第三章 遭遇(六)
その日、ランゴバルド王国に激震が走った。
国王クライフが有力な廷臣の一人であるランカース公爵を処刑したのである。
ランカース公爵はランゴバルド東部を治める大領主の一人であり、先々代の王の甥という血胤の良さも手伝って、ランゴバルド宮廷では大きな影響力を持っていた。
その公爵を裁判なしで処刑し、王都広場に首をさらした国王の行動は、身分の上下を問わず、ランゴバルドの国民を驚愕させた。
処刑されたのは公爵当人だけではない。公爵にしたがって王都にやってきた息子や孫も同様に首をはねられ、うつろな眼窩を衆目にさらすことになった。
大多数の廷臣にとっては寝耳に水の出来事であり、いったい何事が起きたのかと、一時王宮は騒然となる。
やがて混乱する廷臣たちの前にランカース公の罪状が示された。
叛逆罪。
昨今、ランゴバルド国内で暗躍していた反乱軍の首魁はランカース公爵であり、同時期に発生していた数多くの誘拐も公爵の指示によるものであった旨が大々的に報じられた。
王都の公爵邸には人と物、いずれの面でも証拠がそろっており、わけても決定的だったのは、魔人によって設置された複数の魔方陣が公爵邸の地下に存在したことである。
公爵に近しい貴族や騎士は、この動かぬ証拠を前に沈黙を余儀なくされた。内心、どれだけ国王の振舞いに憤慨していようとも、ここで公爵をかばう発言をすれば、みずからも魔人の輩であると決め付けられる恐れがある。そうなれば、待っているのはランカース公と同じ末路であろう。
これによって、事の焦点は公爵の処刑の是非から、跳梁する魔人にどのような対策をとるのかという点に推移していくことになる。
ランカース公の首がさらされた夜、王弟セルディオは呼び出しを受けて兄王の私室に参上した。
均整のとれた長身を羽毛のソファに沈めたクライフは、入室してきた弟の顔に咎める色を見て取って、手に持っていた酒盃を軽く揺らしながら口を開いた。
「そう怒るな、弟よ」
「怒ってはおりません、陛下。ですが、御心を聞かせていただきたいとは思っております。確かに私は魔人とランカース公爵の繋がりを発見いたしましたが、それが敵の罠である可能性もあわせて申し上げたはず」
兄弟とはいっても、クライフとセルディオの外見はあまり似ていない。
温和な顔立ちであるセルディオに比して、クライフの眉は猛禽が羽を広げたように猛々しく、切れ長の双眸にはあふれんばかりの覇気が満ち満ちている。高い鼻梁も、雄々しさを感じさせる口元も、今代ランゴバルド王の英姿を引き立てる一助となっていた。
父王の死によって王位を継いでから七年、クライフは王としての才能をいかんなく発揮して王国の勢力を拡大してきた。いまだ三十代前半の若さながら、すでに大王の名でクライフを呼ぶ者もいる。
この若きランゴバルド王は、王座にふんぞりかえって指示を出すだけで満足する君主ではなく、政務は細かなところまで目を通し、戦ともなれば進んで陣頭に立つ。言い方をかえれば、自分の手が届かないところで事が決するのを嫌う性質がある。父王時代の宰相を罷免し、自ら国事を総攬するようになったのは、そんなクライフの性情を露骨に示した人事であった。
クライフが王位に就いてからというもの、ランゴバルド国内では国王の独裁体制が急速に確立していった。
反面、そんなクライフの威光が届かない地域も存在する。
ランゴバルドは長い歴史と広い領土を持った大国ゆえに、王族に匹敵する権臣も少なくない。彼らに対してはクライフといえども遠慮を示さなければならず、国の運営に関しても「何もかも思い通り」というわけにはいかないのが実情であった。
その権臣の筆頭が、東部に巨領を有するランカース公爵である。
つけくわえれば、公爵は何かと武断的な判断を下しがちな国王を掣肘する穏健派であり、その意味で同じ穏健派の王弟セルディオとも相通じる仲であった。
そのランカース公に処刑を告げた口で、クライフは弟の問いかけに応じた。
「魔人が何を企んでいたかは知らぬ。お前が申したように、魔人と組んでいる輩が、余と公爵の争闘を望んだのかもしれぬ。だが、ランカース公を仕留めるに、これ以上の好機がなかったのもまた事実であろう」
権謀の才でランカース公爵を追い落とすことはかなわなかった。仮に成功したとしても、公爵に近しい廷臣たちが黙ってはいなかったろう。
だが、叛逆罪、しかも魔人と手を組んだという最悪の罪状をもってすれば、誰も文句を言えはしない。異議を唱えれば、その瞬間、自分もまた魔人にくみしたことにされてしまうからである。
クライフは自身の権勢を確かなものとするために、あえて魔人の策に乗ったのだ。
ぐびりと酒盃をあおりながら、ランゴバルド王は続ける。
「人間の手ではとうていつくれぬ魔方陣。魔人と手を組んだことを示す、またとない証拠だ。あれが余をのせるための細工であるとすれば、敵を褒めてやらずばなるまいて」
「……危険な賭けです。魔人の跳梁を知った廷臣や国民は動揺しましょうし、他国も介入してくると思われますが」
「動揺は押さえつけよ。介入ははねつけよ。我がランゴバルドの威光をもってすれば、いずれもたやすいこと」
傲然とした兄王の言葉を聞いたセルディオは、しばしの沈黙の後、力なくうなずいた。
事が起こる前ならいかようにも諌めようがあるが、すでに処刑が終わってしまった以上、何を口にしてもむなしいというもの。せめて公爵の一族や廷臣がこれ以上の悲運に見舞われないように尽くすしかあるまい、と決意した風であった。
それに、さらなる諫言はセルディオの身命にも関わってくる可能性がある。密かに、そして素早く断行されたランカース一族の処刑は、弟に邪魔をされたくないという国王の意思のあらわれであり、その意思を侵せば、待っているのは公爵と同じ末路であろう。
黙然とたたずむセルディオを見やったクライフは、立ち上がって棚から新たな杯を取り出した。
先端は細く尖り、胴の部分は緩やかに湾曲している奇妙な杯。国王の物と同型のその杯は、稀少で知られるオウガの角で出来た酒盃であった。
弟のために持ち出した新たな杯に、国王は手ずからブドウ酒を注ぐ。
「先日、王都の商人から献上された三十年物の逸品だ。反乱軍の首魁を突き止めた褒美として受け取るがいい」
そういって酒盃を差し出すクライフ。
謹んで受け取ろうとしたセルディオの目に、一瞬、奇妙な光景が映った。
ランゴバルドの王族はなべて金髪碧眼であり、クライフとセルディオの兄弟も例外ではない。だというのに、ほんの一瞬、セルディオの目に映る兄王の両眼が、杯に満たされたブドウ酒と同じ色に見えたのである。
それは壁で揺れる灯火の光がもたらす悪戯だった。
――悪戯である、はずだった。
◆◆
同時刻。
魔人ベアトリスはランゴバルド王都で最も高い場所、すなわち王城の見張り塔最上階に立っていた。
眼下にはシルリス大陸でも最大規模の街並みが広がっている。ここから眺める景色はベアトリスのお気に入りの一つで、たまにこうして足を運ぶ。
魔人の足元には夜番の兵士が横たわっていたが、その口からわずかに漏れる寝息が兵士の健在を物語っていた。
この夜、王都の空には一片の雲も浮かんでおらず、煌々と輝く星月の光は、遮るものもないままに王都全域へ降り注いでいる。
ここが魔人領域であれば、ベアトリスの目に映るのは、月明かりによって照らし出された街並みだけであったはずだ。かの地では夜に灯火をともす人間は一人もおらず、夜の街はどこも廃墟のように静まり返っている。
しかし、ランゴバルドの王都は陽が沈んでからも活気が絶えることはない。
ランカース公処刑の影響もあってか、いつもよりはいくぶん控えめであったが、それでも家々にともる灯火の量は、降りそそぐ月光を打ち消すに足りるものであった。
「王は目的のために魔人を利用してはばからず、民は魔人の跳梁を知ってなお酒と踊りに興じている。魔人の恐怖を骨の髄まで叩き込まれた人間たちが、こうまで驕るようになったのは、やはり先の大侵攻が原因でしょうか?」
吹き付ける夜風にベアトリスの銀髪がなびく。軽く髪をすいた後、ベアトリスはちらと後ろを見やって、誰もいないはずの空間に問いかけた。
「どう思いますか、ユーベル?」
『知らねえよ、興味もねえ』
不意に。
ついさきほどまで、何の気配もなかったはずの背後から声がきこえてきた。空間にわだかまる無明の闇は、呼吸一つの間を挟んで人間――いや、鬼族の姿をとる。
ざんばらの赤い髪、黒褐色の肌。つり上がった両眼は敵意と害意を宿して赤く輝き、口からのぞく犬歯はねっとりと濡れている。
セラの樹海を襲撃した魔人がそこにいた。
ユーベルは真鬼と呼ばれる種族で、額に伸びる角を除けば、外見は人間とほとんど変わらない。
オウガにはいくつかの種族的特徴があり、それは優れた容姿、敏捷な身のこなし、魔法への深い理解などである。
いずれもエルフのそれと等しく、太古において、この二種族は同族であったとの説も存在する。この説を唱えた学者は、オウガのことをダークエルフと呼んだが、当時健在だった戦神たちがこれを否定したため、今となっては誰も用いることのない死んだ言葉となっていた。
ユーベルもまたオウガの例に漏れず、野生的な美々しさを感じさせる容姿の持ち主である。
当人もそれを意識してか、外見を繕うことに熱心なのだが、いかんせん品性の欠如が致命的だ、とベアトリスは内心で冷笑している。
良く言って、飢えた野犬。それが眼前の魔人に対する腹蔵ない感想であった。
そんな内心を綺麗に包み隠してベアトリスは問いかける。
「それで、お招きした覚えはないんだけど、いと高き第三層様は何の用があってこの国にいらっしゃったのかしら。ランゴバルドは私の任地。あなたの任地はセラでしょう?」
「なあに、人間ごときと手を組んでいる魔人の恥さらしが何をやっているのかが気になっただけだ。お前がしくじれば俺も迷惑するんでな。なんなら手を貸してやってもいいぞ?」
そう言って、ユーベルはキシシ、と耳障りな笑い声をこぼす。
嘲弄の意図を隠そうともしない相手に対し、ベアトリスはにこやかに応じる。
「それはお気遣い痛み入ります。なら、お言葉にあまえて、ここから王都の街並みを半分ばかり破壊してくださらないかしら? オウガの魔法と、魔人の魔力をあわせもったあなたにとっては容易いことでしょう」
あなたにそれができるはずもないが――ベアトリスは内心でそう付け加える。
その声ならぬ声を聞いたのか、ユーベルは目を怒らせ、威嚇するように歯をむき出しにした。
「魔王様直々の命を受けたとはいえ、第一層ごときが図に乗るんじゃねえ。人界攻略はもともと俺らの仕事だッ」
「あなた方に任せていては埒が明かないから、私に命令が下ったのでしょう? それに、人界攻略を任されたのはあなたの主であって、あなたではない。虎の威を借るのはほどほどになさい」
ベアトリスがそう言った瞬間、ユーベルの両眼がすぅっと細くなった。
「……どういう意味だ、そりゃあ」
低く押し殺した声音は、ユーベルの自制心が限界に達しつつあることを物語っていたが、ベアトリスは相変わらず涼しげな顔のまま、上位に位置する相手の怒気を受け流す。
「こちらの言いたいことは余さず伝わっていると思うのだけど?」
「……ふん、言うじゃねえか。吸血種の残りカス」
ユーベルが口にした吸血種とは、その名のごとく他者の生命をすすって永らえる怪物である。かつては魔人領域でも屈指の勢力を誇っていたが、今は数を激減させ、滅亡を待つばかりとなっている。
吸血種のすする『生命』というのは、血液のみならず、気力や体力といった生命活動に要するエネルギーをも含んでおり、喜怒哀楽に富む人間は多くの吸血種にとって「好物」であった。
ベアトリスの足元に転がる見張り番の男を見たユーベルは、相手を嘲るためだけの笑い声を発する。
「あいかわらず、すするだけで殺しはしねえ。人間に寄生しないと生きられないから、人間はなるべく殺さずにおきましょうってか? そんな生っちょろいことを言っているからお前らは滅ぼされたんだよ、軟弱者がッ」
ベアトリスの顔を覆う笑みに、ほんの少しだけ影が差した。
いつも不快なユーベルの言動だが、今日はいつもよりさらに不快さをかきたてられる。だが、それを面に出せば相手に付け入られる隙となる。
まったく面倒なこと、とベアトリスは胸中で呟いた。
「軟弱者けっこう。人間を文字通りに『喰らう』あなたたちの野蛮極まりないやり方を模倣する気はありません。もっとも、それをしているのはあなたの主であって、あなたではない。人間たちが生贄を捧げるのもあなたの主であって、あなたではない。あなたを野蛮とそしるのは間違っているかもしれませんね」
そういってベアトリスは、んー、とわざとらしく頬に手をあてて考え込み、ややあってぽんと手を叩く。
そして、軽やかな口調で毒々しい嘲弄を吐き出した。
「そうね。ゴブリンのように他人のおこぼれをもらうだけの軟弱者に、軟弱とそしられるいわれはない、と言い改めましょう」
「…………てめえ」
ユーベルの周囲の空間が目に見えて揺らいだ。
わきあがった濃密な魔力はたちまち二十を超える針に変じ、まっすぐベアトリスに向けられる。
臨戦態勢を通り越して殲滅態勢に入っているユーベルに対し、ベアトリスは魔力を練ろうともせずに何気ない調子で言葉を続ける。
「それで探し物は見つかったのですか?」
「……なんのことだ?」
「とうに白精樹を落としたというのに、あなたはセラから動こうとしなかった。察するに例の『鍵』を手に入れ損なって、集落という集落を潰してまわっていたのでしょう? それでも見つからず、こうしてセラの外に出向いたということは『鍵』をもったエルフに逃亡を許したか――いえ、それならこんなところで私に嫌味をいっている暇はありませんね。となると、なぶる目的で呪詛をかけて放り出したエルフの一人が目的の品をもっていて、それをあてもなく探している最中、というあたりかしら?」
「なッ!?」
あまりにも的確なベアトリスの指摘を受け、ユーベルは思わず驚愕の声をもらしていた。それと同時に魔力でつくられた妖針もかき消える。
ユーベルは勢い込んで身を乗り出した。
「てめえ、何か知ってんのか!?」
「詳しいことは何も。ただ、何日か前におかしなものを見たものだから」
魔人の呪いを受けて姿が変容したエルフ。外套で姿形を隠していても、魔人たるベアトリスの目をあざむくことなどできはしない。
一口に呪詛といっても術者によるクセというものはどうしても出てくるため、しかけた魔人を特定するのは容易だった。ベアトリスから見れば粗すぎる術式は見誤りようがない。
その事実をもとにして、ユーベルの性格や今日までの不自然な行動を考慮すれば、正解を導くのは簡単なことであった。
「なら、なんでその場でしとめなかった!?」
「あら、第三層様の楽しみを私が邪魔してよかったの?」
わざわざエルフが忌み嫌うゴブリンに姿を変え、樹海の外へ放り出す。その目的は憎き妖精たちを絶望と苦悶の果てに野垂れ死にさせること以外にありえない。
それを自分が討てば、ユーベルの享楽を妨げることになってしまう。そんなことはできなかった、とベアトリスは慇懃な態度で口にする。
ギリギリ、と激しい歯軋りの音がユーベルの口から漏れた。
慇懃無礼な格下の態度に懲罰をくれてやりたいのは山々であるが、今のユーベルの最優先目標は『鍵』の奪取である。
もとより、セラの樹海を襲撃したのは『鍵』を欲してのこと。
白精樹を蹂躙してから一ヶ月あまり。ベアトリス言うところの『主』からはまだ何の音沙汰もないが、その沈黙が信頼や寛大さにもとづくものでないことは、誰よりもユーベル自身が承知している。
エルフ王の手に『鍵』はなく、各氏族の長たちも持っていなかった。となれば、考えられるのは王の一族くらいのもの。
そう考えたユーベルは、王を襲撃した際に呪いをかけて放り出した護衛の中に、たった一人の王女がいると知って絶句した。そして、途方に暮れた。魔人になって以来、初めて味わう感覚であった。
なにしろ、みずからがろくに狙いも定めずに強制転移を行ったのだ。へたをすれば空の上や土の中、海の底に転移していたとしても不思議はない。これを探し出して『鍵』のありかを見つけ出すなど到底不可能としか思えなかった。
しかし、目的の品の奪取に失敗したどころか、いずことも知れぬ場所に放り捨てたとあっては、間違いなく『主』の激怒を買う。それはユーベル自身の消滅と同義であり、不可能だろうが何だろうが、なんとしても探し出さなければならなかった。
「そいつらはどこに行ったッ!?」
いかに魔人といえども、広大なシルリスの大地から小さな鍵を見つけ出すのは至難の業。探しあぐね、憂さ晴らしとばかりにやってきたランゴバルドの王都で、肝心の『鍵』の手がかりが見つかったことは、ユーベルにとって僥倖以外の何物でもない。
ベアトリスが見かけたというエルフが王女であり、かつ『鍵』を持っているという保障はどこにもないのだが、今のユーベルは目の前の手がかりしか目に入っていなかった。
「西へ。セラで待っていれば、向こうからやってきてくれますよ」
「……本当だな?」
「あざむくつもりなら、見かけたこと自体を隠しておくわ。それがあなたにとって一番困ることでしょうから」
否定しようのない事実を突きつけられたユーベルは、ぎろりとベアトリスを睨む。
が、今はベアトリスの相手をしている暇はないと自制したのだろう、一瞬の間を置いてオウガの姿は溶けるように宙に消えた。
ベアトリスの言葉を鵜呑みにするほど素直な性格ではないから、おそらく自分の目で街道を確かめにいったのだろう。
騒々しいユーベルが去り、戻ってきた静寂を楽しむようにベアトリスは目をつむる。
吹き付ける夜風は近づく夏の息吹を含んで温かく、どこか果実を思わせる芳香が感じられる。王都郊外に広がる果樹園の香りが、風に乗って運ばれてきたのだと思われた。




