第六章 魔剣(六)
右に呆然、左に唖然、言われた俺はただ愕然。
スーシャの言葉に対する反応を簡潔にまとめると、こんな感じだった。
あっけにとられて声もでない俺にかわって口を開いたのはイズである。
自失から立ち直った勇者の口から、いまだかつて聞いたこともない狼狽しきった声があがる。
「せ、聖下、いきなり何を……え、ていうか、結婚てあの結婚ですか!?」
「たぶんイズ姉さまの考えている結婚で合っていると思いますよ。男の人と女の人が夫婦になる結婚です」
「あ、そ、そうですか……って、いやいやいや、それならますますダメでしょ!? 聖下の年齢で結婚なんて早すぎます!」
イズが大声で主張した内容は、誰が聞いてもうなずけるものだった。なにせスーシャはまだ十一歳。仮に今年で十二歳になるとしても、成人年齢まで一つ足りない。
だが、この反対意見はスーシャも折り込み済みだったようで、教皇の口からは流れるように対策が語られていく。
「それについてはおそらく大丈夫でしょう。アレス王が提示した条件は『より多くの嫁』であり『より優れた嫁』、その目的は自国に優れた人材を招くことにあると思われます。ですから、結婚する時期が多少ずれたとしても、花嫁令の勘定には含まれるはず。あ、そうだ、テオ。花嫁令の参加者には婚姻の書なるものが配られていると聞きましたが、いま持ってますか?」
「ここに」
懐からノータイムで光る紙を取り出すと、イズが悲鳴みたいな声をあげる。
「なんで即座に取り出せるの!? というか、なんで遠征にそんなものを持ってきたの!?」
「いや、出会いはいつどんな場所で訪れるか分からないからな。肌身離さずが基本なんだ」
真面目に返答すると、イズは額をおさえて天を仰いでしまった。
そのイズの横では、スーシャが俺から受け取った婚姻の書を精読している。ややあって、その口から明るい声が発された。
「――うん、年齢に関する制限はないですね、これなら大丈夫。そういえば、この書には偽りを記すことができないと聞きましたが、本当なんですか?」
「ああ、本当だぞ」
国を出る前、シュナが試しに名前を書こうとしていたが、書くことができなかった。
それを伝えると、スーシャは得たりとばかりにうなずく。
「それなら、わたしが名前を書くことができれば、申し出が本気であることの証明になりますね!」
それを聞いたイズが口許に手を押しあててうめく。
「……どうしよう。なんだか事態がどんどん抜き差しならないものになってる気がする」
その困惑しきった様子を見て、さすがに申し訳ないと思ったのか、スーシャは婚姻の書を手にしたまま、ぺこりと頭を下げた。
「驚かせてしまってごめんなさい、姉さま。でも、今でないといけないのです。もう、いつその時が来てもおかしくないから」
「そのとき……?」
イズの声は困惑と疑問で綺麗に二等分されている。
スーシャは真剣な面持ちでこくりとうなずくと、こう言った。
「わたしが子供を産めるようになるとき、です」
ぶふぉ、とイズの口から女性らしからぬ音がもれる。いや、よく見ればフレアも同様だった。ウルクはと見れば、驚きに目をみはりつつも、どこか感心した様子で小さな教皇を見つめている。
そんな少女たちに対し、シルル教皇はさらにたたみかけた。
「具体的には月のさわ――」
「待って待ってちょっとまって聖下!?」
何いいだすの、と慌てふためくイズ。
そんなイズを見ているうちに、俺はいつの間にか驚愕から解き放たれていた。自分よりも慌てている人が近くにいると、見ている方は落ち着いてしまうというあれである。
俺の視線の先では、スーシャがまっすぐにイズを見ながら話を続けている。
「イズ姉さま、わたしはふざけているわけでも、ごまかしているわけでもありません。わたしは聖賢会議が目指した存在に限りなく近い身ですが、それでも可能石を宿してはいません。だから、この身には彼らから課せられた責務があります。魔人に至るため、次の子供を産まねばならないという責務が」
真剣な声音。
それを聞いたイズは石でも飲んだような顔になった。
「それは……望まない相手と無理やり、ということ?」
「はい。今の聖賢会議には、わたしが成長して、好きな人と愛情を育むだけの時間を与える余裕はありません。わたしが子供を産める身体になれば、彼らは競ってわたしに覆いかぶさってくるでしょう」
愛情ゆえではない。情欲ゆえでもない。
言うなれば、それは使命感。
先人たちの想いを継ぎ、人類を救うのだという正義の心に駆られて彼らはそうするだろう、とスーシャは断言した。
かつて自分の母に対してそうしたように、と。
スーシャが語り終えると、その場に沈黙の帳が下りる。
わだかまるのは不快感。わきあがるのは嫌悪感。
沈黙はこの二つの感情を処理するために要した時間である。
そんな俺たちの固く凝った心をほぐすように、スーシャが再び口を開く。その声は穏やかなものだった。
「こんなことを言った後だと説得力に欠けるかもしれませんが、わたしは聖賢会議のすべてを否定しているわけではありません。女神への信仰を掲げるシルル教団が、人の世の歴史を支えてきたことは確かですから。シルル教徒としての務めも、教皇としての責務も、厭わしいと思ったことは一度もありません」
単純に聖賢会議の束縛から逃れるだけなら、手段はいくらでもあった。
たとえば、教皇の発言として聖賢会議のすべてを暴露すること。
たとえば、教皇の地位を投げ打って他国に逃げること。
たとえば、自ら命を断ち切ること。
いずれもやってやれないことはなかった。だが、それをした後に来るのは巨大な混乱であり、その混乱で傷つくのは聖賢会議とは何の関わりもない人たちである。
それは嫌だったのだ、とスーシャはいう。
シルル教徒としての務めも、教皇としての責務も、厭わしいと思ったことは一度もないといった。
それは嘘ではないが、正確でもない。そのどちらにも強い誇りと責任感を持っていた、という表現こそがもっとも正確にスーシャの心を示している。
スーシャは教皇として働くことがとても好きだった。だからこそ、それを投げ打ちたくはなかったし、何も知らない人たちに迷惑をかけるような行動はとりたくなかった。
教皇VS聖賢会議、などという構図はスーシャの望まざるものだったのである。
ただし、その感情と、会議の大人たちに身を委ねることはまったく別の問題だ。
それゆえに、スーシャは幼さに見合わない苦悩を余儀なくされていたのだが、そんなある日、一つの光明が投ぜられる。
セラの樹海からの報告書、という形をとって。
イズが目をみはる。
「それは、ボクの……?」
「はい。花嫁令に参加しているウィンディアの騎士。しかも、その騎士は神アスティアに深く信頼されている。はじめて姉さまの報告書を読んだとき、思わず万歳してしまいました。こんな風に」
そういって、スーシャはその場で高々と両手をあげる。あら可愛い。
「それが俺に興味を持った理由か」
初対面のときといい、再会したときといい、スーシャは何かと俺に興味を示していた。何か理由があってのことだとは分かっていたが、まさか結婚相手に擬されているとは思わなんだ。
まあ、スーシャの行動からそれを見抜ける人間がいるとは思えないけど。いるとしたら、そいつは天才というより変態だ。
「はい。わたしがこれからも教皇としての責務を果たし、なおかつ聖賢会議の責務から逃れるためには、エンテルキアを離れる必要がありました。相当の長期間……かなうならば、ずっと。そして、それに対して万人が納得できる理由を提示しなければなりません。ここでいう『理由』は、言い方をかえれば『実利』になります」
それは難問だった。
教皇が聖地を離れることさえ前代未聞なのだ。その上、事実上の教団本部移転となれば、どれだけの困難が待ちかまえているのか想像するだけで頭が痛くなる。
それだけの無理を押し通すための利がそこらに転がっているはずもない。
そのことを理解しているスーシャが、俺に目を留めた理由。それは――
「ウィンディア王国とシルル教団の関係は思わしくありません。それは聖賢会議にとって、ウィンディア王国の建国と、その武勲がまったく予想外のものだったからです。それはそうですよね。アスティア・ウルムは孤高の戦神。コーラルの滅亡以後、人前に現れることさえなかったのに、その戦神がアレス・フォーセインという冒険者の野心にくみするなんて、誰にも予想できるはずがありません。ましてや、その二人がつくりあげた国が、ただ一国で大侵攻を撃退し、四体もの魔人を屠ってしまうなんて、たとえ聖賢会議でも予想できるはずがないんです」
アスティア・ウルムとアレス・フォーセイン。
この両者が君臨するウィンディア王国は聖賢会議にとって鬼門だった。戦神の力を借りたとはいえ、人間が魔人を討ったのだ。それは聖賢会議の存在意義が消し飛びかねない偉業であり、畏怖せずにはいられない。
人の世の要石たる教団が、大侵攻を防ぎとめた国に意趣を抱いているのだ。軋轢が生じるのは必然であり、両者の関係構築の糸口は今なお見つかっていない。
ならば。
教皇みずからが両国を結びつけるべく働くことに、何の不都合があるのだろう?
「ウィンディアと教団の不和が、大陸に不穏な気配を投げかけている事実は否定できません。その現状を改善すべく、教皇みずからが北の地を訪れ、滞在する。ウィンディア王国とシルル教団が手をとりあって魔物と戦う姿勢を示せば、大陸の人々は喜びこそすれ、怪しむことはないでしょう。教団の権威を高め、なおかつウィンディア王国における教団の影響力を広めるためと説けば、信徒や神官も納得するはずです」
「ただひとつ、納得しそうもない聖賢会議は、アスティア様や陛下のことをおもんぱかって動くに動けない、というわけか」
「そのとおりです。もちろん、いま話したのはこちらの事情でしかありません。ウィンディア王国が、わたしのことを受け入れなければならない理由は何もない。ですが、そのわたしが花嫁のひとりであれば――次代の王が連れて来た妻であれば、ふふ、邪険にもできないでしょう?」
スーシャはそう言うと、艶めいた笑みを浮かべて俺に流し目を送ってきた。
普通の子供がやれば背伸びしているとしか思わなかっただろうが、スーシャの場合、なまじ整った容姿をしているだけにこういう仕草が妙に映える。
不覚にも十一歳の女の子にドキッとしてしまった。
照れ隠しにスーシャの額に軽くデコピンをすると、スーシャは両手で額をおさえてぺろっと小さく舌を出す。聞けば今の流し目、イズから教わった八奥義の一つらしく、いざという時に備えて練習していたらしい。
練習の成果が発揮できたことに教皇聖下はご満悦の様子だった。
と、俺たち二人がそんなやりとりを交わしている外では、イズとフレアが深刻な表情で額をつきあわせていた。
「……いいの、イズ?」
「いいかと訊かれればよくないと言うしかないんだけど、冷静に考えると、ボクにおとめする権利はないというか……おとめするのもはばかられるというか……」
「まあ、今の話を聞いた後だと、通りいっぺんの諌めは口にしにくいわね」
「そうなんだよね。聖下が嘘をおっしゃるはずはないし、それに聖下の案はすごく良いとも思うし……」
「ウィンディア王国とシルル教団が手をたずさえて魔物と戦う、か。実現すれば、北の守りはさらに厚くなるわね」
後世に語られる英断になるかもしれないとフレアは言い、イズはむむむと腕を組んで考え込む。
そんな二人にかわって口を開いたのはウルクだった。
それまで興味深げに成り行きを見守っていたエルフの王女は、何かを測るようにすっと目を細めてスーシャを見やる。
「おおよその事情は理解しました。一つ訊ねてもいいでしょうか、教皇殿?」
「はい、どうぞ」
「今の話を聞けば、今回の挙に出た理由の一つは、望まぬ相手に身をゆだねるのが嫌だったからだ、と受け取れます。私は人間とは異なる種族ですが、その気持ちはとてもよくわかる。今後、私にできることがあれば協力は惜しみません」
そう言ってスーシャへの気遣いと共感を見せた後、ウルクは話を元に戻した。
「ただ、それはそれとして、今の話をした上でテオに婚姻を申し込んだということは、テオならば身を委ねても構わないと、あなたはそう思ったことになります。教皇殿とテオは出会って間もない。共に死線を潜り抜けた仲とはいえ、この短い間で何があなたをその決心まで導いたのですか?」
ウルクは静かに問いかける。
この問いに対する答えは明白だった。少なくとも俺にとっては。
『ふむふむ。ということは、結婚に打算を持ち込む相手の方がかえって気楽だ、ということになりますね』
スーシャがそう言ったのはつい先刻、俺たちが二人で休んでいた時のことだ。
女性の教皇が結婚するとなれば、当人はもちろん相手となる男性にも多大な負担と責務がのしかかる。聖賢会議はもとより、事情を知らない大多数の信徒からも敵意を向けられるだろうし、ことによっては物理的な迫害までありえる。
したがって、大抵の人間はスーシャに結婚を申し込まれても二の足を踏むに違いない。
だが、花嫁令に参加している俺にはそれがあてはまらない。結婚にともなうデメリットを打ち消すだけの巨大なメリットが存在するからだ。
シルル教皇以上に「優れた」花嫁なんぞいやしない。スーシャを花嫁にした時点で、俺の次期王位は九分九厘確定する。求婚に対して、否、なんて答えを返せるはずがないのである。
見方をかえれば、これはあくまで打算にもとづく求婚であって、ウルクがいうところの「身を委ねても構わない」という感情をスーシャが持ち合わせているとは思えない。
向こうからの好意は確かに感じているものの、それはいわゆる恋愛的なものとは別だ、と俺は考えていた。
その意味で、俺はスーシャが婚姻の書に署名できるという確信を持てていなかったのだが――
「確かにわたしとテオは出会って間もないです」
ウルクの問いに対し、スーシャはそう答えた。
そして、次のように続ける。
「けれど、わたしがテオのことを考えるようになったのは、実際に出会うよりも前、イズ姉さまの報告書を読んだときからです。顔も知らない誰かを脳裏で思い描いて、どんな人なんだろうと想像をたくましくしました。時には、こんな人だったらいいな、と自分の理想を勝手に付け足したりもしましたね」
それを聞いた俺はかすかに眉をひそめる。
なんだか話の向きが俺の予想と大きくずれている気がしたのだ。
くすくすと笑いながら、スーシャがちらと俺を見る。なんだろう、俺の困惑を完璧に見抜かれている気がして、めっちゃ落ち着かない。
それと、十歳前後の女の子が考える理想の異性像なんて、白馬の王子様なみに完璧超人に決まっている。俺が期待に応えられたとはとうてい思えない。
まず間違いなく失望させただろうなと思い、ちょっと申し訳ない気持ちになった。
いやまあ、これに関しては俺は何も悪くないんだけどな!
と、そんな風にひとりで勝手にもだえていると、スーシャの声音がわずかに変化した。今までよりも、少しだけ深い。
「そんなことを考えているうちに、一つの疑問にたどりつきました」
「疑問、ですか?」
ウルクが問うと、スーシャはうなずく。
「はい。この人はどうして花嫁令に参加したのだろうか、という疑問です。もちろん、それは王になるためでしょう。では、どうして王になりたいと思ったのか」
その言葉に興味を引かれたのか、ウルクの長い耳がぴくりと揺れた。
イズとフレアの視線もこちらに向く。
少女たちの視線を受けたスーシャは静かに語り始めた。
「富、権力、女色。古来、王を目指す野心家が目指すものといえば、この三つのどれか、あるいは三つ全部です。けれど、魔人領域に接するウィンディア王国では、かりにこれらを手に入れたとしても、享楽にふける暇なんてないでしょう。わたしはガルカムウに赴いたことは一度もありませんが、かの地での戦いがいかに激しいかは伝え聞いています。油断すれば一月どころか一日で国が滅びかねない、ウィンディアはそんな国。まっとうな野心家なら、ウィンディアの頂点に立とうとは考えないはずです」
鈴を振るような可憐な声が、くすぐるように耳朶を揺する。
一息ついたスーシャは、さらに続けた。
「だから、次にこう考えました。この人を突き動かすのは野心ではなくて、自分の手で国を守りたいという愛国心なのではないか、と。アレス王が王位を退かれた後に混乱が起こることは、他国人のわたしでさえ簡単に想像できます。もしも花嫁令で選ばれたのが、魔物と戦う気概を持たない人間であれば、混乱はたちまち滅亡に直結してしまうでしょう。それを避けるために自ら立ったと考えれば、護国の騎士たるハイランダーが国を離れる理由になりえます」
心の奥底までも見通してしまいそうな、澄んだ視線。
こちらを見上げるつぶらな瞳から、俺はそっと視線を逸らした。
「けれど、これでは説明できないことがありました。ハイランダーは他国にまで轟くウィンディアの最高戦力。その戦力が国防の最前線から一年もの長きに渡って欠けることの意味を、当のハイランダーが理解していないとは思えません。一人くらいなら、なんて言葉が通用するほどガルカムウは甘い戦場ではないはずです」
蟻の一穴という言葉もある。
一年後に起こるかもしれない破局を避けるために、今確実に起きている危機から目をそらす。それは、とても賢明とはいえない行動だ。少なくとも、愛国を至上とする人間がとる行動ではない。
「こうしている今も、残ったハイランダーたちは戦っている。彼らの中には花嫁令のために去ったその人を恨んだり、蔑んだりしている人もいると思います。あと、これを知ったのは今日になってからですが、その人には弟さんがいて、その弟さんも国に留まっているそうです。つまり、その人にとって、花嫁令に参加することは、たくさんの大切なものを危険に晒すことと同義だった。そして、それを承知してもなお参加せずにはいられないくらいに魅力的な賭けだった。ならば、その根本にあるのはやはり野心だったに違いありません」
イズは固唾をのんで聞き入っている。
ウルクは真剣な顔で耳を傾けている。
フレアは何かに気づいたように驚愕で目を見開いている。
そして、スーシャは。
おそらくは誰も気づいていなかったであろう俺の心の底にあった願いを、はっきりと掴み取ってみせた。
「山岳騎士テオ・レーベ。あなたは魔人領域に攻め込むつもりですね? あなたがウィンディアの王位を求める理由は、一に魔人と戦う力を得るため。二に魔物と戦う兵を得るため。三に魔界と接する土地を得るため。わたしの考えは間違っていますか?」
スーシャが真摯な声で訊ねてくる。
その問いかけに対し、俺は直接の返答はしなかった。できなかった、というべきかもしれない。
このとき、俺の口から漏れたのは、へえ、という感心しきったつぶやきだけであったから。




