第七章 政略の季節(三)
夜、マルガの宿に戻った俺は、待ち構えていた様子のイズに捕まって酒場の一角に引っ張り込まれた。
そこにはウルクの姿もあり、どうやら二人とも、俺が軟禁から解かれるやセルディオに連れて行かれたことを心配してくれたらしい。
礼を言ったり言われたりした後、当然のようにその場の話題は王弟の話に及んだ。
とはいえ、話せることは多くない。
すべてを話せばイズたちまで巻き込みかねないし、なにより大勢の人間が出入りする酒場で話せる内容ではない。
そんなわけで俺が語ることができたのは、セルディオの計らいでランカース公の愛妾だった女性が与えられることになった、という事実だけであった。
もともと、セルディオは先のボタン廃鉱における俺たちの働きを認め、褒賞を与える旨の発言をしていた。そこでキャプテンから花嫁令のことを聞き――という流れである。これはこれでれっきとした事実だから不審に思われることはないだろう。
話を聞き終えたイズが首をかしげる。
「じゃあ殿下がテオを連れて行ったのは、その愛妾さんとテオを引き合わせるためだったの?」
「そういうことになるな」
俺は短く応じた。詳細を口にできない身としては、あまり長くしゃべるとボロが出てしまいそうで怖いのだ。あと、どうでもいいんだが、愛妾さんってすごい響きだな。
そんなことを考えていると、ウルクが何やら眉根を寄せて問いかけてきた。
「下賜……同族を、同族に与えるという行為は理解しがたいのですが、これは人間の世界ではよくあることなのですか?」
「ああっと……まあ、めずらしいことではないかな?」
主君が臣下に褒美を与えるのはよくあることだ。その内容が金銀宝石であることもあれば、地位階級であることもある。そして、容姿端麗な異性であることも。
その異性の素性がどうあれ、下賜という行為そのものに主君からの好意と信頼が込められているのだから、受け取る臣下に否やはないというのが常識である。
とはいえ、この常識はあくまで人間の、それも権力に近い世界でのこと。ウルクのような異種族から見れば、同族を物か何かのように与えるという行為は信じがたい蛮行に映るのかもしれない。
これはちょっとまずいかな、と内心で冷や汗をかく。セラの一件で培った王女の信頼と好意が、今回のことで帳消しになってしまうかもしれん。
と、そんな俺をフォローするためでもあるまいが、ここでイズが首をかしげながら口を開いた。
「花嫁令に参加しているテオにとっては良い話、なんだよね? それにしてはなんだか元気がないように見えるんだけど」
「そこはまあ、色々とあってな……」
ごまかすこともならず、言葉すくなに応じる。
そんな俺を見て、共に怪訝そうな表情を浮かべたイズとウルクがちらと視線をかわしている。
ようやく念願の花嫁(になり得る相手)を得たにもかかわらず、俺のテンションは明らかに低い。不審がられて当然だった。
しかし、それも仕方ないと思う。それくらい今回の一件は問題が山積みなのである。
正直に言えば、カリスをもらうこと自体には何の葛藤もない。むしろセルディオやクライフ王の手をとって感謝の意を表明したいくらいである。これで停滞しまくっていた俺の花嫁令の予定が一気に進捗する。
相手のお腹に子供がいるかもしれない、という点も問題なかった。今の俺は花嫁をえり好みできる立場ではないから当然だ。
しかし、である。
子供の父親が叛逆者として処刑されたランカース公だ、というのはさすがに無視できなかった。
もしもこのことが露見すると、俺はランゴバルドという大国の憎悪を一身に集めることになってしまう。
くわえて、俺はカリスや子供に関するセルディオの話を鵜呑みにしてはいなかった。
むろん、全部が全部うそだと思っているわけではなく、むしろ大筋において嘘はついていないと判断しているが、俺に語ったことが全てではあるまい。
セルディオは「これ以上の血を見たくない」と言っていた。だがその反面、カリスたちを政略的に利用する心積もりもしているに違いないのだ。
たとえばの話、俺がカリスを花嫁に迎えて、首尾よくウィンディア王の座についたとする。そうなったとき、ウィンディア王国は「叛逆罪で処刑されたランカース公の子供」を抱え込むことになる。そのことをセルディオがそ知らぬ顔で兄王に告げればどうなるか。
ランゴバルドは公然とウィンディアを非難できる外交上のカードを手に入れることができるのである。
むろん、そうなればこちらもセルディオがとった行動をおおやけにできるわけだが、セルディオが「愛妾の腹に子がいることなど知らなかった」と強弁すれば追及の手段はない。互いに水掛け論となるが、最終的に譲歩せざるを得なくなるのは、北に魔物の脅威を抱えるウィンディアであろう。
王弟が口にした「観測されない事象は存在していないのと同じ」という言葉は、こういう風に扱うこともできるわけだ。
まあ、これはあくまで「そういう使い方もある」という一例であり、セルディオがそこまでするかはわからない。繰り返すが、これ以上の血を見たくないという述懐は本音であろう。
ただ、あの王弟のことだ。将来的にとりえる手段の一つとして、今述べた方策を認識していることは間違いないと俺は判断していた。
◆◆
とつおいつ考えるに、今回の話を受けるメリットとデメリットは拮抗している。いや、将来的なことを考えればデメリットの方が大きいかもしれない。
しかし、だから断る、という選択肢は存在しなかった。
理由は色々あるが、何よりもセルディオが許すまい。
セルディオにとってもカリスの存在は爆弾だ。
それを知った俺を黙って見逃がすはずがないし、そもそも俺が諾とも否とも言わないうちに子供の存在に言及したのは、言外に「逃がさないよ」という意思を伝えるために違いない。
今回の一件、セルディオは俺の釈放のために自ら動いてくれるなど、様々な恩徳を施してくれたが、それもこれも俺を政略の駒として用いるための下ごしらえではないか、という気がしてならなかった。
では、どうしてランゴバルドの王弟殿下がそこまで俺に執着するのか。
この答えは間違いなく廃都の一件にあるだろう。
魔剣の持ち手である俺を取り込むことができれば、そしてその俺がウィンディアで王位に就けば、ランゴバルドは北の地への影響力をおおいに強めることができる。廃都解放に尽力した俺を味方につけることで、旧コーラル領に関わる交渉を有利に運びたいという思惑もあるかもしれない。
というか、そういった理由でもなければ、大国の王族がみずから俺なんかのために足を運ぶわけがなかった。
知らず頭を抱えてしまう。
予期せぬ花嫁候補を得られた上、ランゴバルド王国の後援を得たと考えれば万々歳のはずなのにまったく嬉しくない。それどころか、ものすごく気分が悪い。
胸に巣食う不快感の理由は単純だった。
他人にいいように踊らされていることが腹立たしくて仕方ないのだ。
権力や財力、いっそ暴力で威迫されれば抵抗のしようはある。
相手がどれだけ強大でも、こなくそ、と負けん気を奮い立たせることができる。
ところが、セルディオは利と情と善意を巧みにからめてこちらを操る。俺の最も苦手なタイプだった。
いっそすべてを王弟の吹く笛に委ねてしまえば楽になれるのかもしれない。
だが、それはなんか違う。
なんかとはなんだ、と訊かれても答えられそうにないが。
言いようのない感情が胸の奥にわだかまっているのがわかる。それはセルディオと別れてからも一向になくならず、むしろ大きくなっていくばかりだった。
好機が訪れたという感覚と、危機が迫っているという感覚が混在し、利益と不利益の境が判別できない。
王弟の話を受け入れるべきと判断している自分がおり、一方で受け入れるべきではないと叫ぶ己がいる。
前者は後者に「どうやって断るんだ?」と冷笑し、後者は前者に「利益に目が眩んだ愚か者」と嘲笑する。
くるくる、くるくると頭が空回りする。吐き気がするほどの不快感。
うがーー! と頭をかきむしって叫び声をあげたかった。
実際にやったら、ただの奇人になってしまうが、たぶん俺ひとりだったら我慢できずにやっていただろう。得体の知れない焦燥感に心がかき乱され、勝手に息が乱れていく。このままだとイズとウルクの前で妙なことを口走りかねない。
これはまずい、と自覚した俺は席を立つべく口を開こうとした。
と、その寸前。
「――テオ」
春風のような温かさを宿した声が耳朶を揺らす。わずかに遅れて、背中をさする手の感触が伝わってきた。
気が付けば、ウルクが俺の隣に席を移し、優しく背をなでてくれていた。正面に座ったイズもこちらに心配そうな視線を向けている。
どうやら俺の異常は傍目にも明らかなレベルに達していたらしい。
酒杯には一度も口をつけていないから、酒に酔ったわけではない。つまりは本気で参っているのだろう、と他人事のように自分の状態を分析する。
これは二人に迷惑をかける前にお開きにするべきだ。そう判断した俺は、改めて口を開き、二人に詫びをいって部屋に引き取ろうとする。
ところが、またしてもそれに先んじてウルクが動いた。
エルフの王女は俺の顔に繊手を伸ばすと、そのまま抱きかかえるように俺を胸元に抱き寄せる。
――まったく抵抗できなかったのは、まったく予想していなかったからだ。視界いっぱいに若草色の色彩が広がり、顔全体が柔らかい感触に包まれる。温かなぬくもりと甘やかな香り。気がつけば、俺はウルクの胸に顔をうずめていた。言い訳のしようがないほど、しっかりと。
「わわッ!?」
イズの驚きの声が聞こえてくる。たぶんイズにとっても予想外だったのだろう。そらそうだ、ウルクがこんな行動に出るなんて予想できるはずがない。
「ちょ、ウルク!?」
なんとか口を動かして呼びかけるが、ウルクはそれにこたえず、いっそう俺を抱き寄せる腕に力を込める。両頬に感じる柔らかい感触は、間違いなくウルクの胸だろう。ををぅ、わっつはぷん?
かつて記憶にないほど混乱していると、ウルクがそっと俺の耳にささやきかけてきた。
「テオはもっと休むべきです」
「ぬ……?」
「私と出会って、すぐにセラに向かってくれて。途中ランゴバルドで魔人と戦い、セラでも魔人と戦い、ようやくすべてが片付いたと思えばすぐに廃都へ。そこでも何度も何度も戦って、やっと無事に帰れると思えば、今度は同族相手にまた戦い。これだけ戦いが続けば、どんなにたくましい人だって疲れて当然です。身体はもとより、心が萎えてしまいます」
ウルクの手が優しく頭をなでる。その感触は久しく――本当に久しく感じていなかったものだった。他人に頭を撫でられるなんて、いつ以来だろう。
エルフの美少女の存在は酔客たちの注目を集めていたらしく、突然の抱擁に対して口笛やら拍手やらが飛び交っていたが、ウルクはまったく気にせずに手を動かし続ける。途中、なにやら悲鳴じみた声が聞こえてきたのは、しつこい客に対してイズが睨み(本気)を利かせてくれたからであるらしい。
「心気が衰えれば、今まで当たり前にできたこともできなくなってしまう。今は何も考えずに休んでください。今宵一晩、熟睡する権利はあなたにだってあるはずです」
その声は、まるで魔法のように俺の意識を眠気の淵にいざなった。
垂直の谷を落下するように、瞬く間に意識が薄れていく。どうやらウルクのいうとおり、俺は自覚しているよりもずっと疲れていたらしい。
意識を手放す寸前、この状態で眠るとウルクとイズにえらい迷惑をかけてしまう、と思い至ったが――
「……おやすみなさい、テオ」
そのささやき声が、俺のためらいを優しくぬぐい去っていった。




