第八章 蓬莱起兵(七)
どうして女性である自分が男性として育てられたのか。
斑鳩九郎が父親の口からその理由を聞かされたのは、もうずいぶんと昔のことだった。
母は九郎を産んだ後に亡くなっており、父は母以外の女性を妻とする気はなかった。したがって、斑鳩家の子供は今後も九郎一人。その九郎が女性では、跡継ぎのいない斑鳩家は断絶の憂き目に遭ってしまう。
それを避けるためにお前を男として育てたのだ――父親は九郎にそう告げた。
今思えばずいぶんと勝手な理屈である。九郎は当時のことを思い出すたびに苦笑を禁じえない。
母以外の女性を妻にする気はないが、それが理由で斑鳩家が取り潰されるのは困る。だから九郎を男として育てようという考えの過程に、男としての生きかたを強いられる娘への思いやりがまったく感じられない。
そもそも九郎という名前は「九番目の男児」を意味するもの。いかに蓬莱建国にまつわる英雄の名だからといって、仮にも女の子につける名前ではないだろう。
『わたしが女の子だとばれると、ちちうえが大変なことになっちゃうんだ!』と悲壮な決意を固めていた幼い自分に、そんなに気負わなくて大丈夫だよ、と伝えてあげたいくらいである。
もちろん今ではわかっている。あの言葉が父の本意ではなかった、ということは。
斑鳩という家の特殊性、数代前に女性当主がいたという事実、なにより父の性格からいって、生まれた娘に自分と家の都合を押し付けることをよしとするはずがない。
だが、実際に父はそれをした。
であれば、そこにはそれ相応の事情が存在するはずだった。
九郎は元服(成人 十三歳)前にそのことに気づいていたが、あらためて父親に話を請うことはしなかった。
請わずとも元服の際に何らかの話があるだろう、と思っていたのだ。
しかし、元服の儀の前も後も、この件に関して父の口が開くことはなかった。
それを見た九郎はいやおうなしに理解する。父が黙っているのは、九郎には話せない理由があるからであり、おそらく父はその理由を墓まで持っていくつもりであろう、と。
それが何なのかはわからない。気にならないといえば嘘になるが、むやみに問い詰めれば父に苦悩を強いることになってしまう。
そう考えた九郎は、父への信頼を沈黙という形であらわした。
それが九郎なりの気遣いであった。
とはいえ、九郎が女性であるという事実は厳然として存在し、年齢を重ねるごとに様々な問題をはらんでいく。
それを案じた父は、事情を知っている人間を娘に付けておく必要を感じ、一人の少女を選ぶ。九郎より三つ下のその女の子は、はやり病で両親を失い、シルル教会に寄宿している神官見習いだった。
九郎にしてみれば妹のようなものである。秘密を知っているという心安さも手伝って、ずいぶんと可愛がった。勘違いでなければ、向こうも九郎を姉のように慕ってくれていたはずだ。
父の指示で出国する際、少女は自分も行きたいと何度も願い出てくれたのだが、九郎はその願いを退けた。
教会騎士である九郎でさえ成功を期しがたい危険な賭けに、神官見習いの少女を同行させるわけにはいかなかったのだ。その考えは決して間違っていない。今でも九郎はそう思っている。
だが。
だが、結果としてその決断が少女の命を奪ってしまったのだろうか。
いや、少女だけではない。あのとき、父を諌めていれば。
セラのエルフたちがどうなろうと、蓬莱の歴史に消えない汚点が記されようと、そんなものは自分たちに何の関わりもないと言って事態を静観していれば。
『一番傑作だったのは最後だったな。司祭とかってやつは、仲間が喰われる様をフッキに散々に見せ付けられて泣きわめいてたが、最後に女のガキが生きたまま丸呑みにされたときなんか、狂った猿みてえにキィキィと――』
誰ひとり、死なずに済んだのだろうか?
◆◆◆
「……ぐ、く……ぅあッ!?」
自らの苦悶の声で迎える目覚めは、控えめにいって最悪だった。
どことも知れない部屋で目を開けた九郎は、奇妙な気だるさを感じながら上体を起こそうとする。
途端、こめかみを殴打されたような強い頭痛に襲われ、思わず顔をしかめた。
「……ここ、は」
頭痛がおさまるのを待って周囲を見まわす。まったく見覚えがない部屋だ。
いや、覚えがないというなら、そもそもあの祭壇で魔人と遭遇した後の記憶がまったくない。
室内の調度品からして、おそらくここは開陽にある中程度の宿屋だろうが、いったいいつ、どうやって開陽まで戻ってきたのだろう。
と、九郎は自分の枕元に濡れた白布が落ちていることに気がついた。
触ってみると少し温かい。おそらく眠っている間に払い落としてしまったのだろう。
状況から考えて、誰かが自分の面倒をみてくれていたのは間違いない、と九郎は判断した。
そして、今の九郎に自分の面倒をみてくれる心当たりは一人しかいない。
そこに思い至るや、今度は頭痛によらず顔をしかめてしまった。あまり考えたくないが、自分は二度ならず三度までもあの青年に助けてもらったのだろうか。
まだ若しとはいえ、斑鳩九郎は正規の教会騎士。その自分が、半月やそこらの間に二度も三度も冒険者に助けられるなど情けないにもほどがある。
九郎がそう考えたとき、前触れもなく扉が開かれた。入ってきたのは、やはりというべきかテオであり、その手に水が張った桶を抱えている。
九郎が起き上がっているのを見たテオは、安堵したように表情を緩めた。
「よかった。夜までに目が覚めないようなら、医者を呼ばねばと思っていたところです」
「……面目次第もない。またしても世話になって――く、ぐほッ!?」
謝罪の途中、強いノドの渇きをおぼえた九郎は激しく咳き込んでしまう。
声を発して改めて気づいたのだが、思った以上にノドが渇いている。口の奥で乾燥した皮膚と皮膚がくっついているような感覚があった。
机の上に桶を置いたテオが、同じく机の上に置いてあった水差しをとって木製の杯に注ぐ。
差し出されたそれを、九郎はありがたく受け取った。
ゆっくりと杯を傾け、少しずつ水を含んで乾いたノドを潤していく。微妙に緊張感が漂っているのは、飲みそこねて派手にむせるような無様はさらせないと考えていたからである。
これ以上の恥の上塗りは是が非でも避けたかった。
ややあって杯を空にした九郎は満足の息を吐き出し、あらためて同行者に頭を下げた。
「すまない。またしても世話になった」
「世話というほどのことはしてませんよ。それより、お腹は空いていませんか?」
「いや、今のところはそれほど……ん? そういえば、夜になるまで目を覚まさなかったら医者を、と言っていたが――」
九郎は窓の方を見やる。
寝ていた九郎を気遣ってか、カーテンは閉ざされていたが、隙間からかすかに漏れてくる光は日没前のそれだった。
「……それがしはどれくらい眠っていたのだ?」
霊山に向かったのは夕刻のことだった。
おそらく自分は洞穴での出来事の後に気を失ったのだろう、と九郎は思う。それから即座に開陽に戻れば、日没前に帰り着くこと自体は可能だろう。
だが、宿探しなどの時間を含めると、とうに夜になっていなければおかしい。なにより、この計算だと九郎はほとんど眠っていないことになる。
良好な目覚めとはいえなかったが、かなり長時間横になっていたという感覚は残っている。以上のことを踏まえて出てくる結論は――
「丸一日、というところです」
「…………やはり、か」
この非常時に、と唇をかみ締める九郎に対して、テオは申し訳なさそうに言葉を続けた。
「それと、ですね。まことに申し訳ないのですが……」
「む? なんだ?」
「俺は九郎殿を担いでこの宿に来たわけですが、洞穴でのこともあって九郎殿の衣服は汗まみれだったんです。それこそ雨に濡れたみたいにずぶ濡れ状態で。で、勝手ながらこのままでは風邪を引くと判断しまして……」
めずらしく持って回った言い方をするテオを、九郎は不思議そうに見つめていたが、やがて相手が言わんとすることに思い至った。
かぁっと頬が熱くなるのを感じながらも、つとめて平静に声を押し出す。
「……あ、ああ、そうか。ようするに、それがしの身体を見た、ということか」
「……はい。本当にすみません。わかっていれば、宿の人に頼むなり何なりしたんですが」
「あ、い、いや、気にする必要はないぞ! たばかっていたのはこちらの方なのだし、状況を考えればテオ殿に非はまったくない! むしろ、変なものを見せてしまってすまなかったなッ」
「いや、変などということは決して! 眼福にあずからせていただき、感謝のきわみにございます!」
「そ、そうか。それは何よりだッ」
なぜか二人して妙なテンションになり、声高に言い合ってしまう。
数秒後、我に返った九郎は顔を真っ赤にしてうつむいた。
男として育てられたとはいえ、肌をさらすことに対する羞恥心がないわけではない。むしろ、九郎は人並み以上に羞恥心が強かった。
これまで裸身をさらしたことがあるのは妹同然だった少女のみ。そんな九郎にとって、自分の生まれたままの姿を年頃の男性に見られてしまったという事実は、そう簡単に打ち消せるものではなかった。
冷静に考えれば、他に語り合うべき事柄はいくらもあったろう。
だが、予想外の角度から放たれた攻撃のせいで平常心を失った九郎はそのことに気づかなかった。言いだしっぺのテオは言わずもがな。
室内に沈黙の帳が下りる。
と、次の瞬間、九郎のお腹のあたりから小さな音が鳴り響いた。文字にすれば「ぐー」としか書きようのない音が。
何かしら会話をしていれば、あるいは気づかなかったかもしれない。それくらい小さな音だったが、静まり返った室内にその音はことのほか良く響いた。
ただでさえ赤かった九郎の顔が、熟れたトマトのように真っ赤になる。
「あ……! こ……!? ちが……ッ!」
頬はおろか耳や首筋まで真っ赤にそめた九郎は、自分でも何を言おうとしているのか分からぬままに、ぶんぶんと勢いよく首を振り続ける。
テオはそんな九郎の様子を困ったように、それでいてどこかほっとしたような不思議な表情で見守っていた。
◆◆
しばし後。
ようやっと平静を取り戻した九郎は、いちおうの腹ごしらえをした後、遅ればせながらテオから事情を聞いていた。
事情とはつまり魔人ユーベルにまつわる事柄である。
セラの騒乱の中心近くにいたテオの話は、九郎にとって驚かずにはいられないことばかりであり、時間も疲労も忘れて聞き入った。
魔人に通常の剣や魔法が利かないことを知った九郎は、ユーベルに一太刀浴びせたときのことを思い出して小さくうめく。
「それでは、神代の武器を持ち出さないかぎり、魔人に手傷を負わせるのは不可能ということか」
「そう考えた方がいいでしょう。実際、白精樹ではかなりの深傷を負わせても障壁は機能していました。強力な魔法なり奇跡なりを付与した武器であれば、あるいは通じるかもしれませんが、そんな術の使い手はそれこそ神代の武器並みにめずらしいです」
それを聞いた九郎は自分の両手を見下ろした。思い出すのは魔人に切りかかったときの手ごたえ。九郎の武器は刀身がまっすぐに伸びた、いわゆる直刀であり、刀身が湾曲した湾刀に比べれば切れ味に劣り、耐久に優る。
直刀で通じなかったのであれば湾刀で、とも思ったが、仮に武器を持ち替えたとしても、鉄塊に叩きつけたようなあの感触を切り裂ける気はしなかった。
生来、術のたぐいが使えない九郎に、術式による攻撃は望めない。
今の九郎には仇を討つ術が一つたりとも存在しなかった。
そこまで考えた九郎は、低い声でテオに問いかける。
「……テオ殿は、あの魔人が口にした言葉、どこまで本当だったと見ている? それがしに気兼ねせずに答えてほしい」
「……正直、わかりません。虚言を吐いているとは感じませんでしたが、腐っても魔人です。内心を悟らせないようにすることくらいはできるでしょう。向こうの狙いを考えれば、奴が口にしたことを丸々信じ込むのは危険です」
「狙い、とは?」
九郎の問いに、テオは静かに答える。
テオが見るところ、セラの樹海を襲ったユーベルの背後には上位者の影がちらついていた。
その上位者が伏姫であったのならば、セラで敗れた魔人が蓬莱にいる理由は説明がつけられる。
だが、正体を隠した伏姫のことをユーベルがぺらぺらと語ったのは何のためなのか。向こうはテオがアスティアとつながっていることを知っている。わざわざテオたちを呼び出して情報を伝え、なおかつ生かして帰したということは、伏姫が魔人であるという情報をウィンディアに流せ、といったに等しい。
伏姫が魔人であると証明されれば、ウィンディアをはじめとした諸国は必ず動き出す。人類の天敵が大国の一つを統治している状況を座視できるはずがない。
おそらく最終的には第五層と戦神の戦いになるであろう。
ここでテオが思い出したのは、アスティアが語った竜王ジウの目的と、それに関わる魔人たちの行動である。
この戦いを伏姫の側から見ると、負ければ当然アスティアに滅ぼされるわけだが、たとえ勝ったとしても、伏姫の末路はたいして変わらない。伏姫が戦神を葬れば、自らの手でアスティアを引き裂かんと欲している竜王が激怒することは火を見るより明らかだからだ。
つまり、自らが魔人であることをウィンディアに知られた時点で、伏姫はある意味詰んでしまうのである。
ユーベルは、いっそあからさまなくらいにその状況を導こうとしている。
魔人が魔人に対して反逆しようとしている。テオはそう結論した。
それを聞いた九郎は眉間に縦しわを刻んでうめく。
「魔人は父上たちのことを伝え、それがしの伏姫憎しの感情をかきたてようとした。そういうことだな」
「はい」
テオは深くうなずいて、九郎の言葉を肯定する。
問題は、憎悪をあおるための言葉が虚構にもとづくものなのか、それとも事実にもとづくものなのか、ということだったが、それについてテオは口にせず、九郎も問わなかった。
ここでいくら語り合ったところで答えが出る問題ではない。そのことがわかっていたからである。
最後にテオは次のように締めくくった。
「とにかく、伏姫が本当に魔人なのかどうかを早急に確かめる必要があります。顔見知りの魔人に言われたから、などという理由で伏姫を糾弾しても、蓬莱の民も諸国の王も聞く耳をもってくれないでしょうからね。すべてはユーベルが人間同士を争わせるためについた嘘、という可能性もありますし」
「そうだな。確たる証拠が見つかれば、この国と魔人を切り離すこともできる」
九郎はそういって同意した後、難しい顔で首をひねった。
「しかし、姫巫女として表舞台に立ってから今日まで、伏姫は何年もぼろを出さずにこの国を牛耳ってきた。今になってそれがしたちが動いたところで、都合よく尻尾を掴めるとは思えないが」
「それについては一応、案があります」
「ふむ、聞かせてもらいたい」
「あのとき、ユーベルはこう言っていました。フッキのそばにいる者たちも人間に成りすました竜種、魔人の眷属だ、と」
伏姫本人ではなく周りの配下をつつくことで、間接的に伏姫の正体をあばくことはできる。テオはそう述べた。
九郎はふむとうなずく。
「たしかに、伏姫当人よりは配下の方が付け込みやすいだろう。ただ、もし間違っていた場合は大変なことになってしまうが、そこはどうする?」
「それはたぶん大丈夫です。相手が魔物であれば、俺は何となくわかりますから。以前、魔物に姿を変えられてしまったエルフを助けたときも、この勘のおかげで何とかなりました」
「そうなのか? それが本当なら助かる」
そういうと、九郎は感心したようにテオの顔を見やった。
「テオ殿は実に様々な経験を積んでいるのだな。魔人と戦ったという武勲しかり、そういった経験があってこそ勘も働き、他者の思惑を読みとることもできるのだろう。それがしのように蓬莱のことしか知らない無骨者からみれば、うらやましいかぎりだ」
それは他意のない純粋な感嘆であったが、言われた当人は痛いところをつかれたように渋面になった。
「……幸か不幸か、このところ人や組織の裏をうかがうことが多かったんですよ。それで慣れてしまった、という感じです」
その声の重さに、九郎はややひるんだようにうなずく。
「な、なにやら大変だったようだな。持つがゆえの苦悩、というものか」
「あ、いや、そこまで大げさな話ではないですよ。それに、半分以上は自分で招いたことだったりしますから」
つまりは自業自得ですと笑ったテオは、今夜はゆっくり休んでくださいと言い置いて部屋を後にした。
九郎が女性であると分かった以上、同室で眠るわけにはいかないと考えたようで、部屋は二つとってあるらしい。
九郎が起きたときは茜色だった空は、いまやすっかり夜の色に塗り替えられている。気づけば、ずいぶんと長い間テオと言葉を交わしていたようだ。
寝台に横になったとたん、まるで思い出したように強い眠気が襲ってきたので、九郎は抗うことなく瞼を閉じた。
たぶん、今夜は悪夢にうなされることはないだろう。何故だかそんな気がした。
登場人物ステータス
斑鳩九郎( いかるが くろう)
基本値
攻 11
防 7
速 12
魔 0
技能
刀戦闘Lv1 刀使用時に攻(+1)
軽装戦闘Lv1 金属盾、重甲冑未装備時に防(+1)
連続攻撃( レア) 通常攻撃が連撃になる場合がある。速12以上の者のみ習得可
後の先(固有) 敵の近接攻撃を無効化し、かつ通常ダメージを与える場合がある




