幕間 イズ・シーディア②
「セラの樹海に向かえ、とはどういう意味でございましょうか、猊下?」
部屋の主に頭を垂れたイズは、声に疑念がこもらないように注意しながら問いかけた。
遠乗りから帰るや急きょ枢機卿の部屋に呼び出され、何事かとやってきてみれば、開口一番「セラに向かえ」である。
あまりのタイミングに警戒せざるをえない。深く顔を伏せたのは、相手への敬意を示すためであるが、こちらの表情を隠すという理由も含まれていた。
ドン、ドン、ドン、と立て続けに重い音が室内に響く。イズの前に立つ枢機卿が手にした杖で床を激しく突いたのである。
「そのままの意味じゃよ、ブレイブハート! ぬしはただちにベルリーズを発ち、西の方、妖精郷へおもむくべし!」
枢機卿は唾を飛ばしながら、再度イズに命じた。
顔を覆う深いしわ、折れ曲がった背、金属同士をこすりあわせるような甲高い声。
カーナ連合王国におけるシルル教皇の代理人、枢機卿テトロドトス。
彼は齢八十に達する老人であり、同時に、人生のすべてを教団に捧げた敬虔な信徒であった。
シルル教団でも屈指の奇跡の使い手であり、自分が生まれた後に起きた四度の大侵攻すべてに従軍している。
人魔入り乱れる凄惨な戦場で負傷者を治療し、戦死者を看取り、時には前線に立って魔物と戦うことすらした。
魂魄までも教団に捧げぬいた姿勢は、信徒であると否とを問わずに多くの人々から尊敬され、また教団内部でも高く評価されて、若くしてエンテルキア聖教国で司祭の位を得る。
以来、数十年。
熱心に布教と奉仕活動に励んだテトロドトスは、時に上位の者たちと対立しながらも教団の勢力拡大に尽力し、ついには教皇候補の一人に選出される。
ただ、若い頃は剛毅とうたわれた性格は、年を経るにしたがって徐々に狷介の気をくわえ、テトロドトスから他者の言葉に耳を傾ける姿勢を奪っていった。
ことに先の教皇選挙でひ孫に等しい年齢の現教皇に敗れて以後、その弊は顕著になっている。発言は過激さと強硬さを増し、やがて教団内部でももてあまされるようになった。
テトロドトスをカーナ連合王国の枢機卿に任じた人事は、一見したところ昇進のように見えるが、実際はこの老人を教団中枢から遠ざけるためのもの――つまりはていのよい左遷である、とする見方もある。
少なくとも、テトロドトス本人はそのように信じており、エンテルキア聖教国への復権に強い意欲を燃やしていた。
「つい先刻のことじゃ! ランゴバルド王国の同胞より急使が参った。樹海から傷ついた亜人たちがあらわれ、ランゴバルドに保護を求めたとな! どうやら妖精郷に魔の者どもが攻め込み、亜人たちの守りを食い破ったらしい!」
手に持った杖でかつかつと床を打ちながら、テトロドトスは一語一語を叫ぶように話す。その顔は内心の興奮をうつして赤黒く染まっていた。
「神の教えから遠い亜人たちに、神の威光を知らしめるまたとない好機じゃ! 他所の教会、ことに聖教国の者どもが動き出す前に、我らは先んじて動く! まずはブレイブハート、そちがかの地におもむいて情勢を精査すべし! その報告をもとに我らは動くであろう!」
ダンッと一際強く床を打つ枢機卿。
状況を把握したイズは一段と深く頭をさげた。
「承知いたしました、猊下。ただちにセラの樹海におもむき、かの地で何が起きているのかを調べてまいります。同行者の人選については一任していただけましょうか?」
「任せよう! ただし、他の教会騎士は動かせぬ! 同行者はそなたで探せい!」
「かしこまりました。それではただちに準備に取りかかりますゆえ、これにて失礼させていただきます」
頭を垂れたままの姿勢で、すすっと後退したイズは、そのまま器用に後ろ手で扉をあけて外に出る。そこでようやく顔をあげると、そそくさと枢機卿の部屋から離れた。
「どうやって猊下にこの国を離れる許可をもらおうか悩んでいたんだけど、これは助かっちゃった、かな?」
周囲に人の気配がないことを確認してから、こそっと呟く。
枢機卿はイズのことを貴重な戦力とみなしているため、任務以外でベルリーズを離れることを快く思わない。ましてや、自身の管轄であるカーナ連合王国を離れて他国へおもむくなど、よほどの理由がないかぎり認めようとしなかっただろう。
その難問が思わぬ形で解かれたことにイズは安堵していた。
枢機卿じきじきの命令とあらば、他から横槍が入ることもないだろう。
問題があるとすれば、あいかわらず命令の根幹にあるのが教会内の勢力争いである、という点か。テトロドトスにしてみれば、別の管区を任されているライバル(他の枢機卿)にまさる功績をたて、エンテルキア聖教国に返り咲きたいのだろう。
たびたび行われる廃都遠征の目的もこれと重なる、とイズは考えていた。
「猊下がエンテルキアに戻りたいと思うことは、おかしくも何ともないことなんだけど……」
別にテトロドトスにかぎった話ではない。たいていの教団関係者はエンテルキア聖教国で働くことを夢見ている。シルル教徒にとって、女神が眠る彼の地は聖地に他ならないからだ。
むしろ、聖教国で教皇に認められながら、故郷で教団に尽くしたいという理由でベルリーズに戻ってきたイズの方が変り種なのである。
イズに対して、周囲が厳しい視線を向ける理由のひとつはここにあった。
若くして勇者の称号を得て、なおかつ教皇の覚えもめでたい十八歳の少女。イズと同年齢、あるいは年長の者たちにしてみれば面白かろうはずがない。
もしイズが五十歳、六十歳の高徳の先達であれば素直に尊敬もできようが、同年、あるいは年下の人間に敬意を抱くというのは存外難しい。しかもイズは孤児の出であり、これも良家の出身者が多い教会内では嫉視の一因となっている。
孤児が十八歳で勝ち得たものを、自分たちは何十年と費やしてなお手に入れることができずにいる。反感のひとつふたつ、どうしたって湧いて出ようというものであった。
イズはそういった周囲の感情を半ば理解している。
理解した上で、自分の姿勢を貫いている。むやみにへりくだることなく、かといって尊大に構えることもせず、あくまで自然体で周囲と向かい合う。そうすれば、いずれ分かってもらえるだろう、と。
フレアあたりからは、楽観的にすぎる、と事あるごとに注意を受けていたが、イズは友人の忠告に感謝はしても、自分のやり方を変えようとはしなかった。
――だって、変え方なんてわからないもん。
そんな風に思って苦笑する。
イズ・シーディアという人間は、他者との接し方をひょいひょい変えられるような器用さを持ち合わせていない。
だからといって、距離を置いたり、壁をつくるのも嫌だ。
であれば、まっすぐ向き合うしかないではないか。
それが気に入らないという人もいるだろうが、そういう人には諦めてもらうしかない。
友人からはお人よしだとみられている節があるが、少なくともイズ自身は自分がお人よしであるとは思っていない。その理由は、このあたりの頑固さを自覚しているところにあった。
◆◆◆
「猊下、ブレイブハートを国外に出してしまってよろしいのですか?」
イズが去った室内では、控えていた神官のひとりがテトロドトスにそんな問いを向けていた。
問われた当人は相変わらず杖で床を叩きながら口を開く。
「かまわん!」
「しかし、ブレイブハートは聖下によって抜擢された者、今も本国と何らかの繋がりを持っている可能性がございます。それに廃都の浄化に関しましても、たびたび否定的な意見をあげておりまして、猊下の意思に逆らう気振りが……」
「かまわぬと言うておる!」
何度目のことか、ダンッ、という硬い音が室内に響き、神官は鞭打たれたように首をすくめた。
「あれは剣、神の敵を討つ破邪の剣よ! 何をくちばしろうとも、最後には枢機卿たる我が意に従うであろう。教会の中でさえずってばかりの者どもより、よほど物の役に立つ! そんなことよりも、気をつけるべきは神の再来を騙る聖都の小娘なり! 腰の軽い娘ゆえ、こたびの知らせを聞くや聖騎士団を率いて動きかねぬ! させてはならぬ、させてはならぬ!」
「か、かしこまりました。猊下の支持者に伝えて、聖下が動けぬようにとりはからいます」
「うむ! 小娘も、小娘を支持する若造どもも、聖都の重要性をまったく理解しておらぬ。魔人が動きし今、聖都を空けるような愚かな真似をさせるわけにはゆかん!」
枢機卿の言葉にうなずこうとした神官だったが、その内容を理解するや、ぎょっとした顔で喉の奥から異音を発した。
「まッ!? げ、猊下、魔人とはいったい何のことで!?」
「亜人どもは強力な兵であり、妖精郷の守りは鉄壁! これらを突き崩せるのは魔人くらいのものであろうて!」
「であれば、こたびのこと、もしや大侵攻の前触れなのでは……ッ!」
神官の声がはっきりと震えを帯びた。
先の大侵攻から八年。
次の大侵攻が起こるにはまだ早いと考えられているが、敗北を味わわされた魔人たちが報復のために早く動く可能性は指摘されている。
青ざめる神官を前に、枢機卿は平然とした面持ちでうなずいた。
「かもしれぬ! だが、何を恐れることがある? 恐れたとて魔の者どもは必ず人界に襲い来る。神の使徒として聖戦の尖兵をつとめる栄誉を思うべし!」
過去、四度の大侵攻に従軍したテトロドトスにとって大侵攻は聖戦の場であり、仮にそこで死んだとしても殉教だ。恐れも怯えも感じない。
恐れている暇があるなら、聖戦に参加できる栄誉を思って奮い立て、と豪語する枢機卿。神官はその剛毅さに気圧されたように口をつぐみ、室内は沈黙に包まれた。
八年前の大侵攻では戦火はメルキト河に達しなかった。その前の大侵攻はコーラル帝国が滅びた三十年前のもの。南方諸国では、テトロドトスのように大侵攻を戦った経験のある者が減りつつある。
若い神官や教会騎士ばかりではない。中堅の地位にいる者たちさえ、大侵攻を知識としてしか知らない者が増えているのだ。
テトロドトスは枢機卿としてこの状況を憂慮しており、彼がたびたび廃都への遠征を行うのは、そういった経験の不足を補うためでもあった。
この点、枢機卿に対するイズの認識は少しばかり浅い。
だが、これは仕方のないことであったろう。イズもまた、大侵攻を知識としてしか知らない世代なのである。
◆◆◆
イズから事のあらましを聞かされたフレアは、思わずという感じで深いため息を吐いた。
花嫁令で動く冒険者、エルフを自称するゴブリン、樹海に攻め入ったという魔軍、そして今も魔軍と戦っているであろうエルフたち。
セラの樹海の地理的な重要性を考えれば、ウィンディアやランゴバルド、蓬莱といった大国は間違いなく動くだろう。そこにシルル教団の勇者が乗り込めばどうなるか、フレアは想像したくもなかった。
この友人が好んで困難に立ち向かうのは今にはじまった話ではないのだが、それにしたってよくまあこんな火薬庫みたいな状況に首を突っ込む気になれるものだ。
「なんだか一周まわって感心してしまいそうよ……」
「えへへ、それほどでも」
照れたように頬をかく友人をぎろりと睨む。それを見たイズは慌てて両手をあげた。
「あ、はい。褒められてないことはわかってます」
「わかっているんだったら余計なこと言わないの。もちろん協力はするけれど、どこを着地地点にする気よ?」
「着地地点?」
イズが首をかしげると、フレアは言葉の意図を説明した。
「今回みたいに問題が複雑に絡み合っている場合、明確な目的を決めておかないと、面倒事でがんじがらめにされて身動きがとれなくなるわよ。そのウルクってゴブリン、いえ、エルフ? その子を樹海に届けるだけでよしとするのか。呪詛を解くまで付き合うのか。それに、樹海に攻め込んだ魔軍をどうするかって問題もあるわ」
魔軍を追い払うにしても、どうやってエルフたちと協力体制を築くのか。介入してくる大国をどう扱うのか。問題は山積みだ。
それだけではない。
イズが聞いた話がすべて事実だと仮定すると、今セラの樹海にいるのは、雑多な魔物を一つの軍としてまとめあげることができて、なおかつ魔法に優れたエルフを永続的な呪詛状態における存在ということになる。
そんな存在は魔人しかいない、とフレアは断定した。
「諸国も遅かれ早かれそのことに気づくでしょう。そうなれば、当然、聖剣持ちであるあなたを取り込もうとする。それこそ強引な手を使ってでも、ね。遠く離れたベルリーズでそれを知った枢機卿はどう思うかしら?」
イズは困ったように眉を八の字にした。
「面白くは思わないだろうね……たぶん、すぐに召還されちゃうかな」
「そういうことよ。でも、あなたの性格からして、目の前の問題から手を引くことをいさぎよしとしないでしょう?」
そうなると、勇者と枢機卿が明確に対立することになる。そんな状況になれば、エンテルキアの教皇も動くであろう。問題はイズを超えて、教皇と枢機卿の対立に発展する。
教団すべてを巻き込む大騒動のはじまりである。
フレアは再度ため息を吐き出した。
「……話を聞いたばかりの私が軽く想像を働かせただけでも、これだけの面倒事が思いつく。それだけ厄介な事態ってことよ、今の状況は。実際に動けば、もっとたくさんの問題が出てくるはず。そのすべてに付き合っていたら身がもたないわ。あなたも、周りの人間もね。だから、今のうちに明確な線を引いておきなさい。その時になって迷わないように」
友人の忠告に、イズは真剣な顔で応じる。
「……ボクができることは全部やりたいっていうのは、線引きになるかな?」
「なるわよ。私は付き合ってあげる。ただ、付き合うのはごめんだって人もいるでしょう。この場合は、あなたが巻き込みたくないと思う人っていうべきかしらね? だからまあ、そのあたりも含めて考えておきなさい。樹海に着くまではけっこうかかるだろうから、考え事をまとめる時間くらいはあるでしょう」
「ん、わかったよ、フレア」
イズが素直にうなずくのを見て、フレアは重苦しい空気を振り払うように勢いよく立ち上がった。
「そうと決まれば、私も準備をしないと。枢機卿じきじきの任務ということは、道中の路銀やら宿やらは教団を頼っていいのよね?」
「うん。とりあえず馬車は押さえておいたし、食料や水も積み込んでもらうから、準備は最小限でいいと思う」
「魔物や野盗に馬車を襲われて素寒貧、なんて状況にならないといいけど」
それを聞いたイズは小さく苦笑した。
「あはは、フレアはほんと悲観的だよね」
「常に最悪の状況に備えている、といってほしいわね。ちなみに、私にこの考えを植え付けた二人のうちの一人はあなたよ」
他人事みたいに笑うな、とフレアはしかめっ面をする。
イズは首をかしげて問いかけた。
「もう一人はミリア姉さん?」
「正解」
そんなやりとりを交わしながら、二人はてきぱきと準備に取りかかる。
ベルリーズの街から、一頭の騎馬と、二頭立ての小さな馬車が旅立ったのは、それからしばらく後のことであった。




