第三章 遭遇(四)
『炎よ!』
真っ先に動いたのはフレアであった。
古代語と共に突き出された手に、たちまち握りこぶしほどもある火球がうまれ、少女の姿をした魔人に向かって放たれる。
詠唱を省いたフレアの魔法行使を目の当たりにして、賊の男たちから驚愕の気配が立ちのぼった。
中にはフレアとベアトリスを結ぶ直線上に飛び込もうとする剛の者もいたが、賊の動きよりも魔法の方が早い。
フレアの魔法は誰にも妨げられることなく目標に炸裂した。
魔人本人ではなく、魔人の目の前の地面に。
次の瞬間、耳をつんざく轟音があたり一帯に響き渡る。
衝撃で地面が砕け、砂礫が飛びちり、爆風が魔人の銀髪を激しくなびかせる。
もうもうと立ち込める土煙が敵味方の視界を覆っていく中、ベアトリスは血のように赤い目を輝かせた。
「詠唱破棄! 人間にしては魔法の何たるかを心得ているようね。それに、私を狙わなかった判断も、とても的確」
魔人はその身を強固な防壁で覆っている。それが物理的な攻撃であれ、魔法的な攻撃であれ、魔人に傷を負わせることは人間にとって不可能といってよい。
フレアはそれを知っていたのか、あるいは一見してそれと見抜いたのか、とにかく自分の魔法は通じないと悟ったのだろう。だから、あえて魔法を地面に炸裂させて敵味方の視界を塞いだ。
ベアトリスは思う。
逃げる、などという手段をこちらが許すはずがないことはあの魔道師も承知しているはずだ。であれば、魔法行使の目的は攻撃以外にありえない。
魔人は無言で右手を前に突き出す。
すると、空間からにじみ出るように一本の長剣があらわれた。刃も柄も濃い赤色に染まった血煙の剣。
ベアトリスの華奢な手がそれを掴み取った直後。
『――火輪!』
はや聖剣を解放したイズが、土煙を裂いて躍りかかってきた。
共に鉄ならざる金属でつくられた二種類の剣が激突し、軋みをあげてせめぎあう。
そのせめぎあいを楽しむように――いや、真実楽しみながら、ベアトリスは言葉を続けた。
「初撃から全力をもって当たる賢明さは、さすがに勇者といったところかしら。魔道師との連携も見事なものね」
「お褒めにあずかって光栄だよッ」
至近で魔人の顔を見据えながら、イズは柄を握る手に力を込める。
イズはこれまで魔人と対峙したことは一度もなかったが、それでも魔人の恐ろしさは知っている。フレアも、テオも、キャプテンも、エルフであるウルクも知っているだろう。シルリス大陸に魔人の恐ろしさを知らない者などいないのだ。
だから、イズたちが勝利するためには魔人を討つか、それが無理ならせめて手傷を負わせて、この場から退かせる必要があった。
その上で自分たちに倍する賊徒を片付ける。
イズたちが生き延び、かつ虜囚となった人たちを助け出すためには、それだけのことを為さねばならない。
むろん、向こうはそうはさせじと動くだろう。もとより数で劣っているのはイズたちの方であり、長引けば長引くほど戦況は不利になっていく。勝算があるとすれば、それはイズが短時間で魔人を撃退する以外になかった。
「はあああ!!」
裂帛の気合をもって魔人に斬りかかる。
剣筋が霞むような高速の斬撃を、しかし、ベアトリスは巧みに避け、受け止め、あるいは受け流してしまう。のみならず、イズの力を利して、流れるような反撃を加えてきた。
まともに喰らえば顔面に風穴があくであろう強烈な刺突を、イズはのけぞるようにして何とかかわす。
だが、ベアトリスの操る剣は、まるで蛇のように喉元めがけてさらに伸びてきた。
たまらず飛びすさって相手の攻撃範囲から逃れ出るイズ。それを見たベアトリスはここぞとばかりに攻勢をしかけたが、今度はベアトリスがイズの巧みな防御を前に攻めあぐむ番だった。
追撃をしのいだイズが、再度、攻勢に転じる。
重甲冑を難なく着用できることからもわかるとおり、イズの細身の身体にはあふれんばかりの膂力と体力が詰まっている。
イズは勢いよく地を蹴って相手に突っ込んだ。身体ごと相手にぶつかる勢い。回避も受け流しも許さない突撃。
そんなイズの突撃を、魔人はいなすことなく真っ向から受け止めた。
少女の姿をしているとはいえ、流石は魔人というべきか、イズの猛撃をがっしと受け止めておきながら、わずか半歩の後退もない。
そして、すぐさま繰り出される反撃。
応じて振るわれる再反撃。
勇者と魔人、それぞれが持つ二本の刀身が火花を散らしてぶつかりあい、黄金と深紅の剣閃が宙に無数の軌跡を描き出す。
傍から見れば、それは美しいとさえ言える戦いであった。
両者ゆずらず、まったくの互角。そうも見えたはずだ。
だが、いま追いつめられているのは間違いなくイズの方であった。
イズと魔人が互角であるだけでは敗北は必至。いや、それ以前に戦いは互角ですらない。魔人はまだ魔法の一つも使っていないのである。
あいもかわらず楽しげに剣を振るうベアトリスを前にして、イズの額に焦慮を含んだ汗が浮かんだ。
◆◆
『炎よ、とく拡がり、とく走れ。汝の姿は風に似る!』
イズと魔人が激突した直後、フレアはすぐさま次の魔法詠唱を開始した。
先ほどは敵の意表をつくために詠唱を省いたが、今度は威力重視でしっかりと唱える。
再び宙空から生み出される炎。先のそれは球形をとったが、今度の炎は帯状に伸び、土煙を飲み込んで標的に殺到した。
イズとベアトリスの激突に注意を割かれていた二人の賊が、あっという間に炎に飲み込まれる――が、しかし、彼らは倒れることなくその場に踏みとどまった。
それを見たフレアの顔がわずかに歪む。
常のフレアであれば間違いなくしとめることができたはずだ。明らかに魔法の威力が落ちている。
先の火球にしても同様だった。詠唱破棄による威力軽減を考慮しても、本来のフレアの魔力であれば、火球の大きさは人の頭程度にはなったはず。だが、実際に生み出せたのは握りこぶし大の小火球に過ぎない。
魔法行使に失敗したわけではない。成功したという手ごたえはある。
原因はもっと単純で、だからこそ深刻なものだった。
――魔力が弱まってる……いえ、魔力だけじゃないわね。
身体の動きが鈍い。それは、ややもすると手足が震えだしてしまうほどの畏怖がもたらす能力の劣化だった。
理由は――と考えるまでもない。
魔人。
ベアトリスと名乗った少女と対峙した瞬間から、フレアの心身は明らかに変調をきたしている。
無防備な首筋を剣刃で撫でられているかのような悪寒。少しでも気をぬけば心臓をわし掴みにされてしまいそうな恐怖。
それは勇気や理性でどうにかなるものではなかった。
捕食者と被食者の絶対的な序列。
魔人という天敵を前にした人間の本能が、自分の心身を縛り付けていることをフレアは悟る。
そして、それはフレアだけにおとずれた異常ではなかった。
「ぬおおおおおッ!」
廃鉱の入り口ではキャプテンが大剣をぶんぶんと振り回している。
虜囚となっていた人々を賊の手から守っているのだが、その動きはいかにも重く、太刀筋にも切れがない。間違いなく魔人の影響だろう。
そんなキャプテンに対し、賊は三人一組で前と左右を塞いでいた。
キャプテンが斬りかかれば一人が防御に徹し、他の二人が攻撃を加える。
キャプテンが守勢にまわれば、一人が正面から斬りかかって防御を強いる。その間、他の二人が防御の隙間をぬって攻撃を加えるといった具合に、三人は精妙な連携を繰り返して確実にキャプテンを追いつめていく。
テオの状況も似たようなもので、三人の賊を引きつけるだけで精一杯に見える。
それを情けないとはフレアは思わない。
むしろ逆だ。
キャプテンにせよ、テオにせよ、魔人の重圧にさらされているこの状況で、手練の賊を三人も相手どっているのだ。それは優れた戦士でなければ為しえないことである。
ただ、客観的な事実として、この二人がフレアたちを援護できる状態にないのは確かであった。
フレアは魔人と渡り合っている友人を見る。
聖剣の力のおかげか、イズの能力の低下は最小限におさえられているようだ。だが、十全の状態のイズを見知っているフレアから見れば、やはり今のイズは動きが鈍い。
何とか援護したかったが、続けざまのフレアの魔法行使を見た賊たちが、厄介な魔法使いを放っておくはずもなかった。
キャプテンに三人。テオに三人。残った賊の数は魔人をのぞいて三人。
そのうち二人は先の魔法の影響ですぐには向かってくることができず、フレアに向かって駆け寄ってきたのは一人だけ。
たった一人とはいえ、油断はできない。接近される前に片をつけようと杖を掲げたフレアの視界の端で、何かがぎらりと輝いた。
それが何かなどと考える間もなく、フレアは反射的にその場に倒れこむ。
間一髪の差さえなかっただろう、直前までフレアの身体があった空間を一本の短剣が切り裂いた。
フレアがキッと短剣が飛んできた方向を睨むと、先に魔法に耐えた賊の一人と視線が衝突する。憎々しげな視線。どうやら投擲に長じた者がいたらしい。
投擲で魔法使いをしとめられればよし。外したとしても、味方がフレアに斬りかかるまでの時間稼ぎにはなる、という計算だろう。
それを悟ったときには、すでに賊は至近にまで迫っていた。
素早く立ち上がりながら、フレアは対処に迷う。
フレアは詠唱を省いて魔法を唱えることができるが、それは適当に叫べば魔法が発動するというでたらめな技ではなく、相応の集中力を必要とする。遠近両方の攻撃をいなしながら実行するなど不可能だ。
せめて敵がどちらか一方だけならば、とほぞを噛んだときだった。
今まさにフレアに斬りかかろうとしていた賊の足元を黒い影が駆け抜ける。影は二本のナイフを用い、賊の足――正確には膝の裏の関節部分を鮮やかに切り裂いた。
どんな防具であっても、ここだけは動けるようにしておかねばならない。さもなければ、その防具を着た人間はろくに膝を曲げることさえできなくなってしまうからだ。
無慈悲なまでに的確に弱点をついたのは、これまで竦んだように動かなかったウルクだった。
ウルクが動かなかったのは魔人に怯えたためではない。小柄な自分の存在を相手の警戒心の外に置き、必殺を期すための布石であった。
ただでさえ今のウルクは魔人の呪詛にかかっている。この上、ベアトリスの影響を受けてしまっては、正面からまともに戦うことはほぼ不可能。せめて奇襲で相手の数を削ることが、今のウルクにできる精一杯だったのである。
このウルクの奇襲は確かに成功した。
しかし。
ウルクに斬られた賊の苦悶は、ベアトリスと剣を交えているイズの耳にも届いていた。
たった一人ではあっても、それは確かな前進。剣を握るイズの手に力が入る。
そのイズの眼前でベアトリスが感心したように言った。
「さすがは勇者とその介添え。なかなかに楽しませてくれるわね」
魔人が口にしたのはただそれだけ。
ただそれだけで、ウルクに斬られた賊は回復した。治癒魔法、なのだろうか。間近で見たイズから見ても判然としない。
詠唱はおろか精神を集中させる素振りさえ見せず、ベアトリスは深傷を負った部下を癒してしまったのである。
イズは無言で奥歯を噛んだ。
この相手が底を見せていないことはわかっているつもりだった。底どころか、たぶん、今のイズが見えているのは相手の身体を覆う薄皮一枚が精々だろう。
剣を交えながら離れた場所にいる味方の傷を癒せるのなら、イズや他の仲間を魔法で攻撃することもたやすいはず。それをしないのは、魔人がこの戦いを遊戯のように楽しんでいるからか。
激しい剣戟を繰り広げながらもベアトリスから余裕が失われることはなく、対峙するイズにのしかかる重圧は増すばかり。
今、自分の目の前にいる存在が、数百年の長きにわたって人間を蹂躙し続けてきた天敵であることを、イズは改めて実感していた。
魔人の名乗りに偽りがあるのではないかという疑念ないし期待は潰え、残ったのは絶望的な戦況だけ。
魔人殺しの聖剣を持つとはいえ、亡き戦神に比すればイズの力など知れたものだ。戦闘開始から今まで、イズの剣はただの一度もベアトリスに届いていない。
反対に向こうの剣もイズに届いていないのだが、それもいつまで続くか分かったものではない。
どうする、とイズは自問する。
しかし、胸の奥から答えが返ってくることはなかった。




