第六章 魔剣(一)
もし地獄に通じる階段があるとしたら、きっとこんな感じなのだろう。
俺はそんなことを考えながら長い長い階段を下っていた。
一歩おりるごとに低くなる気温、濃くなる腐臭。階下から絶えず響いてくる異音は、戦場で聞く断末魔の叫びのように殷々と耳の中でこだまする。
この先に何が待ち受けているにせよ、ろくなものではあるまいと確信できた。
そして――
「ふん。案の定か」
間もなくたどり着いた小さな部屋。その部屋の中央で傲然と立つ竜頭人身の魔物を見て、俺は唇を歪めた。
ここが終点というわけではないだろう。魔物の後ろにはさらに下に続く階段が見えている。
察するに、眼前の魔物は招かれざる客人を阻むガーディアンといったところか。
仁王立ちをした竜人の身長は優に二メートルを超えている。
鈍色の鱗で覆われた全身は力感に満ちており、ビリビリと肌を刺す威圧感を漂わせていた。
床に突きたてた大剣の柄を両手で握る姿からは、歴戦の戦士もかくやという風格が感じられたが、反面、両眼はガラス玉がはめ込まれているように空虚で、意思の光が感じられない。
竜屍兵。
俺にとっては馴染みのある魔物だった。ガルカムウ山脈で幾度も見かけ、見かけた回数だけ戦った相手。
アスティア様によれば、竜の死屍からつくられる使い魔であるという。使い魔というと戦闘力に欠ける印象があるが、竜屍兵の実力は凡百の魔物を凌駕しており、山岳騎士団でも一対一の戦いは避けるべしとされている。
「スーシャ、下がってろ」
少女に松明を渡してから前に出る。
竜屍兵はゾンビという名とは裏腹に浄化の奇跡は効果がない。ついでにいえば、ゾンビのように腐乱してもおらず、鱗の固さは鋼に匹敵する。
そのくせ、ゾンビ同様にどれだけ斬っても痛みを感じることはなく、首を落としても活動をやめないときている。
この敵を討つには核――術者の魔力で動くかりそめの心臓を打ち壊す必要があった。
他には、術者を討って魔力の供給を断つという手もあるが、肝心の術者の姿が見えない状況ではこの手は使えない。
巨大グモを一撃で葬ったスーシャの雷撃のように、強力な魔法をぶつけても勝つことはできるだろう。しかし、あんな巨大術式をこんな閉鎖空間で使ったら、敵を倒すかわりにこちらも生き埋めになってしまう。
ようするに、この敵は正面から戦って退けるしかなかった。
竜屍兵に対する知識はあったのか、スーシャは素直に「はい」と応じて下がってくれた。
俺の接近を感知したのか、竜屍兵の目に赤い光が瞬き、大剣を持つ手がぶるりと震える――そう見えた次の瞬間、竜頭のガーディアンは激しく床を蹴りつけ、猛然と躍りかかってきた。
大剣が唸りをあげて振り下ろされる。
スーシャの身長よりも大きな剣は、もはや剣というより巨大な槌のようで、触れるものすべてを打ち砕く勢いで俺の額に迫ってくる。少しでも反応が遅れれば、俺の頭はスイカのごとく爆ぜ割れていただろう。
そんな結末は御免なので、素早く後方に飛んで敵の剛撃を回避する。
竜屍兵の一撃は鋼の防具さえ粘土のごとく変形させてしまう。へたに受け止めれば武器を砕かれ、受け流そうとすれば体勢を崩される。
したがって、この敵と戦うときは回避、攻撃、また回避という一撃離脱戦法が最も適していた。
言うは易し、なんだけどな。
内心で自分に突っ込みを入れる。
攻撃力と防御力を兼ね備え、なおかつ負傷を恐れない竜屍兵は、その体躯さえ武器にしてひたすら攻めまくってくる。悠長にこちらの戦法に付き合ってはくれないのだ。
俺に初撃をかわされた竜屍兵は、そのまま大剣を床に打ちつけたりはしなかった。信じがたい剛力を発揮して、途中まで振り下ろした重量級の大剣をぴたりと空中で制止させ、そのまま俺に向かって突きを放つ――いや、身体ごと突っ込んでくる。
刺突ではなく突撃。
強引すぎる力業であり、これが人間相手なら横に避けた上で、突き出した腕なり、無防備の首なりに反撃を叩き込むところだが、前述したように竜屍兵の身体を覆う鱗は硬く、苦痛の概念もない。中途半端な反撃は、かえって敵に乗じる隙を与えてしまう。
さらにいえば、ここで横に回避してしまうと、俺の後ろにいるスーシャと竜屍兵を阻むものがなくなってしまう。
術者を真っ先に狙う狡猾さは竜屍兵にはないはずだが、試してみる気にはならなかった。
横にかわせず、これ以上うしろに下がることもできない俺は、唯一の活路である前方に踏み出した。
突撃には突撃を。
いかに鱗が硬くとも、剣の切れ味に双方の突進の勢いを加味すれば鋼の鱗を貫くことは可能だ――というか、そもそもこの状況を予測して後ろに下がったのだから、はじめから前に出る以外の選択肢なんぞ存在しない。
双方の得物の長さから、どうしても先手は竜屍兵に取られてしまう。
蛇を思わせる敵の顔が瞬く間に大きくなり、大剣の刃が松明の光を反射して凶悪な輝きを放つ。
ぞくりとした冷たい感覚が背筋をはいのぼるが、ここで及び腰になってしまえば全て台無しだ。骨を断つために、まず肉を斬らせる。
「殺ッ!!」
激突の寸前、俺の口からは自然と気合の声がほとばしっていた。
そして交錯。
すさまじい衝撃が全身を揺らし、脳裏で火花が散る。
直後に襲いかかってきたのは焼け付くような痛みだった。
竜屍兵の大剣は俺の頬をざっくりと切り裂き、さらに防具ごと左肩も撃砕していた。飛び散った血しぶきが音をたてて床に降り注ぐ。
おそらくは骨まで達しているだろう深傷は、当然のようにめちゃくちゃ痛かった。戦闘の興奮がなければ、もんどりうって床に倒れこんでいたかもしれない。
叫びたいほどの激痛は、しかし、俺が生きていることの証である。
竜屍兵の大剣は俺の頬を裂き、肩を砕いたが、命を奪うまでにはいたっていない。
一方、俺が突き出した剣は正確に敵の胸の中央――核が存在する箇所を貫いていた。
人身をとる竜屍兵の急所は例外なく胸の中央にあるというのがアスティア様の説明であり、事実、俺が今まで戦ったことのある竜屍兵はすべてそうだった。
『……ゥゥゥ』
はじめて、竜屍兵の口から低い声が漏れる。
うめき声にも似たそれは、あるいは単なる空気の排出音だったのかもしれない。
竜屍兵の眼窩に満ちていた赤い光が、短い明滅を繰り返した後でふっと消え去る。そのとたん、巨大な体躯が俺を押しつぶすようにのしかかってきたので、俺は剣を手放してその場から飛びのいた。
重々しい音をたてて倒れ伏す竜人。その背から生える剣の刃。
と、竜屍兵の身体がみるみるうちに崩れはじめた。風に吹かれた塵のように、さらさらと音をたてて消滅していく。
魔物の巨体が完全に消え去るまで十秒もかからなかった。からん、と音をたてて剣が床に転がり、小石ほどの大きさの竜骨が残される。
そのすべてを確認した俺は、ここでようやく肩の力を抜き――その動きで傷口を刺激して、脳髄が焼かれそうな痛みにもだえる羽目になった。
◆◆
「お見事でした。それと、守ってくれてありがとうございます」
俺の傷を治癒し終えたスーシャは、そう言ってぺこりと頭を下げる。
治癒術をあてにした無茶な戦い方に苦言を呈されるかとおもったが、かえって礼まで言われてしまった。
速戦即決を目論んだ俺の戦闘が、自分を竜屍兵の脅威から遠ざけるためだったと見抜いていなければ、ここで礼の言葉は出てこないだろう。今さらだが、ほんとに十一歳なのか、この子。
俺がそんなことを考えていると、スーシャが目に不安を宿して話しかけてきた。
「テオ。傷は塞ぎましたが、失った血まで補うことはできません。具合はいかがですか?」
「大丈夫、問題ない」
軽く肩をまわし、その場でジャンプしてから返答する。
左の肩当は直しようがないが、剣はまだ使えるし、戦闘に支障はないだろう。それに、のんびり休んでいる暇もない。
「ここに竜屍兵がいたってことは、竜屍兵を置いた誰かが他にいるってことだ。この先に何かがあるのは間違いなさそうだし、早めに確かめた方がいい」
使い魔の消滅で、向こうも侵入者の存在に気が付いたはず。術者が何者なのか、そして今も廃都にいるのかは不明だが、こんな状況だ、楽観を差し挟まずに最悪の事態を想定して動くべきだろう。
むろん、最悪の事態とは魔人の出現を指している。
俺がそう言うと、スーシャは緊張した面持ちでこくりとうなずいた。
「すぐにも魔人が襲ってくるかもしれない。その心積もりでいろ、ということですね」
「そういうことだ――瞬間移動ができる魔人が階段を利用するのだろうか、なんて疑問はこのさい捨て置こう」
おどけるように肩をすくめてみせる。
スーシャは数度目を瞬かせた後、声を出さずに小さく笑った。
「それはとても重要な疑問のような気がしますが、わかりました。テオの言うとおり捨て置きます」
警戒は必要だが、ずっと気を張り詰めていても集中力が続かない。
そのあたりを諭せればというこちらの配慮を、スーシャはしっかりとくみとってくれたようだ。聖都から出たことがないという話だから、こういう状況には不慣れなはずだが、この素直さと適応力は大したもんである。
「……ガキの頃の俺に、スーシャの爪の垢を煎じて飲ませたいな、わりと本気で」
ついついそんな呟きをもらしてしまう。それを聞いたスーシャは困ったように首を傾げた。
うん、そらまあこんなことをいきなり言われても反応に困るよな。
俺が冗談にまぎらわせるべく口を開こうとすると、それに先んじてスーシャが言った。
「わたしはテオが思っているほど良い子ではないので、爪の垢を煎じても効き目はないと思いますよ?」
「む、そうなのか?」
「はい。たとえば、こんな大変な時だっていうのに、わたしはテオと一緒にいることにワクワクしています。他の人たちが大変な目に遭っているとわかっているのに。本当に良い子だったら、こんなことは考えません」
スーシャはそう言うと、俺の返答を待たずにこちらの手を引いてきた。
「行きましょう、テオ。あなたの言うとおり、この奥から底知れない力の脈動を感じます。きっと、この国を覆う呪いの源となるものが見つかるはずです」
今しがたの言葉の真意は口にせずにこちらを促してくる教皇。
その小さな手に引っ張られて、俺は行動を再開した。
幸い、竜屍兵の部屋から最下層まではすぐだった。
たどり着いた先は濃密な瘴気と死臭が渦巻く腐乱の空間。
廃都コーラル・シーの、おそらくは最深部。
そこで俺とスーシャが目にしたものは、一振りの剣に身体を貫かれた戦神の亡骸であった。




