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花嫁クエスト  作者: 玉兎
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第一章 魔物と王位と花嫁と(三)

 西から東へ、シルリス大陸の沃野よくや滔滔とうとうと流れる大河メルキト。

 ウィンディア王国の北の国境がガルカムウ山脈であるとすれば、南の国境はこのメルキト河にあたる。

 場所によっては対岸が見えなくなるほどに長大なこの河は、ウィンディア王国が成立する以前は人間対魔物の最前線であった。南方諸国はメルキト河を天然の堀とし、南岸に防御施設を築いて、ガルカムウ山脈からあふれ出る魔物の大軍を食い止めようとしてきたのである。



 日没の時刻、太陽の残光を映して朱色に染まる川面はあたかも人血が流れているかのようで、俺は思わず顔をしかめた。

 人と魔の古き決戦場、かつての大侵攻で無数の命を飲み込んだ流水の棺桶。

 鮮やかな紅に染まった川面に詩情を感じる者もいるが、この大河を見るたびに夢の光景を思い出してしまう俺は、どうにもこの赤が毒々しく思えて好きになれなかった。

 もっとも、人間どもの好悪など自然にとってはどうでもいいことのようで、メルキト河は今日もただ悠々と流れ過ぎるだけである。





『お、あんちゃん、ウィンディアの人なのかい? ちょっと聞きたいんだが、噂の花嫁令ってやつ、本当なのか?』

『なに、残念ながら本当のこと? ううむ、英雄ってやつは俺たち凡人には想像もつかないことをやるもんだ。しびれるねえ――なに、ぜんぜんしびれないし、あこがれない? わっはは、まあ自分たちの国が同じことをするのは勘弁してもらいたいな』

『ほう、これが「婚姻の書」? 女神さまの力が宿ってるから嘘は書けない? ほうほう、便利なもんだなあ』




 メルキト河を越えて出国した俺は、上記のような会話を軽く十回は繰り返しながらランゴバルド王国の領内を歩いていた。

 花嫁令の一件は、はやこの南の隣国にも達していたらしく、俺がウィンディアから来たと知ると、たいていの人は花嫁令のことを訊きたがった。まあ、布告の内容が内容だから他国にも広めないと意味がない。陛下のことだ、行動力のおもむくままに使者を派遣しまくったに違いない。

 このぶんだと、すでに大陸中の国々がウィンディア王の奇行を知ったことだろう。知らず、ため息が口をついて出た。



「……ま、今さらな話か。さて、役人に見とがめられると厄介だし、この国はさっさと抜けてしまおう」



 軽くかぶりを振って内心の失意を振り払うと、俺は足を速めた。

 ランゴバルド王国は西の蓬莱ほうらい国と並ぶ大国で、人界の盟主を自認する尊大な――もとい、誇り高いお国柄である。ウィンディア王国との仲は決して悪くないが、なんというか、属国視されている感があって、俺はあまり好きになれなかった。



 花嫁令のことを考えれば、人口の多いこの国は有力な花嫁捜索地なのだが、休職中とはいえウィンディアの騎士がうろちょろしていると、間違いなく面倒事が起きてしまう。

 俺ひとりに関することならまだしも、ウィンディアとランゴバルドの間で外交問題になってしまったら大変だ。



 そんなわけで、俺はランゴバルド王国を単なる通過地点とみなしていた。

 問題はここからどちらに向かうかである。

 西に行けばエルフ領であるセラの樹海がある。一国を丸々と飲み込むほどの大森林地帯。妖精郷とも呼ばれ、メルキト河の水源でもある。

 この樹海に住まうエルフは弓と魔法に秀で、こと森林での戦いにおいては彼らにかなう種族は存在しないとされるほどに優れた種族だ。容姿端麗でも知られており、人間に数倍する寿命を持つとも聞く。花嫁うんぬんは抜きにしても、一度は行ってみたい場所だった。



 だが、今は物見遊山をしている場合ではないし、その余裕もない。そもそもエルフは人間が森に立ち入ることを好まないので、樹海に行っても追い返されるだけであろう。エルフ娘を口説くとか論外である。

 というわけで西はなし。



 ちなみに、セラの樹海の南、ランゴバルド王国の南西にはランゴバルドと並ぶ大国である蓬莱ほうらい国がある。人口という面ではランゴバルドすら上回る国なので、できれば花嫁捜しの候補地に入れたいのだが、この国もこの国で問題が多かった。

 というのも、蓬莱は自国や自国の文化を至上とし、他国との交流に益はないと公言しており、公言どおりの政策をとっているからだ。ようは鎖国しているわけで、これでは候補地から除外せざるをえない。



 付け加えると、蓬莱とエルフとの関係はきわめて悪く、交流どころか交戦関係にあるらしい。両者は樹海南部の領有をめぐって幾度も矛を交えており、互いに多くの血を流していると聞く。

 蓬莱とはそんな国であり、いろいろな意味で花嫁捜しができるような土地ではなかった。




 視点をかえてランゴバルドの東を見れば、過去の大侵攻で滅びた帝国の広大な廃墟が広がっている。この土地には魔人の呪いが染み付いており、とてものこと、人間が暮らせるような状態ではない。したがって、こちらも行くだけ無駄。

 つまるところ、今の俺が向かえる先は南しかなかった。




 ランゴバルド王国の南に位置するのはカーナ連合王国である。

 その名のとおり幾つかの小国から成り立つ連合国家で、加盟国の中には人間以外の種族の国も含まれる。

 その成り立ちから蓬莱よりも他国者に寛容で、ウィンディアと国境を接していない分ランゴバルドよりも動きやすいと予想できる――まあ、希望的観測というやつであるが。



「実際に行ってみれば、カーナはカーナなりの問題を抱えているんだろうな」



 苦笑しつつひとりごちる。今のご時勢、火種のない国なんてどこを探してもありはしないのだ。

 とはいえ、目下のところ向かえる先がカーナ連合王国しかないのも事実。付け加えると、かの地は交易が盛んと聞くので、金を稼ぐという意味でも目的地にふさわしいといえた。シュナの案ではないが、今の俺が複数の妻を持とうとすれば、金銭を重要視せざるをえない。



 なにせ、俺にはまっとうに女性を口説けるだけの魅力も甲斐性も存在しない。複数となれば尚のことだ。そんなものが備わっているのなら、この年になるまでに恋人の一人もできているだろう。

 ゆえに俺にとれる手段は、妓女を身請けするとか、女奴隷を解放するとか、とにかくどんな形でもいいから相手の女性に恩を売ることである。そして、そこを足がかりにして婚姻の書に名前を書いてもらう。

 問題は恩を着せて強引に納得させた女性が、アスティア様の魔法に抵触せずに署名できるのか、という点なのだが――これはもう実際にやってみるしかない。

 仮にだめだったとしても。



「きっかけは金銭でも、一緒に過ごしていればそのうち情も湧いてくるだろう……うん、きっと。たぶん。おそらくは」



 最終的には一年後までに女性が納得してくれればいいわけだから、時間はある。

 まずは金を手に入れ、俺から逃げない(逃げられない)女性を確保する。そのためにはカーナ連合王国が一番都合が良い、というわけである。

 そう思った俺は、ふと今の自分の思考を振り返って、ぼそりとつぶやいた。



「……しかしあれだな、こうして考えを並べてみると、なんか犯罪者みたいだな、俺」



 脳裏に浮かんだその考えを、俺はかぶりを振ることで頭の中から追い出した。考えても仕方ないことは考えない。時にはそんな割り切りも必要だろう、うん。




 肝心の金をかせぐ手段だが、これについては腹案がある。

 戦いの技術以外、これといって誇れることがない俺が、一年という限られた時間で大量の財貨を稼ぐ手段。

 誰かに仕えるという形は、行動の自由がきかなくなるので避けねばならない。

 となると。



「やっぱり冒険者稼業しかないな」



 俺はそう結論した。

 ウィンディア王国ほどではないが、南方諸国にも魔物の被害は出る。ウィンディアの防御をすりぬけた魔物もいるだろうし、東の廃墟に住みついた魔物が暴れる例もある。魔物以外にも人間に害を為す獣は少なくない。

 そういった被害を実力で駆除する冒険者は重宝されるし、若くして名声を得た者もいる。一国を築き上げたアレス陛下などはその筆頭といえるだろう。



 くちはばったい言い様であるが、こと魔物相手の戦いに関するかぎり俺は百戦錬磨である。多人数討伐が原則の大型種が相手でなければ、そうそう遅れをとることはない。

 その大型種にしたところで、ウィンディア以南の国に現れることはまずあるまい。

 俺はそんな風に楽観的に考えながら、一路南を目指して歩き続けた。



◆◆



 ランゴバルド領内を縦断すること、七日あまり。明日にもカーナ連合王国との国境に到着するという夜、俺は街道沿いにある店に入った。街道沿いでは珍しくもない宿と酒場を兼ねた店だ。

 決して大きくはない店内には、あふれんばかりの旅人がひしめくように座っている。彼らに混じって酸っぱいだけの酢漬けニンジンをかじりながら、俺は首をかしげていた。



 店構えは粗末で、出される酒も食事もうまくない、というか率直にいってまずい。量と安さがウリの典型的な安酒場だ。

 そんな店がどうしてこんなに繁盛しているのかと不思議に思っていると、不意に横合いから声をかけられた。



「失礼。あなたもベルリーズへ向かわれる途中ですかな?」



 豊かな口ひげをたくわえた小太りの中年男性は、みずからをポポロと名乗った。行商人であると自己紹介し、人のよさそうな笑みを浮かべて俺の返答を待っている。付け加えると、ベルリーズというのはカーナ連合王国の首都の名前である。

 まずい料理に辟易していた俺は、目の前の行商人に付き合うことにした。正直、商人はちょっと苦手なのだが、このまま退屈をもてあますよりはマシである。



「当面の目的はそこですね。あそこなら仕事はいくらでもありそうですから」

 年長者に対する敬意を払いつつ、俺はあたりさわりなく応じる。

 すると、ポポロはふむふむとうなずいた。

「たしかに腕の立つ戦士なら引っ張りだこでしょうな。失礼ですが、ウィンディアの出身でいらっしゃる?」



 ここで慌てるほどウブではない。

 俺はつとめて何気ない風をよそおって眼前の商人の目をじっと見た。

 すると、こちらの無言の問いかけを読み取ったようにポポロが言葉を続ける。



「わしは商いで何度もメルキト河を渡っておりましてな。お腰に差した剣のつくり、かの王国のものでしょう? ウィンディアの武器は良質ですが、大半は国内で使われるので滅多に外に出回りません」



 そういってポポロは腰に差した俺の剣に目を向ける。念のため、それとわからないように鞘や柄には細工しておいたのだが、商人の目はごまかせなかったようだ。

 俺はにやりと笑って相手の推測を肯定する。



「ほほう。さすがに商人殿、良い目をしていらっしゃる」

 すると、応じてポポロもにやりと笑った。

「ふふ、それほどでも。ところで、お国では面白いことをはじめられたようですが、もしやあなたも参加していらっしゃる?」



 目に興味をたたえて俺を見るポポロ。どうやらすでに花嫁令のことは知っているらしい。

 聞けば、花嫁令が布告されたとき、ちょうど商談でウィンディアに出向いていたらしい。今はその帰りなのだとか。

 特に隠し事をする必要を認めなかった俺は、あっさりとうなずいた。



「英雄王の後を継げる好機到来ですからね。ポポロ殿も参加してみたらいかがです?」

「いやいや、わしは王位を欲するような大それた望みは持ちあわせておりませぬよ。なにより、そのようなことを口にすれば妻子に愛想を尽かされてしまいますでな」

「おお、これは失礼しました」



 俺は背筋を正して、あらためてポポロに観察の視線を走らせた。

 妻子を持つ身ということは、俺にとって偉大なる先達だ。聞けばポポロは四十歳、奥方はそれより十以上も若いという。今年六歳になる息子さんもいるそうな。

 自分より十も若い奥方を口説いた手練手管、なんとか教授してもらうわけにはいかないだろうか。

 わりと切実に俺はそう思った。





 その後、俺とポポロは酒を酌み交わしながら会話をはずませた。

 飯も酒もまずいので、せめて会話くらいは弾ませないとやってられなかったのである。

 そして、話をしてみればポポロはなかなかの好人物であった。

 彼の商いは、他の商人がなかなか足を運ばない辺境地帯に生活必需品を売りにいき、その地の特産を買い付けてベルリーズで売りさばくというもの。



 それを聞いた俺は素直に感心した。

 ウィンディアの北にあるガルカムウ山脈は多数の魔物が徘徊する魔の山だが、一方で黒スグリ等の食用となる果実、あるいは薬効のある木や草が多く生えている恵みの山という一面を持っている。

 特に後者は貴重で、それらを原料につくられた医薬品は各国で珍重されていた。



 だが、ウィンディア製の質の良い武器と同じく、医薬品も大半は国内で消費されるためになかなか外に出回らない。

 それはつまり、国外に持ち出せれば高く売りさばける、ということでもある。



 ポポロは危険を冒して直接買い付けにいくことで、そういった医薬品を手に入れているわけだ。これはなかなかに勇気ある行動といえるだろう。

 それとなく買値、売値などを探ってみたが、いずれも良心的なもので、ポポロ自身の懐に入る利益は決して多くない。

 魔物が多いウィンディアでも、さらに危険な北部地方に行くことの手間と危険を考えれば、もっと利益をむさぼることもできるだろうに、ポポロはそれをしていない。



 この行商人はウィンディア北部の村々――王国の中でも特に貧しい地域――にとって欠かせない存在だ、と俺は思った。

 同時に、いっぺんに好意をもった。

 ちょろいと言うなかれ。俺も弟も北部出身なのだ。



 俺の気分が和んだことに気づいたのだろう、ポポロは嬉しげに微笑んだ後、表情を真剣なものにあらためた。

 酒盃を置いてから、ゆっくりと口を開く。

「テオ殿、話があるのです」

「ふむ、聞きましょう」

 俺はこくりとうなずいた。この相手が何かしらの魂胆があって話しかけてきたことはとうに気づいている。



 ――こうして、俺はギール山道を塞ぐ大型の魔物の存在を知るにいたったのである。



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