第四章 ハイランダー(二)
「テオ、ちょっとお邪魔していいかな?」
夜、街道脇に止めた馬車の荷台で俺が作業していると、幌の向こうからイズの声が聞こえてきた。
「ああ、いいぞ。どうした?」
俺が応じると、イズが幌をあげてひょいと顔をのぞかせる。
以前も述べたが、イズが借り出した教会の馬車は客席と荷台が前後に分かれている。
女性陣の寝起きは客席で行われるため、必然的に俺の休憩スペースは荷台となる。食糧をはじめとした荷物がわんさと積んであるため、寝るときはかなり窮屈な姿勢を強いられるのだが、まあ贅沢は言っていられない。荷台は幌で覆われているために雨風をしのぐことができるし、窮屈加減でいえば狭い客席の中も相当なものだろう。
客席から降りて荷台にやってきたイズは、俺の手元を見て不思議そうに目を瞬かせた。
「何をやってるの? さっきつくってくれた魚のお団子?」
「団子か。ま、こねて丸める過程は同じだが、これを食べると確実に腹をこわすぞ。おまけに口から変な煙を吐き出すようになる」
今つくっているのは煙玉だ、と俺はイズに告げた。
別段、爆発もしなければ閃光を発するわけでもない、ただモクモクと煙を吐き出すだけの代物である。
何種類かの草をすりつぶし、そこに少量の油脂や蝋を練りこんで球状にする。特定の薬品を混ぜることで発生する煙の色をかえたりもできる。
基本的な作り方さえ知っていれば誰でも簡単につくれるので、ウィンディア軍では合図用ののろしに使われていた。
煙玉と聞いたイズがなぜだか目を輝かせる。
「もしかして煙幕っていうもの? 蓬莱国の密偵はそういうのが得意って聞くけど」
「んー、煙幕には向かないだろうな。これは煙が出るまで時間がかかるし、おまけに出た煙はまっすぐ上に伸びるから。狭い室内だったら使えないこともないが、使う場所が限定されすぎてて実戦向きとは言いがたい」
「そうなんだ、ちょっと残念」
そういって眉尻を下げるイズを見て、今度は俺の方が首をかしげた。
「なんだ、昨今の教会騎士は密偵の真似事も必修科目なのか?」
「そういうわけじゃないんだけどね。昔、好きだった絵本の中に、煙幕とかマキビシとかを使う主人公がいてさ――」
憧れていたのだ、とイズは照れながら言う。子供っぽいという自覚はあるようだ。
「女の子が読むにしては、ずいぶん物騒な物語だな」
俺がそう言って笑うと、イズも同じように笑った。
「あはは、ボクは男の子と一緒に泥まみれになってる方が多い子供だったから。フレアや年長の人たちからはよく叱られてたんだけど、なかなか直らなくて、ついには教会騎士になっちゃいました。こういうのも三つ子の魂百までっていうのかな」
「さてな。ま、勇者までのぼりつめたんだから、間違ってはいなかったんだろ――よし、完成、と。やっぱり魚団子に比べると、手間をかけない分こっちの方が楽だ」
「やっぱり相当手間がかかってたんだ、あの料理。美味しかったもんねえ……」
俺が夕食に出した魚団子と香草の薄塩スープの味を反芻しているのか、イズがぽやっとした顔で目を閉じる。
昼食後から下ごしらえをしておいた甲斐あって、何かと俺に厳しいフレアからも好評だった。
と、イズが何かを思い出したようにぱちりと目をあける。
「でも、ウルクはなんだか複雑な顔してたよね? 『なるほど、うまいとは言われていないがまずいと言われたわけでもない、ということですね。してやられました』ってぶつぶつ言ってたけど、あれは何だったんだろ?」
「昼間、俺のつくったメシはまずいと匂わせておいたからな。正反対のものが出てきて驚いたんじゃないか」
「……なんでそんなことを言ったのさ?」
呆れたような問いに対し、俺は真剣な顔で応じた。
「もちろん、手料理のハードルを下げておくためだとも」
それを聞いたイズは驚いたように目を丸くし、次いで遠慮なく笑い出した。少女の明るい声が夜闇に包まれた馬車に響き渡る。
笑い声がおさまるまで、すこしだけ時間が必要だった。
「――ああ、おかしい! テオは変なところで小心だねー」
笑いすぎたのか、イズが涙をぬぐいながら言う。
笑いの余韻が残る言葉に、俺は肩をすくめて応じた。
「元気づけるためにつくった食事で、逆に気落ちさせるわけにはいかんだろ」
こと食事に関しては、俺は昔からかなり気をつかっている。身体が弱く、食の細い弟に不味い物を食わせるわけにはいかなかったからだ。
したがって、料理の腕にはそれなりに自信があったものの、それはあくまで物資に乏しい寒村や戦地でのこと。エルフ、しかも王女であるウルクが美味いと感じるかどうかは計りかねた。
だからちょっと小細工をしたわけだが、正直、無用に策を弄した感は否めない。食事の最中、ウルクがちらちらと非難がましい視線を向けてきたのは、間違いなく事前の俺との会話のせいだろう。
まあ、最終的には笑顔でおかわりまでしてくれたので、当初の目的である「父親のことで気落ちしているウルクを俺の料理で元気付ける」作戦は成功したと思う。たぶん、きっと。
「今さっきフレアとも相談したんだけど、これから夜営のときはテオを常任食事当番にしようと思うんだ。今のところ、賛成三人、反対者は無しだよ」
「あやしげな当番を設立するのはやめい。というか、その言い方だと俺の賛否に関係なく、もう就任が決定してないか?」
「多数決って怖いよね」
「おいこら、目をそらすな」
「今の案、最初に提案したのはウルクだから」
「ことわれねえ!」
なに、この鮮やかな反撃。たわいもない小細工がこんな形で返ってくるとは、策士、策におぼれるとはこのことか。別に俺は策士ではないけれども。
俺が頭を抱えていると、イズがこらえかねたように小さく吹き出した。
「――ぷ、あはは、冗談だよ、冗談。さすがに本人の承諾なしで勝手に決めたりしないから。テオの料理をまた食べたいなって思ってるのはホントだけどね」
「それはよかった。それにまあ馬車から宿から教会には世話になりっぱなしだから、食事当番くらいお安い御用だったりするんだが――ん? なんかあらぬ方向に話がそれたな。結局、何の用で来たんだ?」
常任食事当番の就任を告げるだけだったら、イズではなくてウルクが来そうなもんだが。
「ああ、それなんだけど――」
イズが言いかけたとき、ひときわ強い風が吹きつけてきて、荷台を覆う幌が大きく揺れた。
夏が近いとはいえ、日によっては夜はまだ冷える。イズが寒そうに肩を震わせた。
「テオ、ちょっと詰めてもらっていい? ボクも中に入りたい」
「へいへい」
言われるがままに身体をどけ、狭い荷台に無理やりスペースをつくる。すると、イズが軽やかな動作で荷台にのぼってきて、そのスペースに身体を置いた。いつもはまっすぐに垂らしている黒髪を、今は後ろで一つに束ねているため、イズが顔を動かすたびに尻尾みたいにぴょこぴょこ揺れている。あら可愛い。
「よっと。うん、風がなくなるだけでもけっこう暖かいね。それで用件なんだけど、この後どうするかってことなんだ」
「この後?」
「ようするにテオは今後どうするつもりなのかなって訊きにきたんだよ」
ウルクから少し聞いたのだけど、と言い置いてイズはさらに続ける。
「セラの森に着いた後にどうするか、もう考えているんでしょ?」
「確かに考えてはいるが、正直、教団の方針とは合わないと思うぞ」
俺が応じると、イズは平気平気と気楽そうに笑った。
「それは気にしないでいいよ。ボクが猊下から与えられた任務は状況の精査だから。たとえばだけど、テオが一気に捕らわれの王様を助けるつもりだったとしても大丈夫。見方をかえれば、それって白精樹の調査みたいなものでしょ?」
「でしょって言われても反応に困るんだが……それにこれは勝手な推測だが、魔人がいるとわかった以上、シルル教団としてはイズに動いてほしくないんじゃないか?」
この短い間に二度も魔人と遭遇してしまって若干感覚が麻痺しているが、本来、魔人と遭遇するというのは大陸を揺るがす大事件なのである。
これまでの歴史をひもといても、魔人が人間の前に姿を見せたのは大侵攻の最中か、あるいは直前くらいのもの。ベアトリスの暗躍を知ったランゴバルド宮廷は、今ごろ蜂の巣を突いたような大騒ぎになっていることだろう。
そこにきてユーベルの襲撃だ。元に戻ったウルクの証言から、ユーベルがセラの樹海を襲った魔人であることも判明した。
おそらく、事情を知ったすべての人たちの脳裏には大侵攻の三文字が明滅しているであろう。
シルル教団としては、こんな不透明かつ危険きわまりない状況に、最大戦力である勇者を送り込むつもりはあるまい。
というか、俺が教皇だとしたら即座にイズを引き返させる。
魔人と戦うにしても、それは教会の主力部隊をセラに差し向けてからであり、わずか三、四人のパーティで樹海に踏み込むなど絶対に許さない。大侵攻が近いと思われるこの時期に、友好関係にあるわけでもない妖精族のためにイズを失う危険はおかせないからだ。
イズを失うことは、対魔人の切り札である聖剣を失うことと同義であり、これも待機を決め込む理由となる。
俺がわかる程度のこと、イズがわからないとも思えない。仮にイズがそこまで思い及ばなかったとしても、フレアならば気づくだろう。
だというのに、のほほんと構えているポニーテールの勇者殿はいったい何を企んでいるのか。
俺がじぃっと見つめる先では、当の勇者があぐらをかいた格好で(どうでもいい情報だがイズは旅の間はもっぱら脚衣を着用している)上体をゆらゆらと揺らしていた。
と、いきなりイズが小さく吹き出した。
いきなりのことに面食らっていると、イズがごめんごめんと頭を下げる。
「今のテオの顔って、さっきまでのフレアとそっくりだなあって思ったら、つい笑っちゃった」
「……なんかその一言で、さっきまでの馬車内の会話が想像できたぞ」
思わずぼやく。たぶん俺が言いたいことは全部あの魔法使いが言ってくれたのだろう。
「で、その上でこうしてイズがこっちに来たってことは……」
「たぶんお察しのとおり、かな? 『はあ……ま、いつものことといえばいつものことね。あなたの好きにしなさいな』だって」
ぽりぽりと頬をかくイズ。無駄にうまい声真似のせいか、フレアの心労がダイレクトに感じられてホロリと涙がこぼれそうになる。
うん、今度、心身の疲れに効く薬草茶でも淹れてあげよう。アスティア様直伝だから効果はばっちりだしな!
そんなことを考えながら、俺はイズに腹案を語っていった。




