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花嫁クエスト  作者: 玉兎
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第三章 遭遇(三)


 キッキッと鋭い声をあげながら野ネズミが俺の足元を駆けていく。

「うおっと」

 鉱山の街ボタンに入って最初に遭遇した住民は、そのまま俺たちにかまうことなく寂れた街路を駆け去ってしまった。



 野ネズミを見送った俺は改めて周囲を見回す。 

 かつては万を超える人々で賑わっていた鉱山街はしんと静まり返り、周囲の家々からはしわぶきの音ひとつ聞こえない。

 その家々にしても、大半は手入れする者がないまま、風雨によって崩れ落ちる寸前であった。



「見事なまでの廃墟だな」

 そんな言葉が口をついて出た。

 ランゴバルド王国の南西に広がる山岳地帯に築かれた鉱山街。

 以前、ここには豊富な埋蔵量を誇る金鉱脈が存在したそうで、ここは金を求める人々が軒を連ねてつくりあげた街だったという。



 往時には二万近い人口を抱えていたボタンの街であったが、いかに豊富な埋蔵量を誇るといっても金は無限の資源ではない。

 昼夜を問わない採掘が何年も続いた結果、鉱脈は枯れ果て、住民はひとり、またひとりと街から去っていった。街道から遠く離れたボタンの街には金以外に人を引きつける魅力はなく、多発する獣や魔物の被害に目をつむってまで留まろうという物好きはいなかったのである。



 結果、残ったのは廃鉱と無人の街並みのみ。

 今では野ネズミ以外に住む者もなくなり、かろうじて残った街の名残も、やがては時の経過と共に山林に飲み込まれていくだろう。

 俺たちがやってきたのはそんな場所であった。



 セラの樹海に向かっていたはずの俺たちが、どうしてこんな廃墟にやってきたのか。

 それはこの地の廃坑に、ランゴバルド王国に反旗をひるがえした反乱軍が居を構えているという情報を得たからであった。




「街道からは遠くはなれて、近くに街や村はない。うん、たしかに反乱勢力にとって格好の根城になる場所だね」

 俺の隣に立ったイズが納得したようにうなずいている。

 三日前の夜、俺がキャプテンから聞き出した話によると、ランゴバルドの王弟セルディオ・オーガスタスは、このボタンの街に反乱軍の首魁が潜んでいるという情報を掴み、直属の部隊を率いて王都から急行してきたという。



 一口に情報といっても、街中の情報屋が商うような玉石混交のものではない。王弟がじきじきに動いたことからもわかるように、情報はしっかりとした裏づけがとれたもので、事実、ボタンの街にはつい最近まで多数の人間が暮らしていた痕跡が残っていたという。

 しかし。



「無念なことに、連中はすでにこの場所を引き払っておったのだ! 我輩たちが急襲したときには人っ子ひとり残っていなかった!」

 キャプテンがそのときの無念と落胆を思い出したように声を高める。

 と、それを聞いたイズがおとがいに手をあてて新しい仲間に問いかけた。



「だから、一番近いコーネリアの街に内通者がいると踏んで糾明していた、と」

「そのとおりである」

「そこにボクたちが来たものだから、これは怪しいと考えて糾問しようとした、と」

「そのとおりであるッ」

「そうしたらテオに丸め込まれて、反乱軍討伐の同志として糾合されてしまった、と」

「そのとおりである! …………どうしてこうなったのだ?」

「さあ、どうしてだろう?」



 不思議そうに首をかしげるキャプテンを見て、イズは楽しそうににこにこ笑っている。

 キャプテンと行動を共にして、まだ三日と経っていない。当初より薄れたとはいえ、こちらに疑念と不審を抱える相手に対してはや軽口をたたける関係を築いているあたり、この勇者さまのコミュニケーション能力は底が知れない。




 それはさておき、俺たちがボタンの街にやってきた理由は二人が語ったとおりである。

 酒場でキャプテンから事のあらましを聞いた俺は、その場で一つの助言をした。

 神出鬼没の反乱軍にとって一番安全な隠れ場所はどこか。

 それは「一度は調べた場所」である、と。



 まずボタンの街に反乱軍が潜んでいる、という『事実』を流す。事実であるから、当然裏づけもしっかりとれる。

 そうやって王国軍を動かして捜査を空振りに終わらせれば、以後、王国軍の捜査範囲からボタン周辺は除かれる。

 そうなってから戻ってくれば、もう正規軍の目に怯える必要はないという寸法であった。




 大国ランゴバルドに反旗を翻した以上、反乱軍はそれなりの人数と物資を抱えているはずだ。キャプテンの言うがごとく、人さらいも彼らの仕業であるというなら、さらった女子供を閉じ込めておく場所も必要になる。

 ボタンの街は街道から離れており、付近に街や村もなく――最も近いコーネリアからも馬車で二日以上かかる――途中の山道には獰猛な魔獣も出る。おまけに廃鉱という絶好の物資保管および監禁場所がある。聞けば聞くほど、反乱軍にとってすべての条件を満たせる絶好の隠れ家だ。

 そんな場所をおいそれと手放すはずがない。ここをもう一度調べるべきだ、と俺は主張した。



 はじめ、キャプテンは俺の話を疑わしげに聞いていたが、こちらの推測にそれなりの説得力を認めたのだろう、しばらくすると真剣に考え始めた。

 ここで俺が注意をうながしたのは、再度の捜索のために王弟が動くと、それは確実に反乱軍に漏れるということだった。

 内通者がいるのか、密偵を忍ばせているのかは定かではないが、向こうがセルディオの動きを注視しているのは火を見るより明らかである。王弟が部下を引き連れてボタンの街に向かおうとすれば、その動きは必ずかぎつけられる。

 動くならば少数で。これは絶対条件だった。



 具体的にいえば、俺とキャプテンが動けばいい。

 もちろん、近衛騎士であるキャプテンは独断で街を離れることはできないが、そこはそれ、手立ては考えている。

 具体的にいえば――



 それまで黙っていたフレアがぼそりと呟いた。

「先日の無礼を詫びるという名目で教団使節の護衛を買って出る。これなら王弟も他の人間も反対のしようがない。私たちが認めればなおのこと、ね。その後、教団使節が気まぐれを起こして廃鉱に向かったとしても、それは護衛の騎士のあずかり知るところではなかったと言い抜けることができる。完璧ね」



 その言葉が皮肉に聞こえたのは、たぶん気のせいではないだろう。

 フレアにしてみれば、ただでさえ厄介な案件を抱えているところに余計な面倒事を重ねられたのだ、腹立たしいと思うのは当然のこと。その気持ちは十分に理解できたので、俺はイズたちから少し距離をあけ、フレアにだけ聞こえる声で詫びた。 



「悪い。当初の予定では、俺とキャプテン卿だけで行くはずだったんだけどな」

 キャプテンに助力することを決めた俺だったが、それはあくまで俺個人のこと。イズたちまで巻き込むつもりはなく、彼女らは先にセラに向かってもらうつもりだった。

 イズにしても、フレアにしても、ウルクの事情は理解してくれており、それなりに打ち解けてもいるようだったから、俺が別行動をとっても問題ないだろうと踏んだのだ。

 ところが。



「あの子が、はいそうですか、と素直に先に行くわけないでしょう」

 フレアはため息まじりに言う。ちらとイズを見やってから、魔法使いはさらに続けた。

「私としても、人さらいどもがギール山道をこえてベルリーズに手を伸ばす可能性がある以上、放っておくつもりはないわよ」

「そうか……ん? なら、なんでそんなに怒ってるんだ?」

「別に怒ってないわ。私はいつもこんな口調よ。ま、あんたが私たちに相談の一つもせず、勝手に動いたことについては一言物申したい気分だけれど」



 じろりと睨まれてしまった。

 あれだな、なまじ容姿が整っている分、こうして間近で睨まれるとすごい迫力があるな、うん。

 まことに申し訳ありませんでしたッ、と再度詫びる。素直に頭も下げた。

 フレアが言いたいのは、面倒事に首を突っ込んだことへの非難ではなく、首を突っ込むなら突っ込むで同行者に一言あってしかるべし、ということだ。

 これはまったくそのとおりなので、俺としては詫びる以外に選択肢がなかった。




 そんな俺の背後には、キャプテンを避けるようにウルクが小さくなって隠れている。あの近衛騎士が同行者となってからはずっとこんな調子だった。

 ちなみにウルクに関しては、魔物によって呪いをかけられてしまった人間だ、と少しばかり脚色を交えてキャプテンに伝えてある。正体を人間にしたのは、キャプテンがエルフ嫌いだった場合、また話がややこしくなってしまうからである。



 呪いによって姿を変えられてしまい、言葉もほとんどしゃべれなくなってしまったため、無用の騒動を避けるために外套を羽織って人目を避けている――そんな説明をキャプテンは受け入れた。

 正確にいえば「受け入れた」というより「気にしていられない」という感じだったが。

 たぶん、俺の推測どおりにボタンの街に反乱軍が戻っているのかが気になって仕方ないため、他のことに気を回す余裕がないのだろう。



 したがって、ことさらキャプテンがウルクに何かしたということはない。

 ないのだが、声も身体も、ついでに態度も大きい騎士の存在は、ウルクに圧迫感を与えてしまうらしく、キャプテンが加わってからというもの、ウルクは始終俺にひっついていた。

 キャプテンを同行者に引き入れた身としては申し訳ない気分で一杯であり、キャプテンの目がないところで謝ったりもしたのだが、ウルクは気にしないでというようにふるふるとかぶりを振るばかり。

 一度も俺を責めようとはせず、むしろ、これのおかげで俺とウルクの間にあった壁がスパンと取り払われた感もあって、俺にとっては予期せぬキャプテン参入効果であった。





 ともあれ、そんなこんなでボタンの街にやってきた俺たちは、周囲を警戒しつつ街中の捜索を開始する。

 奥にあるひときわ大きな建物、おそらくかつてはボタンの長官の家だったと思われる場所には大勢の人間が暮らしていた痕跡が残っていたが、これは一月以上前のものだった。キャプテンによれば、ランゴバルド軍が急襲したときと変わりはないらしい。

 それはつまり、俺の説を補強してくれる材料が、ここにはまったくなかったことを意味する。



 キャプテンが苛立たしげに鉄靴で床を踏みつける。

「収穫なし、であるか。次は廃鉱であるな」

「おや? 嫌味のひとつも言われるかと思ったが」

 意外に思ってそう問うと、キャプテンは見くびるなと言わんばかりに胸をそらした。

「ふん、ここに来ると決めたのは我輩だ。その決断の責を他人にとらせるような真似はせん!」



 そう言って、がしゃんがしゃんと甲冑を鳴らして出て行くキャプテン。言葉どおり、すぐにも廃鉱に向かうつもりなのだろう。

 道中、ほぼずっと重甲冑を着用していたから間違いなく疲労はあるだろうに、そんなそぶりはかけらも見せない。さすがの体力であるが、行方不明になっている弟の身を案じて気が急いているという面もあるに違いない。



「ボクたちも行こう」

 イズの呼びかけに、俺を含む残った者たちもうなずいた。

 なお、イズの装備は出会ったときのような全身甲冑ではなく、胸甲や脚甲など、身体の要所を覆う部分甲冑である。キャプテンのようにいかなる時もフルプレート、というわけではないらしい。おそらく長旅をする馬の負担も考えてのことだと思われた。



◆◆



 問題の廃鉱の入り口は一つだけではなく、山中にいくつも築かれているとのことだった。

 どうやら当時の鉱夫たちが、金欲しさに手当たりしだい坑道を広げたようで、内部はかなり複雑な造りになっているらしい。落盤の危険は大きく、場所によっては空気穴が泥でふさがれているところもあるため、先に来た騎士団も調査には相当苦労したそうだ。



「……で、その時にはあいつらはいなかったわけだな?」

「……むろんである」



 木立の間に隠れながら、俺とキャプテンは小声で言葉を交わす。

 俺たちの視線の先には、廃鉱の入り口で暇そうに立ち話をしている二人組の姿があった。数ある入り口の中でも街から最も離れている場所だ。偶然に立ち寄った旅人、などという可能性はかぎりなく低い。

 剣と鎧で武装しているところを見ても反乱勢力の一味だろう。俺の推測は見事に当たっていたわけだ。

 ――だが、少し気になることもあった。



「正規軍を手玉にとった連中にしては、ずいぶんと質が低いな」

 襲撃を警戒するそぶりもみせず、あくび交じりに会話をかわしている男たちを見て、俺は首をひねる。弓を手にしつつも、矢をつがえる決断が下せない。

 見張りを遠くから射倒して、いざ中に踏み込んでみたら、まったく関係のない山師が廃鉱を再探査しているだけでした、とかだったら「ごめんなさい」で済む話ではなくなってしまう。



 そんなことを危惧していると、イズがちょんちょんと肩をつついてきた。

「テオ、テオ。普通、金鉱目当ての人たちは剣を持って見張りに立ったりしないと思うよ?」

 これにはフレアもうなずいてみせた。

「同感ね。ただ、万一ってこともあるだろうし、ここは私が眠らせるわ」

 言ってフレアが杖を身体に引き寄せる。と、俺が答えるより先に口を開いた者がいた。



「そのようなことをせずとも、正面から叩きつぶせばよいであろう!」

 逸りたったキャプテンが口を挟む。

 俺とイズはあわてて近衛騎士の口を塞いだ。



「キャプテン卿、しーッ! そんなことしたら、中にいる仲間にボクらのことがバレちゃうよ」

「そうして別の入り口から逃げられた、なんてことになったら骨折り損もいいところだ。あまり考えたくないが、中にさらわれた人たちがいた場合、連中に口封じされてしまう可能性もある」

「ふぐ……!? ふんぬぐぐう……ッ」

 二人がかりで口をおさえられたキャプテンの口から、くぐもった濁音がこぼれおちる。



 そんな俺たちを尻目にフレアはさっさと動いていた。木立の合間を縫うように忍び足で入り口に近づいているのは、たぶん魔法の有効範囲の問題だろう。

 俺も意を決して矢をつがえ、見張りに狙いを定める。フレアが失敗したときは、少々危険だがこれで片付けてしまおう。

 イズとウルク、それに不承不承ながら納得した様子のキャプテンも、それぞれの得物を手にして次の事態に備えた。




 緊迫した瞬間。

 しかし、結論から言ってしまえば、そこまで気を張る必要はなかった。

 案ずるより産むがやすしというべきか、フレアが杖をかざして古代語を唱えるや、見張りの二人はぱたぱたと競いあうように崩れ落ちてしまったのである。

 ――おいおい、呆気なさすぎるだろ。

 そんな風に内心でツッコんでしまったほどの簡単さだった。それとも、ここはフレアの魔法を称えるべきなのだろうか。



 拍子抜けといって、これほど拍子抜けなことはなかったが、よく考えてみれば、敵(推測)が弱く油断しているなら、それに越したことはない。

 俺たちは倒れた見張りのもとに駆け寄ると、武器を取り上げ、ついでに両手両足を革紐で縛り上げて、適当な草むらに放り込んでおいた。

 こうしておけば、外から仲間が帰ってきたとしても、すぐに侵入者があったとは気づくまい。先ほどの見張りの態度からして、せいぜい「またさぼってる」と思われるくらいであろう。





「みなさん! 助けに来ました!」



 坑道に入り込んだ俺たちが目的の人たちを見つけ出すまで、さして時間はかからなかった。

 中にいた反乱軍は数が少なく、質も見張りと同程度で苦戦するような相手はいなかったのだ。

 複雑なつくりをした廃鉱は、本気で探索しようと思えばかなりてこずったであろうが、今回にかぎってはあまり問題にならない。なにしろ入り口から奥まで、正しい道順にそって壁に松明がかけられていたので。

 正解がわかった迷路を歩くようなものだった。



 廃鉱の奥には二十人近い数の人間がとらわれていた。ざっと見たところ、十歳前後の少年から六十過ぎの老女まで、老若男女の区別なく一箇所に捕らえられている。

 虜囚たちはイズの言葉を聞いて、驚いたように顔を上げた。

 首には枷、足には鎖、どの顔にも深い疲労と諦観が浮かんでおり、長期間にわたって捕らわれていたことがうかがえる。食事や水は与えられているようだが、こんな異臭の漂う場所に閉じ込められていては、ろくに食欲も湧くまい。



 はじめは呆然としていた虜囚たちであったが、徐々にイズの言葉が脳に浸透していったようで、一人、また一人と喜びの声をあげはじめる。

 イズたちが彼らを頚木から解き放っている間、俺は比較的元気そうな若者に声をかけた。反乱軍の戦力がこの程度であるとはとうてい思えず、より詳しい情報が欲しかったのである。

 それに、正規軍を手玉にとった冴えと、この坑道にいた者たちの体たらく。この落差も気にかかった。




 その若者の話によれば、ここにいる者たちは全員がランゴバルド東部の出身者であるとのことだった。

 ある日突然複数の男たちに襲われ、抵抗する暇もなく連れ去られ――気がついたときにはここに閉じ込められていたという。

 誘拐者たちは目的を告げることをせず、そのかわりというべきか、逃げようとしないかぎり危害を加えることはしなかった。これは年頃の女性も同様だったという。



 ただ、危害を加えなかったといっても、それはあくまでも「この場所では」という前提がつく。

 ときおり何人かが牢から連れ出されていった。ある時は子供が、ある時は老人が、男女の別なく引きずられていき……しばらくした後、また別の新しい被害者が連れられて来るといったことが続いたらしい。

 連れ出された者は二度と帰ってこず、どうなったのかは誰も知らない、と若者は力ない声で語ってくれた。



「……ランゴバルド東部、ね」

 俺が眉根を寄せたのは、あたりに立ち込める異臭が鼻を突いたからではない。いよいよ事態がきな臭くなってきた、と思ったからだ。

 繰り返すが、ボタンの街があるのはランゴバルドの南西部であり、東部とは大きく離れている。一日二日で行き来できる距離ではない。

 若者によれば、誘拐されて気を失った後、次に気づいたときにはすでにここにいたというから、馬車ではるばる東部から運ばれてきたわけではないだろう。

 となると、考えられるのは――



「案ずるでない! この近衛騎士キャプテン・バトゥの名誉にかけて、そなたらを必ず家に帰してみせようぞ!」



 キャプテンの力強い声が、俺の意識を思考の底からひっぱりあげた。

 見れば、近衛騎士の背にはひとりの老婆がおぶさっている。何日、へたをすると何十日という監禁生活の後だ。その姿はとうてい清潔とは言いがたかったが、キャプテンは気にする素振りも見せない。というか、実際に気にしていないのだろう。

 この場に行方不明の弟がいれば口にしないはずはないから、キャプテン自身の目的が果たされていないのは明白だったが、落胆や悲嘆よりも先に被害にあった同国人を思いやるあたり、さすがは一国の精鋭たる近衛騎士であった。



 このキャプテンの声で、俺も思考を切り替えることができた。今は裏面を探るよりも被害者を助け出す方が先決である。

 ただ、ここを出る前に他にも閉じ込められている人がいないか確認しておく必要があった。坑道の松明の配置はこの部屋にしか通じていなかったので、そういう人はいないと思うが念のためだ。それに、先に王弟の部隊がボタンの街を急襲した際、彼らがどうやって身を隠したのかも気にかかる。



 前者に対する若者の答えは「わからない」であり、後者に対する答えは「妙な部屋に連れて行かれた」であった。

 それを聞いた俺は、見るからに憔悴した様子の若者に申し訳なく思いつつも再度問いかける。



「妙な部屋とは?」

「この奥に小部屋があるんですが、そこに……えぇと、魔方陣、とでもいうんでしょうか。変な模様が描かれている場所があって、そこに足を踏み入れたら、こことはまったく別の場所に出たんです……」



 相手の答えにわずかに目を細める。

 そんないかにも怪しげな場所があるなら、王弟が気づかないはずはないと思ったからだが――実際にその部屋に行ってみて納得した。

 部屋の入り口は周囲とまったく同じ壁面になっていたのだ。壁が反転するようなからくり仕掛けではなく、フレアいわく「五感すべてに作用する高度な幻覚魔法」が働いているらしい。



 つまり、視覚はおろか触覚にも作用する幻の扉だ。手を伸ばせば硬い土壁の感触が伝わってくる。

 魔法使いであるフレアでさえ、ここに部屋があると知らなければ気づけなかったというから、王弟の部隊が察知できなかったのも無理はない。



 この時点でフレアの顔色は相当に悪く、もうひとりの魔法の使い手(今は使えないが)であるウルクの様子もおかしくなっていた。二人は俺たち以上にこの幻覚魔法の凄さが理解できるのだろう。そして、それを扱う術者の力量も。

 そして、部屋の中に入るや、その二人は雷に打たれたように全身を硬直させた。



 さして広くもない部屋の中央には、確かに魔方陣らしき紋様が描かれている。俺では意味さえ読み解けない複雑怪奇な文字と記号の羅列。

 松明もない部屋で魔方陣をはっきり見ることができるのは、術式の文字が時に白く、時に青く輝いているからである。

 それがあふれ出る魔力の余光であることは俺にも理解できた。



 光っているのは床だけではない。

 術式の文字は魔方陣の上の空間にも及んでおり、幾重にも重なった文字やら記号やらが空中で不規則に明滅し、複雑な魔方陣を描き出している。

 白と青の光で構成される精緻な紋様は、俺の背丈よりもずっと高く、天井すれすれまで達していた。

 素人目には美しささえ感じられる光景。

 しかし、魔法の玄人にとって、それは脅威以外の何物でもなかったらしい。




 フレアが震える声で呟いた。

「…………積層型、立体魔方陣? なに、これ。こんな魔方陣、人間どころかエルフやオウガにだって描けやしない……ッ」

 その声は俺がはじめて聞くものだった。

 イズが驚きの表情を浮かべているところを見るに、イズさえ聞いたことのないものだったのかもしれない。



「――! ――ッ!」

 勢いよく服を引っ張られる。何事かとそちらを見れば、ウルクが身振りで部屋の出口を何度も指し示している。早く逃げよう、という意思表示であることは問うまでもなく明らかだった。

 詳しいことはわからない。

 だが、反乱軍の背後に「エルフやオウガにだって描けやしない」魔方陣を扱う術者がいることは理解できた。物に動じないフレアやウルクが、傍目にもわかるくらい取り乱す相手だ。



 こんな場所に長居は無用。この魔方陣を調べるにしても、虜囚となった人たちをコーネリアの街まで送り届けてからにするべきだ。

 その意見に反対者は出なかった。キャプテンさえ黙ってうなずいている。



 衆議一決した俺たちは、疲労困憊の虜囚たちを急きたてるように出口を目指す。

 あまりに状態がひどい人にはイズが奇跡(神聖魔法)を用いたが、これはイズ自身の体力や気力を他者に分け与える術であるため、あまり多用することはできない。

 ようやく解放されたばかりの人たちに無理を強いるのは申し訳なかったが、文句を口にする人間は誰もいなかった。嫌な予感というものがあるのなら、今このとき、この場にいる全員がそれを共有していた。



 そして。

 ようやく出口にたどりつき、陽の光が差す外界に出たとたん、予感は現実のものに変じた。



 廃鉱の出口にずらりと並んだ賊の数は十人。そのうち九人は男性で、装備や構えからいずれもかなりの手練であることがうかがえた。坑道の中にいた連中とは明らかに一線を画している。

 だが、問題なのはこの男たちではない。男たちを従えるように、奴らの真ん中に立っている女性こそが「嫌な予感」の正体であった。



「せっかくの勇者様の訪問なのに、留守にしていてごめんなさい」



 優雅にこちらに向けて一礼した女性は、一見したところ俺たちよりも年下に見えた。

 十三歳か、十四歳か、いずれにせよ女性というより少女と呼んだ方が適切だろう。

 だが、俺でさえわかる。あれは見た目どおりの存在ではない。



 イズやフレアはすでに少女に対して臨戦態勢をとっている。周りに居並ぶ男たちを無視して。ウルクも同様だ。

 魔法とは無縁と思われるキャプテンでさえ少女に厳しい視線を向けているのは、俺と似た何かを感じ取ったからか。

 こちらの緊張と焦慮を見抜いているのか、いないのか。少女は楽しそうに言葉を続けた。



「この身は人ではないけれど、人界にいる以上、人としての礼儀は守りましょう。お客さまには歓迎を。盗人には懲罰を」

「……人では、ない? じゃあ君は――」

 イズの疑問に少女は笑みをもって応じた。

 スカートの裾をつまみあげる仕草はいかにも優雅で、一国の王女と名乗っても通用しそうだ。

 しかし、典雅な礼とは裏腹に、その口から出た言葉は俺たちを凍りつかせる冷厳な響きを帯びていた。



「この身は魔人のきざはしに足をかけたる者。第一層、ベアトリス。その命を散らすわずかな間、見知りおいてください」



 歌うように己の名を紡ぎあげる魔人。

 それが戦いの開始を告げる合図となった。



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