第八章 蓬莱起兵(二)
中央教会でスーシャやイズと話をした二日後、俺は複数の同行者と共にベルリーズを発った。
当初の目的地はウィンディア王国であったが、俺がくぐったのは北門ではなく西門――向かう先は西の大国蓬莱である。
どうしてこうなったのかを一言で語れば、大司教バルビウスのせい、ということになる。
ウィンディア、ランゴバルド、カーナ連合、そしてシルル教団の四者を糾合して蓬莱を掣肘しようとしたスーシャ。
俺はこの策に従い、蓬莱の情報をアレス陛下とアスティア様にお伝えし、ついでにカリスとトワの二人を自分の家に連れて行くつもりだった。
その後、セラの樹海へ移動して蓬莱の攻撃に備える――そういう予定だったのだが、出発直前になって大司教がくちばしを入れてきたのだ。
中央教会に呼び出された俺は、呼び出した相手が教皇ではなく大司教だと知って嫌な予感をおぼえた。
廃都での一件以降、バルビウスが俺を危険視しているのは明白である。そのバルビウスの呼び出しだ。用件が何であれ、ろくなことではないのは子供でもわかる。
とはいえ、大司教からの呼び出しを無視するわけにもいかない。今の段階でシルル教団、ひいては聖賢会議の敵意をあおるのは得策ではない。スーシャとの結婚が実現するまでは、できるかぎり従順を装っておく必要がある。
そうしてしぶしぶ教会におもむいた俺に対し、大司教が口にしたのが蓬莱行きである。
いわく、シルル教団はただちに蓬莱国に対して使節を差し向けるつもりであるが、おそらくこの使節は国境を越えるのに時間を要する。最悪の場合、力ずくで追い返されてしまうだろう。それはそれで蓬莱の横暴を諸国に訴える材料になるが、問題は蓬莱国内に残ったシルル教徒――ことに急使を派遣した教会の安否である。彼らが置かれた状況を確かめ、同時に蓬莱国内の情勢をつぶさに調べあげる。
そのための人員に俺を加えたい、というのが大司教の意向だった。
いうまでもないが、俺はシルル教徒ではなく、教団の命令をうけるいわれはない。まして、大司教の指示はスーシャのそれと乖離しており、教会の意向というより大司教個人の意向という側面が強い。ますます従う必要はない。
だが、その程度のことは向こうも織り込み済みであったらしく、大司教は続けてこう言った。
蓬莱国内への潜入、調査はきわめて難しい任務だ。場合によっては捕らえられた信徒を助けるために武力を用いることもありえよう。
したがって、任務に加わる人員は精鋭であることが求められる。そして、それにくわえてさらにもう一つ、ある条件をクリアしている必要があった。
それは髪の色が黒いこと。
実質的な鎖国状態にある蓬莱では、道行く人々はほぼ確実に蓬莱人である。そして、蓬莱人の髪は黒。蓬莱国内で怪しまれずに行動するためには、この外見的特徴が必要不可欠であった。
染めるという手ももちろんあるが、染めていることを見抜かれたらそれだけで任務失敗だ。
一日二日の任であればともかく、長期の潜入任務において、失敗につながる要素はできるかぎり排除しておく必要がある。
いわずもがな、俺の髪は黒であり――もう一人、イズの髪も黒である。
バルビウスは爽やかささえ感じさせる弁舌で次のようにのたまった。
『聖下はこれまでの激務に鑑みて、今回の件でブレイブハートには待機を命じられた。だが、事は蓬莱国内の同胞の命がかかっている。ブレイブハートには無理を強いることになってしまうが、剣技といい、識見といい、外見といい、彼女ほどの適任はおさおさいない。女性である、というのも情報収集では有利にはたらこう。卿が首を横に振るのなら、遺憾ながらブレイブハートに協力を求めざるをえなくなろう』
それはようするに、断ったらイズを向かわせる、ということだ。
俺が顔をしかめたのはしごく当然のことであったろう。
イズを利用して俺を蓬莱へ向かわせる、その大司教の意向の影に、俺という危険因子を排除しようとする意思があるのは明白だ。
あるいは、蓬莱という毒を、俺という毒をもって制するつもりなのかもしれないが、どのみち、俺の命に重きを置いていないことは火を見るより明らかである。
ふざけるな、と大司教を怒鳴りつけても許されるのではなかろうか。そう思う。
だが、実際に俺の口から出たのは「承知」の一言だった。
俺が蓬莱に向かうことは、イズの重荷を肩代わりすること。そう言われてしまえば拒否なんてできるはずがない。あの勇者殿には色々と世話になっているのだ。
俺から見てもイズは働きすぎだし、しかもその無理の半分くらいは俺と関わったゆえに発生したものである。ここはむしろ、俺が進んで名乗りをあげなければいけない場面だろう。
非常に、ひっじょーに忌々しいが、おそらく大司教は俺がこう考えることを読んでいた。相手に拒絶を許さない巧妙な話の進め方は、ランゴバルドの王弟セルディオを彷彿とさせる。
どこの組織にも頭の切れる人間というのはいるものだが、なんでよりによってその二人がそろって俺に目をつけるのか。
そんなことを思いつつ、俺は大司教の要請を受け入れた。
以上が出立にいたる経緯である。
簡単に話をまとめると、俺は見事に大司教に言いくるめられた、ということだった。
気分的には大変おもしろくないが、まあ物は考えようだ。
蓬莱の目的や動向を探る一番確実かつ手っ取り早い方法は直接現地に赴くこと。これは間違いない。場合によっては蓬莱の行動を止める手がかりを掴めるかもしれない。
そうなれば、エルフたちが故郷を追われる――魔物ではなく人間の手によって――という最悪の事態を回避することができる。
イズもウルクも大切な仲間だ。花嫁令云々に関係なく、危険を冒す価値はあるはずだった。
◆◆
「テオ殿は馬の扱いが巧みだな。失礼ながら浪人――いや、東国では主を持たずに放浪する者を冒険者と呼ぶのだったな、冒険者とは思えぬ節がある」
ベルリーズを出て四日あまり。
蓬莱へ向かう途次、川辺で馬を休ませていると、同行者の一人が不思議そうに声をかけてきた。
話しかけてきたのは、先日、中央教会で顔をあわせた九郎という名の少年だった。
斑鳩九郎というのが正式な名であることは、この強行軍をはじめた日に教えてもらっている。
俺は軽く肩をすくめた。
「今は冒険者として各地を行ったり来たりしていますが、以前は北のウィンディア王国で魔物相手に戦っていたんですよ。ウィンディアは広く、領内の移動に馬は欠かせませんでした」
「ほう! 北の英雄王の噂はそれがしごときの耳にも届いている。人の身で魔人を討った当代一の英傑だ。いずれお目にかかりたいものだ、と常々考えている」
そこまでいった九郎は、怪訝そうに眉根を寄せた。
「しかし、主を得ていたのなら、なにゆえ冒険者になどなったのだ? 英雄王に仕えるという栄誉を捨ててまで欲するものがおありだったのか?」
聞きようによっては嫌味とも取れる言い方であるが、素朴な疑問を浮かべた少年の顔を見れば、この問いに他意がないことはわかる。
この四日でわかったことだが、この斑鳩九郎という少年、蓬莱貴族の一人であり、良くも悪くも率直な性格をしていた。
世間知らずというわけではなく、単純に人との会話に慣れていない印象である。
聞けば、蓬莱におけるシルル教会は伏姫による圧力で孤立しており、話す相手は司祭をつとめる父親でなければ顔なじみの信徒しかいなかったそうな。
なるほどそれで、と心ひそかにうなずきつつ、俺は相手の問いに応じた。
「まあそんなところです。嫁探しですよ」
嘘ではないが本当とも言いかねる、そんな言い回しだったが九郎は納得してくれたようだった。こくこくとうなずいている。
「ふむ、つまり跡継ぎを得るためか。北の国は魔物どもの襲来が絶えぬときく。後嗣がいないままに戦死してしまえば家は絶える。それを防ぐのは大切なことだな」
共感してくれる九郎を見て、俺は内心でこっそりと頭を下げた。
いや、別に花嫁令について話してもよかったのだが、なんとなくこの少年、この手の話には潔癖っぽいので、王位のために複数の嫁を探してますなんていったら、こちらを見る視線の温度がぐぐっと下がってしまいそうな気がしたのである。
これから俺たちは蓬莱までひた走り、その後は警戒厳重、敵意満載な敵国に密かに潜入しなければならない身の上だ。互いの協力は不可欠であり、こんなところで関係に冷えを生じさせるのは愚かというものだった。
なお、蓬莱潜入に従事する面子は俺と九郎にくわえて、あと二人の教会騎士が同行している。その二人は少し離れたところで、大の字になって寝転がっていた。騎行に次ぐ騎行で疲労の極みに達しているらしい。
ぶっちゃけ、俺もそうしたい。
だが、俺たち以上に疲労しているはずの九郎が毅然と立っている姿を見ると、そうも言っていられない。年長者としての意地というものがあるのだ。
そんな俺の内心を知る由もなく、九郎はこの先の道程について確認をとってきた。
「テオ殿、ここからあと半刻ほど進むと街がある。そこの教会でもう一度馬を替えたら、あとは蓬莱国境まで一気に進んでしまいたい。夜も走ることになるが、かまわぬだろうか?」
「もちろんです」
ためらいなくうなずく。今、俺たちはカーナ連合王国の領内を西へ突っ走っているわけだが、ここらは俺にとってまったく未踏の地だ。道のりについては九郎に一任するとはじめから決めている。これについては他の二人も同意していた。
ついでにいうと、さっきから俺が年下の少年にですます口調で話しているのは、貴族にして教会騎士という向こうの身分と、九郎いわく「浪人」という己の立場を考慮してのことである。
九郎が涼やかな容姿の持ち主だけに、傍から見たらどこぞの公子とその従者みたいに見えるかもしれない。
俺の快諾を聞いた九郎は、かたじけない、と一礼した。
そして、懐から布袋を取り出すと、中に入っていた固形物を口に放り込む。乾した梅の実を加工した保存食で、めちゃくちゃ酸っぱい代物である。
何で知っているのかといえば、先日九郎からもらって食べたからだ。それと知らずに口の中で不用意に噛んでしまった衝撃はいまだに忘れられん。あれからもう一日以上経っているが、まだ口の中に味が残っている気さえする。
「テオ殿もいかがだ?」
「御好意だけいただいておきます……」
力なく返答すると、少年はめずらしく満面に笑みを浮かべた。
「あはは、テオ殿もそんな顔をなさるのだな。よほど最初の味が忘れられぬとみえる」
「ええ、目が覚めるような一撃でした。昨日から何を口に入れても梅の味しかせんのですよ」
ぼやきつつ、俺も懐から保存食を取り出す。廃都への遠征にも持っていった甘粥の素だ。
今回の一件はかなり急だったので、新しい分をつくる暇はなかった。これは先の遠征で余った分である。
と、今度はそれを見た九郎がやや怯んだように目線を泳がせる。
実は最初の夜営のときにお湯で溶かして出したのだが、九郎は一口すすった後、甘い、と呟いて眉を八の字にしてしまった。なんでも菓子をはじめとした甘いもの全般が苦手らしい。
「テオ殿はよくそのような甘いものをぱくぱく食せるものだな」
「そのままかじる分には、さほど甘くないと思うのですけどね」
俺からしたら、あの『酸っぱい』を具現化したような食べ物を平然と口に入れられる九郎の方がよっぽど不思議である。
ともあれ、しばしの休息を終えた俺たちは再び蓬莱へ向かって馬を走らせる。
蓬莱との国境まで、あと一日弱、といったところであった。
◆◆◆
「どういうことですか、大司教。テオ殿を蓬莱へ差し向ける件、わたしは聞いていませんよ?」
ベルリーズ中央教会の一室で、教皇スーシャは大司教バルビウスを詰問していた。
同じ部屋には右手を失った聖騎士団長エロイスの姿もある。
幼い教皇から強い視線を向けられたバルビウスは、恐れ入ったように頭を垂れた。
「聖下の裁可を得ずに事を運んだことは申し訳なく思っております。されど、ただ今申し上げましたように、テオ殿は私の案に賛同してくださいました」
「賛同? シーディアをだしにして、断れなくしただけではないか」
鋭い声音はスーシャではなくエロイスのものだ。バルビウスはテオを説き伏せた一連の会話を隠すことなく明かしていたのである。
スーシャの表情がめずらしいほど険しくなっている理由もここにある。イズに向けた気遣いがこのような形で利用されるとは、さすがにスーシャも予測していなかった。
大司教は悪びれない。
「力量、外見、いずれもブレイブハートに適正があるのは事実でござろう。そして蓬莱国内の事情が切迫していることもまた事実。とはいえ、先の遠征による教団戦力の被害は甚大であり、ブレイブハートも消耗している。この状況にあって、教団の外の戦力を動かせるならば、そちらを動かすべき。この考えは間違っていましょうか、エロイス卿?」
「他者の侠気に付け込み、教団戦力の温存をはかることを是とする道理は存在せぬ。まして聖下があずかり知らぬところで事を企み、実行しているのだ。僭越が過ぎるぞ、大司教」
エロイスの声は厳しく、バルビウスを見据える眼光は鋭い。片腕を失ったとはいえ、その威はいまだ配下の騎士たちを圧するに足りる。
そんな聖騎士団長の圧力を一身に浴びた大司教は、しかし、堪えた様子も見せず涼しげに相手の眼光を受け止める。
それを見たスーシャの目に理解の光が煌いた。
「……大司教」
「なんでしょうか、聖下」
「これは聖賢会議の指示ですか?」
スーシャの静かな問いかけにエロイスが目をみはる。
一方のバルビウスは、スーシャの洞察力に敬意を表するように一礼してみせた。
この場にいる三人は聖賢会議に席を得ている。当然、その目的も熟知している。
ただし、それに対して抱く感情はそれぞれ異なる。大司教は全面的に肯定し、のみならず主導する立場にいるが、聖騎士団長は目的自体はともかく、そこにいたる手段には懐疑的であった。
エロイスは疑問を声に出す。
「なぜ聖賢会議が一冒険者の身にこだわるのだ? いや、こだわるどころではない。半ば死地に投じるような真似をするのはなぜだ、大司教?」
「むろん危険だと判断したからでしょう」
「……たしかに、ウィンディアのハイランダーであり、ランゴバルドとも強い繋がりを持っている者を無視はできぬ。だが、将来はともかく、今はまだ休職中の一騎士ではないか。それも我らシルル教団に対して少なからぬ――いや、大なる貢献をしてくれている人物だ。その相手を罠にかけるような――」
「エロイス卿、そのようなことはどうでもいいのです」
バルビウスは聖騎士団長の言葉をばっさり断ち切り、理由を説明する。
「聖賢会議が重要視しているのは、あの者が魔剣の持ち手であるという一点のみ。すでに囚人どもを用いて七度の実験を行っておりますが、あの剣を握った者はことごとく狂死いたしました。可能石の魔力に抗しかねてのことであるのは明白です。しかるに、あの者はなんら影響をうけずに今日まで生き延びている。これはとうてい座視できない事実です」
「……大司教、囚人を使って、というのも今はじめて聞きましたよ?」
スーシャの言葉に対し、バルビウスはあっさりとした口調で応じた。
「雑事です。いずれも死刑が確定した重罪人であり、聖下のお耳を汚す必要はないと判断いたしました」
「それもまた聖賢会議の指示、というわけですか」
「御意」
バルビウスがうなずくと、室内に沈黙の帳が下りる。
ややあって、エロイスが再び口を開いた。その表情は見るからに苦々しい。
「テオの適正を座視できぬというなら、それこそ協力を仰げばよいではないか。あのウィンディアで山岳騎士にまで上り詰めた男だ、魔人に対して思うところは多かろう。魔人に対抗する手段を得るためと申せば否とはいうまいよ」
「あの者がただの冒険者であれば、それもよろしいでしょう。しかし、相手はウィンディアの騎士。あの国が可能石欲しさにくちばしを入れてくる可能性は小さくありません。故国と教団の板ばさみにあったとき、彼がどちらを取るかは火を見るより明らかでしょう? それに、あの者は国の守りを捨てて花嫁令にくわわり、あまつさえランゴバルドとも関わりを持ちました。野心多きやからであるのはこの一事をとってみても明らか。聖賢会議の使命を漏らすのは得策とは言えますまい」
そういった大司教は、それに、といってさらに言葉を続けた。
「さらに申し上げれば、エロイス卿は死地と仰ったが、別段、蓬莱の軍勢を一人でとどめてこいと命じたわけではありませぬ。かの地に詳しい者も同道していることなれば、情勢を探ることは決して不可能ではないと心得る」
それを聞いたエロイスは難しい顔で考え込んだ。
バルビウスの言葉をよしとしたわけではない。だが、すでにテオたちがベルリーズを発ってしまった今、このことで大司教を追及しても仕方がない、という気持ちがある。ただでさえ親征の後始末やコーラル領の件で多忙なのだ。過ぎたことをひっくりかえして時間を浪費することは避けたかった。
それにバルビウスが口にしたように、蓬莱を探り、現地の信徒の安否を確認するという目的は、決して間違っていないのである。
スーシャとエロイスはちらと目を見交わし、仕方ないと言いたげに小さくうなずき合う。
そんな二人を見やる大司教の口許に、ほんの一瞬だけ微笑が閃いた。刃物を思わせる鋭い微笑が。
実のところ、バルビウスはテオたちに同道させた二名の教会騎士にある密命を授けており、蓬莱の手を借りて危険分子を始末するつもりだった。
むろん、そうまでするには理由がある。
極端な話、蓬莱がセラの樹海を制圧することよりも、テオが魔剣を掌握してしまうことの方が聖賢会議にとっては厄介なのだ。
なにしろウィンディアには『魔人殺し』の王がいる。そこに魔剣の使い手たる騎士が加わるなど到底容認できることではない。あたかも可能石に認められたかのごときテオの存在は、大司教にとって脅威そのものとして映っていだ。
蓬莱の起兵を奇貨として始末するにしかず。
そう決意するくらいに。




