第八章 蓬莱起兵(一)
「もし、そこなお方。少々物を訊ねたいのだが、よろしいか?」
俺が中央教会の廊下を歩いていると、妙に特徴的な語り口で話しかけられた。
何事か、と声がしてきた方を振り向くと、銀十字のマントを羽織った人物が静かに歩み寄ってくる。石の廊下を歩く足の運びはすべるようになめらかで、ほとんど音をたてていない。
ウィンディア王宮のアスティア様もこんな歩き方をする。見たところ武器らしい武器は帯びていないが、この人物、かなり戦闘に長けていると思われた。
幸か不幸か、このところ中央教会に来る機会が多い俺であるが、この相手の顔は見たことがない。
銀十字の意匠がほどこされたマントから教会騎士かと思ったが、マントの下からのぞく衣服は庶民のそれだ。付け加えると、けっこうぼろい。
背中まで届く長い髪は首の後ろで無造作に束ねられており、一見したところ女性のように見えるが、声は低く落ち着いているし、体格も女性らしさを感じさせない。
おそらく小柄な少年であろう。年齢は十五、六といったところか。
ともあれ、問いかけの言葉は丁寧なものだし、嫌な感じを受ける相手ではない。
何か訊きたいことがあるのなら快く応じようと俺は思ったが、たいして役には立たないであろうことも付け加えておいた。
「かまいませんが、俺は部外者なので、教会の中のことは詳しくありませんよ?」
「む、そうなのか。勇者イズ・シーディア殿がどちらにいらっしゃるか、ご存知であれば教えていただきたかったのだが」
「ああ、それならわかります」
なにせさっきまでスーシャの部屋で同席していたから。西の蓬莱国がかなりきな臭いことになっているそうだ。
廃都遠征が終わって、まださほど時は経っていない。厄介なことにならなければいいが、と思いつつ、俺は眼前の相手に応じた。
「勇者殿ならスーシャ、様のお部屋にいるはずです」
一瞬スーシャを呼び捨てにしそうになり、すんでのところで言いつくろう。教皇聖下を呼び捨てになんてしたら、熱心な信徒なら本気で怒りかねない。
すると、少年は眉宇にかすかな困惑を漂わせた。
その理由が俺の不敬に気づいたから――ではないことは続く言葉で明らかになる。
「そうか、かたじけない。しかし、勇者殿が聖下とお話し合いの最中となると、どうしたものか。一刻も早く蓬莱に戻りたいのだが……」
後半は半ばひとりごとだった。用件は終わったと見て取った俺は、会釈して立ち去ろうとする。俺も俺でやらなければならないことがあるため、あまりのんびりしていられない。
と、そのときだった。
「……ぐッ!?」
耳を刺すようなうめき声が聞こえてきたと思ったら、いきなり目の前の相手の身体ががくりと折れ、前のめりに――つまり俺に向かって倒れ込んできた。
何事だ、と驚きつつも、とっさに相手の両肩を掴んで身体を支えようとする。
軽いくせにしっかりとした質感をともなった感触が両腕から伝わってくる。鼻腔をくすぐる不思議な香りは香水か何かだろうか。これまであまり嗅いだことのない匂いだ。
それが服にたき込めた香の薫りだとわかるのはもう少し後のこと。
このときの俺は、この状況をどうしたものかと困惑しきりだった。
あらためて間近から少年の顔を観察してみると、目元はおちくぼみ、頬はこけ、唇は乾いており、明らかに憔悴している様子がうかがえる。
さきほど蓬莱という言葉を口にしていたようだし、もしかしたら動員令の一件を知らせてくれたのはこの少年なのかもしれない。
だとしたら、倒れた原因は間違いなく疲労であろう。蓬莱からベルリーズまでの距離を考えれば、少し休んだ程度で体力が回復するとは思えない。
周囲に神官なり修道女なりがいないかとあたりを見回してみるが、あいにく、こういうときにかぎって誰もいない。まあ、誰もいないからこそ、この人も俺に声をかけてきたのだろうけれど。
さて、どうしたものかと内心で首をひねったとき、後方から人が近づいてくる気配がした。
やや遅れて、後ろから聞き覚えのある声が飛んでくる。
「あれ、テオ? こんなところで何を……して……」
スーシャとの話が終わったらしいイズが姿をあらわし、こちらにやってこようとして――途中でぴたりと足を止めた。
眼前の状況を整理しようとしているのか、イズが盛んに目を瞬かせている。
やがて、黒髪の勇者が発した声には深い困惑と、ちょっとばかりの不機嫌が込められていた。
「テオ、テオ。さすがにもう少し時と場所をわきまえてほしいかな、と思うんだけど、どうだろ?」
「どんな誤解をされたのか手に取るようにわかるな。仕方ないっちゃ仕方ないが」
ため息まじりのぼやきが口をついて出る。
確かに今の俺は、傍から見れば教会の真っ只中で女の子と抱き合っている不埒者にしか見えないだろう。花嫁令のことを知っているイズが不機嫌になるのもうなずける。
ただ、数月程度の付き合いとはいえ、幾度も死線を越えた仲なのだ。今の状況で俺が色事にうつつをぬかす奴ではないことくらい分かってほしいもんである。
そんなことを考えながら、かくかくしかじかと状況を説明すると、イズが目を見開いた。
「え、そうなの!? あ、ほんとだ、九郎殿! ご、ごめんテオ。ボク、早とちりしちゃったみたい……」
「かまわんかまわん」
しゅんとうつむくイズにひらひらと手を振って、気にしていない旨を告げる。
イズに誤解されたのはショックだったなー、なんてことを冗談まじりに口にしようかと思ったものの、この場でそれを口にすると、冗談ではなくただの嫌味になってしまう可能性が大だ。
俺もそうだが、イズもイズでこのところ何かと大変そうだし、勘違いの一つ二つ、笑って流してあげるのが男の器量というものであろう。たぶん。
「で、九郎といったか、この子のことなんだけど――」
俺は腕の中でぐったりしている子を気遣いながら言葉を続けた。
「このままってわけにもいかんだろう。どこに運べばいい?」
「あ、テオが運んでくれるの?」
「まあいかにも軽そうな子だし、イズでも大丈夫だろうが、名前からして男だろ? 女性に運ばれたって後で知ったらばつが悪かろうよ」
これもある意味人助け。
そう思って九郎の身体を運びやすいように抱えなおすと、イズがぉぉと感嘆の声をあげた。
「お姫様だっこだ」
「男を運んでもお姫様だっことはこれいかに。で、どっちだ?」
「ああ、この先を左にお願い。ところでテオ、ひとつ思ったことがあるんだけどさ」
「なんだ?」
「男の人にお姫様だっこで運ばれたって知ったら、やっぱり後でばつが悪い思いをするんじゃないかな?」
「……をを」
両手が塞がっていなかったら、ぽんと手を叩いていただろう。
俺は急遽少年を背中に背負いなおして、目的の部屋まで運んでいった。
◆◆
「あ、テオ。お帰りなさい」
教会を出て宿に戻ると、軒先でウルクが俺を出迎えてくれた。
エルフの膝の上にはトワが乗っていて、何やら草でつくった笛のようなものを一生懸命に吹いている。
そんなトワも俺に気がつくと、笑顔でぶんぶんと手を振ってきた。それを見た俺の顔が自然とほころんだ。
俺が貧乏生活をはじめてからも、ウルクはこれまでと同じように俺のところに顔を出してくれていた。当然、カリスやトワとも顔見知りである。
トワは初めて会ったときからエルフに興味津々で、身振り手振りでウルクとコミュニケーションをとり、今では大の仲良しとなっている。ウルクもウルクでトワが気に入ったようで、暇を見つけては宿を訪れ、こうして遊んでくれていた。
本音をいえば、しばらくこのまま二人を眺めていたい。楽しそうにトワと笑いあっているウルクの笑顔を打ち消すのは気が引ける。
しかし、蓬莱に端を発した事態はどう転んでいくかわからない。俺の個人的な感情は後回しにするしかなかった。
「カリスは?」
俺が訊ねると、声に込められた真剣な響きに気づいたのか、ウルクが少し驚いた表情をのぞかせた。
「お部屋で繕い物をしていますよ」
「そうか。トワ、すまないがしばらくカリスのそばにいてくれるか? 俺はウルクと話がある」
努めて何気ない風を装ってトワに話しかける。
すると、トワは少しの間俺の顔をじぃっと見上げていたが、すぐに大きくうなずくと、ウルクの膝上から立ち上がった。ぺこり、とウルクと俺にそれぞれ一礼した後、ぱたぱたと建物の中に駆けていく。いつもながらに聞き分けのいい子である。
トワの姿が屋内に消えると、ウルクの顔がすっと真剣なものにかわった。
「それで、テオ。話というのは?」
「ああ、今さっきスーシャから聞いたんだが――」
俺は蓬莱が動員令を発したことを伝えた。
いつかも述べたが、エルフたちが住まうセラの樹海と蓬莱国は隣接しており、両者は樹海の領有権をめぐって幾度となく矛を交えている。
今回の動員令の目的がセラの征服にあることは十分にありえることだった。むしろ、それ以外に考えられない、と言うべきかもしれない。
俺と同じことを考えたのだろう、話を聞いたウルクはさっと表情を変えた。
蓬莱がセラに攻め込むのは今に始まった話ではないが、現在、エルフ族は先の魔軍との戦いで大きく傷ついている。これまでのように力ずくで蓬莱軍を追い払うのはまず不可能だろう。
当面は地の利を生かして守勢に徹する以外に方策はあるまい。
具体的にいえば、蓬莱軍を樹海の奥に引きずりこんでかき回し、分断したところを各個撃破していく。それを繰り返せば、いずれ勝機も見えてくるかもしれない。
エルフの能力をもってすれば不可能な作戦ではないだろう。過去に魔軍を相手にした時も、似たような形で連中を駆逐したと聞く。
ただ問題は、今回、エルフたちは絶対にこの作戦をとらないだろうということだ。いや、とらない、ではなく、とれない、といった方が正確か。
蓬莱軍は魔軍とは違う。彼らの目的はセラの土地そのものにある。蓬莱軍に占領された森は焼き払われ、農地に変えられてしまうだろう。
そんな相手をセラに引きずり込めるはずがない。森を代償にした勝利などエルフにとって意味はないのだ。
エルフから見れば、蓬莱軍は魔軍以上にタチが悪い相手に違いなかった。
人間である俺からすれば、実に耳に痛い話である。
そう感じてしまうのは、俺自身、蓬莱軍の目的を一概に否定することができないからだ。
農地が増えれば、それだけ国が豊かになる。国が豊かになれば飢える民も減る。森を拓きたいという蓬莱の意思はしごくまっとうなものだ。
むろん、だからといって兵を起こしてエルフ領を奪おうという企みが正当化されるわけではないし、正当だと主張するつもりもない。あくまで、理解はできるというだけである。
そしてもちろん、故郷を守りたいというエルフの想いも理解できる。
一番良いのは蓬莱が自重してくれることだが、国のため、民のためという大義名分があるかぎり、蓬莱はそう簡単に止まるまい。というより、止まれないのだろう。増え続ける民を養うためには、どうしたって新しい農地は必要だから。
このため、理を説いて蓬莱を制止することは難しい。本気で止めるつもりなら力ずく。これしかないだろう。
もちろん兵を派遣するという意味ではない。交渉によって圧力をかける、ということだ。セラの樹海を攻めれば、メリット以上のデメリットがあると納得させることで、蓬莱に兵を退かせるのである。
これに関して、スーシャはすでに手を打ちはじめている。
今日、俺がスーシャに呼び出された理由は二つ。
一つは今回の一件を俺に伝えるためだ。では、何故俺にそれを伝えたのかといえば、これがもう一つの理由につながっていた。
ウィンディア王国に書状を送るのである。
ウィンディア王国、ランゴバルド王国、カーナ連合王国。
蓬莱が勢力を拡大させることを望まないという一点で共通したこの三カ国を束ね、これにシルル教団の権威を重ね合わせて蓬莱の野心を掣肘する。
それが教皇が考えた策であった。




