたテオに、ウルクの方から手紙を書くようにうながしたのである。
『どのみちウィンディアの王都までは行くのです。王宮で用をすませた後にテオの家に立ちよればすむ話。その程度の労、なにほどのことでもありません』
水臭いですよと笑うウルクに、テオは頭をかきながら「なら頼む」と口にした。
――その後、半刻もたたないうちに分厚い封書を差し出されたときは、さすがにウルクも目を丸くしたが。
今、その封書はウルクからシュナに手渡され、シュナは素早く文面に目を通している。
時に驚いたように目を見開き、時に呆れたようにため息を吐き、時に心配するように眉を曇らせたりしたが、総じてシュナの顔に浮かんでいたのは安堵の表情だった。
兄が弟を案じてやまないように、弟も兄を案じていたのだろう。そのことが言葉にせずとも伝わってきて、ウルクの胸に温かい感情が通う。シュナとの対応はウルクに一任していたフレアも、かすかに口許をほころばせていた。
シュナが兄からの知らせに目を通している間、ウルクたちは出された紅茶に口をつける。
カップは一目で白磁とわかる高級品であり、茶の香りもよく、添えてある焼き菓子も急きょ用意したとは思えない出来栄えだ。
ウルクはたいていの菓子を「甘すぎる」と感じてしまうため、正直、この手の食べ物はあまり好きではないのだが、シュナの出した菓子は、そんなウルクの舌でも十分においしいと感じられた。
もう一人、フレアにとってこの世で一番の菓子はベルリーズにいるミリアのつくったものである。その感想はシュナの焼き菓子を食べた後でもかわらなかったが、内心でつけた点数評価はミリアに次ぐレベルだった。
まさか、この短時間で一からつくったわけではあるまいから、急な来客に備えて日ごろから準備しているのだろう。
ベルリーズに自分の家を持っているフレアであるが、茶の用意程度ならともかく、いつ来るともしれない来客のため、定期的に茶菓子の下ごしらえをしておくほどの細やかさは持ち合わせていない。
おのれより年下の少年に対し、そこはかとない敗北感をおぼえつつ、フレアは紅茶を口に含んだ。
やがて、一通り文面に目を通したシュナは一度手紙を脇に置き――後でじっくり読み返すつもりなのだろう――あらためて眼前の二人に礼を述べた。
「兄からの手紙を届けていただき、ありがとうございました、リンクさん。セラサスさ……あ、すみません。エルフは氏族名ではなく、名を呼ぶのが礼儀でしたね。ウルクファルクさんとお呼びすべきでした」
失礼しました、と頭をさげる少年を見て、ウルクはやわらかく微笑んだ。
「ウルク、で結構ですよ。ウルクファルクでは呼びにくいでしょう?」
シュナはそれを聞いてこくりとうなずく。
「わかりました。それではウルクさんと呼ばせていただきます。お二方とも、手紙のことはもちろんですが、これまで兄のことを助けてくださったことについても、あわせてお礼申し上げます」
そういってシュナは深々と頭を下げる。
肩まで伸びた亜麻色の髪が前に流れ、白いうなじがあらわになる。十三歳ともなれば、もう身体が出来てきてもおかしくない年頃のはずだが、シュナの首は女性を思わせる細さだった。
ウルクはそんなシュナを見て、内心でなるほどとうなずく。
先刻、はじめて顔を会わせたときにも思ったが、眼前の少年は弟ではなく妹だといわれても違和感をおぼえない繊細な容姿の持ち主である。
それでいて、態度や言葉遣いはハキハキとしており、なよなよしたものをまったく感じさせない。
この少年に軟弱さがあるとしても、それは外見だけのことであろう。
ウルクがテオから聞いた話によれば、シュナは小さい頃病弱で、一日中床に伏していることもめずらしくなかったという。そんな弟がここまで元気に、そして立派に成長したとなれば、それは兄としては嬉しくてたまらないだろう。
テオが事あるごとに弟の自慢話をするのもわかる気がする。
そんなことを考えながら、ウルクは口を開いた。
「助けてもらったのは私の方です。あなたのお兄様がいなければ、今頃私はどことも知れない場所で息絶えていたでしょう」
だから、どうか頭をあげてください、とウルクは優しい声音で語りかける。
それまでシュナとの会話をウルクに任せていたフレアも、ここでは口を開いた。
「私と、私の友人も何度も助けられたわ。良いお兄さんね」
短い言葉だったが、それが通りいっぺんのお世辞でないことは、フレアの真摯な口調からも明らかであった。たぶん、テオ本人には向けたことがないであろう言葉であり、表情である。
本人がいないからこそ、素直な感情を吐露できたのかもしれない。王宮でアスティアから聞いた話も多少影響していたであろう。
いずれにせよ、二人がテオに対して悪感情を抱いていないことは確実であり、それはシュナにも感じ取ることができた。
シュナの口から、思わずという感じで安堵の声がもれる。
実のところ、兄の手紙を持ってきたのが妙齢の美人二人、しかも内ひとりはエルフということで、色々と心配していたのである。
「……ん? どうかしましたか?」
露骨に表情をやわらげたことをウルクに気づかれたシュナは、問われるままに内心の危惧を口にした。
「兄さんのことだから、花嫁令のことで、お二人にいろいろ失礼なことを言ったりやったりしたんじゃないかと心配で……」
頭をかきながら言う。
テオが国を出る際、シュナは冗談半分ながら妓女を身請けするだの何だのという会話を交わしている。シュナの目から見ても文句なく綺麗な二人の女性を前にして、兄が何か失礼なことをしたんじゃないかと気が気ではなかったのだ。
それを聞いたウルクは興味をそそられたようにシュナの顔をのぞきこんだ。
「この街でのテオは、弟であるあなたがそんな心配をするくらい遊び歩いていたのですか?」
「いえ、そんなことはまったく。兄さんは基本的に北の戦線に張りついていましたから、この家に戻ってくるのは一月ないし二月に一度くらいでした」
戻ったら戻ったで、シュナを誘って街中を散策したり、王立図書館で本を読んだり、中庭の手入れをしたりしているのが常だった。シュナが知るかぎり、家に異性を連れて来たことさえない。
シュナはそう言って兄が「遊び歩いていた」疑惑を払拭した。
――まあ僕がいないときや、用事で一緒に出かけられないときは、二人では行けない場所に出入りしていたみたいだけど。
そうも思ったが、そこはつつましく沈黙を保つ。
眼前の二人と兄の間に、いわゆる恋愛関係がないことは兄からの手紙にも書かれていた。
ただ、シュナは確信している。この二人、間違いなく兄の好みだ、と。
そんな相手に対し、兄の株を下げるような発言をするのは愚かというものであった。
◆◆
気がつけば、とっぷりと日が暮れていた。
テオという共通の話題を持つウルクとシュナの間で話の種が尽きず、時間を忘れて語り合った結果である。
会話から一歩はなれて二人を見守っていたフレアは、レーベ邸の滞在時間が予定よりも大幅に伸びていることに気づいていたが、どのみち今日は王都に泊まるのだから、と考えて口を挟むことを避けた。
先刻からフレアが会話をウルクに委ねているのは、フレアなりの気遣いのあらわれである。
エルフの王女がテオに深い関心と好意を寄せていることをフレアは知っている。先日など一夜を共にして帰ってきたくらいだ。
いずれ二人が結ばれれば、シュナとウルクは義姉弟の関係となるわけで、今は大事な初顔合わせの真っ最中。話が弾んでいるところに他人が水を差すのは無粋というものだろう。フレアはそう考えていたのである。
もっとも、それはフレア自身が会話の内容に無関心であることを意味しない。ウィンディアにいた頃のテオの話は、フレアにとってもなかなかに興味をそそられるものだった。
そんなフレアの関心を察したのか、ウルクとシュナの二人もちょくちょく話を向けてきたため、いつの間にかフレアもごく自然に会話の輪に加わっていた。
その最中、フレアは前々から気になっていたことを訊ねてみた。
「答えにくいようだったら答えなくてもいいけれど、この国の人たちは花嫁令のことをどう考えているの?」
建国の英雄たるアレスがいきなり一年後に退位すると宣言し、しかもその相手は王子でも王女でもなく、たくさんの花嫁を連れて来た人物だという。
ウィンディア国内は相当に混乱しているだろうとフレアは思っていたのだが、実際に王都にやってきてみれば、そういった騒ぎは見受けられない。
花嫁令が布告されてから、まだ四ヶ月たらず。騒ぎが終息するには早すぎる。
特に今回の場合、時間の経過は英雄王の退位が刻一刻と近づいていることを意味しているわけで、時が経てば経つほどに混乱は加速していくのが自然ではないか。
にもかかわらず、ウィンディアはいかにも平穏に見える。その差異がフレアは気になっていたのである。
これに対して、シュナはあっけらかんと応じた。
「また陛下が何か始めたなー、という感じですね」
「……なんか、軽いわね?」
「陛下が突拍子もないことを考え付いて、しかもそれを実行に移してしまうのは、この国ではよくあることですから。それでも、陛下の思いつきは最後にはウィンディアの益となる。皆、そのことを経験として知っていますから、あまり騒ぎにならないのだと思います」
シュナの言葉に嘘はなかった。少なくともシュナ自身はそう考えている。
とはいえ、誰も彼もがアレス王に全幅の信頼を寄せているわけではない。まして今回の花嫁令は、ほぼすべての廷臣の反対を押しきる形で国王が強行したことだ。それだけに騎士学校の生徒であるシュナでさえ、不穏な噂をいくつも耳にしていた。
「特に王宮はなにかと姦しいですね。どこそこの伯爵や侯爵が王子殿下や王女殿下のもとに足しげく通っている、という話はよく耳にします」
「……自分から訊ねておいて何なのだけど、そういう話を他国の人間に話してもいいのかしら?」
「ここで聞いた話を外で吹聴するような方だと思ったのであれば、こんなことはいいませんよ」
シュナはくすりと笑って、フレアの心配ないしは警戒を軽くいなした。
どこか悪戯っぽさを感じさせる口調は不思議とテオのそれを想起させる。外見も、声も、決して似ているわけではないのに。
なるほど、確かにこの二人は兄弟だ、とフレアは妙なところで納得をおぼえた。
そんなフレアの反応をよそに、シュナはさらに続ける。
「ご存知のように、この国は建国して二十年に満たない若い国です。八年前の大侵攻を退けたことで、領土はメルキト河の北すべてに及ぶ広大なものになりましたが、臣民の忠誠はウィンディアという『国』ではなく、アレス陛下やアスティア様という『個』に向けられている。それだけに、陛下が王座を去られた後の混乱を誰もが恐れてきました」
「だとすると、花嫁令は問題の引き金になったも同然ね。それでも大した混乱が起きていないというのは――」
「陛下が病ひとつせずにご健在だから、ですね」
シュナはそういって、繊手をあごにあてた。
「僕はたぶん、これこそ陛下の狙いなのではないか、と考えています。陛下のご年齢を考えれば、遅かれ早かれ後継者問題が起こるのは必然でした。いえ、おそらくもう、僕たち臣下の目に触れないところで何かが起こっていたのでしょう。陛下はご自身が健在であるうちに、後継者問題に決着をつけてしまいたかった」
フレアのいうとおり、花嫁令は水面下で進行していた後継者問題を一気に地表に引きずり出すきっかけになった。王位に関心を持つ者は、花嫁令に乗じるにせよ、否定するにせよ、表立って動かなければならない。
アレス王は王座に座りながら、その良否を見極めることができる。
野心家たちが動かないなら動かないでかまわなかった。彼らが静黙を保っているうちに、明確に後継者を定めてしまえばいい。
そして、ここで言う「野心家」の中には他国の人間も含まれる。
「たとえば、ランゴバルドなり蓬莱なりがウィンディアに野心を持っていれば、自分たちの息のかかった人間を花嫁令に送り込んでくるでしょう。それをもって他国の心底を探ることができるし、そういった他国の息がかかった参加者とどのように接するかで、国内の有力者たちの動向を推し量ることもできるわけです」
そう述べたシュナは、ここで一つ大きなため息を吐いた。
「……それに、他国が与えた好餌にほいほい食いつく参加者への評価も下せますね」
それを聞いたウルクとフレアはそっと視線を交わし合う。
今のシュナの言葉が、ランゴバルド王からカリスら姉妹を与えられたテオを指しているのは明白だ。
シュナから見ればテオの行動は軽率に映ったに違いない。そのあたりにシュナが落胆ないし失望を感じているようであれば、なんらかのフォローが必要になると考えたゆえの目配せだった。
二人は姉妹に関する事情は知らなかったが、テオが単純に野心に駆られてランゴバルドの差し出した手をとったとは考えていない。廃都で手に入れた魔剣のこともある。現状のテオを取り巻く境遇は、手紙だけで理解しきれるものではないだろう。
テオが手紙ですべてを明かしたとも考えにくい。だから、シュナが誤解しているようならその誤解をとこうと考えたわけだが、さすがというか何というか、生まれたときからテオの顔を見て育ったシュナは、兄の思考と行動に慣れていた。
「まあ、何かしら受けざるをえない理由があったんでしょうけどね」
その一言であっさり兄の決断を受け容れたシュナは、ここでようやく時間の経過に思い至ったらしく、慌てて立ち上がった。
「すみません、ずいぶん遅くまでお引き止めしてしまいました。今日は王宮で――」
お泊りになるのですよね、という問いの続きは、からんからんと鳴り響く呼び鈴の音に邪魔された。
シュナが思わずという感じで天をあおぐ。
「お二人の帰りが遅いので、王宮から使いが来たみたいですね」
いかに城壁の中のこととはいえ、夜更けに女性二人で街路を歩くとなれば危険もある。そのため、アスティアが人を差し向けてくれたのだろう。
客人への配慮に欠けていたことを反省しながら、シュナは門に向かった。
このシュナの推測は正鵠を射ていたが、一つ予想しきれなかったことを挙げるとすれば、使いがアスティア本人だったことだろう。
門前でアスティアの顔を見たシュナは唖然とし、邸内のウルクとフレアも、シュナにやや遅れてまったく同じ表情を浮かべることになる。
「どうやら話が弾んでいるようでしたので、私も参加させてもらおうかと」
そういうアスティアの口調は、王宮にいるときよりもやわらかい。
シュナの方も、驚いてはいるものの、国の守護神が突然あらわれたことに困惑している様子はなかった。
不思議に思ったウルクが問いかけると、アスティアはなんでもないことのように応じる。
「時々ではありますが、シュナの様子を確かめるためにここを訪れるのですよ」
「兄さんが騎士になる以前、僕たち兄弟は王宮でお世話になっていたことがあるんです」
アレス王やアスティアは、先の大侵攻で親兄弟を失った孤児たちを王宮に集めて養育していた時期がある。シュナも、むろんテオもこのうちの一人だった。
以来、アスティアは何かと兄弟のことを気にかけてくれていた。もちろん、これは二人にかぎった話ではなく、境遇を同じくする他の子供たちも同様である。
つけくわえれば、大侵攻当時、魔物の爪牙にかかる寸前だったシュナたちを救い出してくれたのもアスティアだった。そのこともあって、レーベの兄弟はアスティアに対して格別深い感謝と敬愛の念を抱いている。
そのアスティアはシュナが差し出したカップを受け取ると、ぼそりとつぶやいた。
「兄の方は、私をからかうことに楽しみを見出すようになってしまいましたけどね――ん、あいかわらずシュナの淹れてくれた茶はおいしいです」
「ありがとうございます」
そういってシュナは嬉しそうに笑う。兄の行為については、特に釈明しようとしなかった。
もちろん理由あってのことで、シュナが見るところ、兄と話しているときのアスティアは、他の誰と話しているときよりも感情の表現が豊かになる。
兄がアスティアをからかうのが、好きな女の子に意地悪する悪ガキじみた振る舞いなのか、それとも神であるアスティアの孤独を思いやった道化芝居なのかはわからないが、どちらにせよ、アスティアは決して嫌がっていなかった。それがわかっているのだから、釈明する必要なんてないわけだ。
アスティアに気安く振る舞うテオの言動を快くおもっていない人間は決して少なくないだろうに、テオは自分の態度を変えようとしない。
このあたり、我が兄ながらいい性格をしているなあ、とシュナはこっそり思っていた。




