第十二章 女神の真実(四)
神とは何なのか。
俺にとって神とは戦神アスティアを、そして女神シルルを指す言葉であるが、アスティア様が訊いているのはそういった意味合いではないだろう。
問われているのはたぶん、種族としての神をどう捉えているのか、ということだ。
人間を魔人の支配から解き放った存在。魔人と同列に語られる超越種。
シルリス大陸に生きる者で神の存在を知らない者はおそらくいない。同時に、種としての神の詳細を知る者も皆無であろう。
ある意味、神は魔人と同じくらい謎めいた存在であった。
だからアスティア様から問いを投げかけられたとき、俺は「わからない」と答えようとした。
事実、俺はアスティア様やシルル神がどういう存在なのかについてまったく無知であったから、これは嘘でもごまかしでもない。
しかし。
「……それ、は」
俺はアスティア様の問いに口ごもってしまう。
わからない、知らないといえば済むことなのに、そうと口にすることができなかった。
そんな俺を見て、大陸最後の現人神は哀しげな笑みを浮かべる。
「わたしが魔人を知るように、フッキも戦神を知っている。蓬莱の戦いで何か言われましたか?」
「あ、いえ、具体的なことは何も。ただ……」
「ただ?」
ぼそぼそと応じる俺の声に、アスティア様は優しく応じる。答えを急かされたという感じはなく、無意識のうちに飲み込んだ言葉を、胸の奥のためらいごとすっと掬い上げられた感覚があった。
それで、覚悟が決まる。
「フッキはアスティア様のことを『シルルの眷属』と呼んでいました。それに、最後の転移の直前、俺のことを『シルルの輩』とも」
他にもあの魔人は身に宿した種がどうの、といったよくわからない言葉を口にしていた。
戦っていたときには気にとめる余裕がなかったし、戦いが終わった後であらためて振り返っても、魔人の片言隻語から正答を導き出せるような明晰な頭脳は俺にはない。
ただ、ふと思ったことがある。
以前、廃都の地下でスーシャはこんなことを言っていた。
――この世に『魔人』という種族は存在しません。竜やオウガ、ゴブリンといったそれぞれの種族の中で可能石を宿した者たちが、魔人と呼ばれる存在になるんです――
スーシャの言うがごとく、魔人という種族が存在せず、可能石の有無によって識別されるものだとすれば、その魔人と並び称される神は何をもって識別されるのか。
可能石に似て非なる力の源があり、それを宿した者が神と呼ばれるのかもしれないが、そう考えると一つ妙な疑問が浮かびあがる。
人を神たらしめる力の源があるのなら、どうしてシルル教団は――聖賢会議はその力を目指さないのだろうか、という疑問だ。
人間から魔人を生み出すなどという企みよりも、新しい神を生み出す試みの方がよっぽど健全であろう。そもそもシルル教団はその名のごとく女神を奉じる組織なのだ、それがどうして神ではなく魔人を目指すようになったのか。
廃都の地下でスーシャの話を聞いたときから、この疑問は俺の胸にあった。
今日までそれを確認しなかったのは、ほじくり返したところで俺にとって一文の価値もないからだったが、今思えば無意識のうちに真実を知ることを躊躇していたのかもしれない。
何故といって、魔人を識別する『可能石』と、神を識別する『可能石に似て非なる何か』が別の物であるという保証はどこにもないからだ。
むしろ、同一のものであると考えた方がずっとしっくりくる。
そして、そう考えた場合『神』と『魔人』を識別する要素が、ただ人間を守るか害するかの違いしかなくなってしまう……
「――テオ」
「は、はいッ!?」
いつの間にか物思いに沈んでいた俺は、アスティア様からの呼びかけでハッと我に返る。
黒神の戦神は慌てる俺の顔を見て、そっと目を細めた。寂しそうにも、また嬉しそうにも見える不思議な眼差し。
その眼差しのまま、アスティア様はあっさりと話を打ち切った。
「皆が心配しているかもしれません。そろそろ部屋に戻りましょう」
「は、はぁ」
予想外の言葉に目を瞬かせる。
これは神の正体について詮索は無用ということなのだろうか。背を向けたアスティア様の後姿を目で追いながら、俺はそんな疑問を覚えた。
この疑問が脳裏をよぎった理由はたぶん、俺自身がこの問題の答えを知りたくないと思っているからなのだろう。
神と魔人が同じ存在なのではないか。女神シルルは魔人シルルであり、戦神アスティアは魔人の眷属に過ぎないのではないか。
そんな疑問に明確な答えなんて欲しくない。
人界――シルリス大陸をめぐる神と魔人の戦いが、魔人同士の勢力争いに過ぎなかったなんて結論は欲しくない。
ただ、頭の冷静な部分が認めていた。これが真実なのだ、と。
何故といって、こう考えれば過去の大侵攻で八柱の戦神が魔人たちにほとんど歯が立たなかった理由が判然とするからである。無限の魔力を持つ魔人と、その力を分け与えられただけの眷属が戦えば、それは魔人が勝つに決まっている。
また、以前スーシャは廃都地下の魔剣を前にして「聖都の大神殿で一度だけ可能石を見たことがある」と口にしていた。
その可能石がシルル女神の心臓であり、その心臓がガルカムウ山脈に張られているという対ジウ用の結界の核なのだとすれば――月喰の可能石が廃都の呪いの核となっていたように――色々とつじつまが合う。合ってしまう。
俺は無言でそんなことを考えながら、先を歩くアスティア様を追って歩き出す。
途中、アスティア様はちらと俺を振り返ったが、すぐに面差しを伏せ、何も言わずに再び前を向いた。
――たぶん、今の俺の顔には内心の動揺がそのまま現れている。アスティア様はそれを見て、今は何を話しても俺の心に届かないと判断したのではないか。そんな気がした。
実際、俺は自分でも意外なほど動揺していた。
冷静に考えれば、女神シルルが魔人シルルであったところで、俺がやるべきことは何も変わらない。アスティア様が魔人の眷属だから、それがどうしたというのか。俺がアスティア様に救われた事実が消え去るわけではないのである。
俺は自分にそう言い聞かせようとしたが、そうすること自体、俺が動揺を消せない証だった。
ハイランダーとしてガルカムウの最前線で戦ってきた身だ。現在のシルリス大陸の深刻な状況は、戦神一人で覆すことができるほど甘いものではない――そのことはわきまえているつもりだった。
過去の大侵攻の歴史から、戦神であるアスティア様が、他者が言うほど絶対的な存在ではないことも理解しているつもりだった。
しかし、それはあくまで「つもり」に過ぎず、俺は思っていた以上にアスティア様の存在を心のよりどころにしていたらしい。
そうでなければ、アスティア様が魔人の眷属に過ぎないとわかった途端、こんなにも動揺したりはしないだろう。
陛下のようにアスティア様の加護を得て、魔人と戦う力を手にして魔人領域に攻め込むという野望も、こうなっては修正せざるを得ない。
アスティア様の力はあくまで眷属の力。それを手にしたとしても、魔人がうようよ待ち構えているベルビアに攻め込むのは無謀である。
まあ、そもそもベルビアに攻め込むという目論み自体無謀なのだと言われればそれまでなのだが……
半ば現実逃避気味に、つらつらと思考をさまよわせていた俺は、ここでふと違和感を覚えて足を止めた。
前を歩くアスティア様の背が、なぜだか妙に小さく見えたのだ。
「あの、アスティア、様……?」
思わず声に出して呼び止めてしまう。
声をかけられるとは思っていなかったのか、アスティア様は驚いたような顔で振り返った。
「どうしました、テオ。先ほどの話ならば、無理に聞く必要はありませんよ?」
それは俺の疑念と躊躇を正確に把握している言葉であり、声であった。
恩人に気を遣わせてしまっていることに忸怩たる思いを抱きつつ、俺は内心の疑問をそのまま声に出す。
「あ、いえ、そうではなくて、ですね。アスティア様、ちっちゃくなりました?」
「……はい?」
俺の問いにアスティア様の目が点になる。
向こうがどんな問いを予想していたのかは分からないが、俺がその予想を外したのは火を見るより明らかだった。
数瞬の呆然の後、アスティア様は心配そうに俺を見やる。突然のすっとんきょうな質問に対し、疑問を覚えるより先に、俺の精神状態に対する心配が先に立ったらしい。
「ここ最近、急激に背が縮んだという事実はありませんが……テオ、突然どうしたのです?」
「あ、いや、いま後ろを歩いていたら、急にそんな疑問が湧いて出まして……」
口早に言い募る。事実なのだから他に言いようがなかった。
俺がふざけているわけでも、惑乱しているわけでもないとわかったのか、アスティア様は怪訝そうにしながらも律儀に質問に答えてくれた。
「わたしが縮んだわけではない以上、あなたが大きくなったとしか考えられませんが、こうしてみるかぎり、この数ヶ月で急激に背が伸びたという事実もなさそうですね」
そう言ってしげしげと俺の顔を見た後、アスティア様は不意に小さく微笑んだ。
「そういえば、はじめて会ったときはわたしの胸ほどの背丈でしたね、あなたは。あの頃と比べれば、見違えるほどに大きく、たくましくなりました。もしかして、昨日は幼い頃の夢でも見たのですか?」
その言葉に、俺ははと胸を突かれた気がした。
俺はアスティア様と出会ってからの八年間でそれなりに成長した。かつて顔を見るために見上げなければいけなかった女性の背丈を、今の俺は追い越している。
一方のアスティア様はあの頃と何も変わっていない。背丈も、容姿も、課せられた使命も何ひとつ。
単純な、それこそ当たり前の事実に、今さらながら気がついた。
その途端、なんだか猛然と腹が立ってきた。
誰にと問われれば、自分にと答えるしかない。俺は今しがた、自分よりも小さな背の持ち主にどんな目を向けていたのだ?
一瞬の静寂。
直後、王宮の廊下にバッチンッッと大きな音が響き渡る。
俺が両手で自分の頬を思い切り叩いた音だった。めっちゃ痛い。
が、おかげですっきりと目が覚めた。
「……テ、テオ?」
目の前には突然の奇行に目をまん丸にしたアスティア様がいる。
どっかで見た顔だなと思ったが、うん、たしか廃都の地下でスーシャ相手に似たようなことをしてたわ、俺。
「申し訳ありません。少しばかり腑抜けていた自分に喝を入れましたッ」
「そ、そうですか……大丈夫、なのですか?」
アスティア様の心配が向けられた先が、ひっぱたいた頬の痛みに対するものなのか、俺の頭の状態に対するものなのかはあえて確かめないでおこう。
「は! 不肖テオ・レーベ、肉体的にも精神的にも完調に復したと自信をもって断言いたしますッ!」
「……そう、みたいですね。たしかに目の光がつい先ほどまでとはまったく違います」
すっと前かがみになったアスティア様が、上目遣いで俺の目を覗き込んでくる。
「正直なところ、これから先、今までどおりに話すことは難しいと覚悟していたのですが……突然どうしたのですか?」
やや冗談めかした調子だったが、おそらくそれはアスティア様の本心だったのだろう。 ほんのわずかの間とはいえ、憧れの人に無用の痛みを与えてしまったことを悔いながら、俺は声を大にして宣言した。
「やっぱり俺はアスティア様のことを心から尊敬もうしあげているのだと再確認した次第でありますッ!」
「………………なるほど、たしかに完調に復したようですね」
ふかーいため息を吐いた後、アスティア様は右手で眉間をもみほぐしながら、疲れたように面差しを伏せる。
王宮の廊下に据えられた燭台の明かりが反射したのか、その頬はかすかに上気しているように見えた。




