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花嫁クエスト  作者: 玉兎
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第一章 魔物と王位と花嫁と(二)

 

 アレス陛下の手により、強引かつ性急に花嫁令が実施されてから数日。

 この奇想天外な布告がらみで王都各所を奔走する羽目になった俺は、その夜、一つの夢を見た。

 これまで幾度となく見てきた過去の記憶の残滓。

 


 視界を染める一面の赤はガルカムウ山脈の夕暮れだ。

 夢の中の俺が空を見上げていると、血で染め抜かれたような紅の空の片隅に、小さな黒い染みが湧いて出た。その染みはみるみるうちに大きくなり、やがて空を埋め尽くす黒雲に変じる。無数の翼持つ魔物たちによってつくられた暗闇の雲。

 魔物がいるのは空ばかりではない。

 山頂から伝わってくる雪崩のごとき地響きが、数さえ知れぬ魔物たちが引き起こしたものだと悟ったとき、俺の口からは無意識のうちに絶叫がほとばしっていた……






 

「…………ぅわぁッ!?」



 自分自身の声に驚いて大慌てではねおきる。

 すると、視界を占領していた赤と黒の色彩は瞬きのうちに消え去った。

 ぜいぜいと荒い息を吐きながら、おそるおそる周囲を見回すと、見慣れた自分の部屋の光景が広がっている。どうやら寝ぼけたらしいと悟るまで長い時間はかからなかった。



 思わず安堵の息を吐く。

 と、廊下からばたばたと足音が響き、部屋の入り口から弟がひょいと顔をのぞかせた。



「兄さん、いま奇声が聞こえてきたけど、どうかした?」



 シュナ・レーベ。

 俺より七歳下の十三歳で、今は王都の騎士学校に通っている。成績は非常に優秀で、このままいけば主席も夢ではないという自慢の弟だ。

 小さかった頃は病弱だったせいだろう、健康になった今も身体は細く、肌は白く、おまけに髪を肩口まで伸ばしているせいで、ときどき妹に間違われることもある。

 俺の髪の色は父親ゆずりの黒だが、シュナは母親ゆずりの亜麻色で、頭の中身といい、外見といい、本当に血がつながっているのか疑わしく思うこともしばしばだった。



 俺は軽く顔を撫でながら弟に応じた。

「すまん、ちょっと変な夢を見た」

「そっか。ご飯できてるから、顔を洗ってから来てね」

「はいよ――ときに弟よ、すでにここまで肉が焼ける香ばしい匂いが漂ってくるんだが、朝からえらい豪勢だな?」

「んー? それはまあ、これから外国で忙しくなる兄上様には精のつくものを食べてもらいたいからね」



 俺の口から、んふ、と変な声がもれた。

 前述したように、数多の廷臣たちの反対も空しく、すでに花嫁令は大々的に布告されている。

 俺はこれについてシュナに散々愚痴を言いはしたものの、己の参加をにおわせるような発言はしていなかった。

 しかし、どうやら俺の内心――もとい、野心は弟に筒抜けであったらしい。



「……あー、ばれてたか?」

 すでにしっかり参加手続きを終えていた俺は、ばつが悪くなってぽりぽりと頬をかく。

「うん、もちろん」

 シュナはそんな俺を見てくすりと笑うと、さっさと台所に戻ってしまった。



 俺は再度頬をかいた後、寝台から離れ、言われたとおりに顔を洗うために井戸に向かった。

 騎士として与えられた邸宅には、井戸はもちろん風呂に中庭、馬屋までついており、兄弟二人で住むには広すぎるくらいだ。

 花嫁令の期間は一年間。

 それだけの期間、国を離れるとなれば、当然騎士の職も辞すことになり、この家も手放すことになるだろう――そう考えていたのだが、騎士の方は休職扱いになるそうで、俸給は出ないものの家はこのままでいいとのお達しだった。



 さすがにシュナ一人に家の維持を任せるわけにはいかないので、通いの従僕でも雇おうかしら、などと考えながら冷たい水で顔を洗う。ついでに寝ぐせも直し、すっきりした気持ちで食卓に向かった。

 すると、そこにはどこの宴会ですかと訊ねたくなるようなご馳走がずらりと並べられていた。



「……また、えらくたくさんつくったなあ」



 椅子に座りながら嘆声を発すると、シュナはおとがいに手をあてて小さく首をかしげた。



「足りないよりは、と思って。大丈夫、あまったらご近所におすそわけするから」



 レーベさんちのシュナ君は、一年のほとんどを戦地で過ごす兄にかわって、近所付き合いまでしっかりやってくれているらしい。

 本人も騎士学校の勉強で忙しかろうに、まったく頭があがらない。こんなにできた弟だから、花嫁令のために国を離れるとは言い出しにくかったのである。

 まあ、あっさり見抜かれてしまったが。



 箸をつける前に、黙って事を進めたことを詫びると、シュナは微笑まじりにかぶりを振った。

「兄さんが自分で決めたことなら僕に文句はないよ。それに、こんなことを言うと怒られるかもしれないけど――」

「ん?」

「兄さんが北で戦っているより、他の国で女の子を口説いている方が僕としては嬉しいんだ。心配しないですむもの」

「――む」



 さりげない弟の物言いになんと返すべきか分からず、俺はシュナの得意料理、揚げたての肉まんじゅうをもぐもぐと頬張った。

 ほどよく香辛料がきいていて、あいかわらずうめえ。




 ウィンディアの騎士団はシルリス大陸でも最強と名高いが、それは毎日のようにガルカムウ山脈から押し寄せてくる魔物どもと死闘を繰り広げているからである。

 北の最前線であるノース・コート(山脈の麓に築かれた東西に連なる長城)は、竜や巨人といった大型種の襲来もめずらしくない激戦地だ。アスティア様の指揮の下、俺も連中とは幾度となく渡り合ってきた。



 そんな戦況だから、この国の騎士、兵士の死傷率は他国のそれより抜きん出て高い。比ではない、と言いかえてもいい。

 俺はそのことを承知した上でウィンディア軍に入ったので不満はない。騎士学校にいるシュナにしても理解はしているはずだ。

 だが、理解しているからといって不安や心配から解放されるわけではない。その意味で、今回の話はシュナにとって悪いことばかりではないようだった。



◆◆



「ところで兄さん、ひとつ基本的なことを訊きたいのだけど」

 卓の上の料理をあらかた片付けたころ、お茶のおかわりをついでくれたシュナが目に興味をたたえて問いかけてきた。

「なんだ?」

「兄さん、女の子を口説いたことあるの?」



 弟の問いに対し、俺は真摯な表情で応じる。

「もちろんあるとも」 

「あ、妓館とかはのぞいて、だよ」

「……ないことはない」

 一気にトーンダウンした俺を見て、シュナは予想どおりというようにくすくす笑った。



「やっぱりねえ。でも、どうするの? 他の国の妓館にいって片っ端から身請けしてくるとか?」

 身請けとは金で妓女・遊女を勤めから身を引かせることである。たいていは身請けした客とくっつく。

 シュナの言葉は、俺の脳裏にある計画のひとつを的確に言い当てていたが、弟の洞察力を喜ぶよりも先に、俺には言わねばならないことがあった。



「それも一つの手ではあるが――それよりシュナ、子供が妓館とか身請けとか言うんじゃありません!」

 どこでそんな知識を身につけた、と渋面で教育的指導をほどこす。

 叱られたシュナは首をすくめたが、すぐにけろっとした顔で話を続けた。



「まっとうに考えれば、普通の女の人はうなずかないよね。『王位に就きたいから結婚してください。あ、そうそう、数が必要なのであなた以外の人も口説きます』とか言われても」

「そらまあ、そこまで露骨な物言いなら誰もうなずかんだろうよ」



 俺はあきれたが、実際、シュナの言うとおりではあった。

 関係した女性の数を競うとかいうならともかく、求められているのは花嫁である。本来はたくさんの時間をかけ、愛情を育んだ末にようやく得られるものだ。

 しかし、今回あたえられた期間は一年のみ。しかも陛下の後を継ぐという目的が明確だから、相手に対して愛だの恋だのはささやけない。

 仮にそのあたりをまるっと隠して結婚したとしても、最終的にその女性たちをつれて陛下のところに戻らなければならないわけで、そこで「騙されました」と言われてしまえば一巻の終わりである。



 となると、シュナの言うとおり、最初から隠し事なしに「陛下の後を継ぎたいから結婚してください、あなたのほかにもできるだけ多くの妻をむかえるつもりです」と正直に申し出なければならない。



 ――ならないのだが、しかし、これで「はい、わかりました」と頬を染める人なんてどこにもいないだろう。頬をひっぱたかれる程度で済めば運が良い。

 くわえて、結婚となれば関わってくるのは相手の女性ばかりではなく、向こうの親や兄弟にも話が及ぶ大問題だ。相手の家族に上記の台詞を口走ったら、それこそ刃物を持って追い回されるに違いない。



「……最初から袋小路ふくろこうじとはどういうことだ」



 俺は眉間にしわを寄せて呟いた。口八丁手八丁で相手を丸め込むのは得意だが、この問題はそういう手管でなんとかなるものではない。

 他の参加者に良いアイデアがあったら教えてほしいくらいのものである。

 


 と、ここでシュナが顔に憂慮を浮かべて口を開いた。

「兄さん、僕が気になっているのはそこなんだ。あの布告の内容だと、まっとうに女性を口説くのはまず無理だよね。そうなると詐欺や脅迫、いや、それどころか誘拐を誘発したりしないかな?」

「ありえるだろうな」

 俺はシュナの意見に賛同した。実はこれ、俺も危惧していたことなのである。

 ただ、陛下もそのあたりのことは気づいていたらしく、しっかりと対策を考えていた。



「そこでこんなものが出てくるわけだ」

「なに、その綺麗な紙……わ、光ってる。これは奇跡(神聖魔法)が付与された品だね。えぇと……『婚姻の書』?」

「うむ、アスティア様謹製だ。花嫁になる人に氏名のところを書いてもらうわけだが、嘘は一切かけないらしい」



 そう。何をどう説得したのか知らないが、いつの間にかアスティア様まで賛成にまわっているのだ。それを知ったときは驚きを通り越して唖然としてしまった。あのアスティア様が、ため息まじりとはいえ、こんな暴案に賛成するとは、いったい陛下は女神の耳元で何をささやいたのか。



「へえ、どれどれ……こっちは兄さんの署名だね。ということは、こっちが花嫁になる人の欄か。あ、ほんとだ! 僕の名前を書き込めない」



 物珍しげに婚姻の書をいじくるシュナを見やりながら、俺はあらためて今回の件について考えた。

 散々文句を口にしておいてなんだが、今回の花嫁令に込められた陛下の狙いは理解できる。少なくとも、その中の一つは。



 ウィンディア王国の人口は緩やかに、しかし確実に減少してきている。魔物の被害もさることながら、ウィンディアの外に安住の地を求める国民が後を絶たないせいだ。

 いかに英雄と戦神が守る国とはいえ、魔人領域と接するウィンディアでの暮らしに恐怖を抱く者は多く、より安全な南方諸国で暮らしたいという希望はとてもよく理解できた。

 俺は彼らを臆病者とさげすむ気持ちは微塵もないし、おそらく陛下も同様だろう。



 しかし、である。

 国は民によって成り立つもの。民の流出は国力の流出に等しい。

 国民が望むからといって、この流れを放置しておくとウィンディア自体が枯死してしまう。

 今回の花嫁令はこの対策の一環なのだ、と俺は考えていた。



 ようするにウィンディア王国への移住者招致である。

 この招致、普通に呼びかけただけでは効果は薄い。わざわざ安全な南方諸国から、魔物との最前線ともいえるウィンディアへ移住したいと望む物好きはそうそういないからだ。



 そこで花嫁令である。

 花嫁をひとり連れてくれば無条件で王都の居住権が与えられる。二人であれば広大な家屋敷もついてくる。三人以上の場合は王国の要職に――と花嫁の数に応じて破格の報酬がついてくると知れば、いっちょがんばってみようかと考えるお調子者は国の内外にいくらでも湧いて出るだろう。



 参加者は国の内外から募っているのに、花嫁は国外に限定しているあたりからも陛下の狙いは察せられる。

 アスティア様の『婚姻の書』があれば、金銭や暴力で無理やり女性が連れて来られる事態は避けられる。一夫一妻を唱える教会などは渋い顔をしているだろうが、当人たちが合意の上であれば問題はあるまい。

 で、後は産めよ育てよで王国の人口を地道に増やすわけだ。



 繰り返すが、魔人領域――魔界と接するウィンディア王国に好んで移住する物好きはそうそういないから、褒賞を出して移住者を募るという陛下の案は決して悪くない。

 ただし、その方法がまずい。

 英雄は色を好むから、花嫁をたくさん連れて来た者が英雄だという論理もまずいし、その英雄に王位を譲るという宣言にいたっては、もうまずいなんてもんじゃない。最悪である。



 英雄は色を好むが、色を好む者がみな英雄であるとはかぎらない。

 複数の女性を愛する甲斐性と、国を治める能力は別のものだ。無能者が王国の要職についた日には混乱は必至。ましてそんな人間が王になった日には、ウィンディア王国は即日滅亡する。



 そんなことになれば本末転倒もはなはだしい、と俺を含めたほとんどの廷臣が反対を唱えたのだが、陛下は心配するなと大笑して強行してしまった。

 前述したアスティア様に加え、宰相もあらかじめ説き伏せてあったようで、このあたり、あいかわらず勘所だけはきっちりおさえているところが始末に悪い。



 ともあれ、一度布告が出されてしまうと、それを取り消すのは難しい。そもそも陛下に取り消すつもりがまったくないときている。こうなると一騎士の身で出来ることは何もない。

 ここにおいて、俺は決断を下す必要に迫られた。これから先、ウィンディア王国は花嫁令の影響で間違いなく混乱する。その混乱にどう対処するべきなのか。

 正直、今回の件で陛下に対する評価がだだ下がりしていた俺は、いっそシュナを連れて他の国に移住しようか、とも考えた。陛下とアスティア様には恩があり、敬愛もしているが、それでも二人の決断に無条件で従う義務はないのだ。




 しかし、結局のところ、俺はその考えをとらなかった。

 はじめてこの話を陛下から聞かされたとき、俺が感じたのは驚きと呆れだった。荒唐無稽にもほどがあると思ったのだ。だからこそ反対もしたわけだが、内心でうごめくものも確かにあった。



 英雄王アレス・フォーセインのすべてを継ぐ。

 この言葉に何も感じないわけがない。



 この思いは、アスティア様が陛下の案に賛成にまわったと知ったとき、確固たるものになった。

 露骨にいえば、これは好機だ、と思ったのである。本来、猟師の小せがれに過ぎない俺には決して届かないはずの力、それを手に入れる唯一無二、千載一遇の機会が目の前に転がり込んできたのだ。

 黙って見過ごすことなど、とうていできなかった。



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