幕間 ベアトリス①
魔剣を掴み取って馬車の外に躍り出る。
次の瞬間、俺の目に飛び込んできたのは、月明かりの下で悠然とたたずむ銀髪の少女だった。
ドレスと見まがう純白の衣装をまとったその姿は、先にボタン廃鉱で一戦を交えた魔人のそれと一致する。
俺は押し殺した声で相手の名前を口にした。これは周囲にいる教会騎士たちに、来訪者の正体を告げるためでもある。
「……魔人、ベアトリス」
それを聞いた瞬間、教会騎士たちからざわりと動揺の気配が立ちのぼった。
一方の魔人はどこか楽しげに此方を見やりながら、ゆっくりと口を開く。
「ふふ、覚えていてくれたとは光栄。どうやら縁があったようで嬉しいわ、人間」
魔人は唇の端に笑みを閃かせる。
縁があったらまた会いましょう――先の戦闘でそう言って姿を消した魔人の言動を、むろん俺も覚えていた。
油断なく剣を構えながら言葉を返す。
「縁は縁でも悪縁のたぐいだな」
「それはこちらも同様よ。剣の気配を追って来てみれば、そこにいたのは以前にも邪魔をしてきた勇者と戦士。偶然というにはできすぎているわ」
そう言うと、ベアトリスはちろりと唇をなめた。
そして、わずかに目を細めて続ける。
「……いえ、そうでもないかしらね。魔人と戦ったり、廃都の底にもぐったり。命知らずというだけならともかく、しぶとく命を拾う運もある。数が多いのは人間の特徴だけど、そんな者たちが何人もいるとは思えない」
だとすれば、ここでの邂逅も必然か。
ベアトリスはそんな呟きを発した後、紅の双眸に戦意の火をともして俺たちを見据えた。
応じて、俺とイズはそれぞれの得物を構えて左右に飛ぶ。
先の戦いにおいて魔人の剣技はイズとほぼ互角だった。であれば、俺とイズの二人がかりなら勝ちの目も出てくる計算になる。
――あくまで以前の戦いが魔人の全力だったと仮定しての話だけれど。もっといえば、あのときと同じく今回も向こうが魔法を使わない、という前提の上でしか成り立たない勝算だけれども。
それでもこの状況では二人がかりで攻めるしか手はない。教会騎士たちを侮っているわけではなく、単純に魔人に通じる武器を持っているのが俺とイズだけなのである。
……まあ本音を言えば、いくら武器がないとはいっても状況が状況だ、教会騎士たちも敵の牽制くらいはしてほしいのだが、初遭遇した魔人の圧力に押されてか、彼らは剣を抜くことさえ出来ないでいる。廃都での激戦を生き抜いた精鋭でもこれだ。援護はないものと思った方がいいだろう。
ベアトリスは自らに威圧されている教会騎士たちを見て、あざけるでもなく、淡々と言葉をつむぐ。
「その畏怖は正しいわ」
その言葉と共に、教会騎士たちの身体がイバラで覆われていく。騎士たちは遅まきながら抵抗しようとしたが、戒めは素早く、そして強固だった。七名を数えた教会騎士は瞬きのうちに束縛に屈してしまう。
イバラは俺たちにも襲ってきたが、こちらはすでに戦闘態勢に入っていたし、持っている剣はいずれも業物。それぞれの剣の一振りで魔法の束縛を振り払う。
それを見た魔人は左手の人差し指を唇の端にあてて、くすりと微笑む。
「そして、畏怖に屈しない心は好ましい」
銀の鈴を鳴らすような可憐な声。
警戒を緩めない俺たちを前にして、魔人は歌うようにこちらが予想だにしない提案を投げかけてきた。
「話をしましょう、人間」
そう口にしたとき、ベアトリスの目は明らかに俺の方を向いていた。
思わず眉根を寄せる。
以前の戦いで俺はベアトリスとは刃を交えていない。魔人にとってはまったく印象に残っていない敵のはずで、対話を望むにしても、その相手はイズであろうと思っていた。
まあ、目的は魔剣だと口にしていたから、それで俺を見ただけかもしれないが。
そんなことを考えながら、俺はベアトリスの顔を見据える。
「このところ、いろんな人からそれを言われるよ。いやなこった、と答えたら?」
「戦うだけね。それと、そこにいる人間たちの戒めがイバラから刃に変わるわ」
「……ふん、人質か」
「いかにも魔人らしい振る舞いでしょう? ついでに言っておくけれど、今日は先の戦いのように魔法を控えるつもりはないわ。人の身では届かない魔術の粋、味わいたいというのなら止めないわよ?」
ベアトリスがそう口にするや否や、魔人の身体から不可視の力が膨れ上がり、両肩にのしかかる重圧が倍加する。息が詰まる。肌がひり付く。
イバラにとらわれている騎士たちの口から苦悶の声がもれ、イズも苦しげに表情を歪めている。
俺自身、鉛でも飲み込んだように胃がずしりと重い。吐気と悪心を凝集したようなこの感覚は、白精樹でユーベルと戦ったときの感覚に酷似していた。
もっとも、あの時に比べればずいぶんと軽い。ベアトリスにしてみれば、軽く本気を出してみた、といったところなのだろう。
正直、耐えようと思えばまだまだ耐えられるが、それはイズや騎士たちの苦しみを長引かせるだけだ。
それに、へたに抵抗することで魔人が本気で話し合いを放棄しても困る。魔人と戦うのは俺にとって望むところだが、他者をその感情の巻き添えにするわけにはいかない。それはアスティア様にきつく戒められたことである。
俺は話とやらを聞くべく口を開こうとする。
と、その寸前、不意にベアトリスがこちらへの圧力を弱めた。そして、どこか興味深そうな顔で、じろじろとなめるように俺を見る。
な、なんだ、いったい?
「へえ、どうやら勘違いではなかったようね」
「……何のことだ?」
意味がわからずに顔をしかめる。すると、魔人は楽しげに応じた。
「勇者は畏怖に屈していない。対して、あなたは畏怖を感じていない。それは似ているようでまったく違う心の在り様よ。もともと欠けていたのか、途中で壊れたのか、それとも――ふふ、人間がどうやって剣を持ち去ったのかが気になって、こうして来てみたのだけれど……考えてみれば、該当する人間はあなたくらいしかいなかったわね。私としたことが迂闊だった」
銀髪の魔人は何やら勝手に推測し、勝手に納得し、勝手に感心している。ほんとになんなんだ。
こちらの戸惑いなど意に介さず、ベアトリスはさも楽しげな口調で奇妙なことを口にした。
「人間、その剣の銘を教えてあげる。『月喰』というの」
「……月喰?」
「魔人領域では私のような吸血種は月の民と呼ばれるわ。その剣にはめ込まれた可能石は私の同胞の心臓。それは吸血種からつくられた、吸血種殺しの剣よ。月の民を数かぎりなく殺した剣だから、月を喰らうもの、イクリプス(月蝕)というわけ」
単純でしょ、と笑う魔人。
相手の意図がまったく理解できず、俺は顔をしかめるしかなかった。
ベルビアという地名が魔人領域を指すことは知っている。廃都の地下で聞いたスーシャの話で出てきた単語だからだ。その際スーシャは、かの地には竜種と吸血種という強大な種族がいる、ともいっていた。
今の話しぶりからすると、ベアトリスはその吸血種にあたるのだろう。だとすると、俺が持っている剣は二重三重の意味で無視できないもののはず。だからこうして奪還しにきた。
そこまでは理解できる。
だが、魔人がそういった事情を俺に語る理由はさっぱり理解できなかった。まさか俺が同情して剣を譲り渡すと考えたわけでもあるまい。
そんな俺の当惑にかまわず、ベアトリスはさらに続ける。
「一つ、賭けをしてみない?」
話をしようだの、教えてあげるだの、賭けをしようだのと、先ほどから魔人の口から出るのは魔人らしからぬ言葉のオンパレード。
俺としては困惑せざるをえなかったが、だからといって無視するわけにもいかない。
眉間に縦しわを刻みながら問い返した。
「なんだ、賭けって」
「剣の銘と一緒に、力を解き放つ言葉も教えてあげる。並の人間なら意識どころか魂ごと喰いつくされるでしょう。けれど……もし、それでもあなたが人としての器を保っていられたなら、その稀有な資質に免じて、この場は私が退いてあげるわ」
「で、断るといえば戦いになるわけか。人質を殺して」
「話が早い子は好きよ」
そういってにこりと笑う姿は、表情だけを見ればとても魅力的だった。むろん、内実は脅迫者の嘲笑である。
教会騎士たちを盾に取られていることもそうだが、そもそも戦いになれば、こちらの勝ち目は無きに等しい。それなのに向こうから退いてくれるというのだから、はじめから選択の余地はなかった。
後から思えば、こちらが賭けに勝っても向こうは退かない、つまり約定を反故にされる可能性も十分に考えられたのだが、このときの俺はそれについてほとんど心配していなかった。
たしかにベアトリスは恐ろしい相手である。命乞いをする相手を笑いながら踏みにじるような、そんな残酷さも感じられる。
だが、その一方で、自ら口にした言葉を違えるような相手ではない、とも感じていた。
これはなんら根拠のない感覚であったが、結果として正しかったことは、この後の魔人の行動で証明される。
この夜、ベアトリスは誰ひとり手にかけることなく、遠征部隊の前から姿を消したのである。
――なお、俺は一部始終を聞いた大司教によって、これから後、それまで以上に厳しい監視の下に置かれることになる。
まさかこれを計算に入れたわけでもあるまいが、魔人の残した置き土産に対して、俺はため息を禁じえなかった。




