第五章 教皇親征(一)
解放暦二三八年六月の末、俺たち一行はカーナ連合王国の首都ベルリーズに帰ってきた。
セラの樹海に向かったのが五月の終わりだったから、およそ一ヶ月の時が流れたことになる。
その間、反乱軍に間違われるわ、魔人と遭遇するわ、エルフ王を救出するわと生死のかかった事件が盛りだくさんで、実に多事多端な一ヶ月だった。
花嫁令のためにウィンディア王国を出たのが四月だったから、そこから数えてもまだ三月と経っていない。三ヶ月たらずで何度死にそうになったことやら。
「波乱万丈にもほどがある」
ついそんな言葉が口をついて出る。
久しぶりに歩くベルリーズの街路はあいかわらず賑やかで、俺のつぶやきはたちまち喧騒にかき消されていく。一人歩きをしていたのであれば、その呟きは誰の耳にも届かずに宙に溶けていただろう。
しかし、今の俺には同行者がいた。長い耳と優れた聴力をもった妖精族は、当たり前のようにこちらの呟きをすくいとり、くすくすと微笑んだ。
「私が思うに、ほとんどはテオが自分で求めた波乱だと思いますよ?」
「むう、反論の余地がないな。たしかに花嫁令に参加しなければ、ウィンディアを出ることもなかったわけだし」
がしがしと頭をかいてウルクの言葉を肯定する。
と、ウルクは「そうではなくて」というように小さくかぶりを振った。
「自分から進んで厄介事に関わっていく行動のことを言っているんです。たとえば、森で出くわした魔物に話しかけたり、ましてや行動を共にしたりしなければ、面倒事は半分以下に減っていたのに」
そう言うと、ウルクはわずかに上体をかがめて俺の顔をのぞきこんできた。
軽やかな動作にあわせて長い金色の髪がさらさらと揺れる。
夏が近づく六月末、街中の気温はずいぶんと高くなっており、通りを歩く人の大半は薄着になっている。若草色のチュニックを着たウルクも同様で、むき出しになった二の腕の白さがまぶしい。
種族的な特徴なのか、胸や腰の起伏はさして目立たないウルクであるが、すらりと伸びた肢体はそれだけで十分に魅力的で、特にチュニックから伸びた脚のしなやかさは素晴らしいの一語に尽きる。あと上目遣いがめっちゃ可愛いです。
これで至近からニコリと微笑まれた日には、たいていの男は一発で陥落してしまうだろう。
意識してやっているならあざといにもほどがあるが、無意識でやっているのも、それはそれでまずい気がする。ウルクみたいな美少女が、こんな振舞いをナチュラルに繰り出した日には混乱が巻き起こること必至だ。
実際、さっきから通りを歩く人たち(特に男衆)がじろじろとこっちを見ているのは、間違いなくウルクに目を奪われてのこと。そこにエルフという異種族に対する物珍しさ以上のものが込められていると感じるのは、きっと気のせいではあるまい。
エルフ王から「娘のことをよろしく頼む」と頼まれている手前、見てみぬフリもできない。
余計なお世話かと思いつつも、遠まわしに指摘してみた。
すると、ウルクはけろりとした顔でこんな言葉を返してくる。
「大丈夫ですよ、テオ以外の人にする気はありませんから」
「むぶ!?」
聞きようによっては告白とも受け取れる台詞に思わずむせる。
ウルクはにこにこと微笑みながら、さらに続けた。
「恩人に喜んでもらうためにはどうするべきか。ソラリスからの帰途、イズから教えてもらった殿方を喜ばせる八の奥義の一つ『至近距離からの上目遣い』です」
おいこら、勇者。何を教えてるんだ、何を。
たしかに帰りの馬車(エルフキャンプに置いてきたやつ。帰りがけに回収した)の中はずいぶんと賑やかで、がぁるずとーくが盛り上がっているなあ、とは思っていたのだが、内容が予想外すぎる。
ここにはいないイズに内心で文句を言っていると、ウルクはとどめとばかりに付け加えた。
「あと、フレアから教えてもらった三つの秘奥義もあります」
ブルータスよ、お前もか。
いや、ウルクたちが友情を深めていくのはまことにけっこうなことで、俺がどうこう言う筋合いはないのだが、人間世界に慣れていないウルクに変なことを教えるのは是非ともやめていただきたい。さっきから俺に向けられる男どもの視線がとげとげしいったらないのだ。
もし今、何かの拍子で視線が実体化したならば、四方から突き刺さる視線の針はたちまち俺をハリネズミに変えてしまうに違いなかった。
◆◆
セラの樹海から魔物を駆逐せんとしていた俺たちが、何故ベルリーズに戻ることになったのか。
理由はいくつかあるのだが、最大の理由はエルフ族から協力を拒まれたからであった。
まあ、拒まれたといっても理由あってのことで、決して「汚らわしき人間の力なぞ借りる必要はない!」と拒絶されたわけではないことは明記しておく。
ウルクの父であるエルフ王は、各地で生き残っているエルフを糾合すれば、人間の力を借りずとも十分に目的を果たし得る、と判断した。
これは今後のエルフ族の立ち位置を考慮した末の決断でもあっただろう。
今回の襲撃でエルフ族は聖域を侵され、集落を落とされ、多数の死傷者を出した。種族としての力は大きく減退したわけで、人間との関係もこれまでどおりとはいかなくなった。
ただでさえ窮地を救われたという大きな借りがあるのに、この上セラの奪回にまで人間の助力を仰げば、借りはますます大きく膨らんでいく。
大きすぎる借りは、今後の両種族の関係に禍根を残す――おそらくエルフ王はそう考えて、自分たちだけでセラの奪還に臨むつもりなのだろう。
それがわかる以上、こちらとしても強いて協力するとは言いかねる。
幸い、セラに侵入した魔物たちからは当初の統率が失われているそうで、北のガルカムウへ逃げこんだ者もかなりの数にのぼるらしい。
これは間違いなく魔人の逃亡がもたらした変化であり、その意味で人間の助力は不要とした判断は的確だといえる。
さらにいえば、草木が繁茂した森の中でエルフ以上の働きができる人間は中々いない。俺も足手まといにならないくらいの自信はあるが、復仇の念に燃えるエルフたちに追随できるかと問われれば、答えは否だった。
そんなわけで、俺とイズ、それにフレアはセラの奪還という大仕事から外れることになった。
それでも負傷者の治療やら、種族間交渉の手伝いやら、力になれることはたくさんある。俺たちはそれから半月ほどソラリスに滞在していたのだが、六月も半ばにさしかかる頃、イズのもとにテトロドトス枢機卿から一通の手紙が届けられた。
これが事態を動かす新たな鍵となったのである。
枢機卿の手紙には遠からず廃都への遠征が行われる旨が記されていた。それだけなら別段めずらしくもなかったのだが、今回の遠征はこれまでのそれと明確に異なる点があった。
主導するのがベルリーズの教会ではなく、シルル教の総本山たるエンテルキア聖教国であること。そして、遠征軍を率いるのが教皇であること。この二点である。
シルル教団の最高責任者がエンテルキアを離れるのは極めてまれなことだ。まして廃都への遠征を率いるなど空前の出来事といっていい。
これにより、イズはいやおうなしにベルリーズに戻らなければならなくなった。当然、フレアもイズに同行する。
問題は俺だった。
俺は教団とは無関係であり、残ろうと思えばソラリスに残ることもできたのだが、俺はその選択肢を採らなかった。
セラの奪還は順調に進んでおり、それにともなってエルフたちは徐々に森に戻っているので、ソラリスの住民とのトラブルもほとんど起きていない。魔人にいたっては影さえ見えぬ。あえてソラリスに残る理由がないのである。
正直、これ以上の滞在は無駄飯喰らいになりかねない。
そう判断した俺は、イズたちと共にベルリーズに戻り、遠征に参加することを決めた。もともと廃都へ行ってみたいという考えは俺の中にあったので、今回の遠征は良い機会ともいえる。
まあ、ウィンディアの騎士がシルル教団の遠征にもぐりこめるかは不明だったが、駄目なら駄目で手はいくらでもある。
こうして心を決した俺は、まだ街に残っていたエルフ王とウルクのもとに足を運び――
「何がどうなったのか知らないが、ウルクも一緒についてきてしまったわけだ」
俺が言うと、当の本人は澄まし顔で応じた。
「今回の一件で私たちエルフはイズとフレア、そしてテオ、あなたにたくさん助けていただきました。その恩人たちが危険な戦いに臨もうとするとき、援軍の一人も遣わさないようでは妖精族の信義が問われてしまいます。恩人に報いるすべも知らないのか、と」
「だからといって王女が来るのはどんなもんだ? 父上のことや故郷のことも気になるだろうに」
エルフ王はアスティア様の奇跡と娘の看病でだいぶ回復していたが、それでも完調にはほど遠かった。
そんな父を森に残してきたウルクが無理をしていないわけがない。
言わずもがなのことを言っている、という自覚はあったが、それでも問わずにはいられなかった。
すると、こちらの問いにウルクは素直にうなずいてみせた。
「もちろん気にならないといえば嘘になります。ですが、面識のないエルフを同道させても、テオたちも、命じられたエルフも困ってしまうでしょう? お父様が言うには、私が一番適任だ、と」
「たしかに、それは否定できないが……」
「正確にはこうおっしゃいました。『お前の言うとおり、一番の適任はお前だろう』と」
「自薦!?」
目を丸くしていると、ウルクが真剣な顔で俺を見つめてきた。
「正直にいえば、ここまで来たのは恩だけが理由ではありません。人間を知ること。そのために縁が出来たあなたたちと行動を共にしたい、とお父様に願い出たのです。これは今後のエルフにとって、セラの魔物を駆逐することと同じくらいに大切なことだと、そう思えたから」
ただ、それはこちらの事情に過ぎません。ウルクは目を伏せてそう付けくわえた。
「迷惑だと感じられたなら、いつなりとおっしゃってください。その時は……」
「いや、待て待て待て! 誰も迷惑とは言ってないだろ!」
「では、今後とも行動を共にしてよい、と?」
「むしろ同道してくれればありがたいですッ」
力を込めて断言する。
すると、ウルクは伏せていた目をあげ、実ににこやかな顔で次のようにのたまった。
「それでは、テオ。今後ともよろしくお願いしますね。あなたから受け取ったたくさんの恩、少しずつでも返していけるように努めますので」
「了解だ――ところでつかぬことを聞くが」
「はい、なんでしょうか?」
小首をかしげるエルフの王女様に俺は半眼で問いかけた。
「今の、いかにも悲しそうな伏し目の物言いは、八奥義と三秘奥のどっちだ?」
イズとフレア、どちらの助言にもとづくものなのか。
そう訊ねると、王女さまは悪戯っぽい笑みを浮かべて答えた。
「三秘奥の方、ですね。これをすれば、たいていの殿方はイチコロだとか」
「ふん、次に顔を会わせたら実体験に基づくものかどうか、二人から聞き出してやる」
二人していらん事ばっかり言いおって!
黒髪の勇者と紅茶色の髪の魔法使いに対する報復計画を練る俺と、そんな俺の顔を楽しげに眺めているウルク。
と、その時だった。
不意に第三者の声が俺たちの耳に飛び込んできた。
「あの、少しよろしいでしょうか。道をお訊ねしたいのです」
鈴を振るような綺麗な声音に、少しだけ驚きながら振り返る。
しかし、声の持ち主は俺の視界に映っていなかった――正面には。心づいて視線をぐぐっと下げると、こちらを見上げる翠色の双眸と目が合った。
声をかけてきたのは小さな女の子だった。十歳か、十一歳か、正確なところはわからないが、成人(十三歳)年齢に達していないことは間違いあるまい。
その少女を見て、俺はとっさに声が出なかった。
声を聞いた時点で予想はしていたのだが、びっくりするくらい綺麗な子だったのだ。
肩まで届く亜麻色の髪はいかにも柔らかそうで、翠色の瞳は深い思慮を宿して鮮やかにきらめいている。
白磁の頬が薄く赤らんでいるのは、不慣れな街を歩き回ったせいだろうか。その朱色が、人形のように整った少女の容姿に人としての温かみを添えていた。
少女の服は巡礼の神官が着る白衣だと思われる。実用一点張りの代物だが、この子が着ていると、なにやら宮中でまとう白いドレスのように見えてくる――いや、大げさではなく、本当にそんな感じなのである。
眼前の少女が、実はどこぞの国のお姫様なのだと聞いても、俺は意外に思わなかっただろう。
黙り込んでしまった俺を見て、少女は少し不思議そうに小首をかしげながら再度問いかけてきた。
「教会の場所をご存知ではありませんか? 門のところで、大通りをまっすぐ歩けば見えてくると教えていただいたのですが、恥ずかしながら人ごみに慣れておりませんで、まだ先なのか、通り過ぎてしまったのかも分からないのです」
明晰な言葉だった。この年の子供が一人で道に迷ったのなら、多かれ少なかれ心細さを感じると思うのだが、そういった気振りはまったくない。強がっている様子もないし、一人で行動することに慣れた子なのだと思われた。
ベルリーズの広さと人の多さには俺でも驚いたから、この子が迷ってしまうのも無理はない。実のところ、俺もこの街の地理にはあまり詳しくないのだが、さすがにシルル教会の場所はわかる――いや、待て。一口に教会といっても、この街、小さいのも含めると教会が複数あるんだよな。
間違いのないように少女に確認をとる。
「ああっと、この街、いくつか教会があるんだが、一番大きな教会でいいのかな?」
「あ、そうでしたね。申し訳ありませんが、テトロドトス枢機卿がいらっしゃる教会はおわかりになりますか?」
「枢機卿って言うと、ここの一番のお偉いさんか。なら、中央教会で間違いないな」
門衛の言葉通り、大通りを歩いていくと、たしかにいずれは見えてくる。神殿自体も大きいので、よほどのことがないかぎり見過ごしたりはしないはずだ。
ただ、それはある程度の背丈がある大人ならばの話。
視界の大半を大人たちに遮られる子供相手の道案内としては、やや親切心に欠けると言わざるをえない。
俺はウルクに確認をとってから、少女を中央教会まで送ることにした。
念のために言っておくが、さすがに十やそこらの女子を花嫁令のターゲットにしたわけではない。そもそも、この子が成人する頃には花嫁令は終わっている。
そうではなく、十年以上も「お兄ちゃん」をやってきた身として、シュナに近しい年頃の子が困っているのを放っておくことができなかったのである。
神官とおぼしき少女が枢機卿に対して猊下という敬称を用いなかったのも、幼さゆえであろうと考え、さして気に留めなかった。




